ここ2週間ほど、出張やら講習やら人間ドックやらで土日も無く飛び回り、平日も職場に寄り付かない状態★ 職場では秋のイベントで使うスローガンの大弾幕を任されて、7月に入ってから製作の準備を進めてきたのですが、8月から大規模な工事(余震での破損箇所)が入るため、急ピッチで進めて1日に完成させました。それから、聴覚障碍(ルネの2人の子供たちは人工内耳の手術を受けています)についての講義も受けてまいりましたよ。来週も月・火と出張ですが、今週末はちょっとだけゆっくりできそうです。でも、普段さぼっている掃除や片づけを、お盆に向けて頑張らねば…。
さて今回から連続で、1974年当時の記事を、出来るだけルネの来日の日程に合わせて紹介していきます。
今回の記事は『週刊明星』に掲載されたものです。ルネの第3回東京音楽祭でのグランプリ及びフランク・シナトラ賞受賞を受けての記事です。ルネ・ファンにとってはよく知っている内容ですが、雑誌によって取り上げ方が違うので、読み比べると面白いですよ(過去ログ参照)。
余談です。いつから現在の文字の大きさになったのか忘れましたが、この当時の新聞や雑誌の文字は、現在と比べて小さい!! ティーン向けの雑誌『月刊明星』や『週刊セブンティーン』はさほど気にならないのですが、この雑誌の文字は特に小さくて、老眼の目には少々辛い…(爆★) そのためたった2頁でも結構な文章量がありました。
これから紹介していく長い記事は、1つの記事を2~3回に分けてアップする予定です。読む側からすれば一気に読みたいと思いますが、楽しみにお待ちくださいね♪
"13才の天使"は素敵ないたずらっ子
東京音楽祭グランプリ
ルネの人気が大爆発
スター誕生
わが世の春をうたっていた日本の"ジャリタレ"に、ものすごいライバルがあらわれた。第3回東京音楽祭でグランプリに輝いたカナダのルネ君(13)。ファンクラブの入会者が4日間で4千人。受賞曲の『ミドリ色の屋根』はプレスが注文にどうしても追いつかない。
ルネ坊やのグランプリは、コンクールが始まる前から決まっていたようなものだ。なにしろリハーサルのときから、彼が歌い始めると、会場がシーンと静まり返って、その天使の声に耳を傾け、つづいてスタッフもほかの出場者たちも、惜しみなく拍手を送ったものだ。
受賞曲の『ミドリ色の屋根』を作曲した村井邦彦氏もこういう。
「ぼくも、コンクールが始まる前から、賞をとったときの"喜びのことば"を用意しておいたよ。彼の歌を初めて聞いたときは、あの美しいボーイソプラノといい、ストレートな、ごまかしのない歌唱法といい、森山良子を初めて聞いたときと比べても、数十倍の感動だった。ぼくの曲にとって最高の表現者ですよ。」
おまけに、女のコちゃんかと思うような、あの愛くるしさ。グランプリのほかにシナトラ賞も獲得したルネ君に、賞品の時計(250万円)を贈るとき、シナトラおじさんがルネ君を抱擁しながらこう言ったのもむりはない。
「みんなよかったけど、キミはとくによかったよ。いつまでも今のままでいておくれ。育つんじゃないよ。」
※
ルネは、1961年2月28日、カナダのケベックで生まれた。ルネ・シマールの本名からもわかるように、むろんフランス系。父のジャン・ロック・シマールさん(43)は、コックだったが、病気のため一家は生活保護所帯に転落。10才のルネも、近所の酒場を回って歌をうたい、生計を助けていた。
だが、それは長いことではなかった。ある日ルネが、近所の教会で行われた結婚式で、聖歌隊の一員として讃美歌をうたったところ、式が終わるや否や、おムコさんが花嫁をほったらかしにして聖歌隊の席にとんで来た。これがルネの今のマネージャーであるギィー・クルティーエさん。
クルティーエさんのマネージメントによりその年のうちに発売されたルネのファーストレコード『鳥』のヒットで、ルネはたちまちケベック州《フランス系移民の多いケベック州は、カナダの中でも“国の中の国”みたいな観を呈している。》随一のアイドルになった。
(以下、次回「ルネの人気が大爆発②」に続く)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
