カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

ダイエットと家庭菜園の関係

2012-05-31 10:24:11 | 日常あれこれ

家庭菜園として公開するには、栽培の品種がほぼ毎年同じものの繰り返しであって、極端に言えば去年の野菜の成長過程や収穫の映像を、今年のものだと言い張ってもなんら気がつかない。

んが、しかし、But、それを言っちゃあお終いだよ。

「ほうら、こんなに採れたよ~」などと見せられるとパチリとやらないわけにはいかない。

で、同じように見えても撮影年月日は最新の、去年とは微妙に違った写真のUPとなる。

前説が長くなったが、じつは今日は野菜の収穫写真をUPする。Cimg3595

以前はHPの家庭菜園コーナーで正直に逐次更新していたものだった。

ところが栽培にも向き不向きとか得意・不得手があって、なかなか新しい品種へのチャレンジが出来ない。

出来たとしても、食べ方が分からなかったり好き嫌いがあったりして、どうしても好きなものに偏ってしまう。

単独のコーナーとしては持ちこたえられなかったというのが正直なところ。

今回からは、日々の出来事の一コマとしてブログの中に混ぜ込んでその都度UPすることにした。

実は特筆すべき事態が発生しているのである。

我が配偶者どのが、メタボ検診でしばしば指摘を受けていたものの、なかなか本気になって取り組もうとしなかった体重管理(脂肪管理?腹回り管理?)に取り組むことになった。

日赤の健康管理センターと我が加入の健康保険組合のタイアップによる、カロリー摂取計画と体重測定表の組み合わせで、な~んとここ3ヶ月ほどで4Kgを減量してしまった。

管理栄養士との事前打ち合わせ指導では、半年3Kg減というのが今までの失敗例から無理の内ところと思われていたのに、2~3ヶ月であっさり達成してしまった。

履けなくなっていたGパンが履けるようになったと喜んでいる。

4KgでGパンなら・・・・それ以上いけば・・・

と夢は荒野を駆け巡りはじめたのも無理からぬこと。

本人の弁によれば、あと4~5Kg減量できれば今まで着用出来なかったサイズの洋服が日の目を見ることになるという。

家庭菜園の写真の話からどうして配偶者のダイエットの話になったのか。

それはダイエットの中心をなすのがカロリー摂取量で、野菜は低カロリーの代表選手、しかも必要な栄養素を多く含んでいて満腹感も得やすい。

血糖値や総コレステロールに要注意のマークが付いていた私も同じメニューながら、量を増やしてもらったりビールを追加してもらっりしながら無理なく付き合っていたら、1.5Kg減となってしまった。

毎食ごとにバナナをお互いに1本ずつ食べるせいか、便通も極めてよろしい。

隣のドラッグストアでは、なんでこうも毎日委託販売のバナナを買いに来るのかと怪訝な様子。

食品が偏ってはいけないと、肉・魚をはじめ30品目とかいう食品群を適量に摂取して只今のところ目標に向かって前進中・・・。

と、まあ調子のいいこと。

今ひとつ成功のポイントは、おやつという間食が全く無くなったこと、これが大きいのではないかと思う。

別に食べても悪くはないのだが・・・一日の摂取カロリーの範囲内であれば・・・。

その分、各食事の量が制限を受けるだけの話なので、それが嫌さに間食をやめた。

一度無理なく脂肪を減らし、身が軽くなったら運動などを取り入れ腹回りの皮の弛みやら腹筋やらを自然に元に戻して定着させれば、あまり神経質にならずにその後は現状維持を心がける程度で無理する必要はないのではないか、というのが希望的?な計画の骨子だ。

