ときどき、小説を読んだり、映画を観ていて、自分はこの物語の本質を確実に捉えている、と感じることがあります。
本質を捉えるという表現が難しければ単純に理解していると言ってもいいですが。
この感覚をどう説明すればいいか、例えば数学の問題で、複雑な計算の末に出た答えが「1」だったりするとき、あぁ、この答えは間違っていないなと思うじゃないですか。それに似ています。
伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』を読み終わり、レビューブログを検索してみて、一番驚いたのは、第五章に出てくる食べ歩きブログの管理人のサキを岡田だと考えている人が多いことでした。
自分は一瞬も迷うことなくサキは第一章に登場する石坂沙希なのだなと思ったので、これには驚きました。
サキ=岡田だと考える人が多いのはミクシィの伊坂幸太郎コミュでも同じだったので、【残り全部バケーション】のトピックに自分の考えを書き込んだところ、何人かのサキ=岡田派の方から反論コメントを頂きました。
まぁそこまではよかったのですが、自分があくまで自説を曲げなかったために最終的にはサキ=岡田派の一人から悪しざまに罵られるまでになりました。
その後自分はこのブログにミクシィで起こった論争についての記事をアップしました。こちら。
しかし、その記事にコメントしてくれる人も七割方はサキ=岡田派の人たちばかりで、残りがどうにか中立派、積極的に自分の考えを支持してくれる人は一人もいませんでした。
サキ=岡田だと誤読している人が(あえてはっきり言います。サキ=岡田というのは誤読です。)そう考えるのは、毒島がそのことを明言しているからなのですが、サキ≠岡田であることを証明するのはそんなに難しいことではないんですよ。
まず生活圏の問題があります。
毒島から処払いを喰らった岡田が溝口と生活圏を共通しているはずがありません。
溝口が深夜にコンビニに出かけ、岡田とバッタリ出くわす、ということはありえません。
このことは『残り全部バケーション』を読んだ方であれば比較的容易に認められると思います。
次に食べ歩きブログの管理人であるサキです。
私たちは通常ブログの管理人がどこに住んでいるか気にすることはありません。なぜなら、ほとんどのブログにおいて管理人と常連は、住んでいるところに関係なく、話題を共有することが可能だからです。
映画、読書、スポーツ、ファッション、ゲーム、子育て、政治、経済、、、ほとんどのブログでそれは言えることです。
しかし、食べ歩きブログについてはどうでしょう。
食べ歩きブログの記事はこんな感じですよね。
「この前表参道で美味しいケーキ屋さんを見つけたよ。あそこのモンブランは絶品♪」
それに対する常連のコメントは「ほんとあそこのモンブランは最高ですよね!」とか「今度食べに行ってみます!」といったものが考えられます。
つまり、食べ歩きというようなテーマの地域密着型のブログの常連は、管理人が行ったことのある店に実際足を運べる人である、絶対にそうだとまでは言い切れませんが、その可能性が非常に高いとは言ってよいでしょう。
溝口と岡田が生活圏を異にし、食べ歩きブログの管理人であるサキとそのブログの常連である溝口が生活圏を共有しているのであれば、サキと岡田は別人である、と考えるのが普通です。
生活圏の観点から導き出した答えを結論にしてもいいぐらいなのですが、実際自分が岡田がサキではないと考えたのは別の理由からです。
溝口がサキは女性であると考えたことから、ブログは女性の文体で書かれていた、と考えられます。
しかし、『残り全部バケーション』の第一章から第四章のどこを読んでも、岡田が文才に長けていたとか、作文が得意だったとか、女装癖があったとか、仕草に女っぽいところがあったとか、そういった描写は一切ないんですよね。
つまり、自分がサキ≠岡田だと思ったのは単純に岡田がそういうキャラクターではなかったからです。また、岡田があえて性別を偽ってブログを始めなければいけないようなシチュエーションがどうしても思い浮かばなかったのです。
毒島の言葉が事実でないとしたら、その事情はいくつも考えられます。毒島が嘘を言っているのかもしれないし、毒島自身が騙されているのかもしれない、また勘違いしているのかもしれない(自分の説はこれです)。
