先日、念願の「聴覚障害」の講義を受けてきました。
実は、今回の記事を書こうと思った時から受けたかった講義でした。それは、ルネのふたりの子どもたちに聴覚障がいがあることを知ったからです。そして、ルネが父親として家族に接する様子やケベックで活動してきたことをブログ記事にすることによって、一人の人間としてのルネ・シマールを、日本のファンの方たちに知っていただきたいと思ったからなのです。 しかし、それについて書かれたカナダ、ケベックの聴覚障害支援団体”ADSMQ”の記事で、ルネとその子どもたちについての詳しいことは分かっても、記事として書くには「聴覚障がい」や「人工内耳」などについての知識が不十分だったため、ずっと温めてきたテーマでした。温めてきた…と書きましたが、本当のところは、ルネとマリー=ジョゼが、『親として子どもたちの療育のためにどんなことを行ったのか。』、『人工内耳とはどんなものなのか。』をどうしても知りたかったし、それ以前に(今もそうですが)、私の欲しい情報がなかなか得られませんでした。そのため、情報不足で思うような記事が書けなかったのです。
現在、日本では新生児聴覚スクリーニング検査(産科で生後3~4日に行う)によって、0歳児で聴覚障がいの有無が分かります。ただしこの検査は、聞こえているかどうかを調べるものなので、聴覚障がいが認められた場合、精密検査によってどの位の聴力があるかを調べます。そして、聴力のレベルによって0歳児から補聴器を装着し、1歳から聾学校の教育相談を受けていきます。また、日本では1歳6か月から「人工内耳」の手術を受けることができるようになりました(2年前までは3歳から)。しかし、カナダを含む欧米に比べてまだ遅れているようです。聴覚障がいの特別支援学校小学部在籍児童の内、人工内耳の手術を受けている児童は3割というところまで普及してきているそうですが、手術後行う医療機関のケアが不十分だったり、医療機関と教育機関との連携がうまくいっていなかったりで、せっかく体内コイルと電極を埋め込んでも、体外コイルとマイク及びスピーチプロセッサーを取り外してしまっている人も少なくないそうです。講義の内容はここで詳しく取り上げる必要はありませんが、記事の内容で補足が必要な場合は説明を入れていきたいと思います。
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さて、本題の「ルネの子どもたち」について、ケベックの聴覚障害支援団体”ADSMQ”の「Rene Smard」の記事を織り交ぜて紹介いたします。
ルネの妻マリー=ジョゼを中心に、ルネやふたりの身近な人たちが語った「ルネの子どもたち」と、ふたりの子育てについて特集したTV番組を、カナダのファン、エリーズさんがアップされています。人工内耳の手術を受けた子どもたちの様子や成長した子どもたちのインタビューなどもご覧いただけます。
※”Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie”
http://www.dailymotion.com/video/xbvbqj_biographie-de-marie-josee-taillefer_news
※ADSMQの記事の原文はこちらでご覧ください。
http://www.adsmq.org/simard.htm
http://www.adsmq.org/
▲ルネとマリー=ジョゼ(”ADSMQ”より転載)
ルネ・シマールとマリー=ジョゼ・テユフェの子どもたち、オリヴィエとロザリーは聴覚障がいをもって生まれました。
このことについては、ご存知の方も少なくないと思います。そして、ルネがこの事実を初めて公表したのは、ルネが「あの人は今」系の日本のTV番組に出演した時だったそうです。ケベックの人たちは、そのテレビ番組の内容を通じて、ルネの子どもたちの障がいについて知ることになったということです。それについては、先日お伺いしたブログの管理人さんの記事で知りました。
