時期が時期、ブームと言えばそうなんですが(NHK大河ドラマ「どうする?家康」放送中)、
伊賀を訪れる観光目的の方は徐々に増えてるらしく、
某バス会社では「忍者ツアー」を企画しているとのこと。
そこで、特別に案内ができる人を増やそう、スキルアップを目指そう!
というお勉強会があり、先ず「ルートを覚えよう!」…
今回の「忍者ツアー」のルートは、
①「徳永寺」→ ②「壬生野中世城館群散策」
③「春日神社」→ ④「敢国神社」になります。
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幾度となく訪れているとはいえ“ワタシも初めて“という時がありました。
その時の記憶を思い起こしました☟
※2021/1/21訪問「徳永寺」編。(まさかの同級生との遭遇話)
「成田山椎老木の由来」編。(徳永寺の裏山を歩いて「都美恵神社」まで)
因みに、行き先が多いので、あまり深く突っ込んだ話ではなく、
興味を持って、楽しく「伊賀の旅」をしてもらいたい、
そしていずれドラマで出てくるであろう「神君!伊賀越え」。
諸説あるルートのことを掘り下げるのではなく、
幕府公文書である「徳川実記」に書かれている「御斎峠越え」ルートを案内します。
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駐車場にて、山門くぐり、正面の「本堂」。
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「神君!伊賀越え」ルート、「立ち葵紋鬼瓦」、
「宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)と六地蔵、背景は「霊山」。
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市文化財「梵鐘・鐘楼」、「十王堂(閻魔堂)」の閻魔さま。
※「徳永寺」HPより「諸堂解説」
※参考「日本遺産ポータルサイト/リアル忍者を求めて」より抜粋。
忍者の実像は「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれた「地侍」たちだった。
戦国時代、この地域からは大きな力を持った大名が現れず、
自らの地を自らの力で治める必要から自治が発達し、
お互いに連携をして地域を守っていた。
地侍たちは一国、一郡規模で連合し合い、そうした自治組織を「伊賀惣国一揆」
そして「甲賀郡中惣」と呼び、互いに同盟し合って仲が良かった。
一族の結束は強く、「一味同心」に団結し、「諸事談合」して、
時には多数決さえ用いて物事を決めており、「みんなで集まり、話し合いで決める」こと、
これが忍者の里の「掟」だった。
封建制が強まり、下克上の嵐が吹き荒れる戦国時代にあって、
一人の領主による力の支配ではなく、皆で力を合わせて地域の平和を守ってきた姿は、
テレビやアニメで描かれる非情な世界とはまったく異なる。
それが城館の分布に現れている。
ここでは突出した権力がないため特別に大きな城はなく、
また同種の地侍たちが集まっていたため、同じ形、同じ大きさの城館が
狭い地域にひしめき合う世界が出現した。
しかし天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉などの強大な権力の出現とともに、
こうした地侍の自治組織も終焉を迎える。
一方、戦国時代を通じて忍びの技術は重宝され、各地の大名に仕え活躍していた。
中でも天正10年(1582)の本能寺の変後、堺にいた徳川家康が本国三河に帰る最短ルートとして
この地を駆け抜けた際、伊賀者、甲賀者が家康を護衛し、
その活躍が今日まで「神君伊賀越え」として語り継がれている。
では次に、「壬生野中世城館群」へ行きましょう~~
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つづく
伊賀を訪れる観光目的の方は徐々に増えてるらしく、
某バス会社では「忍者ツアー」を企画しているとのこと。
そこで、特別に案内ができる人を増やそう、スキルアップを目指そう!
というお勉強会があり、先ず「ルートを覚えよう!」…
今回の「忍者ツアー」のルートは、
①「徳永寺」→ ②「壬生野中世城館群散策」
③「春日神社」→ ④「敢国神社」になります。
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幾度となく訪れているとはいえ“ワタシも初めて“という時がありました。
その時の記憶を思い起こしました☟
※2021/1/21訪問「徳永寺」編。(まさかの同級生との遭遇話)
「成田山椎老木の由来」編。(徳永寺の裏山を歩いて「都美恵神社」まで)
因みに、行き先が多いので、あまり深く突っ込んだ話ではなく、
興味を持って、楽しく「伊賀の旅」をしてもらいたい、
そしていずれドラマで出てくるであろう「神君!伊賀越え」。
諸説あるルートのことを掘り下げるのではなく、
幕府公文書である「徳川実記」に書かれている「御斎峠越え」ルートを案内します。
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駐車場にて、山門くぐり、正面の「本堂」。
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「神君!伊賀越え」ルート、「立ち葵紋鬼瓦」、
「宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)と六地蔵、背景は「霊山」。
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市文化財「梵鐘・鐘楼」、「十王堂(閻魔堂)」の閻魔さま。
※「徳永寺」HPより「諸堂解説」
※参考「日本遺産ポータルサイト/リアル忍者を求めて」より抜粋。
