ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネ・ファンのインタビュー

2013年11月10日 | 1回目の来日
 11月8日は立冬でした。

 この日は、“あられ・せんべいの日”。新米が出回り、また冬を迎えるこの時期、暖かいお部屋の中で、家族、お友達、親しいみんなで楽しみながら、あられ・おせんべいを食べて欲しいという願いから、1985年に全国米菓工業組合により制定されたそうです。

 暦の上では冬。朝晩冷え込んで、いつ初霜が降ってもおかしくないのに、職場の花壇は、以前紹介した百合をはじめ、百日草やマリーゴールド、ブルーサルビアなどの夏の花が真っ盛り。猛暑と水不足(正確には水遣りが不十分)で夏はイマイチだったのが、涼しくなり始めた頃から勢いを増して今に至ります。昨年初冬、外に放置され霜枯れていたシャコバサボテンは、手入れの甲斐あって夏に力を取り戻し、たくさんピンク色の蕾をつけています(上)。株の半分が霜で枯れてしまっていた方(下)も、すっかり元気になりましたが、何故か1カ所に2つ蕾が付いている葉が多く見られます。もう手遅れかもしれないと思ったくらいダメージを受けていたので、ここまでの回復に、改めて植物の生命力を感じている今日この頃です。

▲左:夏咲きの植物が今花盛りの職場の花壇
 右:蕾が大きく膨らんだシャコバサボテン(上) 1カ所に2つ蕾が付いている所も(下)


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 今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊の、ニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパー・アイドル ルネ」については、度々話題にしてきました。その最終ページには、1回目の来日最終日、ファンの中から選ばれた女の子たちが、ルネ・シマール感を語るという企画の記事が掲載されました。
 この5人の方たちは、現在50代後半になっている計算になります。今はどうされているのでしょうか? また、どのようにして選ばれた方たちなのでしょうか?

 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したルネは、一躍日本のアイドルになり、ファン・クラブメープル・メイツも会員が一気に増えました。そして、来日最終日の7月14日(日)に、羽田空港に殺到したファンに向かって、ルネがガラス越しに愛嬌を振りまいている様子は、カナダのドキュメンタリー映画”Rene Simard au Japonで映像化され、カナダでも日本でも、その時の写真が芸能誌に掲載されました。
 前出の記事では、「5人と一緒に写真を撮ってからまもなく機上の人となった」と書かれていました。そして、ルネの通訳をされていた道上雄峯氏(現・道上ワイン社長)のレポート『完全スケジュール同行記』では、「貴賓室で短い記者会見の後、税関を出て行った」とありました。その時の写真の背景には、カーテンの向こうにたくさんの人影らしきものが写っていますから、貴賓室の中で撮影されたもので、5人の方たちも、空港に集まったファンの中から急遽選ばれた方たちなのかもしれません。

 
 「羽田空港に着いたところ、驚いたことに、空港にまでファンがぎっしり!私は、ルネをかかえて貴賓室に入るのがやっとのことでした。それほど危険な状態だったのです。それでも、数分後、貴賓室のガラス窓の外で泣いているファンを貴賓室内に入れるようにと頼むルネでした。ルネは、本当にファンを大切にします。ファンから届けられた、どんなに小さな贈り物でも、ルネの手荷物の中につめこまれました。
 短い記者会見の後、ルネは、全員に心からのお礼と、”アビアント”(またすぐに)を言って、税関に入って行きました。」
          (『完全スケジュール同行記』より抜粋)


※過去ログ「1974年7月14日(日)」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/232.html


 私たちのルネを囲んで…
 ルネ・シマールは、発売後、わずか2週間で10万枚のレコードを売り、ファン・クラブ、メイプル・メイツには一万人のファンが入りました。
 このページでは、そのルネのファンの中から選ばれた人たちに、ルネ・シマール感を語ってもらいました。


出席者(※ブログで紹介するにあたり苗字のみにしました)
堀さん (15才)高校在学中
岡部さん(16才)  〃
樺沢さん(16才)  〃
峰岸さん(17才)  〃
武田さん(15才)  〃
司会
本誌編集部員(以下編と記す)



