カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

窓猫物語

2018-08-30 21:37:12 | 日常あれこれ
 網戸だけなら、簡単に開けることが出来るようになった隣の猫の姿を、最近見なかった。

 内側のガラス戸を閉められてしまったので、さすがにアタック出来なくなってしまったのだ。

 しかし、暑いし換気のためにと人間のちょっとした油断を見逃さないのが猫の猫たるゆえんである。

 

 例によって網戸を自分で開けて、外の様子を覗っている猫を発見。

 カメラを向けると気配に気づいて、こちらをじっと見ている。

 

 ただし、そこは2階の窓なので何度チャレンジしようとしても、高さに怯えて引っ込んでしまう。

 結構な高さがあるし、下は我が家との境界のブロック塀。

 おまけに隣家は家の周りを全部コンクリートで塗ってしまったので、落ちたらさぞ痛いことだろう。

 

 そこで猫君考えた。

 上には行けないのか?・・と。

 いろいろ試行錯誤の結果、無理と判るまで何度も立ち上がって背伸びをしてみる。

 とうとう駄目だった。

 というのが、本日の物語の「前半」で、夕方暗くなりかけた頃、庭の水やりを終わって家の中へ入ると、相方が「猫が1階の
窓から外に飛び出たけど見なかった?」という。

 え??見てない。

 何でも雨戸を閉めている最中に、猫が飛び出したのを目撃したのだという。

 なんと、物語は2部構成になっていて「後段」部分がはじまっていたのだ。

 そんな面白い話は早くしろよ、等と言いながら雨戸を少し開けて覗くと、確かにいつもは閉まっている1階の窓の内側のガラス戸が開いていて、網戸は猫の通過に支障のない程度に開いているのが見えた。

 さて、出かけた猫は、あの開けておいた網戸の窓から帰るつもりか、それとも玄関で人間が出入りするのを待つつもりか、猫に聞いてみたいと思うのだが何処に行ったか付近に猫の姿は見えない。

 猫の脱走も計画的とまでは言わないが、人のちょっとした油断を見逃さないその注意力と、記憶力そして実行力に脱帽したい。

 こりゃ当分「猫の大脱走物語」は続きそうである。

 
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有害外来動植物の駆除

2018-08-29 10:07:51 | 日常あれこれ
 江津湖では、駆除対象外来植物の除去が進められている。

 水生植物に限定してのことであるが・・・。

 数年前に見たときは、アメリカのトウモロコシの収穫などで見かける先端にクルクル回る装置に似たものを取り付けた小舟で水草をからめて引き抜いていた。

 絡め取ったものはそのまま自動的に後ろの荷台に積み込む装置になっていた。

 先日、除去の現場の横を通りかかったのだが、作業船が変わっていた。

 

 道路工事のショベルカーのショベルの部分を水が抜ける網目状にしたものを、小舟に取り付けて除去作業をしていた。

 掴み取った水草は、くるりとショベルを反転させて、横に待機させているもう1艘の小舟に載せていた。

 