シマ姉のグリーン・ライフ
職場のアマガエル無事カエル(一時帰宅? 笑)
▲携帯で撮影したので画像が小さいし、ピンボケですが…
(撮影日:8月1日)
職場のアマガエルが屋外に出した鉢植えに戻っていました。
忙しくて手入れを怠っていたので、久しぶりに枯れた葉や咲き終わった花を取り除いていたら、すっかりスリム(標準体型 笑)になってゼラニウムの葉蔭に! 嬉しくて「お帰り、カエル~っ!!」とあいさつした後、写真を撮りまくったため、「うざい★」とばかりに移動。ちょっと目を離したすきにまた旅に…。でも、カエルが戻っていた話をしている最中に、庭で「ケッケッケッケッ」と鳴いていました。写真を撮られるのは嫌でも、冬越しした安全な場所として覚えてくれているのでしょうか? 晩秋にまた戻って来てくれるのをしっかり期待しているシマ姉です。
シマ姉のグリーンカーテン
こちらも忙しくてゆっくり見ている余裕がなく、ふと見ると、プチトマトとキュウリにカメムシが大量発生★ 人工授粉をしていないので、小玉スイカはいまだ結実せず★ 元気なのはアサガオばかり…。
職場のパッションフルーツは鈴生りですが、予定した日に実が熟しておらず、ムース作りは延期。当の同僚が帰省中のため次の予定は未定。現在完熟しているものはそのまま頂くつもりです。
大豊作の枇杷で作ったもの
①大量のコンポート
②ビワの種酒(ストレート2瓶 砂糖入り1瓶)
③ビワの種クリーム(長時間煮出して更に煮詰める)
④ビワの種皮茶(種酒を作る時むいた皮をレンジで乾燥)
⑤ビワのゼリー寄せ
⑥ビワの種杏仁豆腐
余裕があれば、ビワの皮で草木染めをするのも良さそうです。ビワの種酒は材料が販売されているようですが、熟成には1年かかります。偶然の産物のビワの種クリームは、入浴後に顔に塗っていたりします。初めしっとり後サラサラでいい感じです。杏仁豆腐はお勧め! 3~5粒あれば、500~600cc程度の牛乳プリンが本格的な杏仁豆腐に早変わり♡ ネットにたくさんレシピが出ていますので、ビワを食べた後の種は捨てずに杏仁豆腐を作りましょう♪
今年が豊作なので来年はあまり生らないでしょうから、ビワの葉を煮出したお茶と今年作ったビワの種酒で乗り切りたいと思います。
♪追記♪
アップしてから気づきました。今回の記事で555記事 次は手堅く567記事を目指します。予定では10月27日に達成予定。週末1記事を貫いて頑張ります!!
さて今回から連続で、1974年当時の記事を、出来るだけルネの来日の日程に合わせて紹介していきます。
今回の記事は『週刊明星』に掲載されたものです。ルネの第3回東京音楽祭でのグランプリ及びフランク・シナトラ賞受賞を受けての記事です。ルネ・ファンにとってはよく知っている内容ですが、雑誌によって取り上げ方が違うので、読み比べると面白いですよ(過去ログ参照)。
余談です。いつから現在の文字の大きさになったのか忘れましたが、この当時の新聞や雑誌の文字は、現在と比べて小さい!! ティーン向けの雑誌『月刊明星』や『週刊セブンティーン』はさほど気にならないのですが、この雑誌の文字は特に小さくて、老眼の目には少々辛い…(爆★) そのためたった2頁でも結構な文章量がありました。
これから紹介していく長い記事は、1つの記事を2~3回に分けてアップする予定です。読む側からすれば一気に読みたいと思いますが、楽しみにお待ちくださいね♪
"13才の天使"は素敵ないたずらっ子
東京音楽祭グランプリ
ルネの人気が大爆発
スター誕生
わが世の春をうたっていた日本の"ジャリタレ"に、ものすごいライバルがあらわれた。第3回東京音楽祭でグランプリに輝いたカナダのルネ君(13)。ファンクラブの入会者が4日間で4千人。受賞曲の『ミドリ色の屋根』はプレスが注文にどうしても追いつかない。
ルネ坊やのグランプリは、コンクールが始まる前から決まっていたようなものだ。なにしろリハーサルのときから、彼が歌い始めると、会場がシーンと静まり返って、その天使の声に耳を傾け、つづいてスタッフもほかの出場者たちも、惜しみなく拍手を送ったものだ。
受賞曲の『ミドリ色の屋根』を作曲した村井邦彦氏もこういう。
