一村氏へのコメント
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一村隆滝
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何だか掛け算や割り算を具体的な事例で表現し直すということで自由びとさんは今までのご自分が抽象的な話しばかりして「具体例は各自がそれぞれ考えよ」と言っていた姿を帳消しにしようとしているみたいな感じがありますね。
↑
>…姿を帳消し……とは、笑える(ワ・ハ・ハ)
単に、いつも思いる・考えている事を今回は言語化しただけです。
>問題は「いま現在の実際の学校での算数教育はどうなされているのか?」ということだと思います。
↑~これも笑える(ウ・フ・フ)
現代の小学校の教育現場を知らないのに…この言葉とは…
>算数の計算で子供の思考をやりやすくする方法に「筆算」というのがありますね。横書きに書いた別々の数値を縦に並べて上下で計算していくものです。
足し算や引き算の筆算は小学校2年生の前期に学ぶんですかね?
125
+238
>でそれぞれの同じ桁の数字を上下で足していくわけですよね。一の位の5と8を足して13、この上の桁に上がった「1」は10の位の2と3を足した数に更に足されていきます。
それで最終的に解答は「363」。
>子供たちはこの時、0から9までの足し算と「桁の違い」で区別するという演算の規則を既に学んで知っています。
そして、この「それぞれの桁(位)の0から9までの数」とは、以前、自由びとさんも述べていたように「10進数だから」で「それは人間の両手の指が10本だったから」なわけです。
↑~
驚いた事に、授業中に、小1女子の児童が、靴・靴下を脱いで、20本指で計算していましたよ。
>ですから小学校の子供たちも計算するときは両手の指を使います。私自身が児童のときはそうでした。「5+8」なら既に習慣的に記憶している現在なら即座に「13」だと想起されますが、まだそれが果たされていなかった児童のときは指でやっていたのを思い出します。
↑
これもビックリした事ですが…
現代では、小1から「サクランボ算」を教えています。
「9+6」の計算から
6を、1と5に分け、9+1で10、10+5で、15~
これを 9より小さい6の下に縦の「>」を書き、…
「15+8」なら、8を5と3に分け、15+5で20,20+3で23…
昔なら縦書きの筆算で教えていた足し算を、書きの式の下に「8<5・3>とサクランボして、そのまま計算させています。
>そこで肝心なのは「5+5=10」で上の桁(位)に上がるということで、「6から9までの数は5+1、5+2、5+3、5+4」であることを指を見ながら意識していたことでしょうね。
>0から9までの足し算や引き算を指を使って出来ることと、繰り上がりや繰り下がりの桁の理解でもって小学校2年生で既に一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億…という途轍も無い数量の計算(和と差のみですが)が可能となっています。
>この時の小学生の頭の中の「算数における数量の像」とは「鉛筆が百万本」だとか「林檎が一億個」といった具体的個物の像ではなく、自分の両手の10本指から桁が上がって桁が上がってを繰り返して大変に大きな数量となっている「1000000(百万)」とか「100000000(一億)」といった「文字の像」「記号の視覚像」です。それは実際に百万本の薔薇が咲いている姿でもなければ一億個の林檎の姿でもなく、自分の両手の10本指から発展した「一の位の上に十の位があり、その上に百の位があって…」といった「人間が作った社会的なルール、規則」ですから、それは言ってみれば国語で「あ行の隣にか行があり、その隣にさ行があって…」といったルールと同じことでしょう。
↑
分かっていないね…
私は、百の概念を一円玉の縦に10個積み上げて=十円
その一円玉10個を10個並べい100円…で遊びました。
千は、一円玉百個の10倍をイメージしましたよ。
まあ~一万は、千円札10枚、10万は、一万円札10枚…
>南郷先生が言う「人間になるため」「社会的な個」という「みんなが守っているルールを知る」という視点でも理解できるわけです。
↑
詐欺師・になる為の詐欺師社会ルール、学者になる為の学者社会ルール、会社員になる為の会社のルール
>ネットで検索したところ小学生が掛け算を学ぶのは2年生の後期、夏休みが明けてからだそうですが、やはり夏休み明けに「九九」をやるそうですね。「1×1=1」から「9×9=81」までを暗記して暗唱できるように。
私の児童の頃はまだ先生が体罰などしても世間から何も言われない時代でしたから、間違えると半ズボンの生の太ももを定規でピシャリと叩かれていました。
掛け算を覚えさせるには、「掛け算」の便利さ、有効性を実感させて、やる気にさせるのがベスト。
後は、強制的に、3+3=「さんにがろく」、3+3+3=「さざんがく」…
足し算の式を書かせながらの「九九表」の暗記・暗唱訓練ですかね…
>この小学校2年生の後期にやる九九の暗記ができていないと3年生でやる「割り算の筆算」ができません。
筆算の過程を見れば一目瞭然に割り算というのは割る数に何を掛ければ割られる数になるか?割られる数に近くなるか?を見ていく思考過程ですから、その埋めるべき解答欄が??で表記されていても「それは具体的な数値に変えた代数であって小学校の算数の範囲ではない」なんてことにはなりません。
↑
掛け算・九九を覚えて計算は得意でも…
文章題が全く解けない児童の多いい事…
なんて~知らないでしょうね!!!
