前回予告したとおり、今回の記事は『ルネとリーナ②』。
カナダの少年歌手ルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、日本にルネ旋風を巻き起こした頃、リーナもその歌唱力で世界から注目を集め、『ママ 恋かしら』を日本でヒットさせていました。
ローティーン時代のルネとリーナには、けっこう共通点がありますので、その中のいくつかを紹介したいと思います。
▲PASSION SIMARDより
1 デビューはテレビのコンテスト番組への出場が
きっかけ
ル ネ:ケベック市のアマチュア歌手のコンテストに
優勝した後、「テレ4」という人気テレビ
番組に出場し、15週勝ち抜いて優勝した。
リーナ:テレビの視聴者参加勝ち抜き番組へ出場し、
連続6回トップをとった。
2 2人を歌手としてスカウトし、プロデュースしたのは
有名なコンビ。
ル ネ:プロモーターのギー・クルティエと、自らも
アーティストだったルネ・アンジェリル。
リーナ:イギリスの有名なプロデューサー、トミー・
スコットと、ニール・リードの『ママに捧げる歌』
をヒットさせたフィリップ・ソロモン。
3 TVのレギュラー番組を持ち、歌だけでなく司会等も
務めていた。
4 長期のコンサート・ツアー等には家庭教師がついて
きて、学校に通えない分の勉強をしていた。
ル ネ:オフの日や長期休暇中も家庭教師の先生に
勉強を教わっていて、数学と語学が得意。
成績はいつもクラスで3位以内。
さすが語学が得意と言うだけあって、
ルネは5回の日本語のセミナーで、
『ミドリ色の屋根』を歌い上げ、簡単な日本語の
会話をこなしていました。前回で紹介した記事の
「外国語をよく吸収する天性の才能がなければ、
ハートにうったえるうたい方はできないもの。」
が証明されていますね。
リーナ:家庭教師はギルマン先生。英語と算数が得意。
※ 『数学』と『算数』の違いは、年齢の違いから通訳
(または翻訳者)が区別したのでしょうね。
5 フランク・シナトラ氏との関わり
ル ネ;第3回東京音楽祭世界大会で、特別ゲストだった
シナトラ氏から賞を贈られ、氏の推薦でアメリカ
のショー・ビジネスの世界に招待された。
リーナ:ハリウッドでフランク・シナトラ、ルシル・
ポールとチャリティー・ショーを行った。
※シナトラ氏は新人発掘に力を注いでいたのでしょうか?
過去ログにも書いたとおり、セリーヌ・ディオンも氏と
デュエットしています。
『女学生の友 1974年9月号』の記事では、「日本を舞台にしたふたりのティーン歌手の勝負は、まだまだこれから。どちらがヤングのアイドルになれるか、それともふたりとも、日本のティーン歌手にやぶれるか、興味深い勝負なのです。」と締めくくられていました。ふたりとも歌唱力で日本のティーン歌手に負けることはありませんでしたし、本国や世界での活動に焦点を絞って、来日が無くなっていったので、『JOTOMO』の記事にあるような興味深い勝負は、実際には実現しなかったとも言えます。
しかし、『ルネ・シマール』と『リーナ・ザヴァローニ』。このふたりは、その後の人生において、はっきりと明暗が分かれてしまったのです。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ルネ・シマールとリーナ・ザヴァローニの記事は、『月刊明星 1974年9月号』にも掲載されていました。過去ログでこの記事を紹介した当時、左ページのルネの部分しか持っていなかったため、右ページが誰なのかわかりませんでした。しかし、前出の2誌を入手したことによって、ニーナのことを初めて知りました。ルネと比較される程の歌唱力をもった少女リーナについて、インターネットで調べてみて驚きました。それは、リーナがすでに亡くなっていることがわかったからです。
<リーナについてのデータ>
リーナ(レナ・ヒルダ)ザヴァローニLena Hilda Zavaroni
1963年11月4日 スコットランド・エジンバラ生まれの女性ポップシンガー。Zavaroniはイタリア移民だつた祖父のミドルネーム。音楽家の両親、父ヴィクターのギターと母ヒルダの歌で、彼女自身も2歳からギターを弾き、歌を歌っていた。1974年に『ママ 恋かしら "Ma He's Making Eyes At Me"』がヒットチャート米国で91位、英国で10位にランク・イン。10歳でイギリスのアルバムチャートのトップ10に入った史上最年少のアーティストとなった。同年、ハリウッドでフランク・シナトラ、ルシル・ポールとチャリティー・ショーも行っている。
しかし、13歳から症状が現れ始めた拒食症との長い闘病生活の末、1999年10月1日、肺炎により36歳で死去。
YouTubeにはリーナの映像がたくさんアップされていました。過去ログで紹介したものも含め、再度リンクしておきましたのでご覧ください。そして、天才少女と言われた歌唱力とともに、明るく弾けんばかりに元気でおしゃまな少女歌手リーナの歌を楽しんでいただきたいと思います。
