ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

新宮 in 新宮

2010-04-15 23:25:08 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
七里御浜沿いに国道42号をいく。新宮市に入る。熊野三山の一つ神倉神社から熊野速玉大社に神を迎えて以来、周囲を新宮と呼ぶようになった。

ご存知の方もいると想うが、僕の苗字は新宮。「随分と高貴な苗字だね」と、良く言われる(笑)。「実家は神社か何かなの?」とも、良く言われる。皇室に子供が出来ると、「新宮家」(しんみやけ)と呼ばれる。

14世紀の初め、時は鎌倉時代。後醍醐天皇が即位する。後醍醐天皇は、あらかじめ決められている自分の処遇に不満を抱き、鎌倉幕府を討とうと色々と画策する。何度失敗しても懲りずに画策し、ついに捕らえられ謀反人にされてしまう。刑罰は隠岐の島への流罪。なんとか隠岐の島から脱出した後醍醐天皇は、足利尊氏や新田義貞らの助けを借り、鎌倉幕府を滅ばす。
その後、皇位に戻った後醍醐天皇、世紀の我が侭天皇の本領発揮。皇室の決まり事も無視、父親との約束も全部反古にして、「俺が一番だぜ!」宣言を表明。自分に味方した武士に恩賞を渋り、法令を決めてはすぐに変え、大増税をしての宮廷建設計画、非現実的な経済政策。貴族・大寺社から武士に至るまでの既得権侵害。まるでマリーアントワネットのような奔放振りだったとか・・・。結局、多方面から無能さを批判され、権威は地に堕ちていく。
後醍醐天皇は味方の公家や武将たちからも愛想を尽かされ、大変なことになる。味方だった足利軍に追われて逃げ回り、和睦の要請に応じて皇位継承者の証明「三種の神器」を相手方に渡してしまう。足利尊氏は新天皇を擁立し、室町幕府を開設。が、後醍醐天皇、まだ終わらない。幽閉先のお寺からまんまと脱け出し、「渡した神器は偽物である、はははぁ」と宣い、奈良県吉野に新しい朝廷を開いてしまったのである。これが京都朝廷と吉野朝廷が並立する南北朝時代の始まり。恐るべき「稀代の自分自分天皇」「俺が一番じゃなきゃ嫌だ天皇」・・・それが後醍醐天皇。

今の皇室は後醍醐天皇が立てた南朝の系譜だ。それはいいとして、かの徳川光圀は「大日本史」にこう書いている。「後醍醐天皇は不徳の君」。ダメダメ天皇ってことだね。ローマ皇帝暴君ネロのような扱いじゃないか・・・。


僕の苗字「新宮」は隠岐の島の出身だ。そう、隠岐の島に流されて暇を持て余した理不尽天皇の不徳の致す所・・・と、ちょっとした優しさ。
そう、いつか話した「はぐれ皇族純情派」。そういう感じの事情です。かなりの確率で。

そうか・・・愛すべきわがままの血は・・・そういうところからか・・・。

Do you understand? Don't say, so what?

僕たちの神様~街角から街角に神がいる

2010-04-15 08:20:22 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
最高神である天照大神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと~以下イザナギ)の子神にあたる。
伊弉諾尊は妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと~以下イザナミ)とともに、日本列島を構成する島々を生んだ。イザナミは火の神、迦具土神(かぐつちのかみ~以下カグツチ)を生んだ時の火傷のために亡くなった。イザナギはカグツチを殺す。

イザナギは、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉の国まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗し、ウジにたかられ、雷(いかづち)に囲まれたイザナミの姿。その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。

辱めを受けたと怒り、イザナギを追いかけるイザナミ、逃げるイザナギ。
修羅場だ。これは修羅場だ。想像を絶する。かなり恐い。相当恐いが・・・逢いたくて逢いに行ったのに、腐敗してるくらい何だ。うじがわいているくらい何だ。雷に囲まれているくらいなんだ。イザナギ、どうして抱きしめてやらない。と、想わないでもない。

色々あって、イザナギは黄泉の国と地上の境の地上側出口を大岩で塞ぎ、難を逃れる。その時に岩を挟んで二人が交わした言葉が・・・また恐い。
イザナミが「お前の国の人間を一日1000人殺してやる」と言うと、「それならば私は、一日1500の産屋を建てよう」とイザナギは言い返す。ここで二人は離縁する。

