「柘植の郷」を歩いて、その歴史に触れます。
(今回のウォーキングの正式名称は「松尾芭蕉と横光利一のふるさとを訪ねるウォークイベント」ですが、
スミマセン長いので「標題」ちょっと省略させていただきました)
先ず集合場所である「柘植駅」、実は「鉄道遺産」でもあり、
*①「三重県内で最初に開業した駅」なのです。
ウォーキング前に説明をして頂きましたが、おおむねこんな感じ
・明治5年 新橋ー横浜間 鉄道走る
・当時、官営は東海道線ルートのみ
・開運拠点の四日市港と東海道線を結ぶためのルートが必要
・東海道線の名古屋へのルートには「木曽三川(サンセン)」の鉄橋工事が必要
・草津ルートが優先されるも「加太トンネル掘削」の難工事あり
幾多の難工事を経て(以下「柘植の昔ばなし」(柘植地区まちづくり協議会作成冊子)より)
・明治22/12/5 草津ー三雲間
・明治23/2/19 三雲ー柘植間(=草津線全通)
・明治23/12/25 柘植ー四日市間
・明治28/11/7 草津ー名古屋間全通
・明治30/1/15 柘植ー上野間
幼いころ乗っていた蒸気機関車で駆け抜けたその先の「加太トンネル」には、
想像を絶するスゴイ歴史が刻まれていたわけです。
(再掲)
【柘植の鉄道遺産】
≪(前略)加太トンネルに使われたのと同じレンガはフランス積みのホームや油庫(アブラコ)として現存。
また俗称「マンボ」と呼ばれている線路下にある隧道や加太トンネルの旧排煙塔、
大和街道沿いの旧柘植医院の塀などにも残っている※。≫
そして、
≪鉄道唱歌(関西・参宮・南海篇)→「汽笛一声 新橋を~~」のメロディーでどうぞ
伊賀焼いずる佐那具の地 芭蕉うまれし柘植の駅
線路左にわかるれば 迷わぬ道は草津まで ≫
では、「柘植駅」を出発して、方角的には「名阪国道」もしくは「霊山」を目指す感じで進みます。
その途中に、
「煉瓦塀」の名残と池
「旧大和街道」に入ると、いかにも街道らしい雰囲気が残る静かな通り。
(この道は🚙で通る場合「東方面への一方通行」です)
🚙で来ると行き過ぎてしまってじっくり見ることのできなかった「煉瓦塀」に出会う。
*②「加太トンネルの煉瓦」と同じ窯で焼かれた煉瓦です。
不良品ではあるけれど、それを上手に生かした昔の人たちの知恵と工夫をじっくり見せていただきました。
ここは、「旧柘植医院」前。
この「刻印」は、教えてもらわないと気付くことが出来ません、
ほんとに小さな「刻印」ですが、「関西鉄道」の歴史を刻んだ証拠でもあるわけです。
さて、旧大和街道を途中で南へ曲がり、民家の中の細い道を進んで行き、
次なる目的地「積殖の山口?」を目指します。
この時、ワタシは何も理解していなかった…
道順を覚えるために撮った「橋」ですが、さて「平〇橋」としか読めない…
「あそこに見える山は何山ですか?」
『旗山(ハタヤマ)』ですって、
そういえば、柘植駅前の看板には
≪標高649m> 山頂まで(柘植駅から)徒歩60分。油日岳へ続く稜線上にある北打山からの眺めは最高。
大阪のコメ相場を旗で伝えていたという≫
(さて、ワタシに登れるのだろうか??)
