新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

続・花粉症について…

2020-03-29 12:11:50 | 花粉症


花粉症の原因は、本当に「花粉」なのだろうか?
正確には、本当に「花粉」だけなのだろうか?


「杉・花粉」は、昔からある。
でも、私の子供の頃に「花粉症」を聞いた記憶がない。

実際に私自身、
テレビで花粉が多いと言われいる年でも、
痒くて痒くて堪らない年もあれば、
殆ど痒くない年もある。


そんな事を考え始めたのは、
師範の「…花粉症はココロの病…」
という言葉を知ってからである。


最近、
愛犬マロン柴犬の体毛が抜け始めた、
愛猫マニャは、私のブラシシングを喜び始めた。

マニャは、真冬だと、
私がブラシを掛けようとすると離れてしまうのに…

最近は、私がブラシを持つと傍に寄って来るようになった。
そして、おとなしく嬉しそうに、私にブラッシングされている。


最近は殆ど無いが…
昔・いつの頃かは定かではないが…
体が痒くかる時期があった…
たぶん、季節の変わり目だっただろうか?


私の場合、夏から冬への時期に、目も鼻も殆ど痒くならない。
それでも、冬から春には、猛烈な痒みに襲われる事が多い…


二十代前半には、医者に行って、
目薬をもらってさしていた。
でも、その目薬を差すと、
どうもアタマの調子が変になる、ような感じがして、
目薬を止めてしまった。


花粉症がココロの病なら、
それは、どのようにモノなのか?
ココロは、どのように病んでいったのか?


私の場合、
季節の変わり目の変化、
目・鼻が何となく痒いという変化、

その「何となく痒い」変化に対して、
「そこを掻く」という行為をする。
その結果、「痒い⇒搔く⇒快感」…と変化する。

痒い目・鼻を掻くと、
痒いが快感に変化した。

その繰り返しの結果、痒くなる掻く、掻いたら快感…
掻いた結果、痒みが無くなれば、それで終わりだが…
事は、そうはいかない。

掻いたら快感でも、その快感が薄らけば、
また初めの痒みを感じてしまう。
痒みの大きな要因である「季節の変わり目」が過ぎない限り、痒みは終わらない。

元々「何となく痒い」だったモノが、
掻いた結果の快感と比べるようになり、
初めの「何しなく痒い」が「猛烈に痒い」へと変化していく事になる。
そんな快感を求めて、痒いと掻かずにはいられない事になる。

少しの不快も快感に比べたら、かなりの不快となり得る。
変化・運動は比較から実感・感覚するモノ。
快・不快も比較の結果の感覚・感情。

掻き続けて、身体的になんの変化もなければ、
それはそれで問題ないのだが…


目も鼻も皮膚であり、弱い粘膜もある。
それらを掻き続けた結果、目が鼻が赤くなる、腫れる、痛くなる…
実体・身体的に傷んでしまう事になり得る。


さて問題、
花粉症・過敏症だから、赤くなる・腫れる・痛くなるのか?
それとも、痒くて、掻くから弄るから、赤くなる・腫れる・痛くなる、のか?


花粉症の目薬は、症状を抑える為に、
過敏な神経を薬で鈍感にする、ようである。


過敏な自分を抑えるのに、
薬に頼る姿は、情緒障害児への薬の処方と同じである。

突然に狂暴に変貌する情緒障害児達は、
その狂暴な感情を自力で解消・抑圧でき難いから、
薬に頼る事が多い、ようである。


ならば、
花粉症の治療は、自力で痒みを我慢・克服…であろう。


だから、花粉症では、
痒くてもは絶対に掻かない事。
何が何でも必死に我慢する事。


花粉症は、
機能・ココロの問題であり、
実体・カラダの問題ではない。

人間は動物であり、動物が季節に即して
身体が変化するのに全く問題はない。
その時の痒み・痛み・違和感…も普通であろう。


だから師範は、
「花粉症はココロの病」
と主張しているのだろう。


この言葉を信じて「痒みの克服」か、
全く信じる事無く「薬に頼る」か、
それは、自己責任であり、全く自由である。









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花粉症について… | トップ | 「頑張る」について… »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

花粉症」カテゴリの最新記事