今から38年前の1975年(50年)1月20日は、ルネの3回目の来日最終日でした。
3回目の来日でルネは、「ルネとカナダでクリスマス・パーティー」ツアーのファンと交流した後、バンクーバーで1泊してそのまま日本に向かうというハード・スケジュール。カナダだけでなく、フランスとアメリカでも活動していたので、たとえカナダ政府から仕事時間を1日5時間と決められていたとしても、当時まだ14歳だったルネには、相当の負担を強いていたことでしょう。ちなみに、ルネはこの来日を挟んで、12月と2月はパリに行っていました。
この来日では、1974年12月21日に発売された新曲「愛の翼をひろげて」のキャンペーンとTV番組等への出演が主な活動でした。日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」のスケジュール予定には書かれていなかったのですが、FMラジオにも出演していました。ものすごく楽しみにしていたのに、夜遅くの放送だったため、暖かい布団の中でイヤホーンで聴きながら、ルネが出演する番組を録音の準備も万端で待っていた私は、ついうたた寝をして、気付いた時にはルネのコーナーは終了★ 自分の不甲斐なさに涙した苦い想い出があります。記憶が定かではありませんが、そのラジオ番組の放送日は平日ではなかったように思います。それは放送時間的に、平日ならまだ勉強をしている時間だったと思うからです。夜の10時から11時位だったでしょうか…。もちろん14歳のルネがこの時間に生出演することは、日本でも許されていないので、録音されていたものでしょうけれど、どなたかこのFMラジオを聴かれた方はいらっしゃいませんか? もしいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。
※ルネの3回目の来日については、カテゴリ「3回目の来日」でご覧ください。
さて今回は、前回「ルネのデビュー裏話」で紹介いたしましたスペインの子役スターで歌手でもあったジョセリトと、ケベックの人気歌手でルネを発見したと報じられたパトリック・ザベ氏についてです。
下のルネとジョセリトの写真をご覧ください。ルネが「第2のジョセリト」と言われたのは、歌唱力が素晴らしかったからだけでなく、外見も髪型も、テレビに初出演した頃のルネが、ジョセリトに似ていたからだったのでしょう。どうです、とてもよく似ていると思いませんか? たまたま選んだ画像は、前髪の乱れ方までそっくりです。
それから、パトリック・ザベ氏については、ビジュアル的にも、歌のジャンル的にも、私の好みのタイプではなかったので(笑)、さっくり紹介いたします。
▲デビュー当時のルネ(10歳)
▲ジョセリト ▲デビュー前のルネ(9歳)
※YouTube映像”joselito-- el ruiseñor”
Joselito:ジョセリト
1950 年から1960 年代に一般的に知られていたスペインの子役スター。
・本名:José Jiménez Fernándezホセ・ヒメネス・フェルナンデス
・生年月日:1943年2月11日生まれ (69歳)
・出身地:ペアス・デ・セグーラ ハエン 東北アンダルシア
・13 歳で映画デビュー
・主な出演映画:
"El Pequeño Ruiseñor"
"Saeta del Ruiseñor"
"El Ruiseñor de las Cumbres"
"Escucha mi Canción"
"El Pequeño Coronel"
"Aventuras de Joselito en America
(ジョセリトのアメリカ冒険記)"
"Los Dos Golfillos"
"Bello Recuerdo"
"El caballo blanco (白い馬)
ーアントニオ・アギラールと共演ー"
"Pequeño Ruiseñor"、"Ruiseñor" など
・大変特徴のある声の持ち主で、人気少年歌手として活躍
・代表曲:
"La Campaneraラ・カンパネラ"
"Dónde estará mi vida"
"Gorrioncillo pecho amarillo"
"En un pueblito español"
"Clavelitos"
"Doce Cascabeles"
"Las Golondrinas"
"El Pastor"
"Granadaグラナダ"
"Ave Maríaアヴェマリア" など
・メディアの起業家になるが、1990年、銃と麻薬密売容疑でアンゴラ当局によって逮捕。スペインに強制送還の後、投獄される
・刑務所が今まで彼に起こった最高のものとし、薬物中毒を克服したことで異なる人生観を得た経験を書く
・2002年、"La Jaula del Ruiseñor"をリリース
・2002年、伝記「ジョセリトの人生」を出版
・テレビシリーズ「サバイバー」のスペイン語版に参加
・ Utiel(バレンシア)在住
▲ノーベル・レコードのヒット曲集 ルネは”Baby Blue”、ザベ氏は”Agadou-dou- dou”(ルネの向かって左下)
ルネが1975年にパリに行った時、ギー・クルティエ氏はルネと同じくらい力のある男性歌手に付いていたので、ルネ・アンジェリル氏を彼の代わりに同行させました。3回目の来日も同様でしたが、その男性歌手というのはザベ氏だったのか? はたまたこのジャケットの2人の男性歌手の内の1人なのか?
