続・「アキレスと亀の競争」について…
「アキレスと亀の競争」について…前回とは、異なった視点で書いてみた。
カメもアキレスも競争であるから、当然に全力で走るだろう。
全力と言えども、二人とも同時に二歩だして走る事は不可能であり、
出した一歩を中途で止める事も、また不可能であろう。
そこで、亀の一歩を「1㎝」、アキレスの一歩を「1m」とし、
また、二人ともは同時に一歩ずつ出して走る、と仮定する。
スタート地点は、亀が、アキレスより100m先である。
アキレスが、亀の位置100m先に100歩で到達する。
その時には、亀は100歩さきの100mm=10㎝地点に到達している。
次のアキレスの一歩は1mだから、到着点は「101m」てあり、
カメの到達点「100m+10㎝」には、止まれない!
ここで…すでにアキレスは亀を追い越している。
アキレスが、その「10㎝」先の亀の位置に到達した時、確かにカメは「10㎝」より少し前に進んでいる。
しかし、それでも、アキレスが「10㎝」先を通過したのは、アキレスの一歩の途中である…。
両者の競争である以上、アキレスは出した一歩を中途で止める事はあり得ない。
このように条件を変えて考えるなら、確かにアキレスは亀の到達点に到達・停止する事は不可能である。
しかし、アキレスは、101歩目に、亀の到達点を越えてしまっている。
この問題は、求める結果である「アキレスが亀の到達点に到着・停止する事」に無理があったのであろう。
より論理的解答を書くなら、「全力で走る構造」には、分離不能な「距離(空間の切断)・速さ(かかる時間)」の一体的・必然的な関係性がある。
なのに…ゼノンの「アキレスと亀の競争」では、時間・変化・運動のスピードを無視して作られ・考えられている。
このような「一体的・必然的な両者の関係を断ち切った」状態での認識・活動が故の「絶対矛盾」発生なのだろう。
「
「アキレスと亀の競争」について…前回とは、異なった視点で書いてみた。
カメもアキレスも競争であるから、当然に全力で走るだろう。
全力と言えども、二人とも同時に二歩だして走る事は不可能であり、
出した一歩を中途で止める事も、また不可能であろう。
そこで、亀の一歩を「1㎝」、アキレスの一歩を「1m」とし、
また、二人ともは同時に一歩ずつ出して走る、と仮定する。
スタート地点は、亀が、アキレスより100m先である。
アキレスが、亀の位置100m先に100歩で到達する。
その時には、亀は100歩さきの100mm=10㎝地点に到達している。
次のアキレスの一歩は1mだから、到着点は「101m」てあり、
カメの到達点「100m+10㎝」には、止まれない!
ここで…すでにアキレスは亀を追い越している。
アキレスが、その「10㎝」先の亀の位置に到達した時、確かにカメは「10㎝」より少し前に進んでいる。
しかし、それでも、アキレスが「10㎝」先を通過したのは、アキレスの一歩の途中である…。
両者の競争である以上、アキレスは出した一歩を中途で止める事はあり得ない。
このように条件を変えて考えるなら、確かにアキレスは亀の到達点に到達・停止する事は不可能である。
しかし、アキレスは、101歩目に、亀の到達点を越えてしまっている。
この問題は、求める結果である「アキレスが亀の到達点に到着・停止する事」に無理があったのであろう。
より論理的解答を書くなら、「全力で走る構造」には、分離不能な「距離(空間の切断)・速さ(かかる時間)」の一体的・必然的な関係性がある。
なのに…ゼノンの「アキレスと亀の競争」では、時間・変化・運動のスピードを無視して作られ・考えられている。
このような「一体的・必然的な両者の関係を断ち切った」状態での認識・活動が故の「絶対矛盾」発生なのだろう。
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学問年齢(つまり南郷学派に入った年)は自分(神庭)より全然年下だが、実年齢は年くってますよ♪というwww
>・コメントが届いた記事
>続・「アキレスと亀の競争」について…
・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/5bcbb74ec7df5a6348fec94ecdcac0b3
>・コメントを書いた人
>雲海
>・コメント
>神庭さんの新刊を読んで神庭さんのユーモアを感じたのが「悠季真理を若いと言いましたが、それは学問年齢のことです」というくだり。
>学問年齢(つまり南郷学派に入った年)は自分(神庭)より全然年下だが、実年齢は年くってますよ♪というwww
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宅って私とは、理解の仕方・考え方・思い方…が大きく異なっていますね。
本当に、この雲海お宅は嫌味な奴ですね。
というか…これって、神庭氏の実力を見極められない者の戯言です。
新・中学生が、中学教師の教育的実力・言葉を理解・分かる事ができずに、
自分かってな解釈・誤解で納得して、結果的に相手を自分のレベルへ引きずり落としているモノですね。
この「若い」とは、年齢・年月日ではなく、経験値・努力値・頑張り値…の事。
言うなれば、まだまだ学者としては未熟者から、だから~
まだまだ・もっともっと研鑽・実践…を積む必要がある…という自戒的な想いの表現なのでしょうね。
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