今日は父の日
シマ姉家は義父には私から、主人には息子から、二人が好きなお酒をプレゼント(^^♪ いつもどおり、朝食はお赤飯、お昼は私の老前整理に付き合って力仕事を担ってくれた主人を労ってレストランへ! 夕食は義父の希望で筍の五目ちらし寿司を作って日頃の感謝の気持ちを表します。
そして、舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』に5月1日 (水)から出演中のルネは、去る6月6日、父の日を前に特別な「Bonsoir bonsoir, jase jase」でお祝いしました。ゲストはルネ・シマール、エリック・ブリュノー、ダニー・サンピエール、ジャン・フィリップ・ウォティエ、デヴィッド・サヴァール、グレゴリー・チャールズ。全員がお父さん
この番組は Facebookでの公式ページに、映像の一部(※ Facebook:これはルネのバート♪)が公開され、出演者は父性について議論したり、家族について話していました。ルネは子供たちが成長できるように、子供たちのために余地を残すことが重要という話を熱く語っています(家族写真有り♪ ルネの左手の薬指の指輪に注目)。ミュージカル「La famille Addams アダムス・ファミリー」についても語ったと予告に書かれていましたが、その部分も公開されるといいですね! 笑いを交えて和やかな、父の日を祝うのに最適なテーブルの様子をご覧ください(^^♪
また、6月9日(日)にはTVA「Les Grands bien-cuits」に出演して、トークで大いに笑いを取っていましたよ(^^♪( Facebook)
そして、まだはっきりと発表されていませんが、ルネはテレビで新しい、そして非常に重要な使命を見つけたとの記事が投稿されました!! これからますます忙しく、ファンがルネを観る機会が増えます! そのTV番組が、以前にも過去ログで紹介し、審査員の交代が報じられた「chanteur masquéマスクド・シンガーズ」ではないかと推察しているファン・グループのメンバーもいます。こちらの第4シーズンは秋からの放映です(^^♪ ルネだったら最高ですね♪
※「奇人たちの晩餐会」の日程はこちらから どうぞ https://sorstu.ca/.../le-diner-de-cons_lassomption.../
今回の記事は、ルネのデビュー50周年を記念してリリースされたアルバム「Condorコンドル」に付属した「60 ans et déjà 50 ans de carrière」を翻訳した記事が47回で完結し、去る6月10日には、当ブログの開設19周年目と、facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」の3周年目を無事迎えたので、次に紹介する記事を何にするか悩んでいました。記念誌の文字が小さく、翻訳に思った以上に時間がかかったため、しばらくの間はちょっと一息のつもりで、サクッと画像を紹介しようと思っていたのですが、ここに投稿した写真に関係した資料を探している内に、まとめ記事が出来上がっていました(笑)
この写真は、ルネがトロントで『Le fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人 』のファントム役を演じた際、ルネの後にファントムを引き継いだ、キッス Kissのポール・スタンレー Paul Stanley とジェフ・ハイスロップ Jeff Hyslop と一緒に、劇場で撮影されたもののようで、ナタリーも一緒に写っています。
Le fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人
『Le fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人 』について、ルネはインタビューで、彼をファントム役に選んだ人々は彼をまったく知らなかったので、それは彼の最大の誇りであり、達成だったと語っていたそうです(ミシェルさん情報)。彼は2年間かけてこの役割を獲得しました! その時の記事もコレクションの中から見つけましたので、翻訳して紹介いたします♪
▲The PHANTOM of the OPERAのプログラム(ルネの出演日程は1999年4月2日から5月23日まで)
1999年に彼は、le fantome de l’operaオペラ座の怪人の主役のために、ニューヨークでオーディションを受けました。 トロントで10年間上演されているこの作品は、リフレッシュする必要がありました。 ルネは、彼らが新しい<ファントム>を探していることを知ったとき、彼の先生とほぼ2か月間この役の演技に取り組みました。 彼は8週間取り組む役を引き受けました。 その後、人気が出なかったため、彼の主役での上演は停止されました。(過去ログ「ルネのデビュー50周年記念誌⑬」より抜粋)
LE RÔLE DE SA VIE 彼の人生の役割(過去ログ「60 ans et déjà 50 ans de carrière⑱ 」より抜粋)
1999 年の春、彼は人生の大きな夢の 1 つを実現しました。トロント公演の演劇『The Phantom of the Opera オペラ座の怪人 』でタイトルロール(ファントム役)を獲得しました。
彼はこの役割を盗んだわけではありません! トロントのエージェントにモントリオールでの最初のオーディションに招待された後、彼はトロントでさらに2回オーディションを受け、最後はニューヨークでオーディションを受けました。 準備作業は大変でしたが、とても充実したものでした。
ルネはこの役を演じることにとても感動し、メディアに自分を紹介する記者会見の日、他の俳優や歌手の前でステージに上がり、泣き崩れました。
2015年5月29日の『7 Jours』誌のインタビューで、彼は次のように述べました:「このミュージカルは私の最も楽しい思い出の一つです。 私にとって、このショーは一種の確立でした。 私は、いつかこの神話上の人物をついに演じる日が来るとは知らずに、8年間トレーニングと歌に費やしました。 そして夢が叶いました!」
このインタビュー中、アーティストは自身の始まりとこの職業の浮き沈みを振り返り、次のように述べていました。「この職業を続けていたら、まさにこのような瞬間が待っています。 私は『Le Fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人』のあらゆる瞬間を大切にし、これほど感謝することができて良かったです。」この年の公演中、ルネがピンチに陥った場合に備えて、ファントムの代役が舞台袖で待機していました。私たちは彼らの手助けを決して求めませんでした!
