一泊のミニ旅行で天草に出かけた。
「どこか温泉に行きたいね」という相方の要望で、天草の下田温泉に行くことにした。
天草は南端の牛深まで日帰りが可能なくらい便利になったため、かえってゆっくり出かけることが少なくなっていた。
西海岸沿いにある下田温泉も、温泉街を横目に新しく出来た海岸道路を走ってしまって立ち寄ることもなかった。
今回は温泉を目指すものの、一泊でゆっくりになるので少し寄り道もしてみることにした。

10時少し前に家を出たので、天草リップルランドで少し早めの昼食を・・・。
メニューは見るまでもなく「貝汁定食」。

何はともあれ、貝汁がうまい!!
値段もたしか、900円くらいだったと記憶するが・・・。
昼食の後はR324を西進して富岡城址へ。

小島が砂州で本島に繋がってしまい半島のようになった先端に富岡城は築城されている。
戦国の終わりから天草・島原の乱に至る間、短期間の内に次々と城の主は変わり、廃城となったものの最終的には幕府直轄の天領となって代官が納めるようになった。
天草・島原の乱で落城したわけではなく、廃城となって建物や石垣などは壊されたものである。
図面等の記録も残っているため現在は修復工事が進められている。
過去に一度訪れたことはあるが、今回は資料館の学芸員の説明もゆっくり聞くことが出来た。
城を後にしてそのまま西海岸を南下して大江の天主堂へ向かう。

大江天主堂は、南シナ海を見下ろす小高い丘の中腹にある。
下の集落近くには天草ロザリオ館もあって、キリシタン弾圧の歴史を伝えている。
今回国内文化遺産に決定し、世界文化遺産登録を目指している崎津集落や津崎教会はここより10Kmほど南にある。
潜伏したキリシタンが、既存の仏教や神社などを利用して密かに信仰を続けていく様子は興味深い。
崎津の教会は先日訪れたので今回は省略し、下田温泉に向かって西海岸を北上する。
この東シナ海に沈む西海岸の夕陽はとても美しい。
これを撮すのが今回の旅の目的の一つでもあったので、チェックイン後宿を出て徒歩で海岸に向かって歩いた。
私にとっては食事も風呂もその後のことなのだ。

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「どこか温泉に行きたいね」という相方の要望で、天草の下田温泉に行くことにした。
天草は南端の牛深まで日帰りが可能なくらい便利になったため、かえってゆっくり出かけることが少なくなっていた。
西海岸沿いにある下田温泉も、温泉街を横目に新しく出来た海岸道路を走ってしまって立ち寄ることもなかった。
今回は温泉を目指すものの、一泊でゆっくりになるので少し寄り道もしてみることにした。

10時少し前に家を出たので、天草リップルランドで少し早めの昼食を・・・。
メニューは見るまでもなく「貝汁定食」。

何はともあれ、貝汁がうまい!!
値段もたしか、900円くらいだったと記憶するが・・・。
昼食の後はR324を西進して富岡城址へ。

小島が砂州で本島に繋がってしまい半島のようになった先端に富岡城は築城されている。
戦国の終わりから天草・島原の乱に至る間、短期間の内に次々と城の主は変わり、廃城となったものの最終的には幕府直轄の天領となって代官が納めるようになった。
天草・島原の乱で落城したわけではなく、廃城となって建物や石垣などは壊されたものである。
図面等の記録も残っているため現在は修復工事が進められている。
過去に一度訪れたことはあるが、今回は資料館の学芸員の説明もゆっくり聞くことが出来た。
城を後にしてそのまま西海岸を南下して大江の天主堂へ向かう。

大江天主堂は、南シナ海を見下ろす小高い丘の中腹にある。
下の集落近くには天草ロザリオ館もあって、キリシタン弾圧の歴史を伝えている。
今回国内文化遺産に決定し、世界文化遺産登録を目指している崎津集落や津崎教会はここより10Kmほど南にある。
潜伏したキリシタンが、既存の仏教や神社などを利用して密かに信仰を続けていく様子は興味深い。
崎津の教会は先日訪れたので今回は省略し、下田温泉に向かって西海岸を北上する。
この東シナ海に沈む西海岸の夕陽はとても美しい。
これを撮すのが今回の旅の目的の一つでもあったので、チェックイン後宿を出て徒歩で海岸に向かって歩いた。
私にとっては食事も風呂もその後のことなのだ。

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