この本の著者によるあとがきには、「『小説新潮』の昭和57年1月号から昭和59年7月号にかけて飛び飛びに掲載されたものである。」と記されている。10編で構成されており、最後のタイトルが「旅の終りは個室寝台車」である。1987年に国鉄が民営化されたので、この紀行文は、国鉄時代のものである。
この旅に同行したのが新潮社編集部の「藍色の小鬼」こと藍孝夫氏である。最初のエッセイ「にっぽん最長鈍行列車の旅」から、藍色の小鬼と著者とのやりとりが面白い。ちなみに、当時の最長鈍行列車は、門司発5:22、山陰本線経由、福知山23:51。約18時間半の旅である。単線区間であることから、特急や急行の待ち合わせなど、停車時間も長い。最後には、編集者の藍さん「なんだか名残惜しくなってきました、この汽車が」、小鬼の目に涙である。
第二編は「東京-大阪・国鉄のない旅」、東京から国鉄(国鉄バス含む)を使わずに大阪まで行く旅である。使えるのは私鉄とバス、これに類するような路線バスの番組もあったような。小生も、本書を眺めながら、今現在、これが可能か確かめながら読んでみた。調べた限りでは、不可。やはり、バス路線が消失している。
第四編「東京-札幌・孤独な二人旅」、鉄道が敷設されてから、東京・札幌は「車中一泊」の壁が破れなかった。しかし、昭和57年の東北新幹線開業(大宮・盛岡間)でその日の内うちに到着可能に。ただし、上野発7:17のリレー号で大宮まで、大宮発8:00で札幌着は23:25。で、まだ青函連絡船である。盛岡駅、「新幹線の駅は空港とおなじように個性も味もない。「盛岡」と書いてあるから盛岡に着いたなと思うけど、盛岡の臭いは漂ってこない。」確かにそうである、というか、「まち」そのものが、全国チェーンの看板で埋め尽くされており、かろうじて遠目に見える借景で、その土地を知ることになる。都市化はまちの個性を崩壊させるのかもしれない。一方で「それにくらべると、在来線はちばう。といっても、駅の機能上、あまり個性的になるわけにいかないのだが、やはり長く使いこんできただけに、その土地の香がする。新幹線から在来線のホームに下りると、よそ行きから普段着に着替えたような気がする。」。ただ、その土地の香がする駅も、無人化、老朽化で、簡易的な、プレハブのような駅舎に建て替えられてしまっている。地域で頑張って保存活動をしている所もあるが、極マレである。機能論が先んじ、「土地の香り」は置き去りになってしまっている。そして、やはり新幹線との比較となっているが、「乗りものには、それぞれの分相応の速度というものがあるように思えてならない。在来線の幹線なら90キロぐらい、ローカル線で約50キロ、東海道新幹線も150キロぐらいのときが、一番自然である。」。引き続き第五編では、札幌から遠軽経由で稚内まで。これまた、遠軽から稚内は既に廃線。日本の風景について、「雄大な風景となると、地勢の規模が小さいので、これといって世界に誇示するものがない。」としながら、「その中にあっての例外は冬のオホーツク海岸を埋める流氷」としている。日本にいることを忘れさせる風景。
第八編は「雪を見るなら飯山・只見線」、ちょうど、ここ数日、大雪に見舞われていると思われる。只見線は、会津若松から新潟県の小出。ちなみに、小出には、緑川酒造がある。そこから上越線に乗り換え、越後川口から長野県・豊野まで。いずれも豪雪地帯だ。只見線は、平成23年の台風で鉄橋が崩壊するなど、会津川口・只見間が代行バス輸送となっているが、先ごろ、地元負担有りで鉄道復旧されることになった。著者は、冷静に、端的に言っている。「地元の人たちは鉄道の開通に狂喜乱舞するが、乗るのはマイカーである。」。これに尽きる。
第九編は「九州行・一直線は乗りものづくし」、渥美半島から鳥羽、紀ノ川沿いに和歌山、四国を横断し佐田岬から大分・佐賀関、阿蘇経由・熊本。中央構造線の旅である。これは面白い。何が面白いか、著者も記しているが、「だいたい、旅行は計画が楽しい。その楽しさは、しばしば実際の旅行を凌駕する。」。実は、小生もいくつか計画を立て、データがパソコンに入っている。今の職場では、行きたくてもなかなか行けない状況、せめて計画だけでも、と思っていたら、時間の経過を早く感じる。
第十編「旅の終わりは個室寝台車」、この頃になると、藍色の小鬼と著者の掛け合いも堂に入った感じだ。中央構造線の旅を終え、人吉泊。翌日は、西鹿児島(現:鹿児島中央)へ。「はやぶさ」の個室寝台に乗るため。約22時間かけて東京まで。〆の文章がいい。「東京行きの寝台特急「はやぶさ」は不知火海の岸辺を走っている。その向うには天草の島々が霞んでいた。」