Patrick Zabé:パトリック・ザベ
・本名:Jean-Marie Ruskジャン=マリー・ラスク
・生年月日:1943年12月12日
・1960年から1970年代、カナダ、ケベックで大変人気のあった歌手
・1966年からはギー・クルティエ氏がプロデュース。
・「ロスト・ストーリー」の第3版に出演したキム・ラスクの父
・音楽のジャンルはポップスとロック
ジョセリトのYouTube映像”AVE MARIA”をfacebookでもリンクしたところ、当時からのジョセリト・ファンの男性からコメントをいただきました。また、いろんなことがあったようですが、ご本人が現役で活動中なのは嬉しいことですね。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
先週月曜日の積雪は、みなさんのお住まいの地域ではいかがだったでしょうか?
私は凍った雪を砕いての職場の除雪作業で二の腕が筋肉痛です(笑)。一般道よりも、まずそこに出るまでの上り坂が一番の難関であるシマ姉家★ 火曜日の朝は、家から出てすぐの坂道でスリップ(もちろん、スタッドレスタイヤは12月から装着)★ その日の夕方6時から臨時招集された、息子が通う小学校の体育委員会の話し合いに出席するため、息子を児童クラブに迎えに行ってから出かけようとすれば、凍った坂で滑って道まで出られず立ち往生★ たまたま買っておいた塩化カルシウムをまき、スコップで凍った雪を砕き、ゴザを敷いて奮闘すること30分★ やっと道に出ることができました。体育委員会の会議は、スキー教室の参加希望者が、2度の募集にもかかわらず16人しか集まらなかったため、中止にするかどうかの話し合いでした。すでに終了してしまったかと思って到着すれば、参加を希望していたお母さんが1人で実施すべきと頑張っていて、結局委員会が終了したのが9時…と、いろいろありましたが、積雪での怪我や事故には至らなかくて良かったです。でも、今週の火曜にも降雪の予報! よりによって夜の会議が7時から予定されていて…★ 今年の積雪でもっと大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃいますが、みなさんも怪我と事故には十分気をつけてくださいませ。
シマ姉のグリーン・ライフ
▲2012年12月の職場の鉢植えの一部(左:ブチトマトの花は現在実になっています 右上:カランコエと寄せ植えの鉢…この時はまだホウセンカは咲いていません 下中:冬眠中のアマガエル…まだ起きていた時 下右:パッションフルーツの葉の上のキリギリス)
この雪の中、日当たりの良い職場の部署では、昨年の晩秋に寄せ植えした植木鉢でホウセンカが咲いています。パッションフルーツ(日本ではトケイソウ)はグリーンカーテンにした方が良いかと悩むほどツルを伸ばし、興味本位で植え替えたプチトマトが鈴生りです。暖房は基本朝1時間だけで、延長も1時間までなのですが、昨日やっていた「世界一受けたい授業」で、鉢植えは蓄熱するので、寒さ対策には有効と言っていました。別の鉢植えで冬眠しているアマガエルが元気なのもそのせいなのでしょうか。さすがに12月に見つけて鉢植えに非難させたキリギリスは、年末年始の休暇中に天国に旅立ってしまいましたが、たくさんの鉢植えが花盛りな部署は、鉢植えのお陰で他より暖かかったのですね。
そして、夏から飼っているジグモのその後ですが、お隠り中でその様子は一向に不明です。実は昨日、夏休みの理科研究で提出していた「ジグモの研究Ⅱ」が郡の理科展で優秀賞を受賞し、展覧会を見に行って来ました。その受賞を知らせてくれた担任の先生に、現在も観察中だと話すと、「来年もこれでばっちりですね!」と言われてプレッシャー★ 土を入れた観察器の卵嚢からコグモが湧いて出るかもしれない春のXdayも怖いです(笑)!