取り敢えず、健康管理という観点から言えば指導の保健婦の言葉通り「よく病気になる前に思い立って頂けました」ということに尽きる。

「腹八分に医者いらず」。

昔の人はやはり・・・偉かった!。

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判事とペテン師

2012-05-29 10:40:09 | 本と雑誌

まだ読み終えていないが、面白いので・・・・。

Cimg3584

「判事とペテン師」ヘンリー・セシル著(中村美穂訳)2005年12月論創社

1951年、作者2作目の作品で、作者自身が法廷弁護士・判事という経歴の持ち主。

よくもまあ、こんな面白いモノが50年以上も未訳のままであったのか不思議な感じもする。

こうした法廷ものは1940年~50年台はイギリスでは大人気だったらしい。

日本の法廷ものは、裁判そのものの勝敗とか自己目的に汲々とした人間ばかりが登場し、ともすれば暗いイメージや殺伐とした社会の反映のようなものばかりが多い。

ところが本書は、息子がペテン師まがいのいい加減さでありながらもそれを愛してやまない判事の右往左往と、娘が競馬の違法行為で裁判となった教会牧師とのからみを両輪として物語が展開する。

法廷の内幕、競馬の内幕、そして底辺でうごめく人間の欲望などが、落語の人情噺的な面白さで語られる。

図書館から借りてきたものだが、今回は気楽に読みたいという私の気分に見事にはまった。

実は、まだ読んでいる最中だがとくに最後にどんでん返しなど期待もしない。

各ページがユーモアに溢れ過ぎており、退屈しない。

専門的な長い説明調になろうとすると、作者が「どうでもいいような説明に時間を取っておりますが、あと少しのご辛抱。直ぐに話は本筋に戻します」などと断りを入れる始末。

競馬をはじめとして、賭け事や人の欲の中に入り込む経済犯など時代は変わっても、手口などはまったく今と同じで、昔の手口だから古い、今の時代には通用しない犯行の手口などと言ってはおれないことがよく判る。

そういえば「オレオレ詐欺」なんて、まだ健在である。

我が息子は、自分のことをオレオレなんて言わないが、名前を名乗ってきたら間違う可能性も無きにしもあらずだから・・・・そうだパスワードでも決めておこうか。

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応援のダブルヘッダー

2012-05-27 22:45:40 | スポーツ

今日は大変な一日だった。なにしろサッカーの応援のダブルヘッダーを組んでしまった。

まず午前11時から益城町総合運動公園陸上競技場で九州女子サッカーリーグ、我が町をホームとする益城ルネサンス熊本FCvsMLSA熊本FCアマールという熊本ダービー、選手も暑かったでしょうね、応援も暑かった・・・・。

結果は2:0で勝った。

Cimg3589

まあ勝てば良いですな・・・気分は。

Cimg3588

こんな小っちゃな児から、カワイイ犬までの大応援団。

ハーフタイムに弁当食べてそのあと後半を見て、午後は県民運動公園へ移動。

ここKKウイングで、J2ロアッソ熊本vsモンテディオ山形戦が午後4時にキックオフ。

Cimg3591

ここのところ勝ちに恵まれていなくて、山のような引き分け。

確か引き分けならリーグでダントツの筈だけど・・・。ホーム戦で引き分けばかり見せられて少しお冠だったが、今日は良かった。

2:1で勝ち勝ち点3を久々に頂いた。

特筆すべきは武富選手が2ゴールを決めたこと。

Cimg3592

ヒーローインタビューなど受けておりましたなあ。

配偶者殿も、「今日の試合みたいであれば、応援のし甲斐があるね」等と・・・。

家路につて先ほど二人でビールで祝杯を。

さて、明日は癌の術後の3ヶ月検査(血液検査)だけど、今日の試合みたいにスカッといかないもんかなあ。

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蛍をグランドの溝で見た!