そのまま進むと三差路の「広場」のようなところに出ます、
*③【積殖の山口】(ツミエ or ツムエ) 説明版、
≪壬申の乱 (672年)の際、大海人皇子(オオアマノオウジ後の天武天皇)が息子・高市皇子(タケチミコ)と逢った場所。
日本書紀に記載されており、積殖は柘植を指す古い表記≫
内容を転記しておきます
≪壬申の乱において、吉野で挙兵した大海人皇子は
吉野から兵力を集めながら伊賀国を縦断し伊勢美濃へと進軍した。
その様子を日本書紀は「会明(アケボノ)に莿萩野(タラノ・現在の荒木※1)に至る。
暫く駕(ミユキ)を停(トド)めて進食(ミオシ)す。積殖(ツミエ)の山口に到りて、
高市皇子鹿深(カフカ※2)山より越えて以て遇(マミア)ふへり」 と記している。
「積殖の山口」の「積殖」とは古来から 近江・伊勢の交通の要所であった
伊賀市柘植町のことであり、「積殖の山口」とはこの地にあたるといわれている。
伊賀市教育委員会 ≫
※1「莿萩野(タラノ)とはどこですか?」と尋ねた方がおられ、
「おそらく、現在の『荒木』のことだと思われます」とのことでした。)
※2「鹿深(カフカ)」は甲賀の古語、とのこと。
余野公園から奥余野公園への道には「壬申の乱古戦場」(you tube)もあります、
歴史ドラマを見ている気分になってきます、凄いな柘植!
急に視界が広がり目の前に「名阪国道の遮音壁」?
ここまで来たか! という驚きです(笑)。
「名阪国道」をくぐります、歩いて通るのは流石に初体験です。
どこかで見たことのあるような建物…
「俳聖殿」を思い起こしたのはワタシだけか?
いや、「忍者」もいました。
「道の駅 いが」到着、いわゆるトイレ休憩ですね。
ここは「名阪国道下り伊賀SS」になります。
おっ、「赤福」、安場さんちの🍓、なんだか急に親しみが湧いてきました、
しかし、ここでお土産を買うわけにも行かず、日を改めて来ようと思います(笑)。
さぁここからスリルある道を行きます、
すぐ横で「名阪国道を走る🚙🚛」ビュンビュン飛ばしてます。
まさかこの道を歩けるの?という驚きと、この次はどこだっけ?
名阪国道の高架橋をくぐり「芭蕉公園&福地城跡」らしい、、、
スリリング道は、まだまだつづく
(2022/5/11 順路にミスあり修正しました)
(今回のウォーキングの正式名称は「松尾芭蕉と横光利一のふるさとを訪ねるウォークイベント」ですが、
スミマセン長いので「標題」ちょっと省略させていただきました)
先ず集合場所である「柘植駅」、実は「鉄道遺産」でもあり、
*①「三重県内で最初に開業した駅」なのです。
ウォーキング前に説明をして頂きましたが、おおむねこんな感じ
・明治5年 新橋ー横浜間 鉄道走る
・当時、官営は東海道線ルートのみ
・開運拠点の四日市港と東海道線を結ぶためのルートが必要
・東海道線の名古屋へのルートには「木曽三川(サンセン)」の鉄橋工事が必要
・草津ルートが優先されるも「加太トンネル掘削」の難工事あり
幾多の難工事を経て(以下「柘植の昔ばなし」(柘植地区まちづくり協議会作成冊子)より)
・明治22/12/5 草津ー三雲間
・明治23/2/19 三雲ー柘植間(=草津線全通)
・明治23/12/25 柘植ー四日市間
・明治28/11/7 草津ー名古屋間全通
・明治30/1/15 柘植ー上野間
幼いころ乗っていた蒸気機関車で駆け抜けたその先の「加太トンネル」には、
想像を絶するスゴイ歴史が刻まれていたわけです。
(再掲)
【柘植の鉄道遺産】
≪(前略)加太トンネルに使われたのと同じレンガはフランス積みのホームや油庫(アブラコ)として現存。
また俗称「マンボ」と呼ばれている線路下にある隧道や加太トンネルの旧排煙塔、
大和街道沿いの旧柘植医院の塀などにも残っている※。≫
そして、
≪鉄道唱歌(関西・参宮・南海篇)→「汽笛一声 新橋を~~」のメロディーでどうぞ
