益城町の東部に四賢夫人の記念館がある。
先の熊本地震によって矢嶋家の家屋が損壊したため、潮井水源近くの比較的広い公園内の場所に移された。
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(四賢夫人記念館)
肥後の猛婦として、大宅壮一氏が紹介した6名の女性の中に、この矢嶋家の二人(三女順子・六女楫子)が入っている。
大宅氏が選ばなかった、他の姉妹はどうかと言うとこれが甲乙つけがたい人ばかり。
四女の徳富久子は、横井小楠の高弟徳富一敬に嫁ぎ、徳富蘇峰・蘆花の生母であって、厳格な教育の実践者であり女子教育のための学校設立に尽力している。
五女の横井つせ子は、横井小楠に嫁ぎ明治維新の大業を支え、長男は同志社大学の総長になっている。
どうしてこんなに凄い姉妹が、この田舎に生まれたのかと、産んだ母親を調べると母の名は鶴子。
子供の教育に熱心で、子供には自筆の百人一首、古今の序、三十六歌仙などすべて実物教授で自らやってみせ、当時は不要とされた女子を寺子屋に通わせていた。
この子供達にしてこの母がいたし、この母のやる事を優しく見守ってくれた夫がいたのである。
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(布田川)
記念館の広場の南端には布田川が流れている。
熊本地震の本震の震源地である、布田川断層帯はこの川の名に由来する。
女性解放運動の震源域も、まさしくこの断層帯の上から日本全土に広がっていったのだ。
熊本は女性活動家を多く排出し、猛婦と呼ばれる女性が多いのも、こうした意識の震源域ともいうべき姉妹がいてのことだろう。
猛婦とは、後世の人が勝手に呼称しただけで、やさしい眼差しの人ばかりであり、いわゆる猛者とは違う。
ただ、個人的には「猛婦」よりむしろ「賢婦人」という言葉の方に少々抵抗を感じる。
「賢母」「聖母」「賢人」などには、どうしても作りあげようとする意図のようなものが付きまとう。
新しい意味不明の言葉が、どんどん出回る時代を嘆いている方が平和なのかも。
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先の熊本地震によって矢嶋家の家屋が損壊したため、潮井水源近くの比較的広い公園内の場所に移された。
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(四賢夫人記念館)
肥後の猛婦として、大宅壮一氏が紹介した6名の女性の中に、この矢嶋家の二人(三女順子・六女楫子)が入っている。
大宅氏が選ばなかった、他の姉妹はどうかと言うとこれが甲乙つけがたい人ばかり。
四女の徳富久子は、横井小楠の高弟徳富一敬に嫁ぎ、徳富蘇峰・蘆花の生母であって、厳格な教育の実践者であり女子教育のための学校設立に尽力している。
五女の横井つせ子は、横井小楠に嫁ぎ明治維新の大業を支え、長男は同志社大学の総長になっている。
どうしてこんなに凄い姉妹が、この田舎に生まれたのかと、産んだ母親を調べると母の名は鶴子。
子供の教育に熱心で、子供には自筆の百人一首、古今の序、三十六歌仙などすべて実物教授で自らやってみせ、当時は不要とされた女子を寺子屋に通わせていた。
この子供達にしてこの母がいたし、この母のやる事を優しく見守ってくれた夫がいたのである。
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(布田川)
記念館の広場の南端には布田川が流れている。
熊本地震の本震の震源地である、布田川断層帯はこの川の名に由来する。
女性解放運動の震源域も、まさしくこの断層帯の上から日本全土に広がっていったのだ。
熊本は女性活動家を多く排出し、猛婦と呼ばれる女性が多いのも、こうした意識の震源域ともいうべき姉妹がいてのことだろう。
猛婦とは、後世の人が勝手に呼称しただけで、やさしい眼差しの人ばかりであり、いわゆる猛者とは違う。
ただ、個人的には「猛婦」よりむしろ「賢婦人」という言葉の方に少々抵抗を感じる。
「賢母」「聖母」「賢人」などには、どうしても作りあげようとする意図のようなものが付きまとう。
新しい意味不明の言葉が、どんどん出回る時代を嘆いている方が平和なのかも。
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