2012-05-25 21:41:11 | 日常あれこれ

夕食後に、せっかく川っぷちを歩いているのだから蛍の一匹ぐらい見かけてもいいはずなのにさっぱり姿を見せない。

小さな川だし、水際には草も多いので蛍向きではあるのだが、砂地でないのが良くないのかなとも思う。

今日は里山の麓辺りまで脚を伸ばして綺麗な水のわき出る所にでも行ってみようかと歩き始めた。

近くに見える里山も歩けば結構な距離で途中で諦めかけた。

いつも通るナイターをしているグランドの横を通ると、今日は照明灯も真っ暗だった。

フェンスの横の小さな堀沿いの道路を通るとき小さな光ものが見えたので立ち止まってよく見ると沢山の蛍が草にとまって光を発している。よく見ると近くの木の枝の付近を飛び回っているものもいる。

そう言えば昼間に通るときに、この堀を見ると、砂地にカワニナがびっしり生息していて、世が世なら蛍の餌がこんなにあるのに、肝心のヤゴが棲んでいないのだろうなどと思っていたのだ。

ところがなんと蛍はいたのである。通行する車の灯り、煌々と昼間のようなナイターの照明に毎日照らされて人間の眼に入らなかっただけではなかったのかと今更ながら思う。

ほぼ毎日のナイター照明がたまたま今日は点灯して無くて、しかも蛍の出やすい夜の8時台に私がそこを通りかかるという偶然が重なって、幸運にも蛍を間近で見られることにつながったのである。

せっかく貴重な蛍だし、一人で見るのも勿体ない。

誰か通れば教えてあげようと見回しても、誰も通らない。

この辺りの通りは、結構夕方から犬の散歩やウオーキングの人達が通るのだが、これまた今日に限って誰も通らない。

車がライトをつけて何台か通り過ぎたが、近づいて通過するまで蛍は全く見えなくなった。

ひょっとしたら、自然が失われた等と嘆きながら私達は自然そのものを、暗闇なら暗闇という自然の中でじっくり見ていなかったのではなかったのかと、今更ながら思ったものだった。

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花で季節を確認

2012-05-23 21:49:29 | 日常あれこれ

5月に入って一斉に咲き始めた花も、どうやら一段落。

サツキが少しずつ開き始めたようだ。

それに放ったらかされているにもかかわらず、いつも咲いてくれるピンクのバラ。

Cimg3580

Cimg3582

金柑の根元だの、ユキヤナギの根元だのと妙なところばかりに植えられているのに文句も言わずさいてくれる。

そしていよいよ、「ツクシマツモト」が咲き始めた。

Cimg3579

ツクシというくらいだから、きっと九州の固有種なのだろう。

頂くときはなんだか説明を受けたのだが、1~2年もすると忘れてしまう。

まあ、私には貴重な花でも猫に小判なのである。

そう言えば去年は、ツクシイバラを観に行ってついでにアヤメだか花菖蒲だかを観に行ったのを思い出した。

同じような日記の内容で、日付が要らないのと同じで去年観にいったのか一昨年だったのか、いつ見た花なのかやがて分からないようになる日も近いのではと思う。

それでも、繰り返すいろいろな花の開花時期で季節の移り変わりを感じることは出来る。

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脳も時々は休息させないと・・・。

2012-05-21 17:01:49 | 本と雑誌

昨日は久々に疲れてしまい、午後の3時過ぎにビールの350ml缶ひとつでダウンしてしまった。

前代未聞の珍事ではある。なにしろ350mlの一缶なのだから・・・・。

年に一度、町のジョギングフェアーが開催されるがそのボランティアとして、一昨日は会場の設営、昨日は遠くの県からも参加する参加者のための駐車場の誘導などを受け持った。