こうして、生きている人間を守るイザナギと、死者の住む黄泉の国の神となったイザナミは、対立することになる。

その後、イザナギが黄泉の国のケガレを落とすために禊(ミソギ)を行うと様々な神が生まれ、最後に天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊等(すさのおのみこと)の三柱の有力な神が生まれた。この三柱の神を「三貴子」と呼ぶ。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原、夜、海原の統治を委任した。
この時、イザナギはすぐれた子供が出来たことを喜び、天照大神にすべてを託して身を隠したとされる。

【参考~「知っておきたい日本の神様」角川ソフィア文庫(武光誠著)と、WIKIPEDIA】

古事記や日本書紀に記されている日本神話。イザナミが葬られた場所・・・それが日本最古の神社、「花の窟(はなのいわや)」。

今回の旅、ここに来たくて紀伊半島一周を思いついたと言っても過言ではない。太古の日本人の自然崇拝の原点。八百万の神への信仰の原点とも想える場所。神道が出来上がるよりも遥か昔。勿論仏教でもなく、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥー教でもブードゥー教でもない。政治的要素を一切含まない、古代の人が自然を自然のままに受け入れた神様の原点。今も日本人の心の奥に深く根ざす、誇るべき純粋な信仰の原点。そんなものをこの目に焼き付けたくて、ここまで来た。うん、大袈裟だが、それが本心。



ひっそりとした小さな神社の入り口、参道に人はいない。ゆっくりと参道を歩く。
花の窟には社殿は無い。高さ45mの巨巌そのものを御神体としている。太古から巨巌そのものが神様として崇められてきた。



参道を抜けて小さな門をくぐると、木立の合間から御神体が姿を見せる。少し震える。
そのまま進み、巨巌の全貌を目の当たりにする。なんてことのない岩だ・・・ただの巨大な岩だ・・・なのに・・・直下に立つと身が竦むような気がする。



日本神話の信憑性なんてどうでもいい。神話は神話だ、神話でしかない。でも、なんでだろう・・・神話が生まれるずっと前から今日まで、人々が信仰の対象にし続けた理由・・・何かがここに眠っているような気がする。何もないこの場所に、何かが眠っているような気がしてしまう。



イザナミを祭る御神体の前に、生まれた途端にイザナギに殺された火の神カグツチを祭った小さな岩がある。大量の花を供え、熱心に祈る人がいた。信仰って美しいな・・・そう想った。ルールが無ければ、ルールにとらわれないでいいのならば、信仰は美しい。僕はそんな風に想う。

ここに来れて良かった。七里御浜で時間を費やせなかった代わりに、巨巌を見上げながら、しばし座り込み過ごす。あぁ・・・ここに来れて良かった。日本の神様は素敵だ。・・・違う、日本人が信じる神様の存在が素敵なんだ。

花窟神社。祭神はいざなみのみことと、かぐつちのかみ。年に二回、180mの大綱に季節の花を括り付け、花を以て、イザナミとカグツチの魂を祭る。


参道にある苔むした小さな岩に、綱がかけてある。そう、神様は、そこかしこにいる。僕たちの神様は、いたるところにいる。それがとても素敵なことなんだ。


みはま恋し、らいおんの詩

2010-04-15 02:38:45 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
「楯ケ崎」にやってきた。
高さ100m周囲600mの柱状節理の大岩壁~東紀州きっての景勝地



水の色が異様に綺麗だ。上から見下ろす楯ヶ崎は、礼文島で見た「澄海岬」に似ていた。青い海だ。海の底が見える程に透き通った青い海だ。

日本書紀に記された神武天皇東征軍の荒坂津への上陸伝説や千畳敷で楯ヶ崎を望んで伊勢大神と熊野大神が酒盛りをしたという伝説が残る。
平安時代の歌人・増基法師は「神のたたかひたる処」と詠い怒濤衝撃する形成が勇猛なる人の気概を高め、太古神明斗戦の地であることを伝えている。

熊野には逢神坂という峠がある。これは伊勢の神宮と熊野の権現が出会うという意味があるそうだ。伊勢参りと熊野詣で・・・心がにわかにざわめき出す。平安時代から江戸時代まで、車の無い時代・・・権力者、高貴な人々、庶民に至るまで、人々はこの道を、神様に逢うために歩いていたんだな・・・そんなことを感じながら、僕は走る。

「獅子岩」&「七里御浜」。
海に向かって吠えるライオン。高さ25m、国の天然記念物。奥にある大馬神社には狛犬がいない。それは、このライオンが狛犬にたとえられているからだガオ。



