去る4月20日(正確には21日か)、セルヒオ・ラモスの手を離れて空を舞った、そして結果としてバスに轢かれた哀れな国王杯は、現在ラス・ロサスにある、スペインサッカー協会のミュージアムで展示されているそうです。ぐんにゃりと。
いきなり話はシャルケに飛びますが、
エスクデロ「ラウルは5歳若返ったように見えるよ。」
ディフェンダーのセルヒオ・エスクデロは、自身のキャリアにおける変化を経験したことに今も「衝撃」を受けている。出身地バジャドリの「近所の」チームであるベティスCFでほとんどプレイできないまま4年を過ごし、チャンピオンズ・リーグでプレイするドイツのシャルケ04に移籍した。
「忘れがたい経験になったよ。誰も、僕たちがチャンピオンズリーグのセミファイナルに到達できるということも、ドイツ杯で優勝することも、想像できなかっただろう。本当に特筆すべきことで、僕たちはすごく幸せだ。」 エスクデロはEfeに対して、自身のキャリアにおける信じられないほどの飛躍が、これほど短い期間に起こったことに、まだ圧倒されていることを説明した。
2007年、バジャドリのベティスCFでラ・リーガ・ナシオナル・フベニール(18歳以下の地方リーグ)からプリメーラ・レヒオナル(5部相当)でプレイしていた当時、左サイドでのその力を示し、レアル・ムルシアは彼にとっての2つ目のチームに彼を迎え入れた。一方で、プリメーラへのジャンプアップをするにも、セグンダで名を上げるにも少し遅かった。
しかしムルシアは2009/2010シーズンにセグンダB(3部)に降格し、複数のチームが彼に興味を持ち始めた。レアル・マドリーさえも「確実なオファーはなしで、コンタクトを取りに来たんだ」と彼は想い出して見せたが、最終的にこのドイツのチームが、彼のキャリアを引き上げるのにより確実なオファーを出した。 「予想もしていなかったよ。」と彼は言う。
最初の何ヶ月かは、言葉や習慣、働き方の違いが「嫌だった」という。「でも、ラウルとホセ・マヌエル・フラドのサポートがあったから、もっと楽しめるようになったんだ。」
結局出場時間は短く(ブンデスリーガで415分、チャンピオンズリーグ3試合)、望んでいたよりも少ないものであったが、もちろん彼は若く、「学ぶことがたくさんあった」。今は、自分の仕事で最も重要なことは、「トレーニングでコンスタントにやっていくこと」だったと確信している。いつでも「100%で」。
「ドイツとスペインフットボールの一番の違いは、トレーニング。あれは激しいよ。まるで軍隊にいるみたい。メディシンボールで階段を上がるトレーニングの後は、死にそうだった。あそこでは、すべてのトレーニングで、最高のものが要求されるんだ。」
量と質を備えたトレーニングセッションの繰り返しは、彼の筋肉の質量を増加させた(一文割愛)。チームメイトのラウル・ゴンサレスの場合、こうしたトレーニングの結果は、「彼を5歳若返らせたね。結果が出てるよ。いくつもの感動的なゴールを決めて、ドイツの人々は彼に熱狂している。彼はアイドルだ。一番最初にやって来て、一番最後に帰っていく。人間としても選手としても、10点だ。仲間のお手本なんだよ。」とエスクデロは指摘する。
ラウルは非常に大きな感謝を受けるフットボールの象徴になっている。なぜなら、エスクデロが言うには、ラウルは「すごくよく助けてくれるから。彼は僕に、続けるように、止まらないようにといってくれる。僕はまだ若いからって。」
ファルファンには2015年まで延長の申し出
一方、シャルケ04は、ジェフェルソン・ファルファンに対し、2012年から2015年へと、契約延長のオファーを出した。
これは今日、シャルケのスポーツ・ディレクターであるHorst Heldtが、ファルファンがバカンスから戻り次第交渉を始めることを、公にしたものである。「我々はジェフェルソンに契約更新のオファーを出した。彼は今ペルーにいて(正確には日本だけど)、6月の終わりにトレーニングに戻ってきた際に、話し合いを始めるだろう。」 とHeldtは述べている。
シャルケのファルファンは、2008年にPSVアイントホーフェンから加入。冬の中断の間には、ほとんどシャルケを出て行くばかりになっていたが、フェリックス・マガトからラルフ・ラングニックへと監督が変わったことで、契約更新の意思を示していた。