:ルネ・シマールを知ったきっかけは?
岡部:雑誌で、そしてラジオで。
:ルネのどこがいいと思いましたか?
:うたがすごく巧いこと。歌唱力があるっていうのかしら。
峰岸:私は前からサウンドの良いものが好きでした。だから
  日本ではガロが好きでした。ルネは、そういう音楽性の
  ある所が一番いいと思います。
武田:それに、すごく清潔な可愛らしさがあるから。それで、
  ものすごくきれいな声!
:と言うと、皆さんは、どちらかと言えば洋楽ファンと
  呼ばれる方ですね?
樺沢:そうですね。私の買うレコードは、サイモンとガー
  ファンクルとか、エルトン・ジョンとかばかりでした。
武田:私も、ビージーズやCSN&Yなんかが好きでした。
:音楽的に基礎のある所がいいと思います。
:実際に、こうしてルネに会ってどうですか?
岡部:可愛いし、心臓がドキドキしちゃった。とっても
  感じがいい子だし。
:たとうば、ルネが皆さんにとってどんな男の子だったら
  いいでしょうか?
岡部:私の小さな恋人。
樺沢:隣の家に住んでいるイタズラ坊主君。
峰岸:弟かな。でも、やっぱり、いつも一緒にいるボーイ・
  フレンドがいい。
武田:弟だわ。一人じめしたい私のペット君。
:将来私もルネと仕事ができたらって想像してみます。
  でも才能の問題があるから…。
:とっても可愛いルネだけど、どんなコスチュームが
  一番好きですか?
:全部いいみたい。何を着ても嫌みがなくていいナと
  思います。
武田:ジーンズ、特に赤のカラー・ジーンズが良かったわ。
:これから、また日本に来て活躍するルネに、今後
  どんな傾向に進んで欲しいと思いますか?
岡部:やっぱりルネのイメージの歌、あのソプラノが
  十分に生かされる歌を。
樺沢:自分の歌いたい歌を選んで歌っていれば、いいと
  思います。それに私たちが口づさめるようなきれいな
  歌をたくさん。
峰岸:ルネは天才だと思います。たとえ、大人になって
  声変わりしても、それなりに立派な大人の歌手に
  なると信じます。だから一生歌い続けてほしい。
  ただ、日本に来ても、日本の形式にとらわれず
  カナダのルネとして活躍してほしい。
:ルネって、そんな私たちの考えがみんなわかって
  いる子だと思うの。しっかりしていて、とても
  りこうなの。だから、囲りから言う前に、ルネ自身
  自分で一番良い道をちゃんと歩いていると思います。
:それでは、ここで、カナダに帰るルネに何か言って
  下さい。
:私フランス語を勉強します。いつか私が書いた曲を
  歌ってくださいね。
岡部:今度来日した時は、二人でデイトしましょうね。
  バイバイ。
樺沢:あなたらしいあなたでいてください。ルネ。
峰岸:あなたの音楽に対する意見やこの仕事についての
  話を聞かせてね。
武田:私のこと覚えていて!
ルネ:MERCI BIEN,A BIENTOT! A TOKYO

 ルネ・シマールは、この日本のファン達と写真を撮ってからまもなく機上の人となりました。8月末の来日を約束して。このルネ・シマールのファン・クラブはメイプル・メイツと名づけられ、活動を開始しました。

 メープル・メイツ (株)TCJ内
 〒106 東京都港区芝浦3-20-4
     03(454)6651-4


 このインタビューでルネについて語ってくださった5名の方々、もしまだルネのことを覚えていて、この記事をお読みいただいていたら、ご一報ください。
 

       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


  訃報:「みんなあなたに」の作詞家
           岩谷時子さん逝去
 

 去る10月25日ルネが歌った「みんなあなたに」の作詞家である岩谷時子さん(本名:岩谷 トキ子 1916年(大正5年)3月28日生まれ)が肺炎のため亡くなりました。97歳でした。

▲佐良直美さんとルネ(「スーパー・アイドル ルネ」より)

 岩谷時子さんは、日本レコード大賞を受けた「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)など数々のヒット曲で知られた作詞家で文化功労者。詩人であり訳詞家でもありました。
 1939年に宝塚歌劇団の出版部に入り、友人で宝塚スターだった越路吹雪さんが51年に退団して東宝の専属女優になった際に一緒に上京。80年の彼女の死まで約30年、マネジャーをつとめました。
 訳詩・作詞の道に入ったのはNHKラジオ「愉快な仲間」にレギュラー出演していた越路さんが歌う外国曲を訳したのがきっかけ。「愛の讃歌(さんか)」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」「バラ色の人生」などは越路さんの代表曲として親しまれました。
 64年にはザ・ピーナッツなどが歌った「ウナ・セラ・ディ東京」や岸洋子の「夜明けのうた」、66年に園まりの「逢いたくて逢いたくて」、加山雄三の「君といつまでも」で日本レコード大賞作詩賞受賞。他に、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」、フランク永井の「おまえに」、ピンキーとキラーズの「恋の季節」、島倉千代子の「ほんきかしら」、郷ひろみの「男の子女の子」など数多くのヒット曲を手がけました。
 ミュージカルの訳詩も多く、代表作に「ジーザス・クライスト=スーパースター」「王様と私」「レ・ミゼラブル」「ウエストサイド物語」「ミス・サイゴン」「赤毛のアン」などがあります。訳詩の功績で79年度の菊田一夫演劇賞特別賞、06年に渡辺晋賞の特別賞を受賞しました。

※wikipedia「岩谷時子」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E8%B0%B7%E6%99%82%E5%AD%90

※過去ログ「みんなあなたに」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/125.html

 岩谷時子さんが訳したシャンソンの歌詞は、カラオケでシャンソンを歌うやんばるQさんや私にとって、とても身近なものでした。また、ルネの来日当時に買った詩集にも岩谷さんの作品が掲載されていたので、彼女がルネの「みんなあなたに」の作詞をすると知った時は、驚くと同時にとても嬉しかったことを覚えています。

 今回岩谷さんについて調べたことで、劇団四季の代表的な演目として知られている有名なブロードウェイ・ミュージカル作品も、彼女の翻訳だと知りました。そんな素晴らしい作詞家にルネの歌を手がけていただけたのは、ルネの天使の声とALFAレコードの力だったのでしょう。

 そして、訃報が続きます。
 岩谷時子さんが作詞した「ほんきかしら」を歌われた島倉千代子さんも、去る11月8日に肝臓がんのため75歳で亡くなりました。

 謹んで岩谷時子さんと島倉千代子さんのご冥福をお祈りいたします。


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