カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

悩めよじじい

2015-05-31 09:26:33 | 日記
 先日「笑う子規」という本を借りて読んだが面白かった。

 子規の句のなかでもユーモアに溢れたものばかりを選んでそれに南伸坊氏が絵を添えていた。

 返本に行って本棚を見ると、「笑う漱石」という本が目についた。

 
 (俳句)夏目漱石「笑う漱石」南伸坊(編・絵)2015.3七つ森書館(刊)

 前著の「笑う子規」の絵を描いていて楽しかったので、漱石の句は編集も自分でチャレンジしてみたという。

 句の出来などに頓着せずに面白そうで、絵になりそうでというのを選考の基準にしたそうである。

 漱石は文壇に登場する以前、英国留学前まで4年ほど熊本で教鞭をとっているが、その頃の作句が非常に多い。

 代表的なものを坪内稔典氏が選んで熊本日日新聞の2013.4~2014.1まで掲載していたものを、切り抜いて「漱石くまもとの句」としてスクラップブックに綴じたものだけでも300句近くある。

 子規と漱石は句に関して師弟関係のようなものだが、お互い影響しあったことは事実だろう。

 子規の句の中に漱石の句と似たものがあるのは、漱石の句に共感した子規がもっとレベルの高い句でお返ししたと言えないこともないと私は勝手に解釈している。

 今日の〆は、恐れ多くも初めての歌に挑戦してみよう。

 「結局は自慢話で終わりかよ悩めよじじい悩むなじじい」

 な~んか凄いことになりそう。

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今頃・・・去年と今年

2015-05-30 09:04:10 | 日記
昨年の今頃にUPしたブログの内容を見ると、目立ちにくい場所でもちゃんと花は咲いている等と書いている。

 今年と対比してみると、去年咲いたと紹介しているものの内で現在咲いているのは「紫陽花」「南天」で、既に終わっているのは「アスパラ」である。

 その他去年は咲いていた「菊」「モミジ」「三つ葉」はまだ咲いていない。

 そう言えば庭の隅に埋めた生ゴミの中に混じっていたらしい「ジャガイモ」が芽を出して花を咲かせていた。


(少し薄紫の花だからメークインかも・・・)

 
花もいろいろ
 庭の隅などにヒッソリと咲いていたり、目立つ場所に咲いているのに気に留められることもない花というのは確かにある。 今の季節のそんな花々を、華々しく紹介しよう。  ...


 花の開花が去年と微妙に違っていて今年は遅れている印象を受ける。

 ビックリするのはここ三日間くらい黄砂が飛んで来て、ものが干せないと嘆いていることだ。

 敷物を夏物に替えたのに、冬物を仕舞うのにひどい黄砂で悩んでいる。

 今年は黄砂は来ないが、敷物は冬のままであったことに突然気づかされる。

 今日は曇っていて、雨も降り出すとの予報である。

 干し物には適しないが、カラカラ状態の菜園には丁度いい恵みの雨になるかも知れない。

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ナナちゃんは無口で元気

2015-05-29 08:54:14 | ナナちゃんに着付け
 暑かろうが寒かろうがナナちゃんは大活躍である。

 脱いでは着せられの繰り返しで、どうかすると長襦袢だけで放置されていることもある。

 夜中に暗い部屋の襖を開けた途端にボオ~っと白い幽霊の如き立ち姿に驚いたりしたものだが、最近は慣れた。

 

 

 
 
 
 (本当の着せ替え人形のナナちゃん)

 ちなみにナナちゃんとは配偶者の命名で、由来を聞いても「ただふと思いついただけ・・」とのことで、明確な根拠はないらしい。

 最近は人間の友達もやってきて、ちょっとした先生気取りであれこれ騒ぎながら一時を過ごしている。

 いつまでも細身で華奢な体型を保持し続け、無茶な扱いにも文句も言わず、無口で元気なナナちゃんなのである。

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堕落論とグッドラック

2015-05-28 09:16:27 | 本と雑誌
 図書館から借りた本だが、まあよくもこんな対照的な本を選んだものだというのが読後感だ。

 求めるところは同じでも洋の東西でこうもかわるものか・・・。

 
 「だらくろん(堕落論)」坂口安吾 現代語訳:松尾清貴 2015.2理論社(刊)