 晴れ渡った湖面には、例年より格段に水草が少ない。

 例年だと岸辺の方からみるみる沖に向かって繁茂していくのが目に見えていた。

 船をフル稼働させても、増えていく草とのイタチごっこは永遠に続くようにみえた。

 湖面の面積の小さい上江津の方では、ボート漕ぎもままならず、水鳥も水草の上を歩く始末だった。

 ところが、今年は様変わりで岸の方まで水が見えるほど水草が少ない。

 猛暑のせいだという説もあるが、繁茂する前の早い時期から除去を始めていたのかも知れない。

 江津湖にはこの他にも、外来魚が繁殖していて在来の魚類が存亡の危機に瀕している。

 そのため釣り遊びに興じる子供達にも、外来魚を釣った場合は数カ所に設置された外来魚回収ポストに入れるように要望している。

 ただ、古来からいると思われている、魚を始め鳥類・植物の類もかなり以前は外来種であったものも多い。

 最近アメリカでは、日本からの入ってきた動植物で脅かされていると報じられている。

 ペットや観葉植物、グローバルな物流など予想もしなかった生き物が世界中で繁殖する時代なのだろう。

 すべて人間の社会活動によってもたらされたものなので、責任は人間にあって有害外来植物などと呼ばれるいわれはないと、彼等は思っているに違いない。

 「作られた豊かさ故に有る不幸」

 
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作業停滞風景が暑さを倍加

2018-08-28 09:41:44 | 熊本地震
 暑い、とにかく今(9時43分)の気温は扇風機だけを回している私の部屋で32度ある。

 南西から湿った空気が日本列島に吹き込んでいるようで、とにかく湿度が高い。

 ひところ云われた「不快指数」なる言葉を近頃聞かないが、もう死語になったのだろうか。

 それとも不快を通り越して「命の危険」の段階に突入したのだろうか。

 

 雲の様子が何となく例年の夏空と違うような気がしてならないが、私だけの感じなのだろうか。

 入道雲のモクモクも、スカッとした青空もなくて、小さな雲が沢山あって景色はどこか霞んでいて蒸し暑い。

 同じ暑さでも歯切れの悪い暑さなのだ。

 何年か前に「猛烈な暑さ正しい夏が来た」という川柳を新聞に投稿して、秀作に選んでもらったことがある。

 選者から「正しい夏」という言い方が面白いと褒めて貰って、単純に喜んだものだ。

 今年の夏は歯切れが悪く、「不良品の夏」だ。

 

 地震で傷んだグラウンドを整備し始めたが、人工芝を剥がした段階からさっぱり進捗しない。

 暑さで中止しているわけでもあるまいが・・・。

 そう言えば町内で彼方こちらに手を掛けたものの、中断している現場が沢山ある。

 道路、堤防、橋、側溝、土手の法面等など同時進行、作業停滞というやつだ。

 多分、業者の労働力不足と予算執行の問題などと共に、事業の優先順位が明確でないので、要望に次々と応えたつもりが、どれも進捗しないという妙なことになっているのでは、というのが私の推理するところである。

 この機械も動かず、作業員もいない待機状態がずっと続く作業現場があまりに多く、その風景が暑さを倍加させる。

 たぶん、冬になって寒々とした風景に見える頃まで、この調子でいくつもりなのだろうか。

 こもクソ暑い最中に、「お寒い話」をしても一向に涼しくならないのだが・・。

 「無計画時間もゴミにしてしまう」


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満月の下での試合

2018-08-27 09:59:42 | おでかけ
 えがお健康スタジアムへロアッソ熊本vs栃木scを応援に行った。

 
 
 空の雲も少しは入道雲らしい雲が湧き始めたがイマイチ迫力に乏しい。

 ムンムンする暑さも、試合開始頃には照明も入り陽も落ちて、入道雲の頂上付近だけが白く夕日を反射していた。

 

 その後試合のハーフタイム頃には照明塔の上まで月が昇っていた。

 月齢14.7くらいで、ほぼ満月である。

 

 次の夜は十六夜の月になってしまう。

 文学・文芸の世界では満月より少し前の十三夜とか、満月を過ぎた十六夜などの方が趣があると好まれるようだ。

 満月や明るい月を好んだ「かぐや姫」と「金色夜叉」の貫一はむしろ例外の部類なのでは・・・。

 貫一の言う「来年の今月今夜、いや〇〇年後の今月今夜、僕の涙で曇らせてみせる」というのはかなり無理があるようだ。

 新暦は明治5年に施行され、その後の作品だから、一月十七日に毎年月が同じように見えるとは限らない。

 新月に近い三日月だったらとんでもなく夜更かしするか、早起きするかしてわざわざ貫一の予言を確認する必要がある。

 「お宮さん」の記憶力にも限度があるし・・などとアホなことを、考えていたら試合は負けていた。

 

 しかもご丁寧にオウンゴールで・・・。

 スポーツの世界でよく耳にするものに、「さあ~引きずらない。切り替えて行こう!!」という台詞がある。

 便利な台詞ではあるが、切り替わらないと、貫一の台詞より更にもどかしくなる。

 昨夜は少し飲み過ぎたようだ。

 
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無視出来ない「虫物語」

2018-08-26 11:18:54 | 日常あれこれ
 どこか霞んでいるような感じの晴れの日が多かったが、今日は目一杯晴れ!

