新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

唯物論的な「神」・「霊」…

2018-01-13 09:41:50 | 想い思い考える


神戸だいすきブログ記事
2018年01月12日05:45 の
記事<瞑想の事>から、


「神」や「霊」について考えた。
それも唯物論的にである。


「神」とは何か?

観念論なら、
神は、世界の創造主で正解であろう。

唯物論ならば、
神とは超自然的な力・そのモノ。
人間を超えたパワー、とでも答えるのだろう。

では「霊」とは何か?
観念論なら、実体を持たない精神的な存在。
唯物論ならば、どう説明するだろうか?

それが、以下の神戸だいすきブログへのコメントである。






「己をむなしゅうする時も、霊の影響を受ける…」
について、以下のような事を思いました。

それら「霊」と言われているモノは、
人の外でなく、心の中にあるモノ。
当人が無意識・意識している・いないにかわらず…

その「霊」なるモノの生成過程は?
それは、人間の学習・吸収能力の成果です。

「三つ子の魂百まで」と言われているように…
三歳までの赤子は周囲の刺激・情報…を
魂(無意識の心)レベルで修得していきます。

赤子は周囲の人々の善意、悪意、無関心…的な
態度・言動・行為を受ける事で、
それを感情・モヤモヤしたハッキリしないモノ
として体得していきます。

それらは、「霊」的な存在として、
その子の魂の中に組み入れられてしまう、のでしょう。

大人になった、赤子は周囲・環境に合わせて生活しています。
そこには、「生きてたい」・「死にたい」…の意志があります。
そんなモヤモヤした物モノはその意志によって、
表面化し難いモノとなっているのでしょう。

それでも…
人が、「己をむなしゅう」しようとし、
それが完璧に達成されて時、
その人の「意志」は滅せられます。
その時、その人の心に現象するのが、
過去から現在までの心の中の「霊」的モノなのでしよう。

神戸だいすきさんのように、
「人の為・多くの人の為」という思いを
長く持ち続けてられてきた人は、
その強い想いが、心の「霊」の姿形を、
その方向で形つくるのでしょう。

唯物論的に「神」的物モノを考察するなら、
それは、その人の心の中の「霊」的モノ総合力の結果
その「霊」の全ては、その人の心の中のモノ。

それらは、その人の生誕直後から、
周囲の人々・環境から、好む・好まざるら関わらず、
強制的に創造されてきたモノ…


仮に、このように…唯物論で納得できたとしても…
でも!それでも!
「霊」が、その人へ与える影響の大きさは、
「神」の力レベルに相当するモノです。
だから、人は、その人が感じている霊的力に抵抗し難いのでしょう。

人は、その人の心に内在する「神」的な
パワーにコントロールされ生かされている。と書いたら
それは、観念論的? それとも、唯物論的?








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12 コメント

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Unknown (卜伝)
2018-01-17 03:09:03
自由びと氏のこの記事を読んで思うのは「なんだかな~」という感じ。

そんな言い方したって自由びと氏は何も感じないだろうか、南郷信者の自由びと氏にも「ん?」と感じてもらうには「南郷氏が武道講義で説いていた唯物論者はせいぜいがマルクスの蜂の設計図が脳裏にあるという台詞を想起するだけ」との観念を扱うに当たっての唯物論者を低く見る発言を引用することだろうか?

神戸の婆さんの瞑想に対しての自由びと氏のこの記事に関しては一先ず置くとして、愚案亭主の掲示板で再び始まったタ○ゴと天寿堂さんとの討論を自由びと氏ならどう見るかね?

私には愚案亭主とタ○ゴの双方のニセモノ具合が判断できるやりとりだと感じているわけだが。

それはね……笑
返信する
Unknown (自由びと)
2018-01-17 18:36:14

ト伝ちゃん~

その>「なんだかな~」という感じ<を自覚し得る君はいいね♪
その自分の「なんだかな~」感を追求しないト伝ちゃんは幸せ♪

タマゴ氏と愚案くんの真意を知り得ないト伝ちゃんに、
>双方のニセモノ具合が判断できる<なんて有り得ない事です。
この言葉は、ト伝氏の、いつもの真っ赤な嘘か、妄想レベルの思い込みですね。

真のダイヤを知らない者に、
ガラスとダイヤの区別・判断は不能なのは当然なのです。

本物を知らないト伝ちゃん!
偽物を本物だと思い込んでいるのかもしれないト伝ちゃん!
それでも、ここまで書けている、そんなト伝ちゃん羨ましいね♪

返信する
Unknown (タマゴ)
2018-01-18 09:28:34
私は、天寿堂さんの理論に関しては批判もしているが、鍼灸の腕前は認めている。

ソク伝は、能書き垂れるだけの哀れなブログ荒らし。
何一つ人の役に立たない二酸化炭素製造マシン。
返信する
Unknown (卜伝)
2018-01-18 13:10:16
初めに断っておくが、私は亡くなった青雲さんと同様にタ○ゴとは生理的に受け付けないから言葉を交わし合うことはしていない。それはこれまでも、これからもだ。

