ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

天空の城発見しました!

2010-04-16 19:43:03 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
速玉大社に向かう途中、名物さんま寿司を探してパーク七里御浜に寄った。若干閑古鳥の鳴き声がピヨピヨと聞こえるモール型観光センター。定休日なのか潰れちゃったのかは分からないが、大きい方のレストランは閉まっていた。
小さい食堂のカウンターに並んでいたパックのさんま寿司をゲット。酢で締めたさんまの押し寿司。あっという間に平らげた。さんま寿司、美味しい。美味美味。パックでも美味美味。



紀州といえば、愛媛と並ぶみかんの産地。でしょ?・・・デザートはみかんソフトクリームをペロリ。これも美味しい。
最近、みかんが大好きで、直売店に並ぶみかんを物色してみるが、今はみかんの季節じゃない。並ぶのはデコポンやイヨカンといった大粒のものばかり。安いは安い、美味しいは美味しいのだが、大量過ぎるので断念。一人でデコポン10個は食べられないよ。



新宮地方名物、もう一つある。「めはり寿司」。目を見張るほど大きいということから名が付いた、めはり寿司。
速玉大社を出たあとで、晩ご飯用にめはり寿司もゲットしておこうと想い、新宮市内にある「めはりや」を探す。細い路地を通って「めはりや」にたどり着くも本日はお休み。「支店は営業中」と書いてあったので、地図を見て行くも、支店も休業中。あったまきた。

めはり寿司は一旦あきらめ、新宮市街を少し進むと標識に・・・「浮き島の森」・・・。ちょっと気になる、

国の天然記念物。風が吹くと移動する島。島が浮いてる?・・・ワオ。もう頭の中はプチパニック。勝手に想像がどんどん膨らんでいく。もう天空の城ラピュタである。さもなくば、ハウルの動く城・・・森が海の上を動いてる。ワオワオ。わぁ・・・浮き島の森・・・どんなだろう?あれか?ワンピースの空島みたいな感じかな?はたまた、恩田陸のオデュッセイアに出て来る「ココロコ」みたいな感じかな?あぁぁワクワクが止まらないよぉ。標識に従ってバイクは進む。なんで、そんなスーパーワクワク不思議スポットが、世間を騒がしていないんだろう?不思議だな。待ってろよ、ラピュタ!
標識は意外にも細い路地を指し、それに沿ってバイクは進む。あれ?海の方角じゃないな。。。あれ、でかいイオンとかあるけど。。。あれ?あれ?
「浮き島の森」・・・あれ?あれ?着いちゃった。あれ?あれ?天空の城はどこ?

小さな沼地に荒れた森。入場料は100円。受付にいる元気のいいおじさんに聞いてみる。島、動くんですか?おじさんが元気よく答える。「今はもう動かないね!」。あれ?
おじさんが言うことには、昔は台風の時なんかに結構動いて、森の枝が民家の窓に当って壊したりしていたらしい。
100円払って森に入る。遊歩道を通って森を一周。もちろん、テンションはがた落ちのまま。。。5分で歩き終わる森を歩きながら、ティファールの湯沸かし器並みのハイスピードで、勝手に想像を膨らまし過ぎた自分を責めるのであった。



想像と現実のギャップを埋めることは決して出来はしないが、市街地に昔からある自然を残すという意味では、憩いの場という意味では・・・良い良い良い。

あぁ、また寄り道しちゃったよ。

しかし、あれだね。「浮き島の森」と聞いて、「天空の城」や「空島」と繋げちゃう想像力って・・・なんなんだろうね。・・・リアルに反省。そして、ビバ想像力。
みんなも絶対行った方がいいよ。浮き島の森。ホントホントホント。


修験者への道は遠すぎる・・・

2010-04-16 05:09:15 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
新宮市。新宮という名前が街中にあふれている。不思議な気分だ。なんだか・・・誰かに話しかけたくなる。いや、自分の名前を書きたくなる。

