続・重層弁証法について…
前回の「重層弁証法について…」の失敗は、
全体的一般論から始めなかった事であるコトに気付いた。
そこで今回は、そこから始める事にした。
でも残念な事に自前の全体的一般論がない…ので
南郷師範のモノをお借りしての始まりである。
弁証法とは、モノ自体の性質(弁証法性)を
「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」の重層・循環運動法則として捉えたモノ。
「南郷学派唯物論では、世界の始まりはモノ自体である」と概念規定している。
「ヘーゲル観念論では、絶対精神の自己運動で世界が始まった…」であるが…
私は、南郷学派唯物論を私の世界観として採用しての始まりである。
世界の始まりがモノ自体であり、
そのモノ自体の弁証法性の現象状態(実態)が人間が感覚している世界(仮定)とする。
その世界を「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」運動で見て取れるなら、
そこからモノ自体の弁証法性が見えてくる。
これは、実態・世界の変化・運動性≒モノ自体の弁証法であろう(仮定)。
南郷学派では、世界を自然・社会・精神に三分割して、
それぞれの弁証法性を見て取ろうとした。
何故なら、人間には世界全体を一度に認識できないが部分なら認識可能だから…
そこから、自然の弁証法・社会の弁証法・精神の弁証法が誕生させた。
だから、世界の中の何かを弁証法的に考える時は、
これら三つを現実世界の歴史に合わせて駆使する必要がある。
世界は、自然界⇒人間社会⇒人間の精神…の順であるから(仮定)…
対象に合わせて、自然の弁証法⇒社会の弁証法⇒精神の弁証法…
以上は、私が理解した南郷学派の主張を前提として考え書いたモノなので、
「弁証法とは…」の出発点が違っている者には納得し難いだろうし…
また、世界の三分割に不満を持つ者にも納得不能であろう。
因みに、
弁証法「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」変化・運動・法則には、
弁証法の使い方には、受動的と能動的使用法が考えられる。
受動的―対象の変化・運動性を見て取る為の弁証法~。
能動的―対象を自己の思いの方向に変化・運動させる為~。
弁証法の対立物の統一には以下~
「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」の統一…
「生々の統一」⇒「生成の統一」⇒「発展の統一」⇒「衰退の統一」⇒「消滅の統一」の統一…
弁証法の論理は以下~
「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」の論理…
「論理生々の論理」⇒「論理生成の論理」⇒「論理発展の論理」⇒「論理衰退の論理⇒「論理消滅の論理」…の論理。
そして、弁証法の「否定の否定」とは、
「生々・生成・発展・衰退・消滅…」の否定の否定
「生々の否定の否定」⇒「生成の否定の否定」⇒「発展の否定の否定」⇒「衰退の否定の否定」⇒「消滅の否定の否定」…
更には、量質転化も然り…
「重層弁証法」とは、自分の目的達成の為には、
「自然・社会・精神の弁証法」を上記のように
意図的に駆使する過程・法則なのだろうと…(私は思う)
前回の「重層弁証法について…」の失敗は、
全体的一般論から始めなかった事であるコトに気付いた。
そこで今回は、そこから始める事にした。
でも残念な事に自前の全体的一般論がない…ので
南郷師範のモノをお借りしての始まりである。
弁証法とは、モノ自体の性質(弁証法性)を
「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」の重層・循環運動法則として捉えたモノ。
「南郷学派唯物論では、世界の始まりはモノ自体である」と概念規定している。
「ヘーゲル観念論では、絶対精神の自己運動で世界が始まった…」であるが…
私は、南郷学派唯物論を私の世界観として採用しての始まりである。
世界の始まりがモノ自体であり、
そのモノ自体の弁証法性の現象状態(実態)が人間が感覚している世界(仮定)とする。
その世界を「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」運動で見て取れるなら、
そこからモノ自体の弁証法性が見えてくる。
これは、実態・世界の変化・運動性≒モノ自体の弁証法であろう(仮定)。
南郷学派では、世界を自然・社会・精神に三分割して、
それぞれの弁証法性を見て取ろうとした。
何故なら、人間には世界全体を一度に認識できないが部分なら認識可能だから…
そこから、自然の弁証法・社会の弁証法・精神の弁証法が誕生させた。
だから、世界の中の何かを弁証法的に考える時は、
これら三つを現実世界の歴史に合わせて駆使する必要がある。
世界は、自然界⇒人間社会⇒人間の精神…の順であるから(仮定)…
対象に合わせて、自然の弁証法⇒社会の弁証法⇒精神の弁証法…
以上は、私が理解した南郷学派の主張を前提として考え書いたモノなので、
「弁証法とは…」の出発点が違っている者には納得し難いだろうし…
また、世界の三分割に不満を持つ者にも納得不能であろう。
因みに、
弁証法「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」変化・運動・法則には、
弁証法の使い方には、受動的と能動的使用法が考えられる。
受動的―対象の変化・運動性を見て取る為の弁証法~。
能動的―対象を自己の思いの方向に変化・運動させる為~。
弁証法の対立物の統一には以下~
「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」の統一…
「生々の統一」⇒「生成の統一」⇒「発展の統一」⇒「衰退の統一」⇒「消滅の統一」の統一…
弁証法の論理は以下~
「…生々・生成・発展・衰退・消滅…」の論理…
「論理生々の論理」⇒「論理生成の論理」⇒「論理発展の論理」⇒「論理衰退の論理⇒「論理消滅の論理」…の論理。
そして、弁証法の「否定の否定」とは、
「生々・生成・発展・衰退・消滅…」の否定の否定
「生々の否定の否定」⇒「生成の否定の否定」⇒「発展の否定の否定」⇒「衰退の否定の否定」⇒「消滅の否定の否定」…
更には、量質転化も然り…
「重層弁証法」とは、自分の目的達成の為には、
「自然・社会・精神の弁証法」を上記のように
意図的に駆使する過程・法則なのだろうと…(私は思う)