 予報では当地は37度あたりを狙っているらしい。

 
 (今空)

 私の手元の温度計は34度近くになっていて、扇風機もあえぎあえぎ回っている。

 ただ湿度はわりと少ないのか、同じ温度でも比較的息がし易く、生きていくのもさほど気にはならない。

 
 (ダニ燻蒸作戦中)

 例によって透明衣裳ケースにダニ駆除剤と共に寝具を入れて、真夏の太陽をガンガン当てて燻蒸中である。

 過去に3度ほど実施したが、あれほど酷かったダニの被害がまったく無くなってしまった。

 そう言えば、夕方庭の水まきをしていても今年は蚊がやってこない。

 ここ2・3日は思いだしたようにヨタヨタと1匹くらいは跳んでくるが、追い払うともう寄ってこない。

 頑張っているのは蜘蛛と毛虫、それに足長蜂くらいである。

 
 (蜘蛛)

 小さい頃から同じ場所でスクスクと成長し、結構な大きさになった。

 ところが、昨日ウオーキングから帰って玄関で靴を脱ごうとしたら腰の付近にその蜘蛛がしがみついている。

 表に放そうと玄関を出たが、身体中を動き回ってなかなか捕まらない。

 仕方がないので着ているものをドンドン脱ぎながら探したが、パンツ一丁になっても所在不明だった。

 きっと何処かの段階で逃げ出したのだろう。

 蜘蛛が元の位置で再び巣をかけることはないだろうが、気になって毎日辺りを覗っている。

 いっぽう足長蜂は、家の軒先に巣をかけたので、殺虫剤で追い払い除去したら、次ぎ次と場所を変えて巣をかけようとする。

 この足長蜂もまったく戦闘的ではなくて、庭の水やりのホースの噴霧状の水程度でオタオタしてなかなか飛び立つのもままならない弱虫なのである。

 いちばん想定外の行動をするのは毛虫(毛はあまり無いが・・)で、部屋の中で2匹を発見した。

 一昨日、庭の花についていたので駆除したのだが、おそらく花などについて部屋に入り込んだのだろう。

 昨夜は、相方の奇声で階下に降りてみると、居間の天井に毛虫がへばり付いていた。

 確かにあまり気持ちの良い眺めではないので、早速退散を願ったが、今一度庭の草木を点検して見る必要がありそうだ。

 どうやがら今年の夏は、ダニや蚊という駆除困難グループより、蜂・毛虫など駆除容易グループの方が元気なようだ。

 
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月がとっても青いから

2018-08-25 12:25:24 | 日常あれこれ
 一年前のブログでは、8月の今頃人間ドックに行っていて、その事を2日にわたって書いている。

 今年も昨年並みの予定で申し込んだら、来年の1月なら大丈夫ですという返事。

 何でもオプションの胃カメラと、夫婦同日という二つの希望をクリヤーする日は今年はもう無いのだという。

 電話での申し込みは4月の中旬頃のことだったので、もうその時期には遅すぎる話なのだろうか。

 いずれにしても一年前の記事では、検査結果から日頃の運動不足と食生活を反省しつつ、今夜から歩くことにしたと書いている。

 人間同じ時期に同じ心持ちになるのだろうか、今年も数日前からまたもや思いついて歩き始めた。
暮れなずむ町の西空に月が出てすぐ沈んで・・・。
 人間ドックで、方やコレステロール値、此方血糖値がやや高めと判定されて、その日から相方と二人で日没後渋々歩き始めた。 私はわりと歩いていてたのだが、8月に入って連日の35度越の......