伊賀焼いずる佐那具の地 芭蕉うまれし柘植の駅
線路左にわかるれば 迷わぬ道は草津まで ≫
では、「柘植駅」を出発して、方角的には「名阪国道」もしくは「霊山」を目指す感じで進みます。
その途中に、
「煉瓦塀」の名残と池
「旧大和街道」に入ると、いかにも街道らしい雰囲気が残る静かな通り。
(この道は🚙で通る場合「東方面への一方通行」です)
🚙で来ると行き過ぎてしまってじっくり見ることのできなかった「煉瓦塀」に出会う。
*②「加太トンネルの煉瓦」と同じ窯で焼かれた煉瓦です。
不良品ではあるけれど、それを上手に生かした昔の人たちの知恵と工夫をじっくり見せていただきました。
ここは、「旧柘植医院」前。
この「刻印」は、教えてもらわないと気付くことが出来ません、
ほんとに小さな「刻印」ですが、「関西鉄道」の歴史を刻んだ証拠でもあるわけです。
さて、旧大和街道を途中で南へ曲がり、民家の中の細い道を進んで行き、
次なる目的地「積殖の山口?」を目指します。
この時、ワタシは何も理解していなかった…
道順を覚えるために撮った「橋」ですが、さて「平〇橋」としか読めない…
「あそこに見える山は何山ですか?」
『旗山(ハタヤマ)』ですって、
そういえば、柘植駅前の看板には
≪標高649m> 山頂まで(柘植駅から)徒歩60分。油日岳へ続く稜線上にある北打山からの眺めは最高。
大阪のコメ相場を旗で伝えていたという≫
(さて、ワタシに登れるのだろうか??)
そのまま進むと三差路の「広場」のようなところに出ます、
*③【積殖の山口】(ツミエ or ツムエ) 説明版、
≪壬申の乱 (672年)の際、大海人皇子(オオアマノオウジ後の天武天皇)が息子・高市皇子(タケチミコ)と逢った場所。
日本書紀に記載されており、積殖は柘植を指す古い表記≫
内容を転記しておきます
≪壬申の乱において、吉野で挙兵した大海人皇子は
吉野から兵力を集めながら伊賀国を縦断し伊勢美濃へと進軍した。
その様子を日本書紀は「会明(アケボノ)に莿萩野(タラノ・現在の荒木※1)に至る。
暫く駕(ミユキ)を停(トド)めて進食(ミオシ)す。積殖(ツミエ)の山口に到りて、
高市皇子鹿深(カフカ※2)山より越えて以て遇(マミア)ふへり」 と記している。
「積殖の山口」の「積殖」とは古来から 近江・伊勢の交通の要所であった
伊賀市柘植町のことであり、「積殖の山口」とはこの地にあたるといわれている。
伊賀市教育委員会 ≫
※1「莿萩野(タラノ)とはどこですか?」と尋ねた方がおられ、
「おそらく、現在の『荒木』のことだと思われます」とのことでした。)
※2「鹿深(カフカ)」は甲賀の古語、とのこと。
余野公園から奥余野公園への道には「壬申の乱古戦場」(you tube)もあります、
歴史ドラマを見ている気分になってきます、凄いな柘植!
急に視界が広がり目の前に「名阪国道の遮音壁」?
ここまで来たか! という驚きです(笑)。
「名阪国道」をくぐります、歩いて通るのは流石に初体験です。
どこかで見たことのあるような建物…
「俳聖殿」を思い起こしたのはワタシだけか?
いや、「忍者」もいました。
「道の駅 いが」到着、いわゆるトイレ休憩ですね。
ここは「名阪国道下り伊賀SS」になります。
おっ、「赤福」、安場さんちの🍓、なんだか急に親しみが湧いてきました、
しかし、ここでお土産を買うわけにも行かず、日を改めて来ようと思います(笑)。
さぁここからスリルある道を行きます、
すぐ横で「名阪国道を走る🚙🚛」ビュンビュン飛ばしてます。
まさかこの道を歩けるの?という驚きと、この次はどこだっけ?
名阪国道の高架橋をくぐり「芭蕉公園&福地城跡」らしい、、、
スリリング道は、まだまだつづく
(2022/5/11 順路にミスあり修正しました)
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