まずは昨日の記事の続きから。
自分は誹謗中傷の類いのコメントであっても制限を加えるべきではないという考えです。
理由は、誹謗中傷の定義がはっきりしないことと、そして正当な批判、非難される可能性があるからです。
では誹謗中傷で苦しんでいる人には何もする必要はないと言っているのかというと、そんなことはありません。
まず誹謗中傷で苦しんでいる人に言いたいのは、あなたにとって大事でない人の言葉はあなたにとって大事ではないということです。
見ず知らずの人に「死ね」と言われたからといってそれでショックを受けなければならない理由はどこにもないんですよ。
聞き流しましょう。
あなたはあなたにとって大事な人の言葉にだけ耳を傾けましょう。
誹謗中傷で苦しんでいる人がまず最初にしなければならないのは、聞き流す力を身に着けることだと思います。
さて、市川猿之助氏の自殺騒動(?)の時にも書きましたが(こちら)、著名人が自殺すると「自殺はしてはいけない」と主張する人を多く見かけるようになります。
そのこと自体がいけないと言っているわけではありません。
その人たちも悪意を持って主張しているわけではないでしょうからね。
ただ、「自殺をしてはいけない」と主張する人に訊ねたいのは「なぜ自殺をしてはいけないのか?」ということです。
正直、それを訊ねたことはありません(なかなか聞きにくいことなので)。
でも想像ですが、ほとんどの人はその質問に対し答えを窮するのではないでしょうか。
もしくは、「ダメだからダメに決まっている」と答えにならない答えをするか、「残された人が悲しむから死んではいけない」と間違った答えをするか。
そう、「自殺をしてはいけない」のは「残された人が悲しむから」ではありません。
それだと天涯孤独で友だちのいない人間は死んでも構わない、ということになりますから。
自殺が本当にしてはならないことなら、悲しむ人がいようがいまいが、してはならないことのはずです。
ではなぜ自殺はしてはならないのか?
答えはあります。
でも前回の記事ではあえてそれを書きませんでした。
記事を読んだ人にそれぞれ考えて欲しかったからです。
では自殺をしてはいけない理由とは何か?
それは、自殺者が増えると社会の生産性が落ち、経済が回らなくなるから、です。
自殺をしてはいけないのは経済的な理由なんですよ。
この答えに納得が行かない人、反感を覚える人もいるでしょう。
そういう人たちは遠慮する必要はないので、遠慮なく自分なりの自殺をしてはいけない理由をコメント欄に書いてください。
なるほど、そういう理由があるのか、と蒙を啓くことが出来ればこれに優る喜びはありません。
経済が回らなくなるから自殺をしてはいけない、というのは完全に為政者サイドの理屈です。
そして為政者は庶民が自殺しないために古来より様々な策を弄してきました。
一例を挙げると宗教家と組み、自殺に対してネガティブなイメージを与えました。
自ら命を絶ったものは地獄に落ちると庶民を脅かしたのです。
実際地獄に落ちて、現世に舞い戻った人間など一人もいないにもかかわらず。
ただ、理由はどうあれ、これは正しい行いです。
自殺者を減らす取り組みが悪いことであるはずがありません。
問題は、自殺をしてはいけないというのであれば、私たちの生きる社会が生きる価値のあるもの、希望を見いだせるものでなければならないということです。
果たしてそれが出来ているのか?