3回目の来日でルネは、「ルネとカナダでクリスマス・パーティー」ツアーのファンと交流した後、バンクーバーで1泊してそのまま日本に向かうというハード・スケジュール。カナダだけでなく、フランスとアメリカでも活動していたので、たとえカナダ政府から仕事時間を1日5時間と決められていたとしても、当時まだ14歳だったルネには、相当の負担を強いていたことでしょう。ちなみに、ルネはこの来日を挟んで、12月と2月はパリに行っていました。
この来日では、1974年12月21日に発売された新曲「愛の翼をひろげて」のキャンペーンとTV番組等への出演が主な活動でした。日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」のスケジュール予定には書かれていなかったのですが、FMラジオにも出演していました。ものすごく楽しみにしていたのに、夜遅くの放送だったため、暖かい布団の中でイヤホーンで聴きながら、ルネが出演する番組を録音の準備も万端で待っていた私は、ついうたた寝をして、気付いた時にはルネのコーナーは終了★ 自分の不甲斐なさに涙した苦い想い出があります。記憶が定かではありませんが、そのラジオ番組の放送日は平日ではなかったように思います。それは放送時間的に、平日ならまだ勉強をしている時間だったと思うからです。夜の10時から11時位だったでしょうか…。もちろん14歳のルネがこの時間に生出演することは、日本でも許されていないので、録音されていたものでしょうけれど、どなたかこのFMラジオを聴かれた方はいらっしゃいませんか? もしいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。
※ルネの3回目の来日については、カテゴリ「3回目の来日」でご覧ください。
さて今回は、前回「ルネのデビュー裏話」で紹介いたしましたスペインの子役スターで歌手でもあったジョセリトと、ケベックの人気歌手でルネを発見したと報じられたパトリック・ザベ氏についてです。
下のルネとジョセリトの写真をご覧ください。ルネが「第2のジョセリト」と言われたのは、歌唱力が素晴らしかったからだけでなく、外見も髪型も、テレビに初出演した頃のルネが、ジョセリトに似ていたからだったのでしょう。どうです、とてもよく似ていると思いませんか? たまたま選んだ画像は、前髪の乱れ方までそっくりです。
それから、パトリック・ザベ氏については、ビジュアル的にも、歌のジャンル的にも、私の好みのタイプではなかったので(笑)、さっくり紹介いたします。
▲デビュー当時のルネ(10歳)
▲ジョセリト ▲デビュー前のルネ(9歳)
※YouTube映像”joselito-- el ruiseñor”
Joselito:ジョセリト
1950 年から1960 年代に一般的に知られていたスペインの子役スター。
・本名:José Jiménez Fernándezホセ・ヒメネス・フェルナンデス
・生年月日:1943年2月11日生まれ (69歳)
・出身地:ペアス・デ・セグーラ ハエン 東北アンダルシア
・13 歳で映画デビュー
・主な出演映画:
"El Pequeño Ruiseñor"
"Saeta del Ruiseñor"
"El Ruiseñor de las Cumbres"
"Escucha mi Canción"
"El Pequeño Coronel"
"Aventuras de Joselito en America
(ジョセリトのアメリカ冒険記)"
"Los Dos Golfillos"
"Bello Recuerdo"
"El caballo blanco (白い馬)
ーアントニオ・アギラールと共演ー"
"Pequeño Ruiseñor"、"Ruiseñor" など
・大変特徴のある声の持ち主で、人気少年歌手として活躍
・代表曲:
"La Campaneraラ・カンパネラ"
"Dónde estará mi vida"
"Gorrioncillo pecho amarillo"
"En un pueblito español"
"Clavelitos"
"Doce Cascabeles"
"Las Golondrinas"
"El Pastor"
"Granadaグラナダ"
"Ave Maríaアヴェマリア" など
・メディアの起業家になるが、1990年、銃と麻薬密売容疑でアンゴラ当局によって逮捕。スペインに強制送還の後、投獄される
・刑務所が今まで彼に起こった最高のものとし、薬物中毒を克服したことで異なる人生観を得た経験を書く
・2002年、"La Jaula del Ruiseñor"をリリース
・2002年、伝記「ジョセリトの人生」を出版
・テレビシリーズ「サバイバー」のスペイン語版に参加
・ Utiel(バレンシア)在住
▲ノーベル・レコードのヒット曲集 ルネは”Baby Blue”、ザベ氏は”Agadou-dou- dou”(ルネの向かって左下)
ルネが1975年にパリに行った時、ギー・クルティエ氏はルネと同じくらい力のある男性歌手に付いていたので、ルネ・アンジェリル氏を彼の代わりに同行させました。3回目の来日も同様でしたが、その男性歌手というのはザベ氏だったのか? はたまたこのジャケットの2人の男性歌手の内の1人なのか?
