今日は「寒露」、明日は「スポーツの日」です。
ルネは舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』の秋のツアーが始まり、10月7日(土)は JOLIETTE ジョリエット、10月12日(木)から13日(金)は STE-AGATHE サント=アガト、10月14日(土)はVICTORIAVILLE ヴィクトリアヴィユと続き、10月20日(金)の ST-EUSTACHE サン・トゥスタシュから10月29日(日)の ST-HYACINTHE サン=ヤサントゥまでは、22日(月)と23日(火)を除いて連続公演です!!
監督を務めるミュージカル「La famille Addams アダムス・ファミリー」が10月19日(木)に初日を迎え、「奇人たちの晩餐会」の今年の千秋楽の10月29日(日)までの間は、ダブルで忙しさもピークを迎えます!
メディアをリハーサル・ルームに迎えて 2 曲を初披露した時の記事が7Joursに掲載され、facebookのルネ・ファン・グループ「 Condor, c'est toi : pour René Simard 」にジョアンヌさんから提供していただきました(上写真参照)
前回の記事で紹介したインタビューで、「10月23日のメディア向けイベントの後は、状況は少し落ち着きます。 私はこれを必要としています。」と語っていたルネ。早く可愛い3人の孫娘、妻マリーをはじめとする家族とのんびりしたいでしょう。それは来年の年明け1月7日(日)の千秋楽までお預けかもしれませんが、まずは体調に気を付けて頑張り抜ぬいて欲しいです!
今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の21回目「De ses débuts aux comédies musicales,50 ans d’une carrière exceptionnelle ミュージカルデビューから50年の輝かしいキャリア」の14回目で、「DISQUES ディスク」の前編です。
DISQUES ディスク
L'ARTISTE FAIT L'UNANIMITÉ アーティストは満場一致です
JUSQU'AU MILIEU DES ANNÉE 1980, LE CHANTEUR PRODUIT DES MICROSILLONS À UNE CADENCE INFERNALE. OR,DEPUIS L’ALBUM ENREGISTRÉ AVEC NATHALIE EN 1988, IL PRIVILÉGIE LA QUALITÉ PLUTÔT QUE LA QUANTITÉ.
1980 年代半ばまで、この歌手は地獄のようなペースでLPレコードを生み出していました。ところが、1988 年にナタリーと一緒にアルバムを録音して以来、彼は量よりも質を重視するようになりました。
左:「Neuveau rêve 新しい夢」のショーでは、1970 年の『L’oiseau鳥』から始まったアーティストの多作なキャリアを振り返ることができました。
右上:1993 年に E=MC2 が立ち上げられ、もちろんマリー・ジョゼが支援しました。
右下:2016年5月4日、トロワ=リビエール、舞台で感動の再会。
歌手としてのルネは、デビュー以来主にカバー曲を歌ってきたことがわかっています。 彼はこの傾向を逆転させようと決意していました。 彼は 1993 年にアルバム E=MC2 をリリースしてそれを示しました。
このディスクは、数人のソングライター、特に彼の兄 Regisレジス、Robert Charlebois ロベール・シャルルボワ、Jean-Pierre Ferland ジャン=ピエール・フェルラン、François Cousineauフランソワ・クジノー、Michel Corriveau ミシェル・コリボー、Robert Léger ロベール・レジェによって書かれたオリジナル曲で構成されています。 さらに重要なのは、ルネが曲の選択から、写真の選択やジャケットの活版印刷を含む制作に至るまで、すべてに気を配っていることです。
1993年3月20日、La Presse ラ・プレス紙とのインタビューで、彼は自分に代わって歌詞を書いてくれた人たちについて次のように述べました。「お陰様で頭がすっきりし、彼らが私のことを本当にどう思っているのか、私に曲を書くことに同意してくれたのかどうかを知ることができました。」
LE DROIT AU CHANGEMENT 変化する権利
同様に、彼は自分のイメージを変え、大衆に彼自身をアーティストとして認識してもらいたいと考えていました。 このアルバムはあらゆる意味で、32年となるアーティストにとってターニングポイントとなりました。まだLa Presse ラ・プレス紙のインタビューです:「私は「p’tit Simard プチ・シマール」という鉄の玉を長い間引きずっていました…後悔はしていませんし、今振り返れば美しいと思いますが、幼い頃の私と今の男の私は全くの別人です。 私が年をとり、変化することに人々が同意して欲しいのです...」