忍者の実像は「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれた「地侍」たちだった。
戦国時代、この地域からは大きな力を持った大名が現れず、
自らの地を自らの力で治める必要から自治が発達し、
お互いに連携をして地域を守っていた。
地侍たちは一国、一郡規模で連合し合い、そうした自治組織を「伊賀惣国一揆」
そして「甲賀郡中惣」と呼び、互いに同盟し合って仲が良かった。
一族の結束は強く、「一味同心」に団結し、「諸事談合」して、
時には多数決さえ用いて物事を決めており、「みんなで集まり、話し合いで決める」こと、
これが忍者の里の「掟」だった。
封建制が強まり、下克上の嵐が吹き荒れる戦国時代にあって、
一人の領主による力の支配ではなく、皆で力を合わせて地域の平和を守ってきた姿は、
テレビやアニメで描かれる非情な世界とはまったく異なる。
それが城館の分布に現れている。
ここでは突出した権力がないため特別に大きな城はなく、
また同種の地侍たちが集まっていたため、同じ形、同じ大きさの城館が
狭い地域にひしめき合う世界が出現した。
しかし天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉などの強大な権力の出現とともに、
こうした地侍の自治組織も終焉を迎える。
一方、戦国時代を通じて忍びの技術は重宝され、各地の大名に仕え活躍していた。
中でも天正10年(1582)の本能寺の変後、堺にいた徳川家康が本国三河に帰る最短ルートとして
この地を駆け抜けた際、伊賀者、甲賀者が家康を護衛し、
その活躍が今日まで「神君伊賀越え」として語り継がれている。
では次に、「壬生野中世城館群」へ行きましょう~~
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つづく
外国人や子ども向けの「忍者ショー」も大事ですが、忍者のことを知りたいというニーズに応えるには、現場をみてもらうのが一番でしょう。
「伊賀惣国一揆」のご紹介は本当にそのとおりで、1月の「いがぶら」の際に伊賀上野城の福田専務理事から推奨のあった「山河果てるとも 天正伊賀悲雲録」という書籍が、そのことをよく表していました。
これは伊賀惣国一揆時代だけではなく、人間力も地域力も何かが「変」と感じる今日この頃、もう一度伊賀の歴史を振り返って考えてみたいな…と、
そんなことを思いつつ参加させてもらいました。
今でいえば、自治会長さんのお宅(集議所でもどこでもいいんだけど)に集まってみんなでワイワイ話し合って、子どもたち、老人たちを見守っていこうよって語り合ってたのかなぁ、
地域を守ろうという「絆」がもっと強かったんだろうなぁ、とか。
いろいろ考えるきっかけになればいなぁと思っています。
dawnさん、ありがとうございます。
https://mie.visit-town.com/visittour/iga_nagoya/
https://www.sanq-tripal.com/item/iga_ninja.php
この辺でしょうか(^^;)?。
Aプランは4,600円(忍者屋敷の入館料800円込み)、
Bプランは5,800円(忍者屋敷の入館料800円+忍者衣装の借り賃1,000円込み)。って…、
オプション料金は別になりますが、
三重交通では、名鉄バスセンターから上野(忍者)市駅まで2,000円。で、
関西本線では、名駅から亀山と伊賀上野経由で上野(忍者)市駅まで1,960円で来てもらえるのです。
関西本線のJR西日本区間、亀山~伊賀上野は590円。
伊賀鉄道、忍者線の伊賀上野~忍者市駅は260円。
は、しめて1,840円でした。
気軽に、お安く来ていただけることは嬉しい。
そして、子どもたちが「忍者に変身!」して街中を会付いてくれる姿はホント見てるだけで楽しいし、ほほえましい(笑)。
なんで「忍者になると、動きが急に活発になるんだろう?」って思っちゃいますよね…
今回の「忍者ツアー」(お勉強会)は、少々大人向けかもしれません、もう少し深く知りたいという方が対象かなとも思います。(実際の所はわかりませんが)
まだまだ未熟者ゆえ、学ぶことはいっぱいあって、
いくつになっても勉強だなぁと思う今日この頃です。
NHKの大河ドラマに肖(あやか)ってのタイアップは、いつの時代でもどこでも良くあることで、
1971(昭和46)年、柳生の里を舞台にした大河ドラマ「春の坂道」が放映され、関西本線の湊町から伊賀上野まで、
SL牽引列車「柳生号」が運転されたのが記憶に残るところです。当方がSL撮影を始める2年前です。
当時、伊賀上野へいらしたSLファンの方がおられ、サイトで紹介されています。
http://tsunechan.web.fc2.com/19711114yagyu.html
この乗りで、やま線区間に「神君伊賀越え」ラッピング車を走らせればと思ったのですが、
やはり、徳川家康公ゆかりの地は三河から遠州方面なのだそうで、
「どうする家康」ラッピング列車やバスがすでに走っていて、観光客の集客に一役買っている模様です。
徳川家康 ~天竜浜名湖鉄道で、徳川ゆかりの地へ!~ – 天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社) – 日本の原風景に出逢う旅。
https://www.tenhama.co.jp/tokugawa/
愛知環状鉄道(株)、名鉄バス(株)、でも同様の(公式)ラッピング車が走っているようです。
さすがに伊賀ではここまでのノリはあり得ないか…
せいぜい、バスなり関西本線もしくは草津線で「柘植駅」まで来ていただき、
家康ゆかりの「徳永寺」、
土豪たちの館や山城が数多く残る「壬生野界隈」、
伊賀服部氏主宰の神事が行われる「敢国神社」等々
決して表に出ることのない「隠れ里」を堪能していただくのが現代の「忍びの役目」かもしれませんねぇ。
moni5187様、いつも詳しい情報をありがとうございます、とても勉強になります。