数ヶ月振りに、再びポツネン珈琲スタンドを訪れた。
例によって、丁寧に珈琲を淹れてくれるポツネンさんなのである。珈琲を淹れている間は、話し掛けないことにした。なぜなら、珈琲を淹れるという作業に必要なのは集中力らしいと、僕の脳味噌がなんとなく判断したから。
ポツネンさんが淹れてくれたキリマンジャロ。一口飲む。
うーーーん・・・うちのコーヒーとは違う。
何が違う?・・・何もかもが、違う。
こちらは美味しいが、あちらは不味い。
ポツネンさんに尋ねてみる。
これこれこういう訳で我が家でもキリマンジャロを淹れたてのだけど、まったくの別物だと。何故かと。なんでなのかと。
すると、ポツネンが僕に問う。
豆はどこで買いましたか?
スーパーマーケットです。
いくらでした?
200グラムで250円の超スーパーお買い得品です!プライベートブランドのコーヒー豆よりも断然安い超お買い得ラッキー商品ですよ!やるなぁ、オレ!
ポツネンさんは、少し困ったような顔をしてこう言った。
・・・それは駄目ですよ。
・・・それは、俗に言うクズ豆というやつです。
つまり、ポツネンさんの言葉を僕なりに意訳すると、こういうことだ。
「そんなクズ豆には淹れる価値も飲む価値もないので、とっとと捨てちまった方がいいですよ」
つまり、たぶん、こういうことでもある。
「大量生産の社会の中からあぶれてこぼれ落ちたクズ。それを売って商売にするというクズがいて、それを買うクズもいる。安いぜ!イェーイ!と喜んでいるバカちんがいるから社会が腐って腐って腐っていくんですよ」
ひどいよ、ポツネンさん。ひどすぎるよ。。。ポツネンさん。
無論、ポツネンさんはそんなことは言わない。ポツネンさんは至って穏やかな人だ。
「なんてこった」と途方に暮れている僕に、ポツネンさんは言う。
うちで売っている豆、200グラムの生豆を焙煎すると水分が飛んで150グラムになるんです。うちの豆は150グラムで1200円で売ってます。200グラムで250円の豆との差は、あると思いますよ。
そんなわけで、ポツネン珈琲スタンドからの帰り道。
僕は150グラム1200円のキリマンジャロの豆を胸に抱えながら鼻歌を歌っていた。
ふふふふん、ふふふふーん、らーららららー。
「やっぱりねぇ、美味しい珈琲を飲みたきゃ、いい豆を使わないとねぇ」
ふふふふーん。らーららららー。
例によって、丁寧に珈琲を淹れてくれるポツネンさんなのである。珈琲を淹れている間は、話し掛けないことにした。なぜなら、珈琲を淹れるという作業に必要なのは集中力らしいと、僕の脳味噌がなんとなく判断したから。
ポツネンさんが淹れてくれたキリマンジャロ。一口飲む。
うーーーん・・・うちのコーヒーとは違う。
何が違う?・・・何もかもが、違う。
こちらは美味しいが、あちらは不味い。
ポツネンさんに尋ねてみる。
これこれこういう訳で我が家でもキリマンジャロを淹れたてのだけど、まったくの別物だと。何故かと。なんでなのかと。
すると、ポツネンが僕に問う。
豆はどこで買いましたか?
スーパーマーケットです。
いくらでした?
200グラムで250円の超スーパーお買い得品です!プライベートブランドのコーヒー豆よりも断然安い超お買い得ラッキー商品ですよ!やるなぁ、オレ!
ポツネンさんは、少し困ったような顔をしてこう言った。
・・・それは駄目ですよ。
・・・それは、俗に言うクズ豆というやつです。
つまり、ポツネンさんの言葉を僕なりに意訳すると、こういうことだ。
「そんなクズ豆には淹れる価値も飲む価値もないので、とっとと捨てちまった方がいいですよ」
つまり、たぶん、こういうことでもある。
「大量生産の社会の中からあぶれてこぼれ落ちたクズ。それを売って商売にするというクズがいて、それを買うクズもいる。安いぜ!イェーイ!と喜んでいるバカちんがいるから社会が腐って腐って腐っていくんですよ」
ひどいよ、ポツネンさん。ひどすぎるよ。。。ポツネンさん。
無論、ポツネンさんはそんなことは言わない。ポツネンさんは至って穏やかな人だ。
「なんてこった」と途方に暮れている僕に、ポツネンさんは言う。
うちで売っている豆、200グラムの生豆を焙煎すると水分が飛んで150グラムになるんです。うちの豆は150グラムで1200円で売ってます。200グラムで250円の豆との差は、あると思いますよ。
そんなわけで、ポツネン珈琲スタンドからの帰り道。
僕は150グラム1200円のキリマンジャロの豆を胸に抱えながら鼻歌を歌っていた。
ふふふふん、ふふふふーん、らーららららー。
「やっぱりねぇ、美味しい珈琲を飲みたきゃ、いい豆を使わないとねぇ」
ふふふふーん。らーららららー。