
年の暮れの恒例行事とイベント化してはいけないのだけれど、
ついつい墓掃除を家人に任せっきりにしてしまっている…
あまりにも申し訳ないので、供花を一歩遅れて持参。
掃除終了と同時に墓に着いた、ジャストタイミングって結局何もしてないよねワタシ。
家人は次なる墓を訪れる、
ワタシはここで「天正伊賀の乱」に思いを馳せるのが習わしのようになっている。


*過去ログより「お盆の頃」の様子。
子どもの頃、墓参りは山登りだった記憶。その上っていたお墓のある山こそ
「比自山」」に連なっていたんだろうな、と今だから思えるのですが…
なぁんにも知らなかった子どものころよりずいぶん成長したし、
齢70にして記憶力は衰える一方だけれど、いっぱい教えていただいたおかげで
ここに来ると遠い歴史に思う事はただ一つ。

真ん中に見えるあの上野の台地が400年前にもやっぱり中心地だったろう、
奥にくっきり見えるこんもり形の良い「南宮山」(国見山、伊賀小富士とも)に信長は上っていた、らしい。
対面のこの「比自山」と、ここに住む伊賀の人々を殲滅させ焦土と化した伊賀の地を見ていたのか…
確かに、よく見渡せるが。
前にも撮った池ですが、今回は冬の様子



雲が垂れ込め暗い感じだし、逆光気味だったので、
水に映る景色のほうが明るく見えたり…
この池の右手側から比自山に登れるらしいけど、その勇気はなかったです。
さて、もうすぐ「除夜の鐘」ですね

仁王さんに「来年もよろしく」とご挨拶して


さぁ、私的お仕事の続きでもしましょうかね💦
ご参考に
※第一次天正伊賀の乱 you tube
※第二次天正伊賀の乱 you tube
ではまた