このアルバムは批評家からは好評でしたが、売り上げはそれほど多くありませんでした。 それにもかかわらず、タイトル曲は、ルネとJames Di Salvio ジェームス・ディ・サルヴィオ監督による高品質のビデオクリップに支えられ、チャートで2位に上昇しました。Ma blonde en or (私の素晴らしい恋人)も4位と好成績を収めました。 さらに、E=MC2 のおかげで、彼の名前は 1993 年の ADISQ Gala で、Interprète de l’ 'année 年間最優秀パフォーマー、Vidéoclip de l’année 年間最優秀ビデオクリップ、Réalisateur de l’année 年間最優秀監督の 3 部門で挙げられ、Michel Corriveau ミシェル・コリボーと並ぶ栄誉となりました。
1999 年にトロントでThe Phantom of the Operaオペラ座の怪人でタイトルロールを演じて以来、ルネはその後ミュージカル・ショーの監督に多くの時間を費やしてきました。 E=MC2から10年後の2003年、ついにニュー・アルバム『Hier…encore 帰り来ぬ青春 』をリリースしました。
このディスクは、「C'est beau la vie (放題:「 人生は美しい」)、「Que reste-t-il de nos amours(放題:「残されし恋には」シャルル・トレネ)」など、時の試練に耐えてきたフランスのレパートリーから選ばれた13曲で構成されています。 そしてCharles Aznavour シャルル・アズナヴール の2曲、特にタイトル曲です。 今回もルネは、Guy St-Onge ギイ・サン・オンジュがアレンジメントとプロデュースを発表した、高品質の作品を提供しました。
2003年11月7日の Échos Vedettes とのインタビューで、ルネは次のように主張しました。「私はこのディスクを総括だと考えています。 私も他の人たちと同じように困難を経験しましたが、人生では幸運でした。 このアルバムは素晴らしい静けさを醸し出していると思います。 以前ならこれらの曲を歌うことは出来なかったでしょう。」
彼の計画では、翌年に新しいショーを上演する計画があったが、なんと、ギィ・クルーティエの事件が公に勃発し、ルネは辞退しました。 2005年1月29日号の中で、彼は次のように強調しています。「私はすべてを止めました。2004年1月の初めに、私はプロモーションを終了しました。「C’est beau la vie」を歌いたいという誘惑には駆られませんでした。」
次回は「DISQUES ディスク」、「L'ARTISTE FAIT L'UNANIMITÉ アーティストは満場一致です」の後編を紹介いたします(^^♪
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facebookでの「ルネ活」は大変好調です ルネ・ファン・グループ「 Condor, c'est toi : pour René Simard 」のメンバーは現在1110名(^^♪ 情報や画像を提供してくださるカナダの協力者さんたちのお陰で、メディアでは得られない情報も
今回は、ルネの「Chante la lala 」の英語版「Life is life」がFacebookに投稿されていました。埋め込むことが出来ない映像のため、「Facebook」をクリックしてご覧ください。また、YouTubeで歌詞字幕の付いた映像も見つけましたので、併せてお楽しみくださいね(^^♪
それから、検索していて見つけたこちらの映像もお楽しみいただければ幸いです
そして、カナダのルネ友さんであるミシェルさんからの写真と一緒に、ルネが 1974 年から 1975 年に放送されたTV番組「Fair Weather Friends」で、「Maman, laisse-moi sortir ce soir ママ、今夜遊びに行かせて」を仏語と英語で歌ったこと、そしてそれをVHSからデジタル化しているとの投稿が有りました! 右下の白黒写真はその映像からのものだそうです。
上の2枚は、ミシェルさんの当時200人いた彼女のルネ友さんから購入したものだとのこと。この頃にインターネットが普及していたらどんなに良かったかと、彼女は語っていましたが、半世紀近く経った今、遠く離れたカナダから、このようなレアな情報や画像が得られるのですから、素晴らしいことですね!
そして、ミシェルさんはもちろん、ルネの日本の歌を日本語で歌いたい方や、日本語を現在学んでいらっしゃるメンバーさんとの交流もしています。日本のファンがフランス語を学んだり、ルネのフランス語の歌を聞き取りで真似て歌ったりしたのと同じことがカナダのファンの間にあり、日本びいきの方も結構いらっしゃるのが嬉しいです ルネ・ファン・グループでの「ルネ活」によって、日本とカナダのルネ・ファンの架け橋になれたら良いなぁ・・・。
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