そこから東京まで、それぞれの読者が想像することになる。
この旅に同行したのが新潮社編集部の「藍色の小鬼」こと藍孝夫氏である。最初のエッセイ「にっぽん最長鈍行列車の旅」から、藍色の小鬼と著者とのやりとりが面白い。ちなみに、当時の最長鈍行列車は、門司発5:22、山陰本線経由、福知山23:51。約18時間半の旅である。単線区間であることから、特急や急行の待ち合わせなど、停車時間も長い。最後には、編集者の藍さん「なんだか名残惜しくなってきました、この汽車が」、小鬼の目に涙である。
第二編は「東京-大阪・国鉄のない旅」、東京から国鉄(国鉄バス含む)を使わずに大阪まで行く旅である。使えるのは私鉄とバス、これに類するような路線バスの番組もあったような。小生も、本書を眺めながら、今現在、これが可能か確かめながら読んでみた。調べた限りでは、不可。やはり、バス路線が消失している。
第四編「東京-札幌・孤独な二人旅」、鉄道が敷設されてから、東京・札幌は「車中一泊」の壁が破れなかった。しかし、昭和57年の東北新幹線開業(大宮・盛岡間)でその日の内うちに到着可能に。ただし、上野発7:17のリレー号で大宮まで、大宮発8:00で札幌着は23:25。で、まだ青函連絡船である。盛岡駅、「新幹線の駅は空港とおなじように個性も味もない。「盛岡」と書いてあるから盛岡に着いたなと思うけど、盛岡の臭いは漂ってこない。」確かにそうである、というか、「まち」そのものが、全国チェーンの看板で埋め尽くされており、かろうじて遠目に見える借景で、その土地を知ることになる。都市化はまちの個性を崩壊させるのかもしれない。一方で「それにくらべると、在来線はちばう。といっても、駅の機能上、あまり個性的になるわけにいかないのだが、やはり長く使いこんできただけに、その土地の香がする。新幹線から在来線のホームに下りると、よそ行きから普段着に着替えたような気がする。」。ただ、その土地の香がする駅も、無人化、老朽化で、簡易的な、プレハブのような駅舎に建て替えられてしまっている。地域で頑張って保存活動をしている所もあるが、極マレである。機能論が先んじ、「土地の香り」は置き去りになってしまっている。そして、やはり新幹線との比較となっているが、「乗りものには、それぞれの分相応の速度というものがあるように思えてならない。在来線の幹線なら90キロぐらい、ローカル線で約50キロ、東海道新幹線も150キロぐらいのときが、一番自然である。」。引き続き第五編では、札幌から遠軽経由で稚内まで。これまた、遠軽から稚内は既に廃線。日本の風景について、「雄大な風景となると、地勢の規模が小さいので、これといって世界に誇示するものがない。」としながら、「その中にあっての例外は冬のオホーツク海岸を埋める流氷」としている。日本にいることを忘れさせる風景。
第八編は「雪を見るなら飯山・只見線」、ちょうど、ここ数日、大雪に見舞われていると思われる。只見線は、会津若松から新潟県の小出。ちなみに、小出には、緑川酒造がある。そこから上越線に乗り換え、越後川口から長野県・豊野まで。いずれも豪雪地帯だ。只見線は、平成23年の台風で鉄橋が崩壊するなど、会津川口・只見間が代行バス輸送となっているが、先ごろ、地元負担有りで鉄道復旧されることになった。著者は、冷静に、端的に言っている。「地元の人たちは鉄道の開通に狂喜乱舞するが、乗るのはマイカーである。」。これに尽きる。
第九編は「九州行・一直線は乗りものづくし」、渥美半島から鳥羽、紀ノ川沿いに和歌山、四国を横断し佐田岬から大分・佐賀関、阿蘇経由・熊本。中央構造線の旅である。これは面白い。何が面白いか、著者も記しているが、「だいたい、旅行は計画が楽しい。その楽しさは、しばしば実際の旅行を凌駕する。」。実は、小生もいくつか計画を立て、データがパソコンに入っている。今の職場では、行きたくてもなかなか行けない状況、せめて計画だけでも、と思っていたら、時間の経過を早く感じる。
第十編「旅の終わりは個室寝台車」、この頃になると、藍色の小鬼と著者の掛け合いも堂に入った感じだ。中央構造線の旅を終え、人吉泊。翌日は、西鹿児島(現:鹿児島中央)へ。「はやぶさ」の個室寝台に乗るため。約22時間かけて東京まで。〆の文章がいい。「東京行きの寝台特急「はやぶさ」は不知火海の岸辺を走っている。その向うには天草の島々が霞んでいた。」
そこから東京まで、それぞれの読者が想像することになる。
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