 「堕落論」「続堕落論」「日本文化私観」「FALCE(ファルス)に就て」「風博士」の5編が編集されている。

 堕落論は”終戦から半年が過ぎる間に、世の中の様子は変わった。”で書き始められている。

 半年前に日本の様子はガラリと変わったのだ。一億火の玉の若者も、それを見送った賢夫人も・・・。

 彼ら、彼女らの、人間が変わったのではないのだ。人間はもともとそういうもので、変わったのは世の中のありさまの、上っ面だけのことだ。

 義士も聖女も堕落せよ、そこから戦後日本は始まる。近道はない、墜ちるところまで堕ちないと人間は救われない。

 戦後の虚脱状態の民衆に「堕落論」は熱狂的に、肯定的に迎えられた。

 「続堕落論」以下の4編についても、その論ずるところは一貫している。

 しかしここに来て、法と秩序とか・クールジャパンとか・物作りの伝統とか、とかく「にっぽん凄い論」が姦しい。

 戦前を覆っていた空気感に似た、民主主義の名をかたる不気味な空気が漂っているように思える。

 今また、「堕落論」が腹に応えるのは空気感の相似性を感じずにはいられないからだろう。

 
 「Good Luck」アレックス・ロビラ、フェルナンド・トリアス・デ・ベス(著)田内志文(訳)2004.6ポプラ社(刊)

 54年ぶりに、公園のベンチでの幼なじみとの運命的な再会。仕事も財産も全て失い変わり果てた友人に、一応自分の人生に満足している主人公が、祖父から聞かされた「魅惑の森」という童話を語り始める。

 奇跡のラストへ童話の7日間の旅がはじまる。

 などと書かれりゃ、読んでみるかという気になっても仕方がない。

 読後感は、う~ん・・・なんと申しましょうか。人生は童話のようなものかもしれないが、ストレートに童話で諭されるってのは、いきなり聖書を読まされて「どうです?主の慈悲深さが伝わるでしょう?」に似ている。

 仕事も財産も失うことは人生の敗北者である、というところから物語がスタートし、幸せの種は蒔かなきゃ生えない、幸福は準備をし下こしらえをした人にだけ訪れると、諭し・・そして諭されるストーリー展開。

 
 真逆に位置した2冊の本から、東西の思考・文化の違いとその根の深さを今更ながら痛感する。

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浜辺の思い出

2015-05-27 09:33:26 | 日記
 時々UPされる孫の画像や動画を見るのは楽しい。

 成長の度合いや、生活の様子、どこの場所に出掛けたのかなども窺えるので、近況報告としては手っ取り早い。

 
 (砂浜で他のみんなの様子を観察中・・・)
 
 (波打ち際まで近寄ってみる。近くで見守る親の陰が映り込んでしまうのも現実的でいい)
 
 (波打ち際の父と子)

 雄大な風景は見ていても気持ちがよくなる。

 思い出すのは息子が小さな時の事で、十勝海岸で浜から投げ釣りをしていたときのことだ。

 なるべく遠くに投げようと思って波が引いたときに波打ち際まで走り、押し寄せてくる前に投げて岸の方に帰ろうとしたときだった。

 丁度この写真にある孫の歳くらいだった息子がいつの間にか傍に居て、満ちてきた波にビックリしてひっくり返り、仰向けの子供の上を波が通過しそして引いていった。

 海も浜辺も波もすべて初体験だった息子は、100%水没し全身ずぶ濡れでオヤジの足にしがみついてした。

 その時息子の身体を触ると完全に硬直したように堅くなっていた。

 「大丈夫・大丈夫」と言いながらさすってやると、やおらワ~ン!と大声で泣き始め同時に硬直した身体が柔らかくなった。

 北海道の海は一部を除きほぼ海水温が低く海水浴には適しない。

 今日の孫の写真を見ていると、あの時の息子の様子をついつい思い出してしまうし、いまだにあの時恐怖の体験をさせてしまった事への申し訳ない気持ちが甦ってくる。

 親子で海に遊んでいる今回の程度の写真が、もうしばらくは続いた方がいい。などと余計な事を思ったりする。

 
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5月の庭(5)

2015-05-26 09:01:04 | 日記
 ホームセンターなどの売り場の花は春先に比べて少なくなっているような気がするが、庭で咲いている花は種類的には今の季節が一番多いような気がする。

 
(たった1本の頂いたサツキがこんもり茂ってしまった)
 
 (紫陽花)
 
 (ツクシマツモト)
 植えていた鉢はそれほど育っていないが、実が溢れて隣の鉢で成長したものには綺麗な花が咲いた。
 
 (キョウガノコ?)
 花が終わった後挿し木にしていたら、根付いて花が咲き始めた。

 ちょっと温和しめの花が今の時期の特徴のようだ。
 
 
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阿蘇の扇田と千枚田

2015-05-25 10:05:49 | おでかけ
 今回は阿蘇の棚田でも特に形が美しい扇形をしている産山村の棚田を訪ねてみた。 

 さんざん道に迷った挙げ句にようやく目的の場所に到着した。

 

 北側に久住の山々がせまり、東方には祖母・傾山系を望む標高800M前後の高地にある日本棚田100選にもなっている「扇田」である。

 ちょうど田植えも終わって扇形の水面に早苗が小さな葉先をそよがせていた。

 阿蘇は外輪山の内外を問わず湧水の名所が多く、九州の多くの大河の水源地になっている。

 