いずれにしてもよくあることだし、答えとしてはシンプルです。
しかし、毒島の言葉が真実であるとしたら、それを成立させるためには恐ろしく捻った舞台設定が必要となります。逃亡中の岡田が文才に目覚め、女言葉を使うキャラクターに代わり、食べ歩きをするようになり、ブログを始め、そらにそれらのことをすべて毒島が承知していなければなりません。
およそシンプルとは言えない答えですし、自分にはそういった展開はとても想像出来ません。
とはいえ、自分に想像出来ないのだから、可能性はゼロだというつもりはありません。
なので、件のミクシィのトピックにおいて、サキ=岡田派の人に「岡田は食べ歩きブログを始める際、性別を偽ったのですか?想像で構わないので考えを聞かせてください。」と質問しました。
サキ≠岡田派である自分の意見にまったく耳を貸さない以上はそれなりに考えがあるのだろうと思ったのです。
そしてその質問に対する回答に自分は心底驚きました。
「岡田はスィートといえば女性だから、女性のふりをしたんじゃないですか。それで納得出来ませんか?」といったものでした。
まったく納得出来ませんでした。
インターネットはなりたい自分になれる世界だと思っています。
年齢、性別、出身地、職業etc、最終的に金品の略取といった犯罪を目的としないのであれば、何を偽っても自由だと自分は考えます。
性別を偽ってブログを運営している人も世の中にはいるでしょう。自分はそれを責めるつもりはまったくありません。何かを偽ることで枷にはめられるのは自分自身なのですから、責めるのはお門違いだと思います。
しかしながら、「スィートといえば女性だから」というようなどうでもいい理由で性別を偽ってブログを運営している人はいないでしょう。そうする理由はもっと切実で真摯なもののずです。
岡田がなぜ性別を偽ったのかという質問に対して、そのような夢もロマンもない、どうでもいい理由しか思いつかない相手に論争を負けるわけにはいかない、自分が依怙地になったのはこの時なのかもしれません。
その論争に決着はつきませんでした。お互い負けを認めようとしなかったので当然なのですが。
ただ自分は、悪しざまに罵られ、非難され、荒らし扱いされ、精神的に深い傷を負いました。
『残り全部バケーション』は好きな作品ですが、たぶん二度と読み返すことはないだろう、と思っていました。
先日、論争についての記事に一つのコメントがつきました。
最初は正直、またかよ、と思いました。七割方のサキ=岡田派の人からのコメントだと思ったのです。
けれど放置しておくわけにもいかず、目を通して、「え?」と思いました。
自分のサキ≠岡田説に全面的に賛同してくれる、初めての人からのコメントだったのです。
これにはもう涙が出るぐらい嬉しかったです。
自分がどんなに正しいと思うことを主張しても、それに賛同してくれる人は現れないのだとずっと思ってましたから。
ようやく自分の中で『残り全部バケーション』論争の決着がつきました。
繰り返しますが、『残り全部バケーション』第五章に登場する食べ歩きブログの管理人であるサキは岡田ではありません。
ただ、自分はこの考えを他人に強制するつもりはまったくありません。
自分は自分に取ってどーでもいい人が何をどう考えようがどーでもいいと考える人間なので。
自分の記事を読んで、なおサキ=岡田と考えるのもまったく構わないですよ。
しかし、反論コメントをする際は、最低限、なぜ岡田は性別を偽ったのか、自分なりの考えを聞かせてください。
それが夢やロマンに充ちたものであれば歓迎します。
そして、ミクシィのトピックで散々自分のことを悪しざまに罵ったあなたへ。
武士の情けでHNを晒すのはやめておきましょう。あなたと同じレベルに落ちたくない、というのもありますしね。
誤読自体は誰にでもあることです。恥でも何でもないし、誤読をしたことがない人間の方がいないでしょう。
しかし、自分と考えが異なるという理由だけで、その考えを曲げなかったという理由だけで、相手を公然と悪しざまに罵ったあなたに、伊坂幸太郎の著作を読む資格はありません。
自分と考えの異なる人間は排除すべきだ、などといったことは伊坂幸太郎の著作にはどこにも描かれていないと思いますよ。
猛省を望みます。
言いたいことを言ってスッキリした。笑。
