伊勢神宮参拝。
11月の終わりに来た時よりも、人が多い。~11月の参拝の時の話、「神様に逢えた瞬間」(2009.11.26)と言うタイトルでブログを書いている。
大袈裟に言うと、神様は僕が来るのを待っていたっていう話。偶然の捉え方の問題と言う人、それはそうだ。でもすべての出来事は偶然と必然で成り立っている。そう考えると、偶然の捉え方って・・・実は重要なんじゃないかとも想う。
伊勢神宮の参拝所にかかる一枚の布。高貴な布。これは、察する所、こちら側の世界とあちら側の世界の「隔て」であると想われる。それが布であるというところに意味がある。前回のお参りの時、この布が十数秒間向こう側にめくれて、社殿を拝むことが出来た。それを僕は神風と捉えた。神様が迎えてくれたと捉えた。ははは、そりゃぁ、偶然さ。でも、そんな偶然が嬉しいもんじゃないか。神様と会話が出来た僕は、うれし涙を流した。
前回書いたのは、そんな話だ。
今回のお参り。何度も書くが、人が多い。多少の順番待ちがある。出来る事なら、真ん中で・・・いつもの癖だ。前列の人の参拝が終わるたびに、ジリジリと前に歩み寄って行く。
参道を歩いている時から、こう想っていた。「今日は無風だ」。
「隔ての布」、今日はピタリと閉じている。今日は無風だ、微動だにしない。隔ての布がめくれなくても、神様とは会話出来る。別に、そんなことは気にしない。
でも、僕は予感している。ピリピリとした予感を感じる。
ジリジリとにじり寄り、二列目まで来る。僕の前の人が参拝を終えたが、そこは真ん前じゃない。左斜めににじり寄る。もう少しで真ん中が空く。600キロも走って、せっかく伊勢まで来たんだ、真ん真ん中がいい。
真ん中の人が参拝を終えた。入れ替わりに僕がそこに入り込む。ジリジリとゆっくりと。
「隔ての布」の下辺がにわかに揺れ出す。まだ僕は真ん中じゃない。真ん中へ進もうとしている。僕は敢えて、極度にゆっくりと進む。隔ての布、45度の角度まで、こちらに向かってそよいでいる。そしてそこで止まった。
今僕は真ん中だ。礼をし、柏手を打ち、手を合わせて拝む。決して目は閉じない。ただ神様を待つ。
「隔ての布」は、ゆっくりと角度を上げていく。ほんとにゆっくりと角度をあげていく。それが風の仕業だということを忘れるくらいに、ゆっくりと確実に角度を上げていく。隔ての布、目を開けている僕の目の位置を超えた。社殿を臨む。
僕の目の位置を超えた「隔ての布」は、その後、90度まで達してピタリと止まった。90度・・・つまり全開だ。
僕は、目を開けたまま荘厳な社殿の佇みに目を凝らす。一言だけ、神様と会話を交わす。そして黙り込む。全開の時間は30秒以上続いたように想われる。
後ろに並んでいるおばちゃんの「良い風が吹いて来たわねぇ・・・」と言う声を聞いて、僕は目を閉じて、柏手を二回打ち参拝を終える。
参拝を終えた僕が最前列を右横にずれ、参拝待ちの人の群れを出終わる時、今僕が立っていた場所を振り返ると・・・「隔ての布」は、僕が参拝を待っている時と同じ・・・完全に閉じていた。
別に「奇跡」と呼んでも構わないでしょ?僕だけがそれを奇跡と呼ぶ分には、誰の差し支えにもならないはずだ。
全開の参拝の時と同様・・・帰り道の参道・・・僕は放心状態である。大はしゃぎしたい気持ちと・・・信じられないといった気持ちが入り混じった不思議な気分だ。
ただ・・・僕は確かにこう想っていた。・・・誰も信じてくれないって・・・。この話を真面目な顔で話したら、僕はきっと一生「ウソップ」呼ばわりされるに違いない。
この場所に来て、僕が何かをお祈りをすることはないと想う。僕にとってこの場所は、神様と会話をする場所だ。
そしてそれは、とても軽い会話だ。
「また来るよ、神様」
