ふしぎだ・・・と武蔵が呟く。
おじさん、何がふしぎ?・・・十一歳の城太郎が聞く。
「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国があることを知らなかった。・・・そこで不思議といったのだよ」
「おじさん、どこがそんなに違っているの?」
「山に樹が多い」
「樹なんか、どこにだって沢山生えているぜ」
「その樹が違う。この柳生谷四箇の庄の山は、みな樹齢が経っている。これはこの国が、兵火にかかっていない証拠だ。敵の濫伐をうけていない証だ。また、領民や民が飢えたことのない歴史をも物語っている」
「それから?」
「畑が青い。麦の根がよく踏んである。戸毎には、糸を紡ぐ音がするし、百姓は、道をゆく他国の者の贅沢な身装を見ても、さもしい眼をして、仕事の手を休めたりしない」
「それだけ?」
「まだある。ほかの国とちがって、畑に若い娘が多く見える。・・・畑に紅い帯が多く見えるのはこの国の若い女が、他国へ流れ出ていない証拠だろう。だからこの国は、経済にも豊かで、子供は健やかに育てられ、老人は尊敬され、若い男女は、どんなことがあっても他国へ走って、浮いた生活をしようとは思わない。従って、ここの領主の内福なことも分かるし、武器の庫には、槍鉄砲がいつでも研きぬいてあるだろうという想像もつく」
「なんだ、何を感心しているのかと思ったら、そんなつまらないことか」
「おまえには面白くあるまいな」
「だって、おじさんは、柳生家の者と試合をするために、この柳生谷へ来たんじゃないか」
「武者修行というものは、何も試合をして歩くだけが能じゃない。一宿一飯にありつきながら、木刀をかついで、叩き合いばかりして歩いているのは、あれは武者修行ではなくて、渡り者という輩。ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは心の修行をすることだ。また、諸国の地理水利を測り、土民の人情や気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか、城下から城内の奥まで見きわめる用意をもって、海内隈なく脚で踏んで心で観て歩くのが、武者修行というものだよ」
(吉川英治「宮本武蔵」より)
武者修行が・・・したい。
(しんぐ「おれ、武者修行がしたい」より)
おじさん、何がふしぎ?・・・十一歳の城太郎が聞く。
「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国があることを知らなかった。・・・そこで不思議といったのだよ」
「おじさん、どこがそんなに違っているの?」
「山に樹が多い」
「樹なんか、どこにだって沢山生えているぜ」
「その樹が違う。この柳生谷四箇の庄の山は、みな樹齢が経っている。これはこの国が、兵火にかかっていない証拠だ。敵の濫伐をうけていない証だ。また、領民や民が飢えたことのない歴史をも物語っている」
「それから?」
「畑が青い。麦の根がよく踏んである。戸毎には、糸を紡ぐ音がするし、百姓は、道をゆく他国の者の贅沢な身装を見ても、さもしい眼をして、仕事の手を休めたりしない」
「それだけ?」
「まだある。ほかの国とちがって、畑に若い娘が多く見える。・・・畑に紅い帯が多く見えるのはこの国の若い女が、他国へ流れ出ていない証拠だろう。だからこの国は、経済にも豊かで、子供は健やかに育てられ、老人は尊敬され、若い男女は、どんなことがあっても他国へ走って、浮いた生活をしようとは思わない。従って、ここの領主の内福なことも分かるし、武器の庫には、槍鉄砲がいつでも研きぬいてあるだろうという想像もつく」
「なんだ、何を感心しているのかと思ったら、そんなつまらないことか」
「おまえには面白くあるまいな」
「だって、おじさんは、柳生家の者と試合をするために、この柳生谷へ来たんじゃないか」
「武者修行というものは、何も試合をして歩くだけが能じゃない。一宿一飯にありつきながら、木刀をかついで、叩き合いばかりして歩いているのは、あれは武者修行ではなくて、渡り者という輩。ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは心の修行をすることだ。また、諸国の地理水利を測り、土民の人情や気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか、城下から城内の奥まで見きわめる用意をもって、海内隈なく脚で踏んで心で観て歩くのが、武者修行というものだよ」
(吉川英治「宮本武蔵」より)
武者修行が・・・したい。
(しんぐ「おれ、武者修行がしたい」より)