*④「名阪国道下り線SSの道の駅 いが」で休憩を終え、
名阪国道のすぐ傍を歩き、高架をくぐったところから再開します。
今の時期「山藤」が巨大に伸びつつ、藤色の花を咲かせているのはよく見ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/dd/771632d407054ec1d967f6510aa65cfd_s.jpg)
目の前のコレ、📷で撮って調べると…
「桐の花」でした、藤の花は下向きですが、「桐」はしっかり斜め上向きにキリっと咲きます。
かなりの大木で近くにも寄れず遠目で見る限り、
蔓状にはなっていないので、区別はできると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/4e/87d26caf787efe37edef232ec506582a_s.jpg)
(個人的に道草or寄り道が多いので必ずグループの中の最後尾になってしまいます
💦って走るので余計疲れる、アホやなぁと思います
けど)
今まで歩いていた道は「名阪国道」の側道になり、
目の前の丘陵地へ右折すると、本格的な山道っぽくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/5b/2e88dec5865a846c5ef34a300675e600_s.jpg)
ほんの少し「山道=崖道」ですが階段付きなので大丈夫です。
以前来た時は「福地城跡」の正面から上ったので、
こんな裏道?があるとは知らなかったです。
少し登って、見上げた「石垣」、確かに見覚えがあります!
*⑤「芭蕉公園&福地城跡」
ここで柘植駅前の案内看板より
≪芭蕉公園 (柘植駅から 2.4km ) 俳聖松尾芭蕉を顕彰し、福地城址に造られた公園。
福地城址は中世城館の形をよく残しており県史跡に指定。1㎞西方には芭蕉翁誕生宅吐がある。≫
正面に「芭蕉句碑『古さとや 臍の緒に泣く としの暮』」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/23/af/dd758cc915dd2f144904f3bd3d18c374_s.jpg)
近くに「横光利一『考へる葦』の中に」の抜粋文と
蛙がいっぱいいると思っていた井戸と園内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/d3/c50d51da8283c6d74d3c4ba3df7073d0_s.jpg)
城跡正面の石碑と説明文
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/61/bb/c9c8075a9de69c0f922d63d46936465d_s.jpg)
ウォーキング当日(5/8)配布資料より
≪中世の土豪柘植三方(サンポウ) (福地・北村・日置の一族)のなかの福地氏の城跡で、
丘陵頂部の郭群(カクグン) (詰の城) と丘陵裾(フモト)の郭(カク)(平素の館) からなる。
中世の典型的な掻揚(カキアゲ)式で石垣の表門跡や土塁、塀がほぼ残っている。
天正伊賀の乱の時、福地伊予守宗隆は、織田信長に味方して信長没後伊賀を追われた。
明治26年 (1893) は芭蕉翁200回忌にあたり、翁の父の叔父から8代目に当る松尾宇八郎氏が
福地伊予の守から譲り受けていた土地を当時の東柘植村に寄贈。
松尾六家をはじめ村の有志によって「芭蕉翁生誕の碑」と「臍(ホゾ)の句碑」を建立し、
顕彰行事が行われた。その後、明治43年になって一時荒廃していた福地城跡を公園化して
「芭蕉公園」と名付けた。≫
城跡から「万寿寺」への道すがら、野の花と広い空に飛行機雲
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/74/2384f55dec66ac1301bb39b5aba35b63_s.jpg)
*⑥「万寿寺」
当日配布資料より
≪万寿寺の本山は永平寺で、上野の広禅寺の末寺、寺の前身は長福寺で、
宝暦10年 (1760) に万寿寺に改められ、 約240年となる。
長福寺は福地氏の祈願寺として1200年頃(鎌倉時代)に開山された。
本尊木造地蔵 菩薩坐像は、この寺の住職了賢房(リョウカンボウ)和尚が
鎌倉時代を代表する仏師、寛慶・ 忍慶(カンケイ・ニンケイ)親子に両親の追善供養のために
貞治3年(1364) に作らせた。胎内文書とともに国の重要文化財に指定されている。
毎年11月17日にしぐれ忌が行われる。≫
山門、花の鬼瓦、境内の「青面金剛像」。
万寿寺は「松尾芭蕉の菩提寺」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/18/bc08028e4a9314a0663c9e55d21a03ae_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/32/0080be8a10f1eee726258b53f6208831_s.jpg)
では、「徳永寺」へ向かいます……
今日はここまで
※詳しくは…とは、おこがましくて書けませんが、
「伊賀忍者回廊巡り」の時の様子を訪問記録として載せておきます、
2020/7/28訪問「福地城跡」と「萬壽(万寿)寺」
ではまだ続きます
名阪国道のすぐ傍を歩き、高架をくぐったところから再開します。
今の時期「山藤」が巨大に伸びつつ、藤色の花を咲かせているのはよく見ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/dd/771632d407054ec1d967f6510aa65cfd_s.jpg)
目の前のコレ、📷で撮って調べると…
「桐の花」でした、藤の花は下向きですが、「桐」はしっかり斜め上向きにキリっと咲きます。
かなりの大木で近くにも寄れず遠目で見る限り、
蔓状にはなっていないので、区別はできると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/5c/96f33a575fbcc71a52ad7ad4c0a13687_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/44/e1dcd14ddfc54989ef300d5773df9898_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/4e/87d26caf787efe37edef232ec506582a_s.jpg)
(個人的に道草or寄り道が多いので必ずグループの中の最後尾になってしまいます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
💦って走るので余計疲れる、アホやなぁと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_keibetsu.gif)
今まで歩いていた道は「名阪国道」の側道になり、
目の前の丘陵地へ右折すると、本格的な山道っぽくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/1b/f6dda70262afe6c50f6b4c7102c82874_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/41/0b921e7c9de4a4cf43eda0040601e7c7_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/5b/2e88dec5865a846c5ef34a300675e600_s.jpg)
ほんの少し「山道=崖道」ですが階段付きなので大丈夫です。
以前来た時は「福地城跡」の正面から上ったので、
こんな裏道?があるとは知らなかったです。
少し登って、見上げた「石垣」、確かに見覚えがあります!