※注:ここで私が「障害」ではなく「障がい」と書いているのは(「障碍」とも書きます)、現在の特別支援教育の考え方を踏まえているからです。
ルネの最初の子、オリヴィエは、1989年7月8日に生まれました。そしてその2年後の1991年7月14日に娘ロザリーが生まれました。オリヴィエが生後3ヶ月の時、泣いているオリヴィエにルネがいくら声をかけても泣きやまず、抱き上げて顔を見てあやすと泣きやんだことから、ルネはオリヴィエの聴覚障がいに気付いたそうです。そして、きちんとした病院の診断が出た時、オリヴィエは生後11カ月になっていました。ロザリーは新生児聴力検査で早期発見ができました。そのことから、ルネはTVでこの検査の重要性を語っています。
ルネは聴覚障がいについて学び、マリー=ジョゼも一緒に手話を習得して子どもたちに教えました。しかし、カナダのフランス語の手話ASLは、日本で使われている手話と同様、世界共通の手話ではありません。それはルネにとってショックだったようです。しかし、ルネは手話のことを「美しい言葉」と表現しています。そして、「私の耳はとても敏感で、それによって生計を立てています。子どもたちは、他のものを観察する中で多くのことを学びます。私たちは手話によって視覚的に通信し、それは彼らからの贈り物なのです。」とも語っています。
人工内耳(インプラント)
外側の部分と内側の部分で構成された特別な補聴器で、左図は内側の部分と、耳に架けたマイクと体外コイルを示しています。内側の部分は蝸牛(内耳)の内部に電極、頭蓋骨内部に体内コイルが埋め込まれています。ちなみに、この図にはスピーチプロセッサーは描かれていません。
コミュニケーションを通した言語習得と自立のために、ふたりの子供たちが人工内耳の手術を受けたのは、息子オリヴィエが5歳、娘ロザリーが4歳の時でした。この時、ルネとマリー=ジョゼは、子どもたちのリハビリのために、それぞれに交替で3か月付き添いました。
人工内耳は手術すればすぐに健聴者と同じように聞こえる訳ではありません。人工内耳(インプラント)は、内耳の蝸牛(蝸牛:かたつむり管)に埋め込んだ電極によって音の振動を電気信号に変え、脳に伝えるしくみなのですが、その調整を医療機関で行い、言葉を聴き取る訓練をしなければなりません。私のした疑似体験でも、「聞こえる」のと「聴き取れる」のとは違うことが分かりました。聾者も難聴者も中途失聴者も、音の存在は分かっても、聴力レベルによって、それが何の音なのか、何と言っているのかを聴き取ることができないのです。音声言語(話言葉)を習得する前に失聴した場合、言葉や発音を教えることは大変困難です。日本の聾学校幼稚部では、家で描いてきた絵日記のことを話させ、そのことについて他の子に意見を言わせたりする中でコミュニケーションの力を身につけさせます。さらに口声模倣によって正しい発音や声の大きさ、イントネーションを繰り返し行わせながら言語獲得(自然法)させていくのです。ルネのデビュー25周年記念誌のオリヴィエとロザリーのいる学校は、多分聾学校の幼稚部でしょう。(人工内耳の手術によって、小学校からは通常の公立か私立の学校に通ったようです。)家庭でもコミュニケーション(手話、筆談を含む)を通しての言語獲得のために、ルネもマリー=ジョゼも計り知れない苦労と努力をしたに違いありません。
それから、オリヴィエとロザリーの失聴原因は感音難聴の遺伝に分類されるようです。それは、ルネとマリー=ジョゼがいとこのいとこだということが関係しているとも書かれています。でも、そんなことは関係なく、子どもたちの人工内耳の手術は成功し、両親の愛情と本人たちの努力によって明るく育ちました。ふたりは音を聴くのが大好きで、バッテリーが切れるとすぐに取り換えている程です。
障がいの有無にかかわらず、子どもが学校で必ず体験するのは悪口やいじめです。ルネは、娘ロザリーが学校で「 Bonjour madame la sourde おはよう、つんぼさん。」とからかわれたことを聞いた時、「あなたの愚かな言葉が聴こえなくてよかったわ。」と言ってやればよかったんだよと助言したとか!