ps.サキ≠岡田という前提の元に書いた二次創作小説『近況報告』です。読んでもらえると嬉しく思います。
本質を捉えるという表現が難しければ単純に理解していると言ってもいいですが。
この感覚をどう説明すればいいか、例えば数学の問題で、複雑な計算の末に出た答えが「1」だったりするとき、あぁ、この答えは間違っていないなと思うじゃないですか。それに似ています。
伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』を読み終わり、レビューブログを検索してみて、一番驚いたのは、第五章に出てくる食べ歩きブログの管理人のサキを岡田だと考えている人が多いことでした。
自分は一瞬も迷うことなくサキは第一章に登場する石坂沙希なのだなと思ったので、これには驚きました。
サキ=岡田だと考える人が多いのはミクシィの伊坂幸太郎コミュでも同じだったので、【残り全部バケーション】のトピックに自分の考えを書き込んだところ、何人かのサキ=岡田派の方から反論コメントを頂きました。
まぁそこまではよかったのですが、自分があくまで自説を曲げなかったために最終的にはサキ=岡田派の一人から悪しざまに罵られるまでになりました。
その後自分はこのブログにミクシィで起こった論争についての記事をアップしました。こちら。
しかし、その記事にコメントしてくれる人も七割方はサキ=岡田派の人たちばかりで、残りがどうにか中立派、積極的に自分の考えを支持してくれる人は一人もいませんでした。
サキ=岡田だと誤読している人が(あえてはっきり言います。サキ=岡田というのは誤読です。)そう考えるのは、毒島がそのことを明言しているからなのですが、サキ≠岡田であることを証明するのはそんなに難しいことではないんですよ。
まず生活圏の問題があります。
毒島から処払いを喰らった岡田が溝口と生活圏を共通しているはずがありません。
溝口が深夜にコンビニに出かけ、岡田とバッタリ出くわす、ということはありえません。
このことは『残り全部バケーション』を読んだ方であれば比較的容易に認められると思います。
次に食べ歩きブログの管理人であるサキです。
私たちは通常ブログの管理人がどこに住んでいるか気にすることはありません。なぜなら、ほとんどのブログにおいて管理人と常連は、住んでいるところに関係なく、話題を共有することが可能だからです。
映画、読書、スポーツ、ファッション、ゲーム、子育て、政治、経済、、、ほとんどのブログでそれは言えることです。
しかし、食べ歩きブログについてはどうでしょう。
食べ歩きブログの記事はこんな感じですよね。
「この前表参道で美味しいケーキ屋さんを見つけたよ。あそこのモンブランは絶品♪」
それに対する常連のコメントは「ほんとあそこのモンブランは最高ですよね!」とか「今度食べに行ってみます!」といったものが考えられます。
つまり、食べ歩きというようなテーマの地域密着型のブログの常連は、管理人が行ったことのある店に実際足を運べる人である、絶対にそうだとまでは言い切れませんが、その可能性が非常に高いとは言ってよいでしょう。
溝口と岡田が生活圏を異にし、食べ歩きブログの管理人であるサキとそのブログの常連である溝口が生活圏を共有しているのであれば、サキと岡田は別人である、と考えるのが普通です。
生活圏の観点から導き出した答えを結論にしてもいいぐらいなのですが、実際自分が岡田がサキではないと考えたのは別の理由からです。
溝口がサキは女性であると考えたことから、ブログは女性の文体で書かれていた、と考えられます。
しかし、『残り全部バケーション』の第一章から第四章のどこを読んでも、岡田が文才に長けていたとか、作文が得意だったとか、女装癖があったとか、仕草に女っぽいところがあったとか、そういった描写は一切ないんですよね。
つまり、自分がサキ≠岡田だと思ったのは単純に岡田がそういうキャラクターではなかったからです。また、岡田があえて性別を偽ってブログを始めなければいけないようなシチュエーションがどうしても思い浮かばなかったのです。
毒島の言葉が事実でないとしたら、その事情はいくつも考えられます。毒島が嘘を言っているのかもしれないし、毒島自身が騙されているのかもしれない、また勘違いしているのかもしれない(自分の説はこれです)。
いずれにしてもよくあることだし、答えとしてはシンプルです。
