ジェイソン・ステイサム主演、『アドレナリン』、109シネマズ佐賀にて鑑賞。
先日の記事で自分は散々『ダイ・ハード4.0』のことをこきおろしたけれど、まぁあれですね、具体的にどこがダメか指摘できる映画はまだマシなんだっていうことが『アドレナリン』を鑑賞してわかりました。
『アドレナリン』、つまんないです。自信を持ってつまらないと断言させてもらいます。
以上!!
で終わらせてもいいんですが。
もうちょっとレビューらしいことを書きましょうかね。
手段と目的が逆転することがある。
本来手段とは目的をかなえるためにこそ存在するものだ。
言葉は想いを伝えるために存在する。ピアノは音楽を演奏するために存在する。
では意味のない言葉が存在してはいけないか?また、楽曲になっていないデタラメな演奏をピアノでしてはいけないか?
そんなことはないと思う。
時に人は意味のない言葉を発したくなるものだし、ピアノで気晴らしにデタラメな演奏をしたところで一向に構わないことだろう。
ただし、それを演説会や演奏会でされては困る。表現者にはある程度形になったものを提供してもらわなければいけない。
映画において状況設定というものは作品を盛り上げるために存在する(のだと個人的には思っている)。
いくら秀逸なフレーズを思いついたからといって、それを三分間繰り返しただけでは楽曲にはなるまい。
同様にいくら面白いと思えるシチュエーションを思いついたからといってそれだけで映画とはなりえない。作品とするためには何かしらの工夫が必要だろう。
『アドレナリン』という映画は、主人公が九十分常にハイテンションだったら面白くね?という作り手の思いつきだけで作られた作品だ。
無論映画のアイディアが何かの拍子に、思いつきで生まれることはままあることだ。また状況設定が何よりも優先される映画があったって、それはそれでありだと思う。
しかし、存在するのが状況設定だけ、あとは何の工夫も見所もない作品というのは問題だろう。
本作は遅効性の毒を注射された主人公が迫り来る死の恐怖から逃れようとするスリラーなのか、それとも常にハイテンションであることを強いられた男のコメディなのか、もしくは暴力賛歌のバイオレンスアクションなのか、さっぱり判別がつかない。
おそらく作り手はそのどれもをやりたかったのだろうが、結局限りなく中途半端でお粗末な作品になってしまっている。
最大の見所がジェイソン・ステイサムが半ケツをさらしてバイクに乗っているシーンっていうのはお話にならない。
作り手にはもう少しやりたいことを整理してから作品作りに臨んで欲しい。
個人的に今までジェイソン・ステイサムの出演作品には、『トランスポーター』シリーズや昨年公開された『カオス』、あとは『ミニミニ大作戦』など、ハズレがなかったのだが、本作でそのジンクスも途絶えてしまった。
とはいえ、十月に公開される、彼の次回作『ローグアサシン』も観に行くつもりではあるが、この作品も何だかハッタリだけで勝負!!って感じで、、、そうでないことを今から祈るばかりである。
先日の記事で自分は散々『ダイ・ハード4.0』のことをこきおろしたけれど、まぁあれですね、具体的にどこがダメか指摘できる映画はまだマシなんだっていうことが『アドレナリン』を鑑賞してわかりました。
『アドレナリン』、つまんないです。自信を持ってつまらないと断言させてもらいます。
以上!!
で終わらせてもいいんですが。
もうちょっとレビューらしいことを書きましょうかね。
手段と目的が逆転することがある。
本来手段とは目的をかなえるためにこそ存在するものだ。
言葉は想いを伝えるために存在する。ピアノは音楽を演奏するために存在する。
では意味のない言葉が存在してはいけないか?また、楽曲になっていないデタラメな演奏をピアノでしてはいけないか?
そんなことはないと思う。
時に人は意味のない言葉を発したくなるものだし、ピアノで気晴らしにデタラメな演奏をしたところで一向に構わないことだろう。
ただし、それを演説会や演奏会でされては困る。表現者にはある程度形になったものを提供してもらわなければいけない。
映画において状況設定というものは作品を盛り上げるために存在する(のだと個人的には思っている)。
いくら秀逸なフレーズを思いついたからといって、それを三分間繰り返しただけでは楽曲にはなるまい。
同様にいくら面白いと思えるシチュエーションを思いついたからといってそれだけで映画とはなりえない。作品とするためには何かしらの工夫が必要だろう。
『アドレナリン』という映画は、主人公が九十分常にハイテンションだったら面白くね?という作り手の思いつきだけで作られた作品だ。
無論映画のアイディアが何かの拍子に、思いつきで生まれることはままあることだ。また状況設定が何よりも優先される映画があったって、それはそれでありだと思う。
しかし、存在するのが状況設定だけ、あとは何の工夫も見所もない作品というのは問題だろう。
本作は遅効性の毒を注射された主人公が迫り来る死の恐怖から逃れようとするスリラーなのか、それとも常にハイテンションであることを強いられた男のコメディなのか、もしくは暴力賛歌のバイオレンスアクションなのか、さっぱり判別がつかない。
おそらく作り手はそのどれもをやりたかったのだろうが、結局限りなく中途半端でお粗末な作品になってしまっている。
最大の見所がジェイソン・ステイサムが半ケツをさらしてバイクに乗っているシーンっていうのはお話にならない。
作り手にはもう少しやりたいことを整理してから作品作りに臨んで欲しい。
個人的に今までジェイソン・ステイサムの出演作品には、『トランスポーター』シリーズや昨年公開された『カオス』、あとは『ミニミニ大作戦』など、ハズレがなかったのだが、本作でそのジンクスも途絶えてしまった。
とはいえ、十月に公開される、彼の次回作『ローグアサシン』も観に行くつもりではあるが、この作品も何だかハッタリだけで勝負!!って感じで、、、そうでないことを今から祈るばかりである。