▲オリヴィエ(向かって一番左)
▲ロザリー(向かって左から3番目)先生が手話をしていますね
ルネは自分の子どもたちの問題だけにとどまらず、人工内耳が聴覚障害にとって有効だと分かると、少しでも多くの人が人工内耳の手術を早く受けられるようにケベック州政府働きかけたことで、政府が予算を増やしたり、人工内耳の手術の待機期間が2年から3~6カ月に短縮したりしたようです。学校についても、通訳や言語療法士の不足や手話の重要性等を説き、聴覚障がい児に対するサービスの充実のために尽力しました。
さて、現在のオリヴィエとロザリーは何を目指しているのでしょう。この記事が書かれた2003年当時、ふたりともスポーツが好きで、オリヴィエはスピードスケート、ロザリーはトランポリンに夢中。オリヴィエは航空エンジニアになることを望み、ロザリーはダンスを習って母マリー=ジョゼとともにTVのダンス番組に出場したりしていました。また、数年前のインタビュー記事では、オリヴィエは高校を卒業して職業学校に入学し、工業電気技術の勉強をしていました。ロザリーは高校生で、絵を描くのが好きなので、卒業後は兄と同じく職業学校でアートの勉強をすることを望んでいるようでした。装飾か衣装関係の仕事をしたいのだろうと言っていました。きっとルネがプロデュースした「エルビス・ストーリー」などの仕事を見ていたからなのでしょう。
ルネは現在、歌手よりもプロデューサーや司会の仕事が多くなっていますが、才能と実力を認められて起用で、充実した仕事をしています。マリー=ジョゼも同様で、ふたりとも仕事と両立し、家族との生活をとても大切にしています。だからこんな素敵な笑顔ができるのですね!
そして最後に、日本の特別支援教育の歴史を調べると「この子らを世の光に」という言葉が出てきます。「この子らに世の光を」ではありません。ルネの子どもたちは、あの笑顔と彼らの頑張りで、同じ障がいを持つ人たちだけでなく、彼らを取り巻くケベックの人たちに希望と勇気を与えているのだと思います。また、ルネとマリー=ジョゼも、チャリティーやボランティア活動によって今でも聴覚障がい者の支援を行っています。
※マリー=ジョゼとロザリーのダンス映像
”Marie-Josée et Rosalie dansent 3”
http://www.dailymotion.com/video/x32d7s_marie-josee-et-rosalie-dansent-3_news
こちらは先日カナダで行われた「国際難聴者会議」のレポートと聴覚障がい児教育について書かれた記事です。参考にしてください。
※国際難聴者会議カナダ大会に参加しました♪
レポート:メインストリーム協会聴覚障害部門・春山
http://www.cilmsa.com/canadamimi.html
※「耳よりな話、西から東から」より
「聴覚障害のバイリンガル・キッズのお話」
http://blog.goo.ne.jp/6331miemama/e/92cd06d2bd18665aeec189a0fc901cea
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まじめな内容の後に失礼いたします。
行ったつもりシリーズ(?)第2弾
「カナダ旅行 行ったつもりで ケベック牛」(笑)
先週の日曜日、COCO'Sの100%ビーフ・ハンバーグにはまっている息子を連れて行ってみたら、有ったんですっ! カナダ・ケベック・ビーフのサーロイン・ステーキがっ!! 前回先送りして失敗しているため、今回は迷わずオーダーしました。数量限定なので要注意です★
ケベック牛の肉質は柔らかくジューシーで、豊かな自然の中で育ったためか、和牛に比べて後味がさっぱりしている感じがします。牛の肥育方法にも違いがあるのでしょうが、今まで食べた中で一番近いのは、新婚旅行で行ったケベックシティーのレストランで食べたビーフ・ステーキかしら? 同じカナダ牛でもカルガリーで食べたアルバータ牛はさらにさっぱりで、その上ミディアムレアと注文したのに、かなりしっかり焼かれていて不満が残りました。やはり仏系のケベックの方が美味しい物好きですね。