 歩くに当たって、夕方の空に月が出ている話になって、吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞をゴチャゴチャと引用している。

 そんなことを思い出しながら歩いていたら、空には月が出ていた。

 

 雲間から時々顔を出すといった繰り返しで、よくよくみると月の周りに薄い虹のような輪っかが出来ている。

 あわててバカチョンで撮したが、なんだか目で直接見たのとは様子の異なる写真になってしまった。

 ほぼ満月に近いような丸い月で、拓郎の歌の「♪上弦の月だったっけ 久しぶりなね♪」とはかなり趣が異なる。

 今頃気がついたが、あの歌詞が・・♪下弦の月だったっけ・・・♪だったら、物語が成り立たなくなるのだ。

 明け方に近い深夜に、浴衣の君はススキのかんざしを挿して、熱燗の徳利を摘んでいるという妙な話になる。

 「詩はことば言葉以上と朔太郎」

 
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暑(熱)くて強い風にぐったり

2018-08-24 13:50:40 | 日常あれこれ
 梅雨明けから真夏日が続いているが、とにかくもう1ヶ月以上35度を下まわることが少ない。

 台風19号が来て、西を通過したので台風対策を元に戻そうとしたら、20号がきたのでそのまま継続した。

 この20号台風が東側を通過したので、元に復しようとスダレなどを戻し始めたら風が強くなってきた。

 途中でやめて様子見をしていたら風は益々強くなり、スダレが窓に当たる音がうるさくなってきた。

 
 
 空は晴れているが、例年のような夕方には入道雲が湧いて夕立が・・・などという雰囲気ではない。

 とにかくムンムンとする南西の強い風が吹き荒れる。

 

 熱風といった感じで、花壇の百日草は葉っぱも花もぐったり。

 毎日朝と夕に水やりは多めにしているのだが、この日光と熱風には如何ともしがたい。

 とうとう、台風対策並みにスダレをまた外して、飛散しそうなものは物陰に重しを乗せて待避させた。

 過ぎ去った二つの台風に向かって南から湿った風が吹き込んでいるとかで、台風一過の清々しさなどどこにも無い。

 今日の長期の予報では、9月の中旬くらいまではこの調子でいくらしい。

 人間が人工的に過ごし易くするため地球に負荷をかける分だけ、地球が環境を悪くしてバランスをとっているのかも。

 ここ数年、何事につけ経験した事の無いという前置詞のついた気象現象や、災害規模の拡大が気になる。

 
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珍しい病院の餅まき

2018-08-23 18:59:08 | 日常あれこれ
 地震で被災し再建中の病院がある。

 元の場所から少し離れて、どちらかというと我が家からは近くなった感じの場所に工事が始まった、

 以前は心療内科が専門のような病院だったが、出来れば地域の医療を担うような複数の診療科目を開設してくれればいいのだが。

 話では少しは科目が増えるようなことを聞いた。

 町内でも幾つかの病院が被災し、再開出来なかったり大幅に診療時間や科目を削減したりしているのが現状である。

 そんなある日、再建中の病院で「餅まき」があるという。

 

 戸建ての家では棟上げの後に、「餅まき」をするところも時々は見かけるが、昔に比べるととても珍しいイベントになった。

 大きな病院の上棟式でやろうというのだから、珍しい話ではある。

 相方は餅を拾いに行くのだと張り切っていたが、グズグズしているうちに時間がせまってとうとう間に合わなくなってしまった。

 この写真も、珍しいからと私が写しに出かけて行ったら、もう終わってしまって、なにやら「有り難う御座いました」という挨拶が会場に流れていた。

 相方の疑問は、戸建ての家では棟上げの日に屋根の上から投げるのが普通だが、鉄筋5~6階建てくらいあるのに、どこから投げるのだろうということだった。

 私の疑問は木造の家なら、棟木となる部分があってそれを設置する日が棟上げというが、鉄筋の平たい屋根のどの部分が棟になるのかということだった。

 写真のとおり、別に2階建てくらいの櫓が組んであって紅白の幕が張り巡らされ、その壇上からまかれたようだ。

 皆さん各々、ビニールの袋に入った餅を抱えて三々五々帰路についていた。

 ということで、餅投げと云うだけに投げっぱなしで、この話にオチはない。

 
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子供が主人公の凄い本

2018-08-22 20:59:54 | 本と雑誌
 町の図書館からとても面白い本を2冊借りてきた。

 どちらもカバーの色調が似ていて、どちらも子供目線の作品である。

 
 「憂鬱な10か月」イアン・マキューアン(著)村松 潔(訳)2018.5新潮社(刊)