でも、19歳のリーナは…。私はこの映像の紹介文を読まなかったら、20代後半の映像としか思えませんでした。ふんわりとしたドレスでカバーしているような、少女時代からでは想像もつかないほど華奢な身体は、若々しさが感じられません。そして、彼女は後に結婚もするのですが、亡くなる前の映像はあまりにも衝撃的過ぎて、私はブログで紹介することが出来ません。それは、異常なまでに痩せこけて、ミイラのように骨と皮だけになったリーナが、拒食症を紹介する番組で取材を受けているものでした。好んで食べているという和食。レストランで、辛うじて身が浮いているような味噌汁をスプーンで飲んでいるところや、拒食症撲滅のキャンペーンのためにヌードを公開しているところなど、初めは人違いだと思ったくらいです。同じイギリス出身の歌手、カーペンターズのカレンも拒食症で亡くなっていますが、少女リーナに何が起こってしまったのでしょう。
♪日本でもヒットしたリーナの出世曲"Ma He's Making Eyes At Me(ママ 恋かしら)"Lena Zavaroni Sings A Silly "Ma He's Making Eyes At Me"http://www.youtube.com/watch?v=SSnNbZnCIY4&feature=related
♪ルネが歌う”Maman laisse-moi sortir ce soir(ママ 今夜遊びに出かけてもいい)” の英語版(原曲)Lena Zavaroni Sings "Mama" on Tonight Showhttp://www.youtube.com/watch?v=J09IeN-ONbk&feature=related
♪Lena Zavaroni Sings "What a Wonderful World"
http://www.youtube.com/watch?v=cFcWA0lz0SU&feature=related
♪ミュージカル”Cats”より”Memory”を歌う19歳のリーナ
Lena Zavaroni sings Memory, 1982
http://www.youtube.com/watch?v=FcVP3b66Dxw&feature=related
そして、調べるうちにどんどん長くなってしまった記事は、友人やんばるQさんの予想どおり、「ルネとリーナ③」へと続くのでした…。前出の『月刊明星 1974年9月号』に掲載されていた記事もパート3で紹介いたします。
カナダの少年歌手ルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、日本にルネ旋風を巻き起こした頃、リーナもその歌唱力で世界から注目を集め、『ママ 恋かしら』を日本でヒットさせていました。
ローティーン時代のルネとリーナには、けっこう共通点がありますので、その中のいくつかを紹介したいと思います。
▲PASSION SIMARDより
1 デビューはテレビのコンテスト番組への出場が
きっかけ
ル ネ:ケベック市のアマチュア歌手のコンテストに
優勝した後、「テレ4」という人気テレビ
番組に出場し、15週勝ち抜いて優勝した。
リーナ:テレビの視聴者参加勝ち抜き番組へ出場し、
連続6回トップをとった。
2 2人を歌手としてスカウトし、プロデュースしたのは
有名なコンビ。
ル ネ:プロモーターのギー・クルティエと、自らも
アーティストだったルネ・アンジェリル。
リーナ:イギリスの有名なプロデューサー、トミー・
スコットと、ニール・リードの『ママに捧げる歌』
をヒットさせたフィリップ・ソロモン。
3 TVのレギュラー番組を持ち、歌だけでなく司会等も
務めていた。
4 長期のコンサート・ツアー等には家庭教師がついて
きて、学校に通えない分の勉強をしていた。
ル ネ:オフの日や長期休暇中も家庭教師の先生に
勉強を教わっていて、数学と語学が得意。
成績はいつもクラスで3位以内。
さすが語学が得意と言うだけあって、
ルネは5回の日本語のセミナーで、
『ミドリ色の屋根』を歌い上げ、簡単な日本語の
会話をこなしていました。前回で紹介した記事の
「外国語をよく吸収する天性の才能がなければ、
ハートにうったえるうたい方はできないもの。」
が証明されていますね。
リーナ:家庭教師はギルマン先生。英語と算数が得意。
※ 『数学』と『算数』の違いは、年齢の違いから通訳
(または翻訳者)が区別したのでしょうね。
5 フランク・シナトラ氏との関わり
ル ネ;第3回東京音楽祭世界大会で、特別ゲストだった
シナトラ氏から賞を贈られ、氏の推薦でアメリカ
のショー・ビジネスの世界に招待された。
リーナ:ハリウッドでフランク・シナトラ、ルシル・
ポールとチャリティー・ショーを行った。
※シナトラ氏は新人発掘に力を注いでいたのでしょうか?
