今から40年前の1974年8月22日から9月20日の30日間、カナダのスーパーアイドルだったルネ・シマールは、日本のファン待望の2回目の来日を果たしました。
今回は、「TVfan10月18日号」に掲載された、ルネと西城秀樹氏の記事を紹介いたします。この記事は、昨年9月22日に予告していたものです。
1974年9月20日(日)、2回目の来日最終日、ルネと西城秀樹氏は東京プリンスホテルで対面しました。この対面は、ルネが「傷だらけのローラ」を熱唱する西城氏に感動し、ルネの当時のマネージャーだったクルティエ氏のノーベル・レコードから、西城氏をカナダで紹介するというプロジェクトが立ち上げられたことにより実現したものでした。
この時の2人のコスチュームは、正装ともいうべきフォーマル・スーツ。ルネが白、西城氏が黒でばっちり決めています。高級ホテルでの取材で、カナダと日本のビッグ・アイドル同士の対面とはいえ、ここまでの衣装が必要だったのかと、ずっと疑問を抱いていました。また、ルネが帰国する当日というのは、多忙を極めていた2人のスケジュールが、この日しか合わなかったためだと思っていました。しかし、それは、1976年に開催された夏季オリンピックのモントリオール大会に先駆けて行われたカナダ・フェアの開幕式に、ルネがテープカット役として招待されていたからだったのです。
★ルネ君は秀樹が大好き
兄弟のように仲よし★
故郷--カナダ--の人々に紹介したい
秋の日ざしをいっぱいに浴びたホテルの庭で、無邪気に戯れる二人。
「ルネ!」
「ヒデキ!」
優しい兄に甘えるルネ、かわいい弟をいたわる秀樹。
ルネ・シマール、十三歳。ことしの東京音楽祭世界大会で見事グランプリを獲得したこの少年が、再び日本にやってきたのは八月の末。忙しいコンサート活動の合間をぬって出演したTBS「火曜歌謡ビッグマッチ」で西城秀樹と顔を合わせたのだ。
「ルネ、君の一番好きな日本の歌手は誰?」と、司会の黒柳徹子に聞かれたルネは、ためらうことなく「ローラのヒデキ!」と答えた。
前進をふりしぼって「傷だらけのローラ」を歌う秀樹の姿に魅せられたルネ少年、すっかり秀樹ファンになってしまった。
以来、ふたりの仲(?)は急速に進展、レコードを交換したり、歌を教え合ったり……。
「カッコいいし、それにあのダイナミックな歌い方が好き」とルネが言えば、秀樹も「ちいさいけれど、見事な歌唱力」と言葉を返す。
今、ルネの胸には大きな計画がある--------。
このすばらしい秀樹を、ぜひ自分の故郷、カナダの人々に紹介したい--------という計画が……。
▲カナダ・フェア開幕のテープにハサミを入れるルネ
▲テープカットの大役を終えて、何をごちそうになっているのかしら? 帰国当日まで笑顔で仕事をこなすルネ
この時の様子や対談の内容、西城氏をカナダで売り出すためのプロジェクト等については、当ブログでは何度も取り上げていますので、カテゴリ「ルネと西城秀樹」でご覧ください。
1974年当時、「アメリカに隣接した自然豊かな国」位の認識しかなかったカナダは、カナダ出身のルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したことや、2年後にモントリオール・オリンピックが開催される国ということで、一気に注目されるようになったと思います。フランス系カナダ人が住むケベック州のことも、「赤毛のアン」に出てくるちょっとしたエピソードも、ルネにつながることとして、一生懸命調べたり、興味深く読んだりしたものでした。
ルネが東京音楽祭に出場し、日本で活動する様子を収めたドキュメンタリー映画"Rene Simard au Japon"の短縮版で、カナダ大使館所蔵の16㎜フィルム「小さな大使」のタイトルどおり、ルネは日本にカナダを広めたということでは、本当に「小さなカナダ大使」だったのです。そう考えると、カナダの代表として招待されたルネが正装していることに納得できますね。
今回は、「TVfan10月18日号」に掲載された、ルネと西城秀樹氏の記事を紹介いたします。この記事は、昨年9月22日に予告していたものです。
1974年9月20日(日)、2回目の来日最終日、ルネと西城秀樹氏は東京プリンスホテルで対面しました。この対面は、ルネが「傷だらけのローラ」を熱唱する西城氏に感動し、ルネの当時のマネージャーだったクルティエ氏のノーベル・レコードから、西城氏をカナダで紹介するというプロジェクトが立ち上げられたことにより実現したものでした。
この時の2人のコスチュームは、正装ともいうべきフォーマル・スーツ。ルネが白、西城氏が黒でばっちり決めています。高級ホテルでの取材で、カナダと日本のビッグ・アイドル同士の対面とはいえ、ここまでの衣装が必要だったのかと、ずっと疑問を抱いていました。また、ルネが帰国する当日というのは、多忙を極めていた2人のスケジュールが、この日しか合わなかったためだと思っていました。しかし、それは、1976年に開催された夏季オリンピックのモントリオール大会に先駆けて行われたカナダ・フェアの開幕式に、ルネがテープカット役として招待されていたからだったのです。
★ルネ君は秀樹が大好き
兄弟のように仲よし★
故郷--カナダ--の人々に紹介したい
秋の日ざしをいっぱいに浴びたホテルの庭で、無邪気に戯れる二人。
「ルネ!」
「ヒデキ!」
優しい兄に甘えるルネ、かわいい弟をいたわる秀樹。
ルネ・シマール、十三歳。ことしの東京音楽祭世界大会で見事グランプリを獲得したこの少年が、再び日本にやってきたのは八月の末。忙しいコンサート活動の合間をぬって出演したTBS「火曜歌謡ビッグマッチ」で西城秀樹と顔を合わせたのだ。
「ルネ、君の一番好きな日本の歌手は誰?」と、司会の黒柳徹子に聞かれたルネは、ためらうことなく「ローラのヒデキ!」と答えた。
前進をふりしぼって「傷だらけのローラ」を歌う秀樹の姿に魅せられたルネ少年、すっかり秀樹ファンになってしまった。
以来、ふたりの仲(?)は急速に進展、レコードを交換したり、歌を教え合ったり……。
「カッコいいし、それにあのダイナミックな歌い方が好き」とルネが言えば、秀樹も「ちいさいけれど、見事な歌唱力」と言葉を返す。
今、ルネの胸には大きな計画がある--------。
このすばらしい秀樹を、ぜひ自分の故郷、カナダの人々に紹介したい--------という計画が……。
▲カナダ・フェア開幕のテープにハサミを入れるルネ
▲テープカットの大役を終えて、何をごちそうになっているのかしら? 帰国当日まで笑顔で仕事をこなすルネ
この時の様子や対談の内容、西城氏をカナダで売り出すためのプロジェクト等については、当ブログでは何度も取り上げていますので、カテゴリ「ルネと西城秀樹」でご覧ください。
1974年当時、「アメリカに隣接した自然豊かな国」位の認識しかなかったカナダは、カナダ出身のルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したことや、2年後にモントリオール・オリンピックが開催される国ということで、一気に注目されるようになったと思います。フランス系カナダ人が住むケベック州のことも、「赤毛のアン」に出てくるちょっとしたエピソードも、ルネにつながることとして、一生懸命調べたり、興味深く読んだりしたものでした。
ルネが東京音楽祭に出場し、日本で活動する様子を収めたドキュメンタリー映画"Rene Simard au Japon"の短縮版で、カナダ大使館所蔵の16㎜フィルム「小さな大使」のタイトルどおり、ルネは日本にカナダを広めたということでは、本当に「小さなカナダ大使」だったのです。そう考えると、カナダの代表として招待されたルネが正装していることに納得できますね。