1年間、週に8回のパフォーマンスで、ルネはそのキャラクターを守りました。 アーティストとして喜んでいるだけでなく、家族の父親としても、ロザリーとオリヴィエが彼のショーを初めて観劇するのを見て喜んでいました。
他の人にとっては驚くべきことかもしれませんが、この現実を理解して成長すると、すべてがそうではありません。ロザリー・タイユフェ=シマールは、誰もが自分の両親を知っていると理解した瞬間のことを正確に覚えていませんでした。彼女が5歳のとき、父親が兄と一緒にステージに連れて行ってくれたとき、彼女は彼が公的な仕事をしていることに気づいたのでした。それにもかかわらず、彼女は彼が才能のあるアーティストであることを理解したショーを鮮明に覚えています。「それは彼が『Le fantôme de l'opéra オペラ座の怪人』に出演していた頃、トロントでのことでした。この番組を何回見たか分かりません。それが大好きでした! 父を芸術家として見たのはそれが初めてでした。私は舞台裏に行き、彼が化粧をしているのを見ました。素晴らしかったです。」(過去ログ「60 ans et déjà 50 ans de carrière39 」より抜粋)
▲左:ジェフ・ハイスロップは1993年のモントリオールでファントムを演じました。シマールという名前のファントムが 2000 年に戻ってくる可能性はあるでしょうか?
右:ルネ・シマールがこの機会に新たな声を生み出し、ついに実現するのは生涯の夢です。
René Simard sera le PHANTOM of the OPERA
ルネ・シマールはオペラ座の怪人になる
ルネ・シマールは、この春、トロントで『Le Fantôme de l'Opéra オペラ座の怪人』になります! 電話で、Pantages Theatre パンテージズ劇場に戻る時、歌手は決意を固めました。「私は成功したミュージカルの中の役を夢見た時から、ついにその役をつかみ取りました! 私はそれを逃しませんでした...」
『Jeanne la pucelle ジャンヌ・ダルク 』の不完全な成功の2年後、ルネは、『Jean Valjean des Misérables レ・ミゼラブル のジャン・ヴァルジャン』と並んで、私たちの時代で最も名誉あるミュージカルの役を獲得しました。「私は2年間この役に取り組んできました。私の先生と一緒に、私たちはより古典的なボーカル・アプローチを開発しました。」彼はこの暗い役柄のために、彼が少なからず驚いたと語った『プロダクションの人々が私のファントムに何の違いも見い出さない』申し分のない、より低い声に作り直しました。
プロデューサーのGarth Drabinsky ガース・ドラビンスキーによって引き立てられていたルネは、少し前に『Joseph and the Technicolor Dreamcoat ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート 』で演じなければなりませんでしたが、プロジェクトには失敗しました。ドラビンスキーはトロントでファントムを10年間案内してきました。しかし、法的問題の途中で彼の会社のLivent リベントを放棄したばかりだったので、シマールの選択を促進することができませんでした。「でも、Bess et Annie de Livent ベスとアニー・ド・リベントはニューヨークの決定者に対する私の立候補を決定しました。」
作曲家でプロデューサーのAndrew Lloyd Webberアンドルー・ロイド・ウェバー がいない場合に、ルネはニューヨークでオーディションを受けましたが、こちらの人々は録音されたバンドを信用して受け入れました。
<私はこの役割に値しました!>
彼が選ばれるとすぐに、選ばれた者は顔の半分を覆うマスクの成形に参加しなければなりませんでした。「ルネは、このマスクは何というガジェット(目新しい道具)だろうと驚きました。マイク2本、残響防止壁、ウィッグなど」
彼には次のことを繰り返します。「ファントムの性格は非常に、定位置にある」とルネは言いました。「ある瞬間に親指を下に向けなければならないとしたら、それは議論の対象ではありません!」
ルネは4月2日から8週間マスクとマントを着用します。後は見ものですよ。ファントムは10年に渡る成功の後、少し衰えています。かつてイギリス系カナダのスターだったルネ・シマールを、ポスターの刷新に選んだのでしょうか? 関係者は何も知りません:「人々は私を認識しておらず、私はあまりにも変わりました。しかし、私のクレジット・カードに私の名前を見たら、多くの人が覚えていることでしょう...」
トロントには、妻のマリー・ジョゼと二人の子供が住めるアパートを持っています。「私は彼らに頻繁に、そして長い間来てもらいたいのですが、子供たちは夏まで学校にいます...」 ルネは3月28日にメトロスターズ・ガラを主催しなければならないため、今後数週間は忙しいでしょう。彼は取りやめたくありませんでした。「そんなことは思いつきませんでした。」そして、私たちは『ファントム』が彼に翼を与えたのではないかと推測しています...
▲YouTube映像"Rene Simard-Phantom of the Opera/Music of the Night(1999)"
※René Simard | TVO Today(当時ルネが英語で答えたインタビュー映像)
ルネのファントムについてお楽しみいただけましたでしょうか?
次回こそ、ちょっと一息つきたいシマ姉です(笑)・・・が、facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」の管理人でもあるジョゼフ君が投稿した質問に答えるために、1972年の新聞記事を探したことがきっかけで、ルネ・コレクションを確認しましたら、まだ翻訳していないルネを特集した小冊子などが出てきました。早速その一部をデータ化しましたので、少しずつ紹介していきたいと思います。
ちなみに、ルネについての新聞記事は、1972年12月25日発刊の新聞に掲載されたもの(左上画像参照)で、新聞自体が全ページ揃った完全版です。その時代の資料としても価値があるので、翻訳が終えたらブログで紹介し、シャンタルさんも所有していないため、最終的にはシャンタルさんのMusée Simardに寄贈する予定です。
ライフワークと化しているルネ活、ルネ・コレクションの翻訳を気合を入れて頑張りますので、今後とも気長にお付き合いくださいね
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