>それは屁理屈であり捻じ曲がった心がそう考えさせるのでしょうね。
↑
捻じ曲がったお宅の心だから、ここの記事の中身が分からないのですよ…
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何だか掛け算や割り算を具体的な事例で表現し直すということで自由びとさんは今までのご自分が抽象的な話しばかりして「具体例は各自がそれぞれ考えよ」と言っていた姿を帳消しにしようとしているみたいな感じがありますね。
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>…姿を帳消し……とは、笑える(ワ・ハ・ハ)
単に、いつも思いる・考えている事を今回は言語化しただけです。
>問題は「いま現在の実際の学校での算数教育はどうなされているのか?」ということだと思います。
↑~これも笑える(ウ・フ・フ)
現代の小学校の教育現場を知らないのに…この言葉とは…
>算数の計算で子供の思考をやりやすくする方法に「筆算」というのがありますね。横書きに書いた別々の数値を縦に並べて上下で計算していくものです。
足し算や引き算の筆算は小学校2年生の前期に学ぶんですかね?
125
+238
>でそれぞれの同じ桁の数字を上下で足していくわけですよね。一の位の5と8を足して13、この上の桁に上がった「1」は10の位の2と3を足した数に更に足されていきます。
それで最終的に解答は「363」。
>子供たちはこの時、0から9までの足し算と「桁の違い」で区別するという演算の規則を既に学んで知っています。
そして、この「それぞれの桁(位)の0から9までの数」とは、以前、自由びとさんも述べていたように「10進数だから」で「それは人間の両手の指が10本だったから」なわけです。
↑~
驚いた事に、授業中に、小1女子の児童が、靴・靴下を脱いで、20本指で計算していましたよ。
>ですから小学校の子供たちも計算するときは両手の指を使います。私自身が児童のときはそうでした。「5+8」なら既に習慣的に記憶している現在なら即座に「13」だと想起されますが、まだそれが果たされていなかった児童のときは指でやっていたのを思い出します。
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これもビックリした事ですが…
現代では、小1から「サクランボ算」を教えています。
「9+6」の計算から
6を、1と5に分け、9+1で10、10+5で、15~
これを 9より小さい6の下に縦の「>」を書き、…
「15+8」なら、8を5と3に分け、15+5で20,20+3で23…
昔なら縦書きの筆算で教えていた足し算を、書きの式の下に「8<5・3>とサクランボして、そのまま計算させています。
>そこで肝心なのは「5+5=10」で上の桁(位)に上がるということで、「6から9までの数は5+1、5+2、5+3、5+4」であることを指を見ながら意識していたことでしょうね。
>0から9までの足し算や引き算を指を使って出来ることと、繰り上がりや繰り下がりの桁の理解でもって小学校2年生で既に一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億…という途轍も無い数量の計算(和と差のみですが)が可能となっています。
>この時の小学生の頭の中の「算数における数量の像」とは「鉛筆が百万本」だとか「林檎が一億個」といった具体的個物の像ではなく、自分の両手の10本指から桁が上がって桁が上がってを繰り返して大変に大きな数量となっている「1000000(百万)」とか「100000000(一億)」といった「文字の像」「記号の視覚像」です。それは実際に百万本の薔薇が咲いている姿でもなければ一億個の林檎の姿でもなく、自分の両手の10本指から発展した「一の位の上に十の位があり、その上に百の位があって…」といった「人間が作った社会的なルール、規則」ですから、それは言ってみれば国語で「あ行の隣にか行があり、その隣にさ行があって…」といったルールと同じことでしょう。
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分かっていないね…
私は、百の概念を一円玉の縦に10個積み上げて=十円
その一円玉10個を10個並べい100円…で遊びました。
千は、一円玉百個の10倍をイメージしましたよ。
まあ~一万は、千円札10枚、10万は、一万円札10枚…
>南郷先生が言う「人間になるため」「社会的な個」という「みんなが守っているルールを知る」という視点でも理解できるわけです。
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詐欺師・になる為の詐欺師社会ルール、学者になる為の学者社会ルール、会社員になる為の会社のルール
>ネットで検索したところ小学生が掛け算を学ぶのは2年生の後期、夏休みが明けてからだそうですが、やはり夏休み明けに「九九」をやるそうですね。「1×1=1」から「9×9=81」までを暗記して暗唱できるように。
私の児童の頃はまだ先生が体罰などしても世間から何も言われない時代でしたから、間違えると半ズボンの生の太ももを定規でピシャリと叩かれていました。
掛け算を覚えさせるには、「掛け算」の便利さ、有効性を実感させて、やる気にさせるのがベスト。
後は、強制的に、3+3=「さんにがろく」、3+3+3=「さざんがく」…
足し算の式を書かせながらの「九九表」の暗記・暗唱訓練ですかね…
>この小学校2年生の後期にやる九九の暗記ができていないと3年生でやる「割り算の筆算」ができません。
筆算の過程を見れば一目瞭然に割り算というのは割る数に何を掛ければ割られる数になるか?割られる数に近くなるか?を見ていく思考過程ですから、その埋めるべき解答欄が??で表記されていても「それは具体的な数値に変えた代数であって小学校の算数の範囲ではない」なんてことにはなりません。
↑
掛け算・九九を覚えて計算は得意でも…
文章題が全く解けない児童の多いい事…
なんて~知らないでしょうね!!!
>それは屁理屈であり捻じ曲がった心がそう考えさせるのでしょうね。
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捻じ曲がったお宅の心だから、ここの記事の中身が分からないのですよ…