全長25キロに渡る七里御浜。当時、熊野詣でに向かうお遍路さんの多くが、荒々しい黒潮にさらわれて命を落としたらしい。熊野川の上流から新宮を経て、熊野灘の荒波に磨かれた小石が敷き詰められている。「みはま小石」と呼ばれる色とりどりの小石は、アクセサリーに利用されている。

書きながら想った事がある。・・・ここの小石をお土産にすれば良かった。・・・あぁ、失敗した。
お土産に最適です。みはま小石。次に訪れた時には必ずや持ち帰ります。



少しだけ海岸を歩いた。浜に座って、波の音を、陽が暮れるまで聴いているのもいいと想った。優しく、心地のいい場所だ。でも、走ろうと想った。行きたい場所がある。イザナミノミコトに逢いに行きたい。花の窟(ハナノイワヤ)は、目と鼻の先だ。

海辺に立つ巨木の森

2010-04-14 23:55:22 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
三日目の朝、荷物をバイクにくくり付けた後、地図を見ながら今日の行程を整理してみる。
熊野の名所を周りながら、紀伊半島の南端を目指してみることにする。見所満載だ。ただ走るだけなら、なんてことのない距離ではあるが、僕の場合はそうはいかない。どこまで進めるか、それは進んでみなければ分からない。本当に分からない。

古里キャンプ場に別れを告げて、国道42号~熊野街道を走る。尾鷲を過ぎたところで、42号から国道311へ。海岸線の道。右手に山、左手に海。天気はいい。時間も早い。爽快だ。

前にも書いたが、昭文社のツーリングマップル、これはライダーにとっては珠玉の一冊。バイク向きの道が太線で示されている。遠回りでも、その道を通っておけば間違いない。これは妄信ではない。経験による実感。だから、出来るだけ太線の道を通る。
そして名所や名店情報が、オレンジの字で散りばめられている。これもまた役に立つ。特に、下調べの甘い僕にとっては、ガイドブックの役割さえ果たしてしまう。走っていると見過ごしてしまうマイナーな名所が、しっかりとカバーされている。恐るべし、ツーリングマップル。

☆飛鳥神社~千年以上の歴史を持つ神社。海辺に出現する巨木の森。

こんな洒落た謳い文句に釣られて、飛鳥神社に寄ることにした。ツーリングマップルでチェックしていなければ、確実に通り過ぎてしまったことだろう。



いきなり、鳥居の向こう、参道のど真ん中に杉の巨木が立っている。ワオ。巨木に挨拶をしつつ、脇を抜ける。小さな小さな神社が巨木の隙間に申し訳なさそうに佇んでいる。そうか・・・森の中に神社があるわけじゃない。この森が神社なんだ。千年前の人たちは、この森を神様として祀っていたんだ。
数十メートルの参道を歩きながら感じる、生命力の強さ。人が造った石垣など、巨木の根の力の前ではひとたまりも無く壊されていく。



あと千年経って、まだ人間がこの星の上で生き続けていたら、さらに千年分太くなって、参道を完全に塞いでしまった巨木の脇に小さな参道を造って、神様へのお参りを続けているんだろうな。


いや、でも、ちょっと待てよ。。。なぜ、最初から巨木を避けて参道を造らなかったんだ?・・・木は最初からそこにあったはずなのに・・・。・・・千年の歴史のある神社・・・。樹齢数百年の巨木。。。
なるほど・・・参道に生えて来たんだ・・・この巨木。
いやはや・・・千年って・・・途方も無い年月だ。


マンボウの町の入り江にて

2010-04-14 16:46:24 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
今回の旅の特徴は、プランが曖昧だということ。
それはいつもと同じだろ?と想うことには想うのだが・・・ならば、「いつも以上に」・・・と付け加えておこう。
その日の予定も、次の日の予定も、その場の時間と天気に寄って決められていく。変えられていく。

パールロードを疾走し、志摩スペイン村の横を通り国道260号に合流する。大まかに言うならば、ここからはずっと海沿いの道だ。海まで僅か1メートルの場所を走る場所なんてのもあったりする。およそ国道とは想えない、普通乗用車がすれ違えない細い道もあったりする。

今日中に、出来るだけ紀伊半島を南下したいと想い直走るが、いかんせん寒い。薄暗くなるとともに、気温の下がり方が尋常ではなくなる。こういう時に何を想いながら走るかと言うと・・・「テント張れる場所・・・ないかな・・・」である。出来れば、冷えた身体を温める「温泉」なんかがそばにあると尚いい。である。