まあ何というか、入り口の分岐点での誘導なので遅滞なく入場させるのに少々気を使う。

それでも入場は比較的楽だが退場は相当に神経を使った。

誰しも自分の列が滞っていると思っているから、公平感を前面に出すため均等な誘導が求められる。

オマケに入場してくる車もいて、まあ賑やかなこと。

「アンナ・カレーニナ」の書き出しではないけれど、「幸福な車の種類は一つだが、不幸な車はそれぞれに違った事情を抱えている。」・・・・というわけだ。

1000台くらいの車が立ち去り、皆さんご苦労様でしたと解散した時は正直ホッとした。

朝の7時には集合だったので、食事だの移動だのを考慮してその日は5時に起きたのだ。

ただ、駐車場の入り口付近をウロウロしていたつもりだったのに、装着していた歩数計は1万3000歩を優に越えていた。

疲れたわけだ、約10時間立ちっぱなし、・・・・で、くだんの如き状態と相成った。

配偶者も取り敢えず寝かせて、目が覚めて腹が減っていれば飯を食わせてくれるという話で、取り敢えずはそのまま意識不明。

目が覚めたのは、夜の8時を回っていた。

あれだけ眠ったのだから今夜は眠れないかも、なんて全くの杞憂に終わった。

まあ、それから風呂に入って小腹をちょっと収めたら・・・また眠くなってしまって・・。

三年寝太郎も真っ青という具合で、ジジイだがまだまだ寝る子で育つかも知れない。

お陰で今朝はスッキリ目が覚めた。

で、本を読むことにしたのだが、この本の題名が何と「ねむり」村上春樹:新潮社2010発行。

80数ページだがイラスト入りでこれが20ページくらいあるので、60数ページの短編ということになる。

Cimg3569

寝るという話ではなくて、眠れないという話である。それも十七日間もという恐ろしい話。

なんだか神経戦に持って行かれて、読んでる内に影響を受けてこっちまで眠れなくなるのではと心配したが、読み終えるとまあこれなら三年寝太郎の私としては、間抜け面の主人公の夫よろしく不眠症は回避できそうである。

特に我が配偶者を含め女性には受けるだろう等と思ってみる。

死を巡る主人公の考察、死は深い眠りの延長にあるのか、はたまた覚醒の暗闇の延長にあるのか?

確かに眠らずに考える事って・・・行き着く所まで行くなとも、凄いなとも思う。

男は所詮作業員か調停役がいいところ・・・が所感ですな。

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なぜ、あなたはここにいるの?

2012-05-19 16:17:03 | 本と雑誌

そこそこの厚さのある本だったが、なにしろ1ページ毎の紙の厚みがあって実際は180ページ程度の本で直ぐに読み終えてしまった。

「なぜ、あなたは ここにいるの?カフェ」ジョン・ストレルキー(イシイシノブ訳)竹書房

Cimg3570

ヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」に感じとしては似ている。

ただソフィーはファンタジーとして、哲学の歴史を段階を経て説明しているが、この本では作者ジョンが遭遇した不思議なカフェでの体験を後日、本にしたという体裁をとっている。

内容は、私はなぜここにいるのか?<存在のための目的>を各々が考えてみようじゃないかということである。

一度、真面目にこの命題について考えてみると、その後の、あらゆる時・場所・場合でふ~っとこの質問が頭の中に浮かんできてしまうという。

まあ、人はその人生の「今」を、本当に生きたいように生きていない。いつかそれが出来るまで我慢するのだと言いながら、不本意な生活(生き方)をそのまま続けていく。いつまでそうするつもりですか?などと、やたら問いかけてくる内容なのである。

ちょっと面白かったのは、主人公が憂さを晴らしに休暇をとって車でハイウエイを走行中に前方でタンクローリーの事故があり大渋滞となるところだ。

先日の旅行で、私も実際おなじような車両事故に遭遇して、高速道路の高架部分で動けなくなってしまった。

話が違うのは、この本の中ではパトカーがやって来て、「選択肢は2つあります。一つはこのまま有毒物質を洗い流すまで1~2時間このまま待つこと、二つ目はUターンしてICまで引き返し一般道へ降りること」と説明するところである。