ただ、講談社の婆さんのブログには書き込んでもらいたくないというタ○ゴの考えは酌んだ形で婆さんのブログには一切書き込んでいないはずだ。しかし、足るを知るということを知らない人間はこれでもかとばかりに罵声を浴びせかけてくる。

私はこれまでも自分の考えを述べる必要があると判断したときは述べてきているし、それを読んで「なるほど、参考になった」と思う者もいれば「まったく役に立たない意見だ」と思う者も当然にいるだろう。

ただ、タ○ゴのように「あいつは論旨が不明瞭で何が言いたいのか分からない」というのは分析できていないということでしかない。

改めて述べるが、私は私の立場から必要だと思うことを述べるにとどまり、例えば自由びと氏や玄和の役に立つ働きをしようといった考えは皆無だ。タ○ゴのように「シンパかアンチかの二項対立」なんて図式を勝手につくってシンパでないからアンチなんてことを婆さんのブログで書いていることが滑稽なんだ。

なぜだが私と絡みたくて絡みたくて仕方がないらしいが、私のほうでは全く関わり合いたいとは思わない。

私からすれば天寿堂さんのような東洋医学の治療家は生業として資格を得て治療を行っているというのが第一のものだから、その生活の邪魔をしないというのがマナーだろうと思っているわけだ。だから、談論サロンで激しい議論もOKだと書いてはあっても天寿堂さんの交感神経を活性化する治療で青雲さんのガンが悪化したなんてことを書くのは行き過ぎだと思っている。

以上は私個人の見解だが、タ○ゴからの返信は必要ない。関わり合いたくないのだから。私がお前の要求を呑んで婆さんのブログに書き込まないでいることに何かを感じる感性が僅かでもあるならば、お前と関わり合いたくないという私の要求も呑んだらどうだ?
返信する
Unknown (卜伝)
2018-01-18 14:13:25
自由びと氏にも改めて述べておくが、私は南郷氏や玄和のために働くつもりは無いのだよ。

今まで婆さんのブログに付きっきりになっていたタ○ゴが思い出したように天寿堂さんの掲示板に書き込みだして、それも執拗な批判攻撃ばかりなのは南郷氏の新刊に「弁証法を学ぶには合宿形式での闘論だ」と書いてあることと関わりがあるのではないかと疑いたくなるがね。

タ○ゴは以前も筑波大学の本田さんに連絡しろとか述べていて、やはり玄和関係者なのではないか?法医学を学ぶなら法医学者は別に本田さん以外にもいるわけだし、こんど東大で法医学者の講演があると通知が来たばかりだが、どうしてこいつは玄和に肩入れするのか?

『脳内革命』の春山茂雄だとか医師で医学者の肩書きもちながら良い加減な本だしてる人間は少なくないだろう。そこにはおそらく、科学としての正確さよりも「売れそうか否か」の判断があるのだろう。

端的には「印税」生活を狙ったところもあるのだろう。いま天寿堂さんの掲示板で瀬江千史の腎臓の話をやってるな。タ○ゴはそこには余り関心がないらしくスルーに近い反応だが、なぜ玄和を退会して南郷学派批判を始めたはずの愚案亭主が再び瀬江氏の現代医学批判を持ち上げはじめたのか?

仲直りでも狙っているのかも知れないが、天寿堂さんの掲示板がキッカケで瀬江氏の腎臓の話を改めて読むとどーでもいい話でしかないな。

腎臓が排泄器官でなくて選別器官なんてのもどーでもいい話で。そんなのは南郷氏の影響で「本質規定」だとか「モノ自体」とかからの類推で腎臓が持っているあらゆる機能を包括したカテゴリーでなければならぬはず、なんて思い込みから書いたんだろう。

だが、性急に「哲学的な用語であるべき」と行く前に、そもそもが医学用語というのはどういったものかを解剖生理の実用性から考えるべきなのではないか?

さすれば、それが体液(血液)の恒常性を維持するためだということを理解した上であろうと、やっぱり腎臓は泌尿器であり排泄器官だというところに収まるのではないだろうかね?

交感神経の統括ということでいえば、統括されてると言えなくは無いな。統括というのは一つのものとして纏め上げられることだろうから、抗ストレス反応として交感神経の活動下に腎臓も置かれてしまう。別の臓器として勝手なことはしていられない。それは静脈が腎臓に繋がっていて排泄活動をするという解剖学的な構造から必然的に引き起こされる統括だろうよ。

だが、そこでの統括というのは「抗ストレス反応」における取り纏めだから、免疫物質は消費されるだけの統括。あらたに免疫物質を生産するためには副交感神経の統括下で休養しなくちゃいけないだろう。だから、一口に「統括」といったところで如何なる条件下で何が何を統括しているかを言わないと「統括してるか、してないか」だけで答えは出せない。

抗ストレス反応で心拍数が上がり血管が収縮し、といった「心臓と血管」という別のものを協調さする統括さえ、交感神経が働かなければ心肺停止するのでなければ統括しているとは言えない、なんて頓珍漢な話になる(笑)