しかし、毒島の言葉が真実であるとしたら、それを成立させるためには恐ろしく捻った舞台設定が必要となります。逃亡中の岡田が文才に目覚め、女言葉を使うキャラクターに代わり、食べ歩きをするようになり、ブログを始め、そらにそれらのことをすべて毒島が承知していなければなりません。
およそシンプルとは言えない答えですし、自分にはそういった展開はとても想像出来ません。
とはいえ、自分に想像出来ないのだから、可能性はゼロだというつもりはありません。
なので、件のミクシィのトピックにおいて、サキ=岡田派の人に「岡田は食べ歩きブログを始める際、性別を偽ったのですか?想像で構わないので考えを聞かせてください。」と質問しました。
サキ≠岡田派である自分の意見にまったく耳を貸さない以上はそれなりに考えがあるのだろうと思ったのです。
そしてその質問に対する回答に自分は心底驚きました。
「岡田はスィートといえば女性だから、女性のふりをしたんじゃないですか。それで納得出来ませんか?」といったものでした。
まったく納得出来ませんでした。
インターネットはなりたい自分になれる世界だと思っています。
年齢、性別、出身地、職業etc、最終的に金品の略取といった犯罪を目的としないのであれば、何を偽っても自由だと自分は考えます。
性別を偽ってブログを運営している人も世の中にはいるでしょう。自分はそれを責めるつもりはまったくありません。何かを偽ることで枷にはめられるのは自分自身なのですから、責めるのはお門違いだと思います。
しかしながら、「スィートといえば女性だから」というようなどうでもいい理由で性別を偽ってブログを運営している人はいないでしょう。そうする理由はもっと切実で真摯なもののずです。
岡田がなぜ性別を偽ったのかという質問に対して、そのような夢もロマンもない、どうでもいい理由しか思いつかない相手に論争を負けるわけにはいかない、自分が依怙地になったのはこの時なのかもしれません。
その論争に決着はつきませんでした。お互い負けを認めようとしなかったので当然なのですが。
ただ自分は、悪しざまに罵られ、非難され、荒らし扱いされ、精神的に深い傷を負いました。
『残り全部バケーション』は好きな作品ですが、たぶん二度と読み返すことはないだろう、と思っていました。
先日、論争についての記事に一つのコメントがつきました。
最初は正直、またかよ、と思いました。七割方のサキ=岡田派の人からのコメントだと思ったのです。
けれど放置しておくわけにもいかず、目を通して、「え?」と思いました。
自分のサキ≠岡田説に全面的に賛同してくれる、初めての人からのコメントだったのです。
これにはもう涙が出るぐらい嬉しかったです。
自分がどんなに正しいと思うことを主張しても、それに賛同してくれる人は現れないのだとずっと思ってましたから。
ようやく自分の中で『残り全部バケーション』論争の決着がつきました。
繰り返しますが、『残り全部バケーション』第五章に登場する食べ歩きブログの管理人であるサキは岡田ではありません。
ただ、自分はこの考えを他人に強制するつもりはまったくありません。
自分は自分に取ってどーでもいい人が何をどう考えようがどーでもいいと考える人間なので。
自分の記事を読んで、なおサキ=岡田と考えるのもまったく構わないですよ。
しかし、反論コメントをする際は、最低限、なぜ岡田は性別を偽ったのか、自分なりの考えを聞かせてください。
それが夢やロマンに充ちたものであれば歓迎します。
そして、ミクシィのトピックで散々自分のことを悪しざまに罵ったあなたへ。
武士の情けでHNを晒すのはやめておきましょう。あなたと同じレベルに落ちたくない、というのもありますしね。
誤読自体は誰にでもあることです。恥でも何でもないし、誤読をしたことがない人間の方がいないでしょう。
しかし、自分と考えが異なるという理由だけで、その考えを曲げなかったという理由だけで、相手を公然と悪しざまに罵ったあなたに、伊坂幸太郎の著作を読む資格はありません。
自分と考えの異なる人間は排除すべきだ、などといったことは伊坂幸太郎の著作にはどこにも描かれていないと思いますよ。
猛省を望みます。
言いたいことを言ってスッキリした。笑。
ps.サキ≠岡田という前提の元に書いた二次創作小説『近況報告』です。読んでもらえると嬉しく思います。