紀伊半島のキャンプ場、無い訳ではない。むしろ、たくさんある。が、、、しかし、、、高い。ひどく高い所は持ち込みテント一泊四千円也。・・・ビジネスホテルに泊まれるってね。温泉旅館に素泊まりで泊まれるってね。こちとら、バイクのミニテント。出せても一泊500円まで。設備なんて何もなくていい。・・・つまり、どこだっていいってことだ。
出来れば、安心して張れる場所がいい。出来れば、目覚めた時の景観が素敵な場所がいい。あぁ、温泉がそばにあると尚いい・・・別に無くてもいいけど。

予想外の寒さと、障害のため想定外の長距離を走ったせいで、二日目にして相当疲れている。この疲労はごく自然に蓄積されていく訳だから、無理は禁物だ。早めにビバークして、早めに寝て、早めに起きる、これがいい。
休憩しながら地図を眺め、iPhoneで検索をして・・・いい場所を見つけた。
紀伊長島の古里キャンプ場。値段はテント一張り二千円。営業期間は夏。・・・つまり今は営業期間外だな。つまり、今はタダだな・・・だって営業していないんだから。いい場所見っけ。そばに古里温泉もある。五百円。
一応言っておくが、場所は借りるが、施設はほぼ借りない。一晩の料理のための水は積んでるし、焚き火で浜を汚したりしない。ゴミはちゃんと持ち帰る。ははは、エコライダー。これ、基本。

紀伊長島古里・・・町の魚はマンボウ。マンボウ食べちゃう。
夏は海水浴客で賑わうんだろうな。今はひとっこひとりいない砂利浜。入り江になっているせいで波は静かだ。

初めて行った北海道キャンプツーリングの時と比べると、荷物の量は減った気がする。余計なものは持たなくなった。洗練されてきたってことだな。
今回のニューグッズの目玉はガスランタン。今まではコールマンの電池式。小さいくせに恐ろしいくらい明るい。明るいのはいいが、電池が5時間しか持たない。そしてその灯りが白い。白い灯りは優しくない。・・・灯りはオレンジ色がいい。ほのかにボワーーーがいい。
ガスランタンはUNIFLAME製のコンパクト。家では試したが、外では初めて。ワクワクしながらガスをセットして点火する。ボワーーー・・・あれ?暗いな。・・・あれ?暗いぞ。・・・あぁぁ、なるほど・・・このランタン、暗いんだ。
結局、電池式ランタンも点ける。だって・・・鶏肉の焼け具合が見えないんだもの。ははは。
でも、役に立たない訳ではない。なんとなくボワーーーっとしていて、気分はいい。ははは。



晩ご飯は、伊勢のスーパーで買った伊勢鶏とネギと白米。ロゴスの焚き火台「ピラミッドグリル」で豆炭を燃やして炭焼きにする。いいねぇ、キャンプ。いいねぇ、地場モノを使ったご飯。旅だねぇ。あぁ、旅だ。



明日の朝ご飯のために、伊勢うどんも買っておけば良かったと、ほんの少し後悔しながら、温泉で温まったカラダを寝袋に入れるのであった。


胸に残るチクリチクリ

2010-04-14 05:06:37 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
☆おじさんからの指令~その弐。パールロードを走れ。

前出の松坂牛の牛丼を教えてくれた、道の駅で出会ったおじさん。伊勢近辺の地図を見ながら、何度もこう言った。
「パールロードは走らないといけん」「若い頃は良く走ったもんだ」「パールロードは美しい」「絶対に走って来い」等々。
とにかくパールロード一押しなのだ。

結局、前回の京都伊勢ツーリングの時は、時間の都合で走れなかった。そういうのは胸に残る。少し後悔めいたものとして、記憶の隅や胸の奥の方やカラダのどこかしらがチクリチクリとする。
時間外で入れなかったヴァチカンのサンピエトロ寺院も、修復中だったパリのノートルダム寺院も、駅員に意地悪されて行けなかったフランスのモンサンミシェルも、ついついプランから外してしまったフィレンツェの最後の晩餐も、自分の無力さのせいで行けなかったモロッコのマラケシュも、4WDの車じゃなかったから行けなかったオーストラリア・ノーザンテリトリーのバングルバングルも、最小催行人員に達せずに乗れなかったエアーズロック近郊を上空から眺めるセスナ機も、芸術に溺れ過ぎて見逃したスペイン・フィゲラスのサルバドール・ダリの美術館も、五日間寝坊を繰り返して結局行けなかった深夜特急に出て来るポルトガル・サグレスの岬も・・・全部が・・・他にも数えきれないほどの場所が・・・チクリチクリと僕を刺す。

