新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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重層弁証法について…

2021-11-06 09:51:56 | 弁証法
重層弁証法について…



今年の四月からの私の仕事内容は以下~。
午前中は、通常級の学習指導補助員で、
午後は、特別支援学級の学習指導補助員。

どちらも同じ「学習指導補助員」だが…
その補助する学年の範囲・対象児童が異なる。
通常級では、主に一年生から三年生まで対象はクラス全員。
特別支援学級では、一年生から六年生まで対象は支援学級児童一人か二人。

今回のテーマ「重層弁証法」を一年生の国語の学習過程を通して考えてみた。


国語授業での平仮名の形・書き方の学習について~

一、「線の書き方練習」―点線・直線・曲線・ギザ技サ線・〇線…
初めに、手本の線をなぞり書き
次に自力で書く

二、「平仮名の書き方・書き順・型」の練習
  初めに、先生と一緒の正しい筆順に沿った書き方の指練習
次に、手本の指と鉛筆なぞり書き、
次に、自力で同じ平仮名を数個書く。

三、書かれた単語・短文・言葉のなぞり書き。

四、自力で言葉・単語を考え書く。


正しい文字の形を書くには、
先ずは、鉛筆の持ち方・使い方を学ぶ。
その練習が、「正しく持った鉛筆」での「線の書き方練習」。
その為には、指の使い方・動かし方、体の制御―正しく座って書く…

次に文字の正しい書き順に沿っての動かし方、正しい形の書き方…
それには、手本のなぞり書きの書き方の学び…

ここで「平仮名の書き方学習の弁証法」を考えるなら…
現実は、読み方の学習も同時進行であるが…ここで省略…


先ず弁証法性とは、モノ自体の生々・生成・発展・衰退・消滅…性質で
それを弁証法とするなら~
モノ自体の実態・平仮名の今後の変化・運動は、国語の学習のどの過程か?

言うなれば、
この平仮名の書き方・学習の国語学習全体での位置づけを考える。
国語の学習の目的・ゴールは、自由自在な文字・言葉による認識表現であり、
理想の文字言葉は、知っている人なら絶対的に誰もが読める文字。
理想の音声言葉は、知っている人なら絶対的に誰もが聞き取れる・分かる発音。

この「平仮名学習」は、認識表現である文字・言葉習得への弁証法での「生々」過程とするなら。

ならば、目標は、理想「平仮名の形」、「理想の書き順」であろう。
その実践が「手本」のなぞり書きの書き方である。
それは、「手本」との完全一致のなぞり書きを通しての学び、
理想の鉛筆の持ち方、理想の書き順で鉛筆の動かし方での手本との完全一致(を目指す)。

これば「生々」過程の弁証法なら、次は「生成」過程の弁証法が…
それは、「言葉」・文章の学び…


弁証性は現実・事実の中に、弁証法は人間・認識の中に、
弁証法性は、自然・社会・(世界)精神の関わりで続いていくモノ。
弁証法は、自然・社会・精神(世界)と関わった人間が、その目的達成の為に駆使するモノ。


この「生々」過程以前には、

鉛筆は、使えなくても、自由自在でなくても、
最低限の、身体コントロール能力と目的意識が必要である。

文字がきれいな児童は、二年生になっても、
手本の完全一致を求めているように
…ゆっくりしっかり一致で書いていた(私の見られた事実の範囲内で)…
そういう児童は、物静かで、控えめで、大人しい…ようである(私の見られた範囲内で…)


今の小学一年生…殆どの子供が平仮名を読めて書けていた。
でも…その子供達の多くは、自分の書ける・知っている形で書き、手本の線がズレていた。





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2 コメント

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Unknown (臨済義玄)
2021-11-07 11:02:19
「重層的弁証法」というのは名前だけは何処かで読んだ記憶がありますけど、詳しい内容は存じ上げませんね。

もしかして「弁証法というのは一般的に生々、生成、発展、衰退、消滅の過程」で、自由びとさんが挙げた「一、ニ、三、四」のそれぞれに「生々、生成、発展、衰退、消滅」の過程があって、その四つが重なっている、ということですか?

私はちょっと釈然としませんけど。

まあ、南郷さんが師だと書いてる滝村隆一という人は「重層的」という言葉を好んで使っていたようですから、その辺りから来たものだろうことは予想できますけど。
返信する
素直な問い掛けに非常な感動 (自由びと)
2021-11-07 12:21:23
今回のコメント…のような
(私からすると)とても素直な問いに(に思える)問い掛け大歓迎です。


>もしかして「弁証法というのは一般的に生々、生成、発展、衰退、消滅の過程」で、自由びとさんが挙げた「一、ニ、三、四」のそれぞれに「生々、生成、発展、衰退、消滅」の過程があって、その四つが重なっている、ということですか?

↑~
これは、私にとつては超感動的な記述ですよ♪♪♪。


ただし…正確かには以下です。

「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ」から「Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅸ、Ⅹ」…の方が分かり易いですかね。

ⅠからⅢは、「Ⅰ」を基準(ひとつ)としての量的変化、
Ⅳ(ⅡⅡ)は、結節点であり、「Ⅴ」の誕生。(元々はⅠ、Ⅱ、Ⅲ、ⅡⅡ、Ⅴ…だったようですが…)

ⅤからⅧまでは、「Ⅴ(ⅡⅡ)を基準とした量変化」
Ⅸは結節点であり、「Ⅹ(ⅢⅢⅢⅠ)」の誕生。
Ⅹ以上は、Ⅹ(10)を基準とした量的変化(十進法)。


重層弁証法とは、以上のように、
初めは「Ⅰ」を基準にした量の増減表現。
次は、「Ⅴ」を基準にした量の増減表現。


因みに、
小指、薬指、中指、人差し指、親指…五本で手のひら一つが五進法。
両方の手のひら合わせて人間一人の両腕完成が十進他。

弁証法とは、「生々、生成、発展、衰退、消滅…」の繰り返しである事。
重層弁証法とは、「生々、生成、発展、衰退、消滅…」は同じ。
前のモノ「消滅」は、次のモノ「生々」ですが…
前の「生々」と次の「生々」では、「生々」は同じでも、
その「生々(モノ自体の実態)中身・内実が、変化している、という事です。


どうですか…
これで、少しは分りましたか?

今回のような、素直な直接的な「問い掛け」は大歓迎です。
まるで…お宅がお宅でない…ように感じられ・思われ…♪♪♪
お宅らしくないお宅は、大歓迎ですよ♪♪♪



このように考えると…一、十、百、千、万、億、兆……最後は無量大数(むりょうたいすう)
なんて…抽象的な数字・量の表現ですね…

因みに「0」「零」の発見は、凄い発見だったんですね。
それは、「無」の「有」での表現ですから…
「0」 は「〇・円」ですから、無限の循環運動を連想しますね。
ヘーゲルの絶対精神の自己運動は…
ローマ数字なら、初め始まりが「1」が、次は始まりがⅤ、そして「Ⅹ」で始まる。

「絶対精神」⇒「絶対概念」⇒「絶対理念」…あとは「絶対理念」の運動

絶対精神の自己運動の開始が世界化
絶対精神の自己運動の結果が「絶対概念」
絶対概念の自己運動の結果が「絶対理念」
絶対理念の自己運動で現実の世界が理想の世界へ…

より正確には、唯の絶対精神が世界へと自己運動そして人間の精神へ
絶対概念を思い出した絶対精神へ二重化、
絶対概念(自然・社会・精神)を思い出した絶対理念を持った絶対精神
返信する

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