Patrick Zabé:パトリック・ザベ
・本名:Jean-Marie Ruskジャン=マリー・ラスク
・生年月日:1943年12月12日
・1960年から1970年代、カナダ、ケベックで大変人気のあった歌手
・1966年からはギー・クルティエ氏がプロデュース。
・「ロスト・ストーリー」の第3版に出演したキム・ラスクの父
・音楽のジャンルはポップスとロック
ジョセリトのYouTube映像”AVE MARIA”をfacebookでもリンクしたところ、当時からのジョセリト・ファンの男性からコメントをいただきました。また、いろんなことがあったようですが、ご本人が現役で活動中なのは嬉しいことですね。
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先週月曜日の積雪は、みなさんのお住まいの地域ではいかがだったでしょうか?
私は凍った雪を砕いての職場の除雪作業で二の腕が筋肉痛です(笑)。一般道よりも、まずそこに出るまでの上り坂が一番の難関であるシマ姉家★ 火曜日の朝は、家から出てすぐの坂道でスリップ(もちろん、スタッドレスタイヤは12月から装着)★ その日の夕方6時から臨時招集された、息子が通う小学校の体育委員会の話し合いに出席するため、息子を児童クラブに迎えに行ってから出かけようとすれば、凍った坂で滑って道まで出られず立ち往生★ たまたま買っておいた塩化カルシウムをまき、スコップで凍った雪を砕き、ゴザを敷いて奮闘すること30分★ やっと道に出ることができました。体育委員会の会議は、スキー教室の参加希望者が、2度の募集にもかかわらず16人しか集まらなかったため、中止にするかどうかの話し合いでした。すでに終了してしまったかと思って到着すれば、参加を希望していたお母さんが1人で実施すべきと頑張っていて、結局委員会が終了したのが9時…と、いろいろありましたが、積雪での怪我や事故には至らなかくて良かったです。でも、今週の火曜にも降雪の予報! よりによって夜の会議が7時から予定されていて…★ 今年の積雪でもっと大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃいますが、みなさんも怪我と事故には十分気をつけてくださいませ。
シマ姉のグリーン・ライフ
▲2012年12月の職場の鉢植えの一部(左:ブチトマトの花は現在実になっています 右上:カランコエと寄せ植えの鉢…この時はまだホウセンカは咲いていません 下中:冬眠中のアマガエル…まだ起きていた時 下右:パッションフルーツの葉の上のキリギリス)
この雪の中、日当たりの良い職場の部署では、昨年の晩秋に寄せ植えした植木鉢でホウセンカが咲いています。パッションフルーツ(日本ではトケイソウ)はグリーンカーテンにした方が良いかと悩むほどツルを伸ばし、興味本位で植え替えたプチトマトが鈴生りです。暖房は基本朝1時間だけで、延長も1時間までなのですが、昨日やっていた「世界一受けたい授業」で、鉢植えは蓄熱するので、寒さ対策には有効と言っていました。別の鉢植えで冬眠しているアマガエルが元気なのもそのせいなのでしょうか。さすがに12月に見つけて鉢植えに非難させたキリギリスは、年末年始の休暇中に天国に旅立ってしまいましたが、たくさんの鉢植えが花盛りな部署は、鉢植えのお陰で他より暖かかったのですね。
そして、夏から飼っているジグモのその後ですが、お隠り中でその様子は一向に不明です。実は昨日、夏休みの理科研究で提出していた「ジグモの研究Ⅱ」が郡の理科展で優秀賞を受賞し、展覧会を見に行って来ました。その受賞を知らせてくれた担任の先生に、現在も観察中だと話すと、「来年もこれでばっちりですね!」と言われてプレッシャー★ 土を入れた観察器の卵嚢からコグモが湧いて出るかもしれない春のXdayも怖いです(笑)!
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