 母の胎内で、国・時代・宗教・環境など両親を含め選ぶことが出来ず、与えられた宿命の中で思考する胎児(わたし)。

 取り巻く外界の人間模様が母の言葉からイヤホンの情報から伝わってくる。

 とても重大な犯罪が計画され実行されていくが、わたしは動くことさえままならない境遇にある。

 わたしは「生まれるべきか、生まれざるべきか」胎児版ハムレットは痛快に繰り広げられる。

 ”というわけで、わたしはここにいる。逆さまになって、ある女の中にいる。”

 という書き出しで始まる物語は、前半3分の1は結構理屈っぽいが入り込むともう抜けられない。

 何処かで見たことのある作者だと思ったら、以前借りたことのある「未成年」の作者だった。

 
 「孤独なワイン」イレーヌ・ネミロフスキー(著)芝 盛行(訳)2018.5未知谷(刊)

 5歳から21歳までの女の子の物語で、子供ながらその思考は大人以上に大人で老成している。

 ”ひとは12歳で年寄りになれる”彼女が対峙するのは外部の社会より自身に対してである。

 大人とりわけ母親に対する復讐心は並みではない。

 ちょっと辟易するほどだが・・・。

 さて。

 この2つの作品には、ワインが何度も顔を出す。

 一つは大人としてワインを嗜み、一つは母親が飲み僅かに遅れて胎盤を通じて送られてくるワインを嗜む。

 以前TVで、映画の解説者が「映画って本当に面白いですね。またお逢いしましょう」と最後に言っていたが、さしずめ今回の2冊は「本って本当に面白いですね。また読みましょう」と言いたくなるところだろう。

 
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山鹿灯籠

2018-08-21 12:56:35 | 日常あれこれ
 町の情報交流会館に併設された図書館に、借用していた本の返却と新たに借用に行った。

 玄関ロビーの脇にショーケースに入れられた「山鹿灯籠」が展示されていた。

 

 和紙と糊だけで造られた灯籠は、有名な寺社などの建物が多い。

 熊本県の北部に位置する山鹿市の夏の恒例のまつり「山鹿灯籠まつり」で大宮神社に奉納されるものである。

 毎年祭の最終日の早朝というより前日に引き続く深夜0時頃から「ハイトウロウ~」の掛け声と共に各町内から奉納される。

 その前々日から山鹿の町は灯籠一色で、頭に紙製の金色の灯籠を乗せた女性が街中を踊り歩く。

 
  (山鹿市での子供伝統芸術祭にて)

 8月16日は千人踊りが行われ「よへほ節」にのって大勢の踊り子が夜通しおどる。

 子供の頃から「山鹿灯籠まつりに行くと、3年眠い」などと聞かされたものだ。

 曲もノンビリしているが、踊りもノンビリというか優雅なものである。

 御座敷芸としての踊りを屋外に展開したのが始まりらしいが、如何にも景行天皇を松明の灯りで迎えたという故事にピッタリの雰囲気で私は、天草の「ハイヤ踊り」とこの「灯籠踊り」が一番好きである。

 しかも、両方の踊りとも若い人がちゃんと伝統を継承していて、地域の誇りとしているところも共通する。

 

 ロビーに展示されているのは、先の震災で壊れてしまった「木山神宮」の紙製灯籠である。

 本物は地域の人々の協力もあって、再建に向けて作業が進んでいる。

 何年か後には、この灯籠のように往年の姿を見せてくれる筈である。

 
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