シマ姉家のグリーンカーテンですが、キュウリが程良く実り、朝顔も毎日10前後の花を咲かせて楽しませてくれています。強制退去?…と過去ログで書いた蜂の巣は、このとおり蜂の数が増えて増築中★ アマガエルにカマキリ、ショウリョウバッタなど、周りに草木がたくさんあるのに来てくれる生き物もいて、今から来年の計画を立てている次第です。
さて、来週は「第1回オフ会」報告です♪
実は、今回の記事を書こうと思った時から受けたかった講義でした。それは、ルネのふたりの子どもたちに聴覚障がいがあることを知ったからです。そして、ルネが父親として家族に接する様子やケベックで活動してきたことをブログ記事にすることによって、一人の人間としてのルネ・シマールを、日本のファンの方たちに知っていただきたいと思ったからなのです。 しかし、それについて書かれたカナダ、ケベックの聴覚障害支援団体”ADSMQ”の記事で、ルネとその子どもたちについての詳しいことは分かっても、記事として書くには「聴覚障がい」や「人工内耳」などについての知識が不十分だったため、ずっと温めてきたテーマでした。温めてきた…と書きましたが、本当のところは、ルネとマリー=ジョゼが、『親として子どもたちの療育のためにどんなことを行ったのか。』、『人工内耳とはどんなものなのか。』をどうしても知りたかったし、それ以前に(今もそうですが)、私の欲しい情報がなかなか得られませんでした。そのため、情報不足で思うような記事が書けなかったのです。
現在、日本では新生児聴覚スクリーニング検査(産科で生後3~4日に行う)によって、0歳児で聴覚障がいの有無が分かります。ただしこの検査は、聞こえているかどうかを調べるものなので、聴覚障がいが認められた場合、精密検査によってどの位の聴力があるかを調べます。そして、聴力のレベルによって0歳児から補聴器を装着し、1歳から聾学校の教育相談を受けていきます。また、日本では1歳6か月から「人工内耳」の手術を受けることができるようになりました(2年前までは3歳から)。しかし、カナダを含む欧米に比べてまだ遅れているようです。聴覚障がいの特別支援学校小学部在籍児童の内、人工内耳の手術を受けている児童は3割というところまで普及してきているそうですが、手術後行う医療機関のケアが不十分だったり、医療機関と教育機関との連携がうまくいっていなかったりで、せっかく体内コイルと電極を埋め込んでも、体外コイルとマイク及びスピーチプロセッサーを取り外してしまっている人も少なくないそうです。講義の内容はここで詳しく取り上げる必要はありませんが、記事の内容で補足が必要な場合は説明を入れていきたいと思います。
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さて、本題の「ルネの子どもたち」について、ケベックの聴覚障害支援団体”ADSMQ”の「Rene Smard」の記事を織り交ぜて紹介いたします。
ルネの妻マリー=ジョゼを中心に、ルネやふたりの身近な人たちが語った「ルネの子どもたち」と、ふたりの子育てについて特集したTV番組を、カナダのファン、エリーズさんがアップされています。人工内耳の手術を受けた子どもたちの様子や成長した子どもたちのインタビューなどもご覧いただけます。
※”Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie”
http://www.dailymotion.com/video/xbvbqj_biographie-de-marie-josee-taillefer_news
※ADSMQの記事の原文はこちらでご覧ください。
http://www.adsmq.org/simard.htm
http://www.adsmq.org/
▲ルネとマリー=ジョゼ(”ADSMQ”より転載)
ルネ・シマールとマリー=ジョゼ・テユフェの子どもたち、オリヴィエとロザリーは聴覚障がいをもって生まれました。
このことについては、ご存知の方も少なくないと思います。そして、ルネがこの事実を初めて公表したのは、ルネが「あの人は今」系の日本のTV番組に出演した時だったそうです。ケベックの人たちは、そのテレビ番組の内容を通じて、ルネの子どもたちの障がいについて知ることになったということです。それについては、先日お伺いしたブログの管理人さんの記事で知りました。
※注:ここで私が「障害」ではなく「障がい」と書いているのは(「障碍」とも書きます)、現在の特別支援教育の考え方を踏まえているからです。
ルネの最初の子、オリヴィエは、1989年7月8日に生まれました。そしてその2年後の1991年7月14日に娘ロザリーが生まれました。オリヴィエが生後3ヶ月の時、泣いているオリヴィエにルネがいくら声をかけても泣きやまず、抱き上げて顔を見てあやすと泣きやんだことから、ルネはオリヴィエの聴覚障がいに気付いたそうです。そして、きちんとした病院の診断が出た時、オリヴィエは生後11カ月になっていました。ロザリーは新生児聴力検査で早期発見ができました。そのことから、ルネはTVでこの検査の重要性を語っています。
ルネは聴覚障がいについて学び、マリー=ジョゼも一緒に手話を習得して子どもたちに教えました。しかし、カナダのフランス語の手話ASLは、日本で使われている手話と同様、世界共通の手話ではありません。それはルネにとってショックだったようです。しかし、ルネは手話のことを「美しい言葉」と表現しています。そして、「私の耳はとても敏感で、それによって生計を立てています。子どもたちは、他のものを観察する中で多くのことを学びます。私たちは手話によって視覚的に通信し、それは彼らからの贈り物なのです。」とも語っています。
人工内耳(インプラント)
外側の部分と内側の部分で構成された特別な補聴器で、左図は内側の部分と、耳に架けたマイクと体外コイルを示しています。内側の部分は蝸牛(内耳)の内部に電極、頭蓋骨内部に体内コイルが埋め込まれています。ちなみに、この図にはスピーチプロセッサーは描かれていません。
コミュニケーションを通した言語習得と自立のために、ふたりの子供たちが人工内耳の手術を受けたのは、息子オリヴィエが5歳、娘ロザリーが4歳の時でした。この時、ルネとマリー=ジョゼは、子どもたちのリハビリのために、それぞれに交替で3か月付き添いました。
人工内耳は手術すればすぐに健聴者と同じように聞こえる訳ではありません。人工内耳(インプラント)は、内耳の蝸牛(蝸牛:かたつむり管)に埋め込んだ電極によって音の振動を電気信号に変え、脳に伝えるしくみなのですが、その調整を医療機関で行い、言葉を聴き取る訓練をしなければなりません。私のした疑似体験でも、「聞こえる」のと「聴き取れる」のとは違うことが分かりました。聾者も難聴者も中途失聴者も、音の存在は分かっても、聴力レベルによって、それが何の音なのか、何と言っているのかを聴き取ることができないのです。音声言語(話言葉)を習得する前に失聴した場合、言葉や発音を教えることは大変困難です。日本の聾学校幼稚部では、家で描いてきた絵日記のことを話させ、そのことについて他の子に意見を言わせたりする中でコミュニケーションの力を身につけさせます。さらに口声模倣によって正しい発音や声の大きさ、イントネーションを繰り返し行わせながら言語獲得(自然法)させていくのです。ルネのデビュー25周年記念誌のオリヴィエとロザリーのいる学校は、多分聾学校の幼稚部でしょう。(人工内耳の手術によって、小学校からは通常の公立か私立の学校に通ったようです。)家庭でもコミュニケーション(手話、筆談を含む)を通しての言語獲得のために、ルネもマリー=ジョゼも計り知れない苦労と努力をしたに違いありません。
それから、オリヴィエとロザリーの失聴原因は感音難聴の遺伝に分類されるようです。それは、ルネとマリー=ジョゼがいとこのいとこだということが関係しているとも書かれています。でも、そんなことは関係なく、子どもたちの人工内耳の手術は成功し、両親の愛情と本人たちの努力によって明るく育ちました。ふたりは音を聴くのが大好きで、バッテリーが切れるとすぐに取り換えている程です。
障がいの有無にかかわらず、子どもが学校で必ず体験するのは悪口やいじめです。ルネは、娘ロザリーが学校で「 Bonjour madame la sourde おはよう、つんぼさん。」とからかわれたことを聞いた時、「あなたの愚かな言葉が聴こえなくてよかったわ。」と言ってやればよかったんだよと助言したとか!
▲オリヴィエ(向かって一番左)
▲ロザリー(向かって左から3番目)先生が手話をしていますね
ルネは自分の子どもたちの問題だけにとどまらず、人工内耳が聴覚障害にとって有効だと分かると、少しでも多くの人が人工内耳の手術を早く受けられるようにケベック州政府働きかけたことで、政府が予算を増やしたり、人工内耳の手術の待機期間が2年から3~6カ月に短縮したりしたようです。学校についても、通訳や言語療法士の不足や手話の重要性等を説き、聴覚障がい児に対するサービスの充実のために尽力しました。
さて、現在のオリヴィエとロザリーは何を目指しているのでしょう。この記事が書かれた2003年当時、ふたりともスポーツが好きで、オリヴィエはスピードスケート、ロザリーはトランポリンに夢中。オリヴィエは航空エンジニアになることを望み、ロザリーはダンスを習って母マリー=ジョゼとともにTVのダンス番組に出場したりしていました。また、数年前のインタビュー記事では、オリヴィエは高校を卒業して職業学校に入学し、工業電気技術の勉強をしていました。ロザリーは高校生で、絵を描くのが好きなので、卒業後は兄と同じく職業学校でアートの勉強をすることを望んでいるようでした。装飾か衣装関係の仕事をしたいのだろうと言っていました。きっとルネがプロデュースした「エルビス・ストーリー」などの仕事を見ていたからなのでしょう。
ルネは現在、歌手よりもプロデューサーや司会の仕事が多くなっていますが、才能と実力を認められて起用で、充実した仕事をしています。マリー=ジョゼも同様で、ふたりとも仕事と両立し、家族との生活をとても大切にしています。だからこんな素敵な笑顔ができるのですね!
そして最後に、日本の特別支援教育の歴史を調べると「この子らを世の光に」という言葉が出てきます。「この子らに世の光を」ではありません。ルネの子どもたちは、あの笑顔と彼らの頑張りで、同じ障がいを持つ人たちだけでなく、彼らを取り巻くケベックの人たちに希望と勇気を与えているのだと思います。また、ルネとマリー=ジョゼも、チャリティーやボランティア活動によって今でも聴覚障がい者の支援を行っています。
※マリー=ジョゼとロザリーのダンス映像
”Marie-Josée et Rosalie dansent 3”
http://www.dailymotion.com/video/x32d7s_marie-josee-et-rosalie-dansent-3_news
こちらは先日カナダで行われた「国際難聴者会議」のレポートと聴覚障がい児教育について書かれた記事です。参考にしてください。
※国際難聴者会議カナダ大会に参加しました♪
レポート:メインストリーム協会聴覚障害部門・春山
http://www.cilmsa.com/canadamimi.html
※「耳よりな話、西から東から」より
「聴覚障害のバイリンガル・キッズのお話」
http://blog.goo.ne.jp/6331miemama/e/92cd06d2bd18665aeec189a0fc901cea
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
まじめな内容の後に失礼いたします。
行ったつもりシリーズ(?)第2弾
「カナダ旅行 行ったつもりで ケベック牛」(笑)
先週の日曜日、COCO'Sの100%ビーフ・ハンバーグにはまっている息子を連れて行ってみたら、有ったんですっ! カナダ・ケベック・ビーフのサーロイン・ステーキがっ!! 前回先送りして失敗しているため、今回は迷わずオーダーしました。数量限定なので要注意です★
ケベック牛の肉質は柔らかくジューシーで、豊かな自然の中で育ったためか、和牛に比べて後味がさっぱりしている感じがします。牛の肥育方法にも違いがあるのでしょうが、今まで食べた中で一番近いのは、新婚旅行で行ったケベックシティーのレストランで食べたビーフ・ステーキかしら? 同じカナダ牛でもカルガリーで食べたアルバータ牛はさらにさっぱりで、その上ミディアムレアと注文したのに、かなりしっかり焼かれていて不満が残りました。やはり仏系のケベックの方が美味しい物好きですね。
シマ姉家のグリーンカーテンですが、キュウリが程良く実り、朝顔も毎日10前後の花を咲かせて楽しませてくれています。強制退去?…と過去ログで書いた蜂の巣は、このとおり蜂の数が増えて増築中★ アマガエルにカマキリ、ショウリョウバッタなど、周りに草木がたくさんあるのに来てくれる生き物もいて、今から来年の計画を立てている次第です。
さて、来週は「第1回オフ会」報告です♪