「ぼくも、コンクールが始まる前から、賞をとったときの"喜びのことば"を用意しておいたよ。彼の歌を初めて聞いたときは、あの美しいボーイソプラノといい、ストレートな、ごまかしのない歌唱法といい、森山良子を初めて聞いたときと比べても、数十倍の感動だった。ぼくの曲にとって最高の表現者ですよ。」
おまけに、女のコちゃんかと思うような、あの愛くるしさ。グランプリのほかにシナトラ賞も獲得したルネ君に、賞品の時計(250万円)を贈るとき、シナトラおじさんがルネ君を抱擁しながらこう言ったのもむりはない。
「みんなよかったけど、キミはとくによかったよ。いつまでも今のままでいておくれ。育つんじゃないよ。」
※
ルネは、1961年2月28日、カナダのケベックで生まれた。ルネ・シマールの本名からもわかるように、むろんフランス系。父のジャン・ロック・シマールさん(43)は、コックだったが、病気のため一家は生活保護所帯に転落。10才のルネも、近所の酒場を回って歌をうたい、生計を助けていた。
だが、それは長いことではなかった。ある日ルネが、近所の教会で行われた結婚式で、聖歌隊の一員として讃美歌をうたったところ、式が終わるや否や、おムコさんが花嫁をほったらかしにして聖歌隊の席にとんで来た。これがルネの今のマネージャーであるギィー・クルティーエさん。
クルティーエさんのマネージメントによりその年のうちに発売されたルネのファーストレコード『鳥』のヒットで、ルネはたちまちケベック州《フランス系移民の多いケベック州は、カナダの中でも“国の中の国”みたいな観を呈している。》随一のアイドルになった。
(以下、次回「ルネの人気が大爆発②」に続く)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
シマ姉のグリーン・ライフ
職場のアマガエル無事カエル(一時帰宅? 笑)
▲携帯で撮影したので画像が小さいし、ピンボケですが…
(撮影日:8月1日)
職場のアマガエルが屋外に出した鉢植えに戻っていました。
忙しくて手入れを怠っていたので、久しぶりに枯れた葉や咲き終わった花を取り除いていたら、すっかりスリム(標準体型 笑)になってゼラニウムの葉蔭に! 嬉しくて「お帰り、カエル~っ!!」とあいさつした後、写真を撮りまくったため、「うざい★」とばかりに移動。ちょっと目を離したすきにまた旅に…。でも、カエルが戻っていた話をしている最中に、庭で「ケッケッケッケッ」と鳴いていました。写真を撮られるのは嫌でも、冬越しした安全な場所として覚えてくれているのでしょうか? 晩秋にまた戻って来てくれるのをしっかり期待しているシマ姉です。
シマ姉のグリーンカーテン
こちらも忙しくてゆっくり見ている余裕がなく、ふと見ると、プチトマトとキュウリにカメムシが大量発生★ 人工授粉をしていないので、小玉スイカはいまだ結実せず★ 元気なのはアサガオばかり…。
職場のパッションフルーツは鈴生りですが、予定した日に実が熟しておらず、ムース作りは延期。当の同僚が帰省中のため次の予定は未定。現在完熟しているものはそのまま頂くつもりです。
大豊作の枇杷で作ったもの
①大量のコンポート
②ビワの種酒(ストレート2瓶 砂糖入り1瓶)
③ビワの種クリーム(長時間煮出して更に煮詰める)
④ビワの種皮茶(種酒を作る時むいた皮をレンジで乾燥)
⑤ビワのゼリー寄せ
⑥ビワの種杏仁豆腐
余裕があれば、ビワの皮で草木染めをするのも良さそうです。ビワの種酒は材料が販売されているようですが、熟成には1年かかります。偶然の産物のビワの種クリームは、入浴後に顔に塗っていたりします。初めしっとり後サラサラでいい感じです。杏仁豆腐はお勧め! 3~5粒あれば、500~600cc程度の牛乳プリンが本格的な杏仁豆腐に早変わり♡ ネットにたくさんレシピが出ていますので、ビワを食べた後の種は捨てずに杏仁豆腐を作りましょう♪
今年が豊作なので来年はあまり生らないでしょうから、ビワの葉を煮出したお茶と今年作ったビワの種酒で乗り切りたいと思います。
♪追記♪
アップしてから気づきました。今回の記事で555記事 次は手堅く567記事を目指します。予定では10月27日に達成予定。週末1記事を貫いて頑張ります!!