*⑤「芭蕉公園&福地城跡」
ここで柘植駅前の案内看板より
≪芭蕉公園 (柘植駅から 2.4km ) 俳聖松尾芭蕉を顕彰し、福地城址に造られた公園。
福地城址は中世城館の形をよく残しており県史跡に指定。1㎞西方には芭蕉翁誕生宅吐がある。≫
正面に「芭蕉句碑『古さとや 臍の緒に泣く としの暮』」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/23/af/dd758cc915dd2f144904f3bd3d18c374_s.jpg)
近くに「横光利一『考へる葦』の中に」の抜粋文と
蛙がいっぱいいると思っていた井戸と園内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/ac/c577badd60497a00f69e0451602def28_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/58/fe/62c7a525960915a0a97315563edbef12_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/d3/c50d51da8283c6d74d3c4ba3df7073d0_s.jpg)
城跡正面の石碑と説明文
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/80/8a22e343fbc5fdf01ec2fcc528e382fb_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/61/bb/c9c8075a9de69c0f922d63d46936465d_s.jpg)
ウォーキング当日(5/8)配布資料より
≪中世の土豪柘植三方(サンポウ) (福地・北村・日置の一族)のなかの福地氏の城跡で、
丘陵頂部の郭群(カクグン) (詰の城) と丘陵裾(フモト)の郭(カク)(平素の館) からなる。
中世の典型的な掻揚(カキアゲ)式で石垣の表門跡や土塁、塀がほぼ残っている。
天正伊賀の乱の時、福地伊予守宗隆は、織田信長に味方して信長没後伊賀を追われた。
明治26年 (1893) は芭蕉翁200回忌にあたり、翁の父の叔父から8代目に当る松尾宇八郎氏が
福地伊予の守から譲り受けていた土地を当時の東柘植村に寄贈。
松尾六家をはじめ村の有志によって「芭蕉翁生誕の碑」と「臍(ホゾ)の句碑」を建立し、
顕彰行事が行われた。その後、明治43年になって一時荒廃していた福地城跡を公園化して
「芭蕉公園」と名付けた。≫
城跡から「万寿寺」への道すがら、野の花と広い空に飛行機雲
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/fd/1670e57fd25427675efe06f22a1d3985_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/74/2384f55dec66ac1301bb39b5aba35b63_s.jpg)
*⑥「万寿寺」
当日配布資料より
≪万寿寺の本山は永平寺で、上野の広禅寺の末寺、寺の前身は長福寺で、
宝暦10年 (1760) に万寿寺に改められ、 約240年となる。
長福寺は福地氏の祈願寺として1200年頃(鎌倉時代)に開山された。
本尊木造地蔵 菩薩坐像は、この寺の住職了賢房(リョウカンボウ)和尚が
鎌倉時代を代表する仏師、寛慶・ 忍慶(カンケイ・ニンケイ)親子に両親の追善供養のために
貞治3年(1364) に作らせた。胎内文書とともに国の重要文化財に指定されている。
毎年11月17日にしぐれ忌が行われる。≫
山門、花の鬼瓦、境内の「青面金剛像」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/24/7d703f60b889db1e7001c96e19f511df_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/ba/fa68cf50f2b623628159c68603f5701e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/10/1f4141b2a570b4556c2dae3dc48929a1_s.jpg)
万寿寺は「松尾芭蕉の菩提寺」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2f/59/29a0adfa38c99e9f0c58d73ad40510cf_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/18/bc08028e4a9314a0663c9e55d21a03ae_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/32/0080be8a10f1eee726258b53f6208831_s.jpg)
では、「徳永寺」へ向かいます……
今日はここまで
※詳しくは…とは、おこがましくて書けませんが、
「伊賀忍者回廊巡り」の時の様子を訪問記録として載せておきます、
2020/7/28訪問「福地城跡」と「萬壽(万寿)寺」
ではまだ続きます
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます