ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネのカナダのファン・クラブ

2012年09月28日 | ルネ・ファン・クラブ
 日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツの閉鎖後、ルネに送ったバースデイ・カードがきっかけで入ったカナダの”Fan Club Rene Simard”が活動休止になったのは1979年。その後、ルネと妹ナタリー・シマールが1983年に第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日した年に、カナダで発足したのが"FAN CLUB INTERNATIONAL Rene et Nathalie"でした。でもその時、私はその存在を知りませんでした。ALFAレコードでナタリーとクルティエ氏に会った際、いただいたルネとナタリーのポスト・カードに記載されていたプロダクション・ギークルティエにルネ宛の手紙を送っても、住所不明で返ってきてしまったため、この後しばらくは空白の期間が続きました。

▲会報№1の表紙になった第12回東京音楽祭の写真

 このファン・クラブの記念すべき会報第1号に当たる1983年夏号の特集記事は”Rene et Nathalie au Japon”。第12回東京音楽祭世界大会や日本での2人の活動の様子が紹介されていました。そして、ケベックで小さな子供たちのスーパー・アイドルになっていたナタリーを、日本で売り出すための「夢よもう一度」企画、日本の「ナタリー・シマール・プロジェクト」が進行中だったので、カナダのファン・クラブではこのことを大きく取り上げていたようです。
 この会報magazineの記事については、何度かPassion Simardの画像をお借りして紹介してきましたが、Chantalさんから送っていただいたものを訳して、また改めて記事にしたいと思っています。

 そして、今回紹介いたします写真は、その事務所の様子を撮影した1枚です。”Passionルネ・シマール au Japon”のしゃむねこさんがブログ記事で、モントリオールにあったこのファン・クラブ事務所を探して大冒険をした体験記をアップされています。事務所の様子が写真を交えて詳しく紹介されていますので、是非ご一読くださいませ。(リンク集からどうぞ)


▲<和訳>ルネとナタリー・ファン・クラブの事務所のジャン・ピロットゥ、パトゥリシア・ブワヴァンとニコール・フェルラン(バシャン姉妹の本より)

 ここで紹介されているジャン・ピロットゥ氏はギー・クルティエ氏の甥に当たり、ルネとはとても親しい関係にあった方だそうです。「エルヴィス・ストーリー」のプロデューサーで、2003年の日本公演時、ルネと一緒に来日しています。現在はケベック・シティにあるホテル”Le Capitol de Quebec”のオーナーを務めており、ホテル内にあるキャピタル・シアターでは、ルネがプロデュースしたショーも上演されたことがあるそうです。

エルヴィス・ストーリー:ラ・メガプロダクション
・3百万ドルの冒険のためのプロデューサー:ジャン・ピロットゥ
・主演俳優:マルタン・フォンテーヌ
舞台演出:ルネ・シマール


 さて、日本でも「メープル・メイツ」の閉鎖後、複数の未公認ファン・クラブが活動いていました。私が入会していたのは福岡の「ボンジュール・ルネ」、cherienomamaさんが入っていたのは「MAPLE MATES Ⅱ(メープル・メイツⅡ)」、しゃむねこさんもファン・クラブを結成し活動していました。「ボンジュール・ルネ」はわら半紙や画用紙にガリ版刷りでしたが、「MAPLE MATES Ⅱ」はメンバーの投稿した原稿をそのまま印刷したコピー誌でした(当時はコピー代が高く、会員分しかコピーしていないので大変貴重)。また、「MAPLE MATES Ⅱ」のメンバーの中には、スプリング・コンサートの大阪公演でステージに上がりルネにダンスを教わった方、ルネと遊んだり、キスしていただいたりした方もいらっしゃいました。その会誌には、ルネへの想いがたくさん綴られおり、前出の”Fan Club Rene Simard”の情報や詳しい入会方法も紹介されていました。メンバーさんたちの心に残ったルネのエピソードには、ルネの人柄が良く出ている話がありましたので、幾つか紹介したいと思います。

     <ルネの印象に残ったエピソード>

♪あるTV番組でルネが言った言葉
「ぼくが大きくなっても、ぼくのことを忘れないでください。」

♪ギンザNOWでの一場面
 ルネが歌い終わった後、カメラは他の出演者を撮していたため、ルネはカメラに映らないように小さくなって通った。それに気付いた司会者が「そんなにしなくてもいいんだよ。」と声をかけたところをカメラがとらえていた。

♪朝の番組で司会者が「日本は好き?」と聞いた時
 スキーを滑る真似をして「オー、スキースキー!」と言った。殿様キングスの歌真似(「女の操」?)も披露した。

♪「ヤングオーオー」のルネと遊ぶコーナーで
 自分の好みの女の子には「メロン」、好みではない女の子には「バナナ」と言うルール。1人目の女の子について、司会者が「ルネはどの果物が好きですか?」とたずねると、ルネはにっこり笑って「スイカ!!」と答えた。

♪ミュージック・フェアー出演時(4回目の来日)
 「将来ルネのお嫁さんになった人が『歌をやめてちょうだい』と言ったらどうするの?」という司会者の質問に、「Separate!(離婚します)」と悪戯っぽく笑って答えた。(会員の3名がこのエビソートのことを書いていました)


 ルネはクルティエ氏たちから、プロとして活動していくために厳しく躾けられていました。だから、他を撮しているカメラの前を通る時には、自分が映らないようにすることが身についていたのでしょう。
 また、頭が良く一度説明すれば完全に理解してしまったと、当時ルネの通訳をしていた道上雄峯氏が「スーパーアイドル ルネ」の「完全スケジュール同行記」で証言していました。ルネは機転が利く上にユーモアがあり、ファンをとても大切にしたので、覚えたての日本語で「好き」を「スキー」とかけたり、「スイカ」と答えたりしたのではないかと私は推測しています。もちろん雑誌に掲載されたインタビューで、「日本のスイカはカナダのものに比べて甘くて美味しい。」と話していたので、本当に好きだったのですけど(笑)。
 そして最後のエピソードは、歌手として生きていくことを真剣に考えていたルネの強い意志がはっきりと伺えますね! この会報誌を提供してくださったcherienomamaさんに感謝です! 本当にありがとうございました!!


 そして、この紹介記事を読んで、こころあたりのある方がいらっしゃいましたら是非コメントをお寄せください


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             最新情報

 このところfacebookでは、カナダのルネ・ファンの方たちがルネの画像や映像を挙ってアップされています。facebookでしか見られないものもありますので、ご覧になりたいという方は、facebookのアカウントを取得してください。当ブログか゛Passion ルネ・シマール au Japon゛に連絡をいただければご招待いたします。


♪Marielle MorinさんのYouTubeチャンネルAu Maximum
http://www.youtube.com/user/MarielleMorin?feature=plcp

 ”L'oiseau(鳥)”,”Ange de mon berceau”,”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”, ”Pascale”,”Ma petite Japonaise(仏語版「雨上りのデイト」)”,”Midori iro no yane(ミドリ色の屋根)”,”Fernando”を歌うルネ


♪カナダのシャンタルさんが自費出版で写真集を3冊出しています。全頁を閲覧でき、購入も可能です。
 

http://www.bookemon.com/member-home/chantalmandeville/227784

Mes Plus Belles Photos De Fleurs
           (花の写真集)
Les Animaux En Photos
          (動物の写真集)
Beaux Paysages Du Québec
      (ケベックの風景写真集)


♪ルネが日本で発売した全曲を収録したCD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいてアンコールプレスリクエストを受付中です!! 前回購入を逃した方は是非リクエストしてくださいね♪
 Sony Music Shop
 https://ssl.walletsystem.jp/secure/omf1/requReg.php?site=S&ima=1211&cd=DYCL000000362&tp=ENC


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