11月の終わりに来た時よりも、人が多い。~11月の参拝の時の話、「神様に逢えた瞬間」(2009.11.26)と言うタイトルでブログを書いている。
大袈裟に言うと、神様は僕が来るのを待っていたっていう話。偶然の捉え方の問題と言う人、それはそうだ。でもすべての出来事は偶然と必然で成り立っている。そう考えると、偶然の捉え方って・・・実は重要なんじゃないかとも想う。
伊勢神宮の参拝所にかかる一枚の布。高貴な布。これは、察する所、こちら側の世界とあちら側の世界の「隔て」であると想われる。それが布であるというところに意味がある。前回のお参りの時、この布が十数秒間向こう側にめくれて、社殿を拝むことが出来た。それを僕は神風と捉えた。神様が迎えてくれたと捉えた。ははは、そりゃぁ、偶然さ。でも、そんな偶然が嬉しいもんじゃないか。神様と会話が出来た僕は、うれし涙を流した。
前回書いたのは、そんな話だ。
今回のお参り。何度も書くが、人が多い。多少の順番待ちがある。出来る事なら、真ん中で・・・いつもの癖だ。前列の人の参拝が終わるたびに、ジリジリと前に歩み寄って行く。
参道を歩いている時から、こう想っていた。「今日は無風だ」。
「隔ての布」、今日はピタリと閉じている。今日は無風だ、微動だにしない。隔ての布がめくれなくても、神様とは会話出来る。別に、そんなことは気にしない。
でも、僕は予感している。ピリピリとした予感を感じる。
ジリジリとにじり寄り、二列目まで来る。僕の前の人が参拝を終えたが、そこは真ん前じゃない。左斜めににじり寄る。もう少しで真ん中が空く。600キロも走って、せっかく伊勢まで来たんだ、真ん真ん中がいい。
真ん中の人が参拝を終えた。入れ替わりに僕がそこに入り込む。ジリジリとゆっくりと。
「隔ての布」の下辺がにわかに揺れ出す。まだ僕は真ん中じゃない。真ん中へ進もうとしている。僕は敢えて、極度にゆっくりと進む。隔ての布、45度の角度まで、こちらに向かってそよいでいる。そしてそこで止まった。
今僕は真ん中だ。礼をし、柏手を打ち、手を合わせて拝む。決して目は閉じない。ただ神様を待つ。
「隔ての布」は、ゆっくりと角度を上げていく。ほんとにゆっくりと角度をあげていく。それが風の仕業だということを忘れるくらいに、ゆっくりと確実に角度を上げていく。隔ての布、目を開けている僕の目の位置を超えた。社殿を臨む。
僕の目の位置を超えた「隔ての布」は、その後、90度まで達してピタリと止まった。90度・・・つまり全開だ。
僕は、目を開けたまま荘厳な社殿の佇みに目を凝らす。一言だけ、神様と会話を交わす。そして黙り込む。全開の時間は30秒以上続いたように想われる。
後ろに並んでいるおばちゃんの「良い風が吹いて来たわねぇ・・・」と言う声を聞いて、僕は目を閉じて、柏手を二回打ち参拝を終える。
参拝を終えた僕が最前列を右横にずれ、参拝待ちの人の群れを出終わる時、今僕が立っていた場所を振り返ると・・・「隔ての布」は、僕が参拝を待っている時と同じ・・・完全に閉じていた。
別に「奇跡」と呼んでも構わないでしょ?僕だけがそれを奇跡と呼ぶ分には、誰の差し支えにもならないはずだ。
全開の参拝の時と同様・・・帰り道の参道・・・僕は放心状態である。大はしゃぎしたい気持ちと・・・信じられないといった気持ちが入り混じった不思議な気分だ。
ただ・・・僕は確かにこう想っていた。・・・誰も信じてくれないって・・・。この話を真面目な顔で話したら、僕はきっと一生「ウソップ」呼ばわりされるに違いない。
この場所に来て、僕が何かをお祈りをすることはないと想う。僕にとってこの場所は、神様と会話をする場所だ。
そしてそれは、とても軽い会話だ。
「また来るよ、神様」