「じゃぁ、こちらにお名前を書いてください」
「はい、書きました」
「えっ?新宮さんとおっしゃるんですか?」
「はい、そうです」満面の笑顔。
「あらぁ、ビックリ!」的な。的な。的な。

国道42号、熊野川に架かる橋を越えると、もうそこは速玉大社の入り口。熊野三山巡りの始まりだ。



参道を歩いて行くと、境内にある樹齢千年のナギが出迎えてくれる。「全国熊野神社総本宮」と書いたのぼりが立っている。そう、ここは全国に三千ある熊野神社の総本社である。



しっとりとした空気の中に、朱塗りの社殿。・・・あぁ、神社という感じ。

熊野御幸という言葉をご存知か?そもそも熊野参詣とはなんぞや?・・・よし、説明しよう。もちろん、受け売りで。

その昔、熊野の山中に住む、狩人や木こりをして生活をする人々が、山にある巨木の精霊を祭ったのが熊野信仰の起こり。これは古代の自然崇拝。
平安時代の半ば頃になると、熊野信仰は山岳仏教と結びつく。「寺の中での修行なんて甘っちょろいぜ、俺はもっと苦行がしたい、そう思わないか諸君!」と言ったか言わないか、修行好きの僧侶たちが、奥深い熊野の山で修行するようになったのである。どのくらい辛い修行かと言うと・・・真冬の平日ポスカの十五倍くらい辛い修行である・・・多分。

やがて彼らは難行苦行の末、半分僧侶で半分俗人である修験者になっていく。修験者は強い呪力を持つとされたため、皇室が彼らの力を借りて国内の争乱を鎮めようとした。そのために、平安末の有力者で院政によって国政を動かしたお偉方、例えば後白川上皇の三十三回を筆頭に、後鳥羽上皇の二十九回など、歴史的にみてもそうそうたる面々が幾度も熊野詣でを行った。西暦907年から1303年までの396年間に上皇、女院、親王を合わせて二十三方、百四十一回に及ぶ皇室の参詣があり、この皇室の参詣を熊野御幸と呼ぶのである。
室町時代以降は、上皇や貴族に代わって武士や庶民の参詣が盛んになる。その様子は、蟻の行列する様に例えて「蟻の熊野詣」と言われた。



想像してみよう。時の絶対権力者が、京都から「徒歩」で来るのである。想像してみよう。鳩山首相が、国会を放ったらかしにして、「俺、熊野に行ってくるわ」と言い、大勢の家来を連れて一ヶ月も国を留守にするのである。・・・鳩山首相がいなくても別に?って感じ?ううーん・・・じゃあ、麻生太郎!・・・関係ないか。うーん・・・じゃあ島田紳介!テレビいっぱい出てるし。みのもんた!東方神起!イ・ビョンホン!・・・うーん・・・いてくれないと困る人・・・うーん、あっ、オバマ!オバマ!オバマ!あと、ヒラリー!ヒラリー!ヒラリー!

オバマとヒラリーの熊野詣で、「疲れたからリムジンに乗っちゃう?」とかは無しなのである。CHANGE禁止なのである。
身を清めるのに数日、食べ物や言葉遣いにも細かい決まりがある。偉い人だからって特別扱いはされない。だって、楽をしたらご利益が減ってしまうのだから。
京都を出発してから山岳地帯を通り、熊野三山を巡り、同じ道を辿って帰京するまで一ヶ月近くの難行苦行。・・・うん、半端ない。スケジューリングの難しさ・・・半端ない。国政や周囲の人への影響も・・・半端ない。

その御幸が目指した三山の一つが、この速玉大社。大神はイザナギノミコト。

本殿の敷地の隅っこに新宮神社がある。そこにもお参り。「新宮が来ましたよ」と報告。



さぁ、次へ向かおう。二つ目は那智大社と那智の滝。昔の人は徒歩だけど、僕はバイクだ。那智勝浦新宮道路を使って、那智山へと上って行く。