とにかく僕は、パールロードを走らなければならないのだ。地図を見る限り、良い道そうだけど・・・まぁ何と言うか・・・くらいの感覚。おやじに薦められていなければ、パールロードは走らずに県道32号で志摩に向かうか、県道12号の峠を越えて南伊勢に出る。ルート的に選択肢はいくつもある。がしかしだ、僕はパールロードを走らなければならない。なぜなら、おやじが走れと言ってくれたから。なぜなら、チクリチクリはごめんだからさ。モノの価値なんて自分の目で確かめなければ決して分からない。そう、いいんだよ・・・それがただの海沿いの道だったとしても。


伊勢神宮を出たのは午後三時。ツーリングとして考えると・・・もうすぐ一日が終わってしまう。だが、僕の今日の行程は、まだ半分も来ていない。
パールロードを走るためには、まず鳥羽へ出なければならない。伊勢自動車道と伊勢志摩スカイラインがあるが、二つとも有料道路なので使わない。二つの道路の真ん中を通る県道37号を行く。ここら辺の道は、交通量は少ないし信号も少ない。快適に走れる。天気もいい。鳥羽で海に出て、ここからはずっと海沿いの道。海産物屋が数多く立ち並ぶ。休憩がてらちょこちょこ寄り道をしながら行く。もちろん、海産物屋もひやかしながら行く。牡蠣は安いが、他のものは結構高いな・・・。









いよいよパールロードが近づいてくると、対向車線に大量のライダーを見かけるようになる。つまり、メッカだ。ライダーのメッカだ。やっぱりね、良い道なんだよ。心が躍る。

パールロード・・・山あいを走る整備された道。伊勢湾、熊野灘、太平洋を見下ろしながら延々と続く道。これは気持ちがいい。ははは・・・パールロードだ。真珠の養殖が盛んな土地だ。だからパールロードなんだ。

走れて良かったよ、パールロード。おやじに感謝だ。胸に残り続けるチクリチクリにも感謝だ。チクリチクリが残っていなければ、こんな風に旅をすることもなかったのかもしれないからね。
きっと僕は、これからもずっと、こんな風に旅を続けていくのだと想う。胸のチクリチクリに導かれながらね。

志摩の牡蠣・・・食べてない・・・チクリチクリ。・・・牡蠣が美味しいのは寒い時期だな。いつか寒い時期に食べに来よう(笑)。


偶然という名の「本物の奇跡」

2010-04-13 01:20:31 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
伊勢神宮参拝。
11月の終わりに来た時よりも、人が多い。~11月の参拝の時の話、「神様に逢えた瞬間」(2009.11.26)と言うタイトルでブログを書いている。
大袈裟に言うと、神様は僕が来るのを待っていたっていう話。偶然の捉え方の問題と言う人、それはそうだ。でもすべての出来事は偶然と必然で成り立っている。そう考えると、偶然の捉え方って・・・実は重要なんじゃないかとも想う。

伊勢神宮の参拝所にかかる一枚の布。高貴な布。これは、察する所、こちら側の世界とあちら側の世界の「隔て」であると想われる。それが布であるというところに意味がある。前回のお参りの時、この布が十数秒間向こう側にめくれて、社殿を拝むことが出来た。それを僕は神風と捉えた。神様が迎えてくれたと捉えた。ははは、そりゃぁ、偶然さ。でも、そんな偶然が嬉しいもんじゃないか。神様と会話が出来た僕は、うれし涙を流した。
前回書いたのは、そんな話だ。

