「上達論と勝負論」の話
上達とは~
小学館 例解学習国語辞典[第八版]
じょうたつ[上達]<名・する>
学問や技が進むこと。腕前が上がること。
[例]絵の上達が早い。水泳が上達する。
学研 現代新国語辞典[第六版]
じょう・たつ[上達]<名・自サ>
① 学芸・技などが進んでうまくなること。[例]そろばんが―する。[類語]熟達。
② [文]下の者の意志が上の者に通じること。[四字]下意-。[対]下達。
岩波 じょうたつ[上達]
① <名・ス自>技能が進んで、うまくなること。「-が早い」
② <名・ス他>上の方に達し通じること。「下意-」
三省堂 例解新国語辞典[第四版]
じょうたつ[上達]<名・する>
練習をつんで、じょうずになること。[例]上達がはやい
以上が辞書に書かれている「上達」の意味。
では、「勝負」とは?
小学館 例解学習国語辞典[第八版]
しょうぶ[名・する]
① 勝ち負け。② 勝ち負けをあらそうこと。
三省堂 例解国語辞典[第四版]
しょうぶ[勝負]<名・する>
スポーツやゲームなどで、あるルールに従って勝ち負けをきめること。また、その勝ち負け。
岩波国語辞[第八版]
しょうぶ[勝負]
① [名]勝ち負け。②<名・ス>勝ち負けを決めようと争うこと。
学研 新国語辞典[第六版]
しょうぶ[勝負]
① 勝ち負け。勝敗。② 勝ち負けを争う事。
さて…さて~上記の言語の意味・理解を前提にして…
上達論とは、上達の論理・上達の理論。
勝負論とは、勝負の論理・勝負の理論。
上達の論理・理論を説くには~
先ずは「上達とは?」を論じる必要があろう。
上記の四種の辞書の意味は~
「学問や技が進むこと。腕前が上がること。」
「学芸・技などが進んでうまくなること。」
「技能が進んで、うまくなること。」
「練習をつんで、じょうずになること。」
練習をつんで、学問・学芸・技能…が、進んで上手になり、腕前が上がる事。
ここで…「学問・学芸は社会的なモノ・技能は個人的な能力モノ」。
例えば、「算数」の成績向上には~
その児童の算数問題を解ける能力の養成。
算数テストで点数を確実に取り得る能力の養成。
そして、その能力を誰もが習得可能な方法が、
「問題の解き方・術」・「点取り術」。
個人的な方法を多く集めて、容易に習得・体得可能にしたモノが「-術」。
改めて、ここでの「上達」とは、
問題の解決法の上達。
点数獲得・結果を出す方法の上達。
問題を解くテクニック・技の上達。
テストでの点数獲得の為のテクニック・技の上達。
上達の為には、それら上達の為の「練習」が必要。
問題を解く能力⇒算数なら、計算問題・文章問題…
でも問題には、算数だけでなく、国語・理科・社会…の問題も…
点数獲得のテクニックにも、〇×形式、選択形式、筆記・論文形式…でのテクニック。
言い換えるなら、上達には、部分的な上達もあれば、全体的な上達もあり得る。
部分的な上達を論じるのが、上達の論理なら、
その部分・総合体・全体を論じるのが、上達の理論。
「個別・部分的な問題解決の上達」と「総合・全体的な問題解決の上達」
同時に、「説き方・テクニック技の上達」と「解き続ける精神・能力の上達」
さてさて…では「勝負」論は~
「スポーツやゲームなどで、あるルールに従って勝ち負けをきめること。また、その勝ち負け。」
「① [名]勝ち負け。②<名・ス>勝ち負けを決めようと争うこと。」
「勝ち負け」を決める為には、ルールが必要。
どのような状態が「勝ち」or「負け」を、共通認識として決める事。
さてさて…
算数力・数学力とは、テストで百点満点が取れる能力?
算数・数学問題が解ける能力?
算数の勝利とは、テストで高得点を取る事?
