珈琲の話を。ひとつ。ふたつ。
大学生の頃、珈琲に目覚めた。
たぶん、それは、「珈琲が好き」とか、「珈琲を語る」ってのが格好が良いと思っていたからだと思う。
フラスコとビーカーを組み合わせたような形をしたサイフォンでポコポコと珈琲を淹れる。アルコールランプでポコポコと珈琲を淹れる。
「うーん、やっぱりモカは酸味が効いていて美味しいね」
などと、珈琲を愛する友と語ったりするのが格好が良いと思っていたのだと思う。
サイフォンのある部屋が格好が良いと思っていたのかもしれない。
だって、サイフォンで珈琲を淹れると、いちいち布のフィルターを洗わなくきゃいけなくて、凄く面倒臭い。逆に、それが面倒で珈琲を飲む回数が減るといった現象まで起きたりする。
でも、サイフォンがある部屋は格好が良い。
学生時代、アパートの隣の部屋に住む友人がよく珈琲を淹れてくれた。
「うーん・・・今日は、モカだね?」
おっ、さすが、当たり。
「うーん・・・これは酸味があるけどモカではないな・・・キリマンジャロだね?」
おぉ、さすが、当たり!
とかなんとか言っちゃって、そういう遊びをしていた。
あそこのコーヒーは美味いだの不味いだのと言いながら、デニーズの煮詰まった珈琲を10杯も20杯もおかわりしていた頃のことである。
今振り返ると、「くだらない時代」である。
が、しかし、くだらない時代が大切なのである。
そもそも、人生とは、くだらない時代の積み重ねなのである。
最近、何にはまってますか?と誰かに聞かれたら、こう答える。
「最近、めっちゃ珈琲にはまってるんです、はい」
そう、僕は、今までの人生、珈琲の事なんて何も知らなかったと、気づいてしまったのである。
つづく。
大学生の頃、珈琲に目覚めた。
たぶん、それは、「珈琲が好き」とか、「珈琲を語る」ってのが格好が良いと思っていたからだと思う。
フラスコとビーカーを組み合わせたような形をしたサイフォンでポコポコと珈琲を淹れる。アルコールランプでポコポコと珈琲を淹れる。
「うーん、やっぱりモカは酸味が効いていて美味しいね」
などと、珈琲を愛する友と語ったりするのが格好が良いと思っていたのだと思う。
サイフォンのある部屋が格好が良いと思っていたのかもしれない。
だって、サイフォンで珈琲を淹れると、いちいち布のフィルターを洗わなくきゃいけなくて、凄く面倒臭い。逆に、それが面倒で珈琲を飲む回数が減るといった現象まで起きたりする。
でも、サイフォンがある部屋は格好が良い。
学生時代、アパートの隣の部屋に住む友人がよく珈琲を淹れてくれた。
「うーん・・・今日は、モカだね?」
おっ、さすが、当たり。
「うーん・・・これは酸味があるけどモカではないな・・・キリマンジャロだね?」
おぉ、さすが、当たり!
とかなんとか言っちゃって、そういう遊びをしていた。
あそこのコーヒーは美味いだの不味いだのと言いながら、デニーズの煮詰まった珈琲を10杯も20杯もおかわりしていた頃のことである。
今振り返ると、「くだらない時代」である。
が、しかし、くだらない時代が大切なのである。
そもそも、人生とは、くだらない時代の積み重ねなのである。
最近、何にはまってますか?と誰かに聞かれたら、こう答える。
「最近、めっちゃ珈琲にはまってるんです、はい」
そう、僕は、今までの人生、珈琲の事なんて何も知らなかったと、気づいてしまったのである。
つづく。