「どうする家康」スタッフの『神君、伊賀越え』てみました…

2023-08-05 12:11:53 | つれづれ思うまま
前回の大河ドラマを見られた方々には、いろいろな思いが交錯しているかと…
ワタシもその一人ではありますが、
このドラマに関わるスタッフが2021年の段階で、
「伊賀越え」を踏破していたことは知る由もなかったです。

その記録をたまたま見つけ、読んで、なるほどこういう道中だったのねと、
いずれ近隣の家康立ち寄り所(主に京都府・滋賀県側)には行きたいと思っていましたが、
この記録を見て、しっかり行った気になれました(笑)。
楽してるだけやん!とは言わないで、一度ご覧あれ、、、

我々スタッフ、伊賀を越えてみました
(NHK大河コラム/時代考証や制作にまつわる裏話など)


他にこんなお話も
『どうする家康』服部半蔵や穴山梅雪の存在感が光る「伊賀越え」の新しい解釈
~文献には描かれていない、人物たちの心情を埋めるストーリー展開の楽しみ方~

(偉人研究家:真山知幸氏が解説する。/JBpress編集部)。


※ここで別件、苦難の伊賀越えののち26年後、伊賀では「藤堂高虎の出番」です。
「大和街道」(三重の歴史街道)の解説によると、
≪慶長13 年(1608)、徳川家康の信任も厚い藤堂高虎は、伊勢、伊賀の藩主に移封されると、
国の防衛のため伊賀の道は険しいままにしておくようと命じ、
伊賀国への入口とも言うべき「伊賀の七口」に兵を置いて領国を守るという政策を取った。
これは、高虎がこの地へ移封されたのが、大坂方への前進基地の意味を持つためと思われる。
同様に高虎は津を平時の時の城、伊賀を「秘蔵の国」すなわち万一の時の本城と考えていたのである。
この街道は大和地方諸国の大名が参勤交代の折に利用する道であり、
伊賀国と山城国を結ぶと同時に木津川の水運につながり、淀川を経て
下流の京都・大坂という二大都市、そして外洋へと続く重要なルートでもあった。
伊賀地方は大和地方に隣接し、東大寺などの影響も強かった。
また、さらに古代に遡さかのぼってみると、この地方は古墳の密集地帯でもあり、
遙か古代から畿内の進んだ文化が流れこんでいたことがうかがえる。
おそらく木津川という長大な流れが、
人や文化を運ぶ天然の道となってきた
のだろう。≫

こうやって、歴史は連綿とつながっていくのだと改めて考えさせられます。
先般、「二本杭」の話題に触れた折の「木津川」につながっていくのか、、、と。
未だに「秘蔵の国のまま」っぽいところが、この地での生き辛さゆえ「♫ 越えて 溢れて 外に出よ ♫」と
どこかの校歌に歌われた由縁か、とも思ってしまいますが…(考え過ぎ??)

話が大幅に逸れてしまいましたが、私的には、
「飯盛山」「草内のわたし」「遍照院」「小川城」等々、
涼しくなれば行きたいところ多し

ではまた

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6 コメント

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外に出た人も伊賀のために戻ってほしい (dawn)
2023-08-05 17:46:07
私はこれまで8割ぐらいは伊賀に住んでいて、残る2割は、某校歌に歌われたように伊賀の外へ出ているのですが、他地域との比較で考えるなら、伊賀の人はせっかく良いことをしていても、ちょっと否定的なことを言ってみたりすることが多いように感じています。
しかし、本音では相当自信をもって取り組んでいることがあるように思うので、これからはその誇りを全面に出して、平井堅さんが「桔梗が丘」という名曲で歌っているように、外に出た人をしっかり迎えるようにできればいいなと心底思っています。
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市内ではP.V.があったそうで (moni5187)
2023-08-05 21:37:40
「どうする家康」の制作が発表された2021年、以下「レファレンス協同データベース」への質問によりますと、

徳川家康の伊賀越えについて、どこから伊賀に入国したか、また伊賀国内のルート、そして伊賀から白子までのルートを知りたい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000306481

「上野市史」には、お斎峠が出てきて、「伊賀市史」では、桜峠、御斎峠、甲賀越、の3ルートが掲載されているとのこと。
上野市時代は、桜峠は旧阿山町ですから、あえて触れなかったのではと思います。

二本杭に「従是東伊賀國」のレプリカが出来たのは、伊賀地区市町村合併協議会が出来た2003年で、伊賀市の発足の一年前。
本物は、新大和街道(国道163号の旧道)に現存とのこと。

2004年、伊賀市発足にあたり、合併する(した)自治体(旧阿山郡と旧名賀郡)の方も、いろいろと整備したのだと思います。

Google検索してますと、当方の現在地が「信楽町神山」になっているのは、これ何故に(^^;)。
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dawnさま、 (kuro&hana)
2023-08-05 23:07:37
https://www.youtube.com/watch?v=XGcOUEyCFPg
羽根を休める場所として、故郷はいつものようにそこにあるよ、
安心して帰っておいで、と言いたいですね。

ありがとうございます。
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moni5187様 (kuro&hana)
2023-08-05 23:24:08
いつも鋭いご指摘ありがとうございます。

地図上の話ですが、「押原のあさ子川」から「三国峠」を越えると、
「鶏鳴の滝」(大戸川の支流ですが)のある信楽の神山(コウヤマ)辺りに行けますねぇ…何かそこと関係があるのでしょうか?はて。
https://blog.goo.ne.jp/seib_2005_1954/s/%E9%B6%8F%E9%B3%B4%E3%81%AE%E6%BB%9D

ここはきっと涼しいだろうなぁ…と、また行きたくなってしまいました
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桔梗が丘 (moni5187)
2023-08-06 19:14:43
知人が桔梗丘高校のOBで、大阪線の車内放送は「ききょお~がおか」と引っ張る肉声アナウンスで、
2階建ての「あおぞら号」に乗って修学旅行に行ったと言ってました。
文化祭で、有名フォークシンガーを招いてソロコンサートが開かれ、前日に名前が書かれたノートの切れ端が、
教室の扉に貼ってあったそうです。会場の体育館では「風」を初め聞いたことがある曲ばかり歌ってくれて、
この背が低めの兄ぃさんは一体誰?。と思いつつ、長い長~い拍手の後、アンコールの「花嫁」の熱唱を聞いて、
あの人なのか。と、やっと気付いたそうです。生徒らより世代的に近い先生方が感激していたのでは、とか、
その日、故はしだのりひこ氏は「帰って来たヨッパライ」は歌わなかったとも言ってました。
やけに詳しいですが、あくまで知人から聞いた逸話ということで(^^;)。
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moni5187様、聞いたお話 (kuro&hana)
2023-08-06 23:11:03
わざわざ教えていただきありがとうございます(笑)。

現代楽曲のやたら歌詞が多く、早口っぽくて
歌なのかなんなのかわからない悩ましい高齢者ですので、「詩」が理解できる昔の歌(と書いたら叱られそうですが)しか聞けなくなっています💦

だって聴き取れないんですもん

dawnさんに紹介していただいた「桔梗が丘」、聴くご縁がなかったのですが、やっぱりしみじみと「心」に響いてくる歌はいいですね。

moni5187様の逸話、某氏が歌いに来てくれたってことが素晴らしい
みんなの心に響いたと思います。
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