過去ログにも書いたとおり、セリーヌ・ディオンも氏と
デュエットしています。
『女学生の友 1974年9月号』の記事では、「日本を舞台にしたふたりのティーン歌手の勝負は、まだまだこれから。どちらがヤングのアイドルになれるか、それともふたりとも、日本のティーン歌手にやぶれるか、興味深い勝負なのです。」と締めくくられていました。ふたりとも歌唱力で日本のティーン歌手に負けることはありませんでしたし、本国や世界での活動に焦点を絞って、来日が無くなっていったので、『JOTOMO』の記事にあるような興味深い勝負は、実際には実現しなかったとも言えます。
しかし、『ルネ・シマール』と『リーナ・ザヴァローニ』。このふたりは、その後の人生において、はっきりと明暗が分かれてしまったのです。
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ルネ・シマールとリーナ・ザヴァローニの記事は、『月刊明星 1974年9月号』にも掲載されていました。過去ログでこの記事を紹介した当時、左ページのルネの部分しか持っていなかったため、右ページが誰なのかわかりませんでした。しかし、前出の2誌を入手したことによって、ニーナのことを初めて知りました。ルネと比較される程の歌唱力をもった少女リーナについて、インターネットで調べてみて驚きました。それは、リーナがすでに亡くなっていることがわかったからです。
<リーナについてのデータ>
リーナ(レナ・ヒルダ)ザヴァローニLena Hilda Zavaroni
1963年11月4日 スコットランド・エジンバラ生まれの女性ポップシンガー。Zavaroniはイタリア移民だつた祖父のミドルネーム。音楽家の両親、父ヴィクターのギターと母ヒルダの歌で、彼女自身も2歳からギターを弾き、歌を歌っていた。1974年に『ママ 恋かしら "Ma He's Making Eyes At Me"』がヒットチャート米国で91位、英国で10位にランク・イン。10歳でイギリスのアルバムチャートのトップ10に入った史上最年少のアーティストとなった。同年、ハリウッドでフランク・シナトラ、ルシル・ポールとチャリティー・ショーも行っている。
しかし、13歳から症状が現れ始めた拒食症との長い闘病生活の末、1999年10月1日、肺炎により36歳で死去。
YouTubeにはリーナの映像がたくさんアップされていました。過去ログで紹介したものも含め、再度リンクしておきましたのでご覧ください。そして、天才少女と言われた歌唱力とともに、明るく弾けんばかりに元気でおしゃまな少女歌手リーナの歌を楽しんでいただきたいと思います。
でも、19歳のリーナは…。私はこの映像の紹介文を読まなかったら、20代後半の映像としか思えませんでした。ふんわりとしたドレスでカバーしているような、少女時代からでは想像もつかないほど華奢な身体は、若々しさが感じられません。そして、彼女は後に結婚もするのですが、亡くなる前の映像はあまりにも衝撃的過ぎて、私はブログで紹介することが出来ません。それは、異常なまでに痩せこけて、ミイラのように骨と皮だけになったリーナが、拒食症を紹介する番組で取材を受けているものでした。好んで食べているという和食。レストランで、辛うじて身が浮いているような味噌汁をスプーンで飲んでいるところや、拒食症撲滅のキャンペーンのためにヌードを公開しているところなど、初めは人違いだと思ったくらいです。同じイギリス出身の歌手、カーペンターズのカレンも拒食症で亡くなっていますが、少女リーナに何が起こってしまったのでしょう。
♪日本でもヒットしたリーナの出世曲"Ma He's Making Eyes At Me(ママ 恋かしら)"Lena Zavaroni Sings A Silly "Ma He's Making Eyes At Me"http://www.youtube.com/watch?v=SSnNbZnCIY4&feature=related
♪ルネが歌う”Maman laisse-moi sortir ce soir(ママ 今夜遊びに出かけてもいい)” の英語版(原曲)Lena Zavaroni Sings "Mama" on Tonight Showhttp://www.youtube.com/watch?v=J09IeN-ONbk&feature=related
♪Lena Zavaroni Sings "What a Wonderful World"
http://www.youtube.com/watch?v=cFcWA0lz0SU&feature=related
♪ミュージカル”Cats”より”Memory”を歌う19歳のリーナ
Lena Zavaroni sings Memory, 1982
http://www.youtube.com/watch?v=FcVP3b66Dxw&feature=related
そして、調べるうちにどんどん長くなってしまった記事は、友人やんばるQさんの予想どおり、「ルネとリーナ③」へと続くのでした…。前出の『月刊明星 1974年9月号』に掲載されていた記事もパート3で紹介いたします。