企業にだって統括管理者なんてのがいるが、その人がいなくなったら社員が全員死ぬはずだなんて阿呆は発想しか出来なくなる。

まあ、こんなこと書くのも無意味だけどね。私はtada氏の「トヨタのカイゼン」発言にも敏感に反応したからね。カイゼンって末端構成員が活躍する話だから、下手したら玄和の構成員として使役されかねないな、と。自由びと氏の「ご苦労!」発言もあったからね。

普通の人間は自分が仕える相手をキちんと解っているものだしね。
返信する
悪しからず… (自由びと)
2018-01-18 14:26:35

>自由びと氏にも改めて述べておくが、私は南郷氏や玄和のために働くつもりは無いのだよ。

何を書いているのト伝ちゃん!
改めて「改めて述べておく」必要は皆無なのに…。

お宅が、望む・望まない…に関わらず、
「…働くつもり」は全くなくとも、
お宅は、森羅万象・世界の一部として、
それなりの働きをしまっているのですよ!

悪しからず!ト伝ちゃん!


返信する
Unknown (卜伝)
2018-01-19 10:29:06
自由びと氏

>必要は皆無

そう言ってもらえると有り難いが、今まで自由びと氏は私が自分の言いたい事しか書かずに相手の発言や質問を無視しているとやんわりと責めていたように感じていたので念のため、ですよ。

相手のコメントのどこに反応するかは個々人の価値観にもよるのでしょう。確か一頃の自由びと氏は自分の書いた一文一文の全てに反応してコメントを返さないと不満を感じるようなコメントしてたと思うんですよね。

そればかりか、私のコメントから自由びと氏が連想した新たな問いだとか問題を私に答えるように求める発言をしていたでしょう。いわく「では聞くが~」とね。

これって玄和さんの内部だと普通のことなのかも知れないし、相手から与えられた新たな問いに回答しようと調べて考えるなら自分の実力に資するという方向性だとも言えなくはないわけです。

ですが、そうした向上心の一面を実存的な人間関係を度外視して押し付けることは他人の使役化・隷属化に結びつくんじゃないかと思うわけです。

具体的に言うと、自由びと氏は婆さんのブログで南郷氏が「より多くの人間が弁証法を習得できる方法の構築に苦心した」と述べていますけど、そうした事実は無いでしょう。

空手家のT樫氏が南郷氏と会見したエピソードが残されていますけど、極真の悪口以外は喋らなかったそうですし、要は「私のほうが凄いのだから玄和に入れ」との意志表示なんでしょう。

南郷氏の「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」発言もマズロー的な欲求で言えば「自己承認」であって、とにかく自分を凄いと認めてもらいたい欲求ですよね。「書き下ろしは出来ない」と編集者に言われたのが馬鹿にされたと腹立たしく思って奮起したなんてのもそうでしょう。とにかく徹底的に「自己、自我」なわけです。

自己承認を越えた「自己超越」という発想は南郷氏の著述には無いですよ。自分はどうでも良いから他人のために、といった考えはありません。

宗教家のような無償の奉仕といったものが無い玄和関係者が、他人にそれを求めることの是非を今一度反省していただきたく思いますね。
返信する
Unknown (自由びと)
2018-01-19 21:36:50

>自己承認を越えた「自己超越」という発想は南郷氏の著述には無いですよ。
>自分はどうでも良いから他人のために、といった考えはありません。

本当に「自己承認を越えた『自己超越』なんて有り得るのでしょうか?
自然の法則・動物の自己保存本能…といったモノでしょうか…

それは自分が生き続け事で、世界は続く、といった感じですかね。

全てのモノが、そのモノの自己保存を最優先にする事で世界は成り立っているのでは?

ある人が他人の為に犠牲になる時、その行為は、
その人にとっての「自己承認」の形なのでは?

まあ~どっちにしても、ト伝ちゃんには、
南郷継正を理解する・分かる事は不可能ですね。

ト伝ちゃんの、その感情が対象を正しく見て取らせないのでしょう。

道なき道の先頭を行く者は、後ろの者ら事を思うなら、
後ろを振り向く事無く、ただただ前に進むのみ…でしょう。
もっとも…先頭を行くのは、私の性に合いませんが…





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Unknown (卜伝)
2018-01-20 08:15:32
お宅の嘘は聞き飽きた。

30年以上直に学んで何の実力もお宅に無いことが南郷氏の全てを物語っているだろう。
返信する
Unknown (タマゴ)
2018-01-20 08:37:01
>タ○ゴのように「あいつは論旨が不明瞭で何が言いたいのか分からない」というのは分析できていないということでしかない

ソク伝の書き込みの大半は、他者への口撃の類いだろう。
そんなもの、わざわざ分析する価値も無い。

>なぜだが私と絡みたくて絡みたくて仕方がないらしい

以前(お前が川崎と名乗って神戸だいすきブログを荒らしていた時)は、イジって楽しんでいたことは認めよう。
今はそんなことは飽きたし、お前が私のハンドルネームを挙げた時に応じているだけだよ。
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