今回のお参り。何度も書くが、人が多い。多少の順番待ちがある。出来る事なら、真ん中で・・・いつもの癖だ。前列の人の参拝が終わるたびに、ジリジリと前に歩み寄って行く。
参道を歩いている時から、こう想っていた。「今日は無風だ」。
「隔ての布」、今日はピタリと閉じている。今日は無風だ、微動だにしない。隔ての布がめくれなくても、神様とは会話出来る。別に、そんなことは気にしない。
でも、僕は予感している。ピリピリとした予感を感じる。
ジリジリとにじり寄り、二列目まで来る。僕の前の人が参拝を終えたが、そこは真ん前じゃない。左斜めににじり寄る。もう少しで真ん中が空く。600キロも走って、せっかく伊勢まで来たんだ、真ん真ん中がいい。
真ん中の人が参拝を終えた。入れ替わりに僕がそこに入り込む。ジリジリとゆっくりと。
「隔ての布」の下辺がにわかに揺れ出す。まだ僕は真ん中じゃない。真ん中へ進もうとしている。僕は敢えて、極度にゆっくりと進む。隔ての布、45度の角度まで、こちらに向かってそよいでいる。そしてそこで止まった。
今僕は真ん中だ。礼をし、柏手を打ち、手を合わせて拝む。決して目は閉じない。ただ神様を待つ。
「隔ての布」は、ゆっくりと角度を上げていく。ほんとにゆっくりと角度をあげていく。それが風の仕業だということを忘れるくらいに、ゆっくりと確実に角度を上げていく。隔ての布、目を開けている僕の目の位置を超えた。社殿を臨む。
僕の目の位置を超えた「隔ての布」は、その後、90度まで達してピタリと止まった。90度・・・つまり全開だ。
僕は、目を開けたまま荘厳な社殿の佇みに目を凝らす。一言だけ、神様と会話を交わす。そして黙り込む。全開の時間は30秒以上続いたように想われる。
後ろに並んでいるおばちゃんの「良い風が吹いて来たわねぇ・・・」と言う声を聞いて、僕は目を閉じて、柏手を二回打ち参拝を終える。
参拝を終えた僕が最前列を右横にずれ、参拝待ちの人の群れを出終わる時、今僕が立っていた場所を振り返ると・・・「隔ての布」は、僕が参拝を待っている時と同じ・・・完全に閉じていた。


別に「奇跡」と呼んでも構わないでしょ?僕だけがそれを奇跡と呼ぶ分には、誰の差し支えにもならないはずだ。

全開の参拝の時と同様・・・帰り道の参道・・・僕は放心状態である。大はしゃぎしたい気持ちと・・・信じられないといった気持ちが入り混じった不思議な気分だ。
ただ・・・僕は確かにこう想っていた。・・・誰も信じてくれないって・・・。この話を真面目な顔で話したら、僕はきっと一生「ウソップ」呼ばわりされるに違いない。

この場所に来て、僕が何かをお祈りをすることはないと想う。僕にとってこの場所は、神様と会話をする場所だ。
そしてそれは、とても軽い会話だ。

「また来るよ、神様」


ラジオの話~第十五回

2010-04-12 03:50:37 | Weblog
火曜日は、シングのラジオ「Trash Box Jam~SINGのライオン
の詩」の放送日。
夜8時、FM78.3MHzレッズウェイブ。
さいたま市浦和区、川越(今福辺り)、朝霞辺り、日高辺りで
聴取可能との情報あり。・・・。・・・。少すぎだろ?

今回は、トラッシュのライブ裏話満載でお送りしますよ。コーナー二つ
分、割いちゃったよ。

四月の放送から、途中のCMがなくなった。2分増えただけな
のに、結構変わった気がするのは、53分ぶっ通しで収録しなければ
いけなくなったせいなのだろうか?・・・まぁいいんだけどね。

ルーツオブシングのコーナーでは、佐野元春を紹介。・・・もう一曲かけ
たかったなぁ。
このコーナー、楽しい。好きだな。

新コーナー、レコーディングNOW。
Little Love Storyのデモ版を披露。今回の目玉かな。


まぁ、あとは、時間ギリギリまで、ノンビリと喋ってるよ。

さぁ聴こう。頑張って聴こう。


ヨロシコ。

聴き方がわからない人は、先週のラジオ話のブログを見てね。

4.10 TRASH BOX JAM ライブレビュー

2010-04-11 12:05:21 | Weblog
四月十日、土曜日。晴れ。気温高め。桜満開、時々チラチラと散る。
我がTrash Box Jamのライブ、西川口ハーツにて。

メンバー四人揃ってのリハーサル、0回。三人でのリハーサル、一回。メンバー四人揃ってのストリート、0回。ははは・・・こんなんでライブ出来んのか?・・・出来ちゃうんです。・・・なんともまぁ・・・大人なバンドだ。

練習不足だろうが、なんだろうが、歌いたい唄を歌う。変えたい場所は変える。もともと「なんとかなるさ」の精神が強い。本番まで一時間を切った暗がりの公園で練習、突然ブレイクの拍数を変える。いいんだよ、間違えたって、それが四人が生み出す音の中での出来事ならば。

バンドはいい。ソロライブをやったりしてる中で思うのはそういうことだ。バンドはいい。音が融合する。融合した音を、大音量で吐き出す。それがバンドだ。それが楽しい。それぞれが編み出した音が重なったり、微妙にずれたりしながら、自分たちの音としてオーディエンスの耳に届く、心に刻み込まれる。それがライブだ。

