前回では、
話が「googleへの要望」へ脱線しましたが、お話相手のオジサンも
「わざわざ紫陽花を見に来てくれたのか?」と…
「何度か通ってていつ咲き出すかと、とても気になってたんです、
草刈りもしていただいて嬉しいです…」
なんてお話をしておりました、畑にいっぱい花を育てておられる素敵なオジサンでした、
(ワタシガ オジサン トイウノモ ナンナンダケドね)
近くを通ることがあれば、是非一度どうぞ~
ピンク系はまだまだこれから咲くと思いますが…
丁度「麦秋刈取作業中」、最後の麦一筋と紫陽花です。
オジサンいわく、もひとつ困ったことは、
「せっかく大きく育った紫陽花やけど、この頃元気がないなぁと思って
土を掘ってみると、ミミズがいっぱいいて、それをモグラがどんどん食べるから
紫陽花の根っこ辺りは”穴だらけ”で、困ったもんなんやで」とのこと、
ミミズが多いことは土壌がいいはずなのに、、、
モグラが悪さをするから大変なんだぁ
ここでもやはり大なり小なりの獣害対策が必要なんですね、
「コラッ!モグラめ」ってワタシが怒ってもどうしようもないことやけど…
さて、
麦畑と田んぼの向こうに見える建物は「十念寺」(ジュウネンジ)というお寺です。
水路と生き生きしてる田んぼと紫陽花と「十念寺」&梅雨晴れの空
さぁ気になる「曹洞宗 上品山 十念寺」
この紫陽花ロードから東へ少し進みます、
田園風景の中にあるので迷わず行けます。
山門と本堂
境内に入り、左奥の方にお地蔵さん(顔が彫られていない なんで?)
調べますと「与四郎地蔵」と言い、ちょっと悲しいお話があるそう。
知人から「大山田村史」に載ってるよと教えられ…(あくまでも「民話」です)
『十念寺の境内西側、松の木の根本に「つんぽ与四郎地蔵」と呼ば れるお地蔵さんがある。
1607年頃、 真泥と広瀬の領地争いで耳の不自由な与四郎が命を奪われたという、
悲しい物語がある地蔵である。
またこの物語に関係した遺跡として、三谷 (広瀬)の集落の西端から
急斜面を登った竹やぶの中に、丈40センチほどの地蔵さんがある。』 そうな。
写メで送られてきた「与四郎地蔵」のお話を google さんがテキストにしてくれました、、、(トテモ ベンリ)
では、次回「西田原・弥勒寺の紫陽花part2」です、
見事満開!咲き誇る紫陽花を~~
話が「googleへの要望」へ脱線しましたが、お話相手のオジサンも
「わざわざ紫陽花を見に来てくれたのか?」と…
「何度か通ってていつ咲き出すかと、とても気になってたんです、
草刈りもしていただいて嬉しいです…」
なんてお話をしておりました、畑にいっぱい花を育てておられる素敵なオジサンでした、
(ワタシガ オジサン トイウノモ ナンナンダケドね)
近くを通ることがあれば、是非一度どうぞ~
ピンク系はまだまだこれから咲くと思いますが…
丁度「麦秋刈取作業中」、最後の麦一筋と紫陽花です。
オジサンいわく、もひとつ困ったことは、
「せっかく大きく育った紫陽花やけど、この頃元気がないなぁと思って
土を掘ってみると、ミミズがいっぱいいて、それをモグラがどんどん食べるから
紫陽花の根っこ辺りは”穴だらけ”で、困ったもんなんやで」とのこと、
ミミズが多いことは土壌がいいはずなのに、、、
モグラが悪さをするから大変なんだぁ
ここでもやはり大なり小なりの獣害対策が必要なんですね、
「コラッ!モグラめ」ってワタシが怒ってもどうしようもないことやけど…
さて、
麦畑と田んぼの向こうに見える建物は「十念寺」(ジュウネンジ)というお寺です。
水路と生き生きしてる田んぼと紫陽花と「十念寺」&梅雨晴れの空
さぁ気になる「曹洞宗 上品山 十念寺」
この紫陽花ロードから東へ少し進みます、
田園風景の中にあるので迷わず行けます。
山門と本堂
境内に入り、左奥の方にお地蔵さん(顔が彫られていない なんで?)
調べますと「与四郎地蔵」と言い、ちょっと悲しいお話があるそう。
知人から「大山田村史」に載ってるよと教えられ…(あくまでも「民話」です)
『十念寺の境内西側、松の木の根本に「つんぽ与四郎地蔵」と呼ば れるお地蔵さんがある。
1607年頃、 真泥と広瀬の領地争いで耳の不自由な与四郎が命を奪われたという、
悲しい物語がある地蔵である。
またこの物語に関係した遺跡として、三谷 (広瀬)の集落の西端から
急斜面を登った竹やぶの中に、丈40センチほどの地蔵さんがある。』 そうな。
写メで送られてきた「与四郎地蔵」のお話を google さんがテキストにしてくれました、、、(トテモ ベンリ)
では、次回「西田原・弥勒寺の紫陽花part2」です、
見事満開!咲き誇る紫陽花を~~
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