たぶんそれが出来ていない。
だから一向に自殺者は減らないのでしょう。
つらつらとまとまりのないことを書いちゃいましたね。笑。
自分でも答えがまとまっているわけではないので。
やっぱり「死」って何か、よくわかんないですよ。
わかんないけれど、それについて考えることは大切だと思います。
著名人が自殺した時だけ「死」について考えると、それに引きずられて、「死」を必要以上に重く考えがちです。
なので普段から何気ない瞬間に「死」について考えてみてはどうでしょうか。
答えの出ないことではありますが。
自分は誹謗中傷の類いのコメントであっても制限を加えるべきではないという考えです。
理由は、誹謗中傷の定義がはっきりしないことと、そして正当な批判、非難される可能性があるからです。
では誹謗中傷で苦しんでいる人には何もする必要はないと言っているのかというと、そんなことはありません。
まず誹謗中傷で苦しんでいる人に言いたいのは、あなたにとって大事でない人の言葉はあなたにとって大事ではないということです。
見ず知らずの人に「死ね」と言われたからといってそれでショックを受けなければならない理由はどこにもないんですよ。
聞き流しましょう。
あなたはあなたにとって大事な人の言葉にだけ耳を傾けましょう。
誹謗中傷で苦しんでいる人がまず最初にしなければならないのは、聞き流す力を身に着けることだと思います。
さて、市川猿之助氏の自殺騒動(?)の時にも書きましたが(こちら)、著名人が自殺すると「自殺はしてはいけない」と主張する人を多く見かけるようになります。
そのこと自体がいけないと言っているわけではありません。
その人たちも悪意を持って主張しているわけではないでしょうからね。
ただ、「自殺をしてはいけない」と主張する人に訊ねたいのは「なぜ自殺をしてはいけないのか?」ということです。
正直、それを訊ねたことはありません(なかなか聞きにくいことなので)。
でも想像ですが、ほとんどの人はその質問に対し答えを窮するのではないでしょうか。
もしくは、「ダメだからダメに決まっている」と答えにならない答えをするか、「残された人が悲しむから死んではいけない」と間違った答えをするか。
そう、「自殺をしてはいけない」のは「残された人が悲しむから」ではありません。
それだと天涯孤独で友だちのいない人間は死んでも構わない、ということになりますから。
自殺が本当にしてはならないことなら、悲しむ人がいようがいまいが、してはならないことのはずです。
ではなぜ自殺はしてはならないのか?
答えはあります。
でも前回の記事ではあえてそれを書きませんでした。
記事を読んだ人にそれぞれ考えて欲しかったからです。
では自殺をしてはいけない理由とは何か?
それは、自殺者が増えると社会の生産性が落ち、経済が回らなくなるから、です。
自殺をしてはいけないのは経済的な理由なんですよ。
この答えに納得が行かない人、反感を覚える人もいるでしょう。
そういう人たちは遠慮する必要はないので、遠慮なく自分なりの自殺をしてはいけない理由をコメント欄に書いてください。
なるほど、そういう理由があるのか、と蒙を啓くことが出来ればこれに優る喜びはありません。
経済が回らなくなるから自殺をしてはいけない、というのは完全に為政者サイドの理屈です。
そして為政者は庶民が自殺しないために古来より様々な策を弄してきました。
一例を挙げると宗教家と組み、自殺に対してネガティブなイメージを与えました。
自ら命を絶ったものは地獄に落ちると庶民を脅かしたのです。
実際地獄に落ちて、現世に舞い戻った人間など一人もいないにもかかわらず。
ただ、理由はどうあれ、これは正しい行いです。
自殺者を減らす取り組みが悪いことであるはずがありません。
問題は、自殺をしてはいけないというのであれば、私たちの生きる社会が生きる価値のあるもの、希望を見いだせるものでなければならないということです。
果たしてそれが出来ているのか?
たぶんそれが出来ていない。
だから一向に自殺者は減らないのでしょう。
つらつらとまとまりのないことを書いちゃいましたね。笑。
自分でも答えがまとまっているわけではないので。
やっぱり「死」って何か、よくわかんないですよ。
わかんないけれど、それについて考えることは大切だと思います。
著名人が自殺した時だけ「死」について考えると、それに引きずられて、「死」を必要以上に重く考えがちです。
なので普段から何気ない瞬間に「死」について考えてみてはどうでしょうか。
答えの出ないことではありますが。