マコのドラムと、ぎょいにぃのベースと、しっしーのギター。俺は歌うだけでいい。まさに、歌うだけでいい。心の底から歌うだけでいい。音に乗って歌うだけでいい。音に乗せて歌うだけでいい。それが、我がTrash Box Jamというバンドが生み出す唯一無二の音だ。

来てくれた人、どうもありがとう。これからも、Wonderful Band ~ Trash Box Jamをよろしく。

4.10 (Sat.) NK HEARTS SET LIST

1.EVERYDAY
2.羽根
3.金色の翼
4.COFFEE AND BISCUIT
5.休日戦士
6.JUKEBOX STAR
アンコール
7.MESSAGE



☆sing (from trash box jam)ライブ情報
5.2(日)新宿Naked LoftOPEN18:00 / START19:00前売¥2,000(+1drinkから)当日¥2,300(+1drinkから)
☆trash box jam the bandライブ情報
6.19(土)西川口ハーツ。

★FMラジオ番組「TRASH BOX JAM~SINGのライオンの詩」FM78.3MHz[REDSWAVE] 毎週火曜日夜8時~9時。絶賛放送中。

4.10 TRASH BOX JAM THE BAND AT NK HEAETS

2010-04-10 00:20:25 | Weblog
いよいよ、今日はライブだ。
TRASH BOX JAM THE BAND 2010 VOL.2。

今回はトラッシュタオルが必要だ。きっと色んな意味でタオルが必要だ。

ライブは18時半スタート。トラッシュの出番は最後、21時頃の予定。

かけがえのない一瞬のために、みんな毎日を頑張っているのだろう。

そう、そのかけがえのない一瞬がね、明日のハーツに訪れるんだよ。

さぁ、行こうか。TRASH BOX JAM THE BANDの輝きのカケラを拾い集めに、西川口ハーツへ。



☆trash box jam the bandライブ情報
4.10(土)西川口ハーツ。
OPEN18:00 / START18:30
ticket ¥1500
出演は21時頃の予定。

☆sing (from trash box jam)ライブ情報
5.2(日)新宿Naked Loft
OPEN18:00 / START19:00
前売¥2,000(+1drinkから)当日¥2,300(+1drinkから)

★FMラジオ番組「TRASH BOX JAM~SINGのライオンの詩」
FM78.3MHz[REDSWAVE] 毎週火曜日夜8時~9時。絶賛放送中。

永久の意味

2010-04-09 23:51:45 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
プラプラと買い食いなんかをして伊勢での時間を過ごしたのは、急ぎ足の伊勢参りを少しでものんびりとした雰囲気にしたかったから・・・なんてね。

鳥居も宇治橋も、相変わらず厳か過ぎるほどに、そこに佇む。
伊勢の桜は、まだツボミ。一斉に咲き出した時にはどんな姿になるのか・・・五十鈴川沿いに立つ桜並木。さぞ・・・。

伊勢神宮に行くことがあったら、その境内に佇む巨木たちに目を向けて欲しい。千三百年の歴史を見守ってきた木の鼓動があふれている。天空を突き抜けるかのように、真っ直ぐに伸びる杉。その高さは50メートルにも及ぶ。そんな木がそこかしこに居る。


伊勢神宮には、式年遷宮という7世紀から行われている行事がある。20年に一度、社殿を造り直し、橋を架け替えるのだ。全部、まっさらな新品になる。次の遷宮は平成25年。橋は21年に架け替えられたばかり。

例えば、ヨーロッパには古い建造物が多い。何百年前のものなんてざらにある。がしかしである。今、その建物と同じものを造るのは、相当難しいらしい。それは、技術的なものもあるのだろう。材料的なものもあるのだろう。出来そうな気もするが、出来なそうな気もする。歴史というのは、きっとそういうものだ。

神宮式年遷宮・・・二十年に一度・・・千三百年の間続いている。技術は常に伝承されている。千三百年前と同じものが、確実に今造れるということだ。これには驚く。
千三百年前にそう決めた人が、何をもってそう決めたのかは知る由もないが、末恐ろしい壮大な計画だ。
千年以上壊れないものを造る技術はすごいと思うが(法隆寺とか)、永久に変わる事の無い建造物を造る方法・・・それがここにある。本当の意味での永久が、ここにはある。



おかげ横町~松坂牛と志摩の牡蠣

2010-04-09 00:04:55 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
浜風公園キャンプ場。テントを畳んでいると、散歩中のおばちゃんに声をかけられた。「寒かったでしょう?こんな時期にキャンプなんて・・・」。