以上のような訳が分からない思考から~
結論的に書くなら~
観念論的世界観から、問題解決するのは「勝負論」的。
唯物論的世界観から、問題解決するのは「上達論」的。
例えば、
空手修行者が、眼前の相手を倒す為に、棒切れを拾ってそれで倒すのは「勝負論」的。
でも、棒を拾わず、今の空手の実力で倒そうと頑張ったら「上達論」的。
ただし…前提条件として、
その眼前の相手を、自己の現在の空手力倒せない自覚ある場合であるが…
倒せないから、頑張って倒そうとするのは「上達論」的。
倒せるから、軽く倒してしまうのは「勝負論」的。
自己の実力の範囲内で、解決しようとする、のは「勝負論」的。
自己の実力を封じて、至難でも解決しようとする、のは「上達論」的。
観念論哲学とは、過去の哲学者の観念・言説を元に、世界を論じるから「勝負論」的。
唯物論哲学なら、過去の学者の観念・言説の形成過程の体験で、その言説・観念を再措定したなら「上達論」的。
「神」の概念で、世界を論じたら「勝負論」的。
自力で「神的な概念」を創出したなら「上達論」的。
ヘーゲルの絶対精神とは、ヘーゲルが独自に創出した「新・神」概念。
そんな他人の観念・概念で、世界を論じたなら(他人の道具・認識・観念での)「勝負論」的。
書きたい自己観念・認識…は、まだまだあるのに…表現できない!
こんな時、あの、お宅突っ込みがあれば…きっとまだまだ…いけそうなのに…
以前に師範が「…勝負論の展開を乞うご期待!」的な事を読んだ記憶がある。
なのに…「勝負論」という言葉を、あれから見た記憶がない…
その理由が、最近分かった。
師範が、上達論的に、弁証法・認識論・哲学・学問の習得・体得・修得をして…
そして、その師範自身の観念・認識…を使って、
世界・モノコトを説こう・論じよう…始めた時点で、それは「勝負論」的。
上達論とは、
今・現在の自己の実力を封印して、
他者力を借りる・巨人の背に乗って、眼前の問題の正解・不正解を出そうとしている状態。
勝負論とは、
今・現在の自身の能力の全てを出して正解・不正解を出そうとしている状態。
ただ…また!
その問題解決の「正解・不正解」そのものにも、
「上達論・勝負論」的があり得る。
例えば~
他人の蹴落としても自己の「勝利・上達」を求め必死になるのは「勝負論」的上達。
他人を蹴落とすくらいなら、今回の「勝利は断念」なら「上達論」的。
ここでの問題は、「勝利or敗北」上達の関係~
ここでの「他人の蹴落とす」が問題なのではなく、
勝利する為の「技の使い方」の問題が、上達論・勝負論の分岐点だろう。
棒切れを拾って相手を倒す。
棒切れではなく、真剣を創って相手を倒す。
真剣が創れないから、真剣を購入して、相手を倒す。
戦争で敵に勝てないから、強力な武器を新たに開発して倒す。
空手は「五体を武器化」して闘う。
剣道は、真剣・刀を武器として使えるようにして闘う。
武器の創出・訓練or武器の使用法の創出・訓練…
師範が書いていた「…空手を選択して幸運だった…」
弁証法的に書くなら…師範の「玄和空手の生々生成・発展…」と、
同時に師範の修業・修得している「過去の空手の衰退・消滅…」を体感した、からのだろうか?。
それは、
私の中の「寸止め空手」の衰退と共に、
新たな「玄和空手」の生々生成・発展…でもあろが…
ここで、流幻流・玄和空手の初段では、私の空手の実力は…???
それでも…現在の頭脳活動は、過去の私と比して、異質なモノになり得ている実感が…
ただ…その現在の私の異質な頭脳活動が、
「現実・事実or私的思い込み」…それが問題であろう。
その証明は~
その異質な頭脳活動で、
現在の私の「右足股関節の痛み問題」が解消・解決できたなら…
その証明になろう~
まあ~人生の勝負の「勝ち負け」は、生活している当人が決定するモノ。
また~どんな物事の上達を求めているかも、その当人が決定するモノ。
殺人鬼なら、自己の殺人技の上達を求めているだろうし…
真っ当な教師なら、教え子の生活力の上達を求めるだろう。
上達論も勝負論も…ただただ、
それらそのモノから論じる事は、
言うなれば…ただの「バカ論議」であろう。
反社会人が、
日々の反社会的な生活の向上・上達を必死に求め達成していたなら、
それは非社会的な出来事であり、多くの人々の不幸を産むのかもしれない!
多くの人々の不幸が、自分自身・自分の周囲の幸福とは…
現在、戦争状態の日々に明け暮れてい国々の現実を連想してしまう!