高速道路でUターン??などと思って読んでいたら、主人公はUターンすることを決心し中央分離帯を逆走してICまで戻るのである。

米国のハイウエーってUターン用に中央分離帯にレーンが設けられているのかな?等とまあこの前の実例に照らして首を捻ってしまった。

結局主人公は道に迷って、ガソリンも残量が半分を切って引き返しも出来ず、かなり危険な状態になった所でポツリと灯りのともっている場所に車を乗り入れる。

そこが「なぜ、あなたはここにいるの?カフェ」という奇妙な名前のカフェだった。

その後の話の進展は、納得出来る人と同じくらい納得出来ない人もいるのではないかと、ふと思ってしまった。

西洋の哲学を扱う本を読むと曖昧さを排除する論理的な思考こそが最上のものだという風にグイグイ押してくる感じがある。

東洋的な(日本的?)曖昧さを排除するのだ。迷ったり遠回りの人生を送ったり無駄だと思える体験や嫌々ながらやる(やらざるを得ない)生活も、ひっくるめて人生だ、人それぞれというのなら人の生き方にいちいち論理を振りかざすなと言いたくもなるが・・・。

文明のよって立つ規範となるものの考え方が少し違うという違和感のようなものを常に感じる。

論理が常に曖昧の上位に位置しこれを圧倒する。これが西洋史であり世界史だ。

確かに家畜は人間に食われるために神が使わされたという彼らの考え方は結果的に正しいし論理に矛盾は少ない。

しかし、食われる家畜の命に無常を感じてしまうのが日本人なのだ。ファジイなのだ。

八百万の神々や、一木一草に生命が宿ると信じる曖昧をもって最上とする民族には、この哲学や一神教の宗教はなかなか手強いはずだ。

まあ、いずれにしても正解は創造主のみが知るということか。

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我が家の節電目標

2012-05-17 15:03:36 | 日常あれこれ

最近あちらこちらで、ご当地ゆるキャラが頑張っている。

ご当地のサッカーチーム「ロアッソ熊本」のホーム戦を応援に行ったら、ゲート付近に人だかりがしているので覗いたら、いるいる。数える単位が判らないが、3人かな?20120513143636

くまもん以外は知らないが、なにやら頑張って入る様子。

冬の寒い時期ならよさそうなかぶり物だが、これからは暑かろうなどと心配する。

駆り出されるイベントも屋外ものが多いだろうし、にこやかな笑顔の内側には汗だくで頑張る人がいるのだが、子供達は関係のなく大喜びで付きまとう。

要らぬ心配だが、内部の乾燥とか防臭・洗濯などどうしているのだろう。

被った途端に冷やっとする冷気が体を包むなんていうのはないのだろうか。

20120401115822

今年の我が家の節電目標は、昨年の夏の10%減と決定した。

かぶり物の中の皆さんに負けないように、自然の風や遮光に工夫を凝らし目標をクリヤーしたい。

ちなみに我が家では、一年中欠かさず配偶者の趣味で深夜電力・朝晩の電力・昼間の電力と三段階に区分してその使用量が記録されている。

驚くべきこの記録魔のお陰で、節電目標の達成の度合いは毎日確認できる・・・・・筈だ。

スダレと扇風機と冷え冷えのかぶり物・・・この三種混合とこまめの電源OFFが手段の主たるものだ。

願わくば、想定内の暑さの夏であらんことを・・・・・。

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恨みは水には流せない?

2012-05-15 10:21:40 | 旅行

旅行ネタで食いつないで何が悪い、などと独り言をいいながら、性懲りも無くまたその一席。

鎌倉に行って鶴岡八幡宮ははずせない。

大仏と鶴岡八幡宮はサウジとメッカみたいなもの。

で、神社詣での基本は手洗い口すすぎから・・・。

ところがそこに外人さんのツアーらしき集団がどっとやって来た。

Cimg3494

まあこんな具合で興味津々組とおっかなビックリ組で付近は順番待ちの状態。

我々の順番が来て柄杓を取り片手ずつ洗って最後に手のひらに水を汲み口をすすぐという一連の動作をするのを、沢山の眼が集中して追っかけてくる。

真似をする人、隣の人に教える人などさまざまで、異文化を体験してみようと果敢にチャレンジしようという姿勢は立派。

柄杓の中に手を突っ込んで指先を洗おうとしていた男性が慌ててこっちの方を見て真似をしていたのが印象的だった。

こういった所謂宗教施設ともいうべきものに対する異教徒として対応は大いに参考にすべきてんもあるのではないかと思う。

私がバチカンやメッカを訪れることは考えにくいが、これらの施設内でのとるべき態度はおそらく八幡宮を訪れたキリスト教徒やイスラム教徒のそれと同じように郷に入って体験することだと思うのだ。

