ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

マコ先生へ。

2016-02-26 03:55:14 | Weblog
ふしぎだ・・・と武蔵が呟く。

おじさん、何がふしぎ?・・・十一歳の城太郎が聞く。

「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国があることを知らなかった。・・・そこで不思議といったのだよ」

「おじさん、どこがそんなに違っているの?」

「山に樹が多い」

「樹なんか、どこにだって沢山生えているぜ」

「その樹が違う。この柳生谷四箇の庄の山は、みな樹齢が経っている。これはこの国が、兵火にかかっていない証拠だ。敵の濫伐をうけていない証だ。また、領民や民が飢えたことのない歴史をも物語っている」

「それから?」

「畑が青い。麦の根がよく踏んである。戸毎には、糸を紡ぐ音がするし、百姓は、道をゆく他国の者の贅沢な身装を見ても、さもしい眼をして、仕事の手を休めたりしない」

「それだけ?」

「まだある。ほかの国とちがって、畑に若い娘が多く見える。・・・畑に紅い帯が多く見えるのはこの国の若い女が、他国へ流れ出ていない証拠だろう。だからこの国は、経済にも豊かで、子供は健やかに育てられ、老人は尊敬され、若い男女は、どんなことがあっても他国へ走って、浮いた生活をしようとは思わない。従って、ここの領主の内福なことも分かるし、武器の庫には、槍鉄砲がいつでも研きぬいてあるだろうという想像もつく」

「なんだ、何を感心しているのかと思ったら、そんなつまらないことか」

「おまえには面白くあるまいな」

「だって、おじさんは、柳生家の者と試合をするために、この柳生谷へ来たんじゃないか」

「武者修行というものは、何も試合をして歩くだけが能じゃない。一宿一飯にありつきながら、木刀をかついで、叩き合いばかりして歩いているのは、あれは武者修行ではなくて、渡り者という輩。ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは心の修行をすることだ。また、諸国の地理水利を測り、土民の人情や気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか、城下から城内の奥まで見きわめる用意をもって、海内隈なく脚で踏んで心で観て歩くのが、武者修行というものだよ」

(吉川英治「宮本武蔵」より)


武者修行が・・・したい。

(しんぐ「おれ、武者修行がしたい」より)

春なのにぃ。

2016-02-26 03:08:40 | Weblog


あぁ、もう春だなぁ。やっと春が来たなぁ・・・と思いながら過ごしていた今日この頃。

なんだか今日は冷えるなぁ・・・などと思う。

もう春だから、湯たんぽも入れず、ダウンパンツも履かず。

おかしいなぁ、もうすぐ三月、春なのに冷えるなぁ・・・などと思う。

あんまり冷えるから、仕方がない、外へ出てお湯でも沸かすか・・・などと思う。

おかしいなぁ。外の水道が凍っていて水が出ない。むむむむむ。

なんだか、何もかも凍っているような気がするんだよなぁ。ウッドデッキもテーブルも薪ストーブも。木々も葉っぱも、月でさえも。

おかしいなぁ。春なのに、マイナス6度ってのは、どういうことだろう。

おかしいなぁ。おかしいなぁ。おかしいなぁ。
春なのに。春なのに。春なのにぃ。