はい、寒かったです。雪、降ってましたもん。


津から伊勢神宮内宮まで一時間。日射しはあるが気温は低い。でも、交通量は少なくて気持ちがいい。これぞツーリング。

前回の近畿ツーリングの時は、京都のテンペルとタットルの村から、日帰りで伊勢参りをした。その道すがら寄った道の駅で、ちょっと変わったおじちゃんと話をした。
何処へ行くんだ?と聞いてきたので、「伊勢参りだ」と答えると、二つばかりお薦めスポットを教えてくれた。
せっかく教えてもらったのだが、その時は時間が無く、その二つ共寄ることは出来なかったのだ。

☆おじさんからの指令~その壱。おかげ横町にある松坂牛の牛丼を食べなさい。

伊勢神宮の鳥居のそばにバイクを停めると、左側にお土産屋や食べ物屋がずらーりと並び立つ商店街の入り口がある。
前回来た時は、その道が「おかげ横町」だと思っていた。が、違ったらしい。おかげ横町は、その商店街のかなり奥まで歩いた先の左側の路地。実のところ、前回も探してはみたのだけれど、その「牛丼屋」、見つけられなかったのだ。

春休みのせいなのか、平日なのに、すごい人、すごい賑わい。目当ての牛丼屋(牛丼屋ではない、ホントは肉屋)、おかげ横町の奥の奥にある。見つけられたのはいいが、目に入って来たのは20人ばかりのすごい行列。・・・これは無理だな・・・と思いつつも、中を覗いてみると、並んでいるお客の目当てはコロッケ。松坂牛のコロッケ(多分130円)。店内の混雑はそれほどでもない。
よし、おやじとの約束だ、食うか!と心に決めた。松坂牛の牛丼、千円。

伊勢うどんといい、この牛丼といい、伊勢の味のなんと濃ゆいことか・・・オレは好きだ。関西の出汁は薄いと言うが、伊勢は激濃厚だ(笑)。あれ?伊勢は関西じゃないのか?東海か?

伊勢うどんも食べたかったが、お腹いっぱいになったので断念。商店街をプラプラ歩きながらお参りに向かう。
手頃な値段で色々とあるよ。伊勢えび入りコロッケ、松坂牛串焼き、てこね寿司、牡蠣フライ・・・ん?牡蠣フライ?・・・あぁ、牡蠣、有名なんだよな。志摩の牡蠣だ。。。
大粒牡蠣2個で200円。お腹いっぱいだったけど、一応食べておいた。ははは。美味しいねぇ、牡蠣。

さぁ、お参りに行こうっと。

黄金のチャップス

2010-04-08 03:55:29 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
今回の旅のニューアイテム。

☆前出のガスランタン。
☆iPhone。
★そして、黄金のチャップス。

ジーンズの上に装着する革のパンツ。履くのではなく、装着する。ここがポイント。

目的地に着いて、歩く時には外せる。脱ぐのではなく外す。ここがポイント。

ジーンズの上に革のパンツ。つまり、暖かい。

朝、すべての準備を整えて、いよいよ出発となる。おもむろにチャップスを装着する。腰のベルトを締めて、片足ずつ革を巻き付け、ジッパーを下ろす。なんか気合いが入る。走るって気がする。それは、ギターのストラップを肩にかける瞬間に似ている。最強の武器を手にする瞬間というやつだ。

ハートを強くする存在。それが、僕にとってのチャップス。

色は完全に黒いのに「黄金のチャップス」と僕が呼ぶのは・・・そんな理由があるからなんだ。


京都にて・・・チャップスを装着したまま繁華街を歩いていると、外人たちが僕のチャップスの写真を撮っていた?チャップス姿の僕の写真を撮っていた?「Hey,Look at him. Rider, Rider」と言っていた。

そう、僕は「黄金のチャップス」を纏ったライダーなんだよ。

どうぞよろしく。




☆trash box jam the bandライブ情報
4.10(土)西川口ハーツ。
OPEN18:00 / START18:30
ticket ¥1500
出演は21時頃の予定。

☆sing (from trash box jam)ライブ情報
5.2(日)新宿Naked Loft
OPEN18:00 / START19:00
前売¥2,000(+1drinkから)当日¥2,300(+1drinkから)

★FMラジオ番組「TRASH BOX JAM~SINGのライオンの詩」
FM78.3MHz[REDSWAVE] 毎週火曜日夜8時~9時。絶賛放送中。