宗教は人々に救いと幸せをもたらすことを目的に生まれたはずだ。

宗教紛争などというが、宗教自体が問題なのではなく、宗教を利用した統治など人間の側に起因する紛争や弾圧が後を絶たないのが問題だ。

先進国から開発途上国まで、その報復の連鎖は止まるところを知らない。

ここで性懲りも無く、また一句。

「神様が 聖戦などと 言うものか」

人間みな仲良くせよとおっしゃった筈だ。

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自分だけは・・・。

2012-05-14 14:14:32 | 旅行

旅行ネタで何日も食いつなぐというのも如何なものかと思ったが、いまひとつ。

20120507092052

これは山梨県の中央自動車道勝沼ICを過ぎて新笹子トンネル入り口のちょっと手前。

停止してしまった車から前方を写したものである。(左の登坂車線にはまだ余裕はあった)

先ず走行車線が混み始め、次に追い越し車線に次々車線線変更した車も止まり始め、やがて登坂車線もトラックだので一杯になってしまった。

原因不明の停止状態が延々と続き、30~40分過ぎた頃パトカーに先導されて消防自動車が一台、しばらく遅れてまた一台の消防自動車がやってきた、前方のトンネル辺りで車両火災が発生したので通して欲しいとスピーカーで呼びかけながら・・・・。

ところが早い時期なら登坂車線などは余裕もあったが、時間が経ちすぎて最早車はぎっしり。

それでも一台また一台と譲り合ったり寄せ合ったりしながら消防車の通路をあけるため皆で協力した。

原因不明の立ち往生でイライラするより、不幸であっても火災と判った後は待つということがそれまでよりかは比較的落ち着いた気分で出来た。

消火が済んでレッカー移動が完了し車線が開放されない限り、通行不能なのは自明の理だったからだ。

あとは如何にこの状況で長時間待つかということだ。

問題点が頭に浮かんでくる。

燃料の問題。トイレの問題。食事・水の問題。今日のスケジュール。予約している宿の問題。

夏場や冬場なら暑さや寒さ対策で、エアコンが絡んで燃料の問題は大きくなる。

トイレの問題は更に深刻だ。

2時間近く過ぎた頃、車からおりて新緑の谷間などを眺めて時間をつぶしていた彼方此方のドライバーや同乗者が駆け足で自分の車に戻り始めた。

前方の車が動き始めたのだ。

私達もやっとのことで動き始めた車の中でホッと溜息をついた。

トンネルを通過するとき、壁面部分が黒くなっていたところがあったと配偶者が言う。

次のパーキングエリアは車で一杯だったし、トイレは人で一杯だった。

一般道ならこうしたアクシデントにそれぞれの車は自己判断で対応が可能なのだろうが、脇道もなくUターンも出来ない高速のしかも高架部分ではみなさん同一行動を取らざるをえない。

水や食料、予備燃料に携帯トイレなどが高速道路走行時の必需品になるなど誰もが思いも寄らない。

しかし、世の中に車の火災事故は多い。私も二度ほど遭遇した。

幸い二度とも路側帯で通行に支障はなかったが、場所がトンネルなら話は変わっていたはずだ。

同じような事故でも場所や時間帯によって様相が異なってしまう。

そして異ならないのは、あいも替わらず「自分はそういう事故は起こさない・遇わないだろう」と誰もが思っている事である。

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