 〇〇水源と名前のついたものは数多く存在するが、名も無い湧水の水汲み場は無数にある。

 

 阿蘇の外輪山に囲まれたカルデラの中でも古来から農業を営むに十分な水が確保されてきた。

 

 阿蘇のカルデラ内の平坦な地形には千枚田といわれる田んぼが広がっている。

 熊本は火の国と呼ばれてはいるが、実は日本でも有数の水の国なのである。

 政令指定都市の熊本市を始めとして、周辺の市町村を含め100万都市圏のほぼ100%の飲料水を地下水で賄っている。

 この豊富な地下水を守り後世に引き継ぐため、水田の冬期湛水や山間地の植林事業などが行われている。

 棚田と千枚田は共に古来から自然と人間が生活の中で作り上げたエコな風景なのである。

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「スズラン」のかほり

2015-05-24 08:52:28 | おでかけ
 阿蘇の外輪山の東側、国道57号線を大分方面に登りきった辺りから原野に入り込むとスズランの自生地がある。

 ここが自生の南限だそうで、ちょうど今が見頃を迎えている。

 
 (自生地に群生するスズラン)

 
 (原野にはその他様々の草花が咲き乱れていた)

 スズランの思い出は、航空会社のCMに使われたり、航空便で運ばれたりしてその可憐な花と爽やかな香りで北海道への憧れのようなものをかき立てられたものだ。

 その後本当に北海道で住むようになって、その時産まれた長男が4歳になるまで帯広で過ごした。

 こうして彼方こちらの花便りに誘われて出掛けてみると、長い冬が終わって一斉に草木が芽吹き花を咲かせ、それと合わせて人間も一斉に野山に分け入った北海道のあの頃が思い出される。

 「シクラメンのかほり」をかいだことはないが、「スズランの香り」ならすぐ判る。

 「後悔もくよくよもせず時期に咲く」

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町で出会った生き物たち

2015-05-23 08:13:11 | 日記
 出掛けた先で面白い動物などに出会うとそれだけで楽しさが倍加する。

 先日、自販機の前でオバサンが2~3人で何やら指さしているので覗いてみたらカエルがいた。

 

 自販機のボタンの位置にいたので、ボタンを押そうとして気がついたらしい。

 沢山の人間が面白そうに寄ってくるので、アマガエルの方もペタペタと器用に手足を動かして移動し始めた。

 2匹の猫にもほかの公園で出会った。

 

 にゃんにゃんと人恋しげに近寄って来るものの、警戒心は旺盛な猫。

 

 近寄っても、触ってもまったく無視して動ぜず毛繕いを止めようとしない猫。

 放し飼いの飼い猫なのか野良猫なのかさっぱり判らないが、猫にも性格がいろいろあるし、カエルにも性格がいろいろあるようで面白い。

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ツバメに優しいお店

2015-05-22 09:47:42 | 人声人語
 ツバメの子育てシーズンが到来したようだ。

 去年は近所のお茶屋さんの入口の真上の巣からヒナが落ちてしまって店番の女の子が途方に暮れていて、二人で巣に戻した事を思い出した。

 

 これは先日訪れた窯元の店内の照明の上で親鳥が運んでくる餌を待っている3兄弟(3姉妹?)。

 

 これは別の店内の商品展示場の真上の巣からのツバメの落とし物をキャッチするため設置されたビニール傘。

 最近ツバメの個体数が減少しているそうである。

 どうやら原因は、昔の農家などは平気で家の中や玄関脇に巣をかけられたが、最近は建物の構造が変わり密閉されていたり、糞害だといって巣をかけると落とされたりして、ツバメも営巣に苦慮しているらしい。

 子育てがままならないところには、ツバメは寄りつかないというか寄りつけないのである。

 蜜蜂もそうだが自然破壊の元凶は人間であることが多いが、個体数の減少という現実を前にしても目先の経済性などに惑わされて、日本の古来からのツバメとの共生のようなものまで顧みられなくなったということだ。

 そんな昨今のありさまなのだが、こうした処置をしながら入口を開けている店を見ると店主の優しい心根が窺えると同時に、商売そのものも誤魔化しの無い誠実な商いをする店なのだろうと思ってしまう。

 マイナスだと思っていたことでも、一つ手を加えることでマイナスをカバーして人の信頼を勝ち得る好例のような気がした。

 そう言えば、少子化も嘆くばかで対策は真正面にあるのに気づかないか、逃げているだけなのかも知れない。

 1000兆円越えの負債と共に、逃げに関しては日本人はとても速くなった。

 「逃げまくれ赤字国債核のゴミ」

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