昨日サッカーの試合前に、スタジアムの周辺を歩いて気がついたことがある。
補助競技場のフイルドの外側の歩いていると、靴底に伝わる地面の凹凸が感じられたのだ。
(補助競技場)
芝が密生して長目の所は感じないが、少し密生度が薄く短めにカットしてある部分にそれを感じる。
微妙な凹凸感で、例えは適切ではないが、ブツブツと直径5~10センチくらいの泡だったものがそのまま固まった感じ。
丸い敷石が一面に敷き詰められた上を、運動靴で歩くときの足の裏の触感という表現が近いかも。
平らな芝の上を歩く感じとは違うのである。
この感じは、秋津川の河川公園の芝生の上を歩くときも感じた。
(河川公園の芝の遊歩道)
雑草の根が張って、株の部分が盛り上がってそう感じるのかとも思った。
こうした感じは以前は無くて、地震後に歩けるようになって以降のことである。
広い芝生なら直ぐ傍の、総合グラウンドはどうかと試してみた。
(総合グラウンド)
少し傾斜をつけてある観覧席スペースの芝生は感じないが、平坦な部分になると同じように凹凸が感じられた。
何故凹凸に敏感になっているのかと言えば、我が家の庭がそうだからである。
庭の南側はほぼ全面に芝を張っている。
自分で地ならしをして芝を植えたものである。
庭は良く歩くし、芝刈りもやっかいだが続けていたので感触は分っている。
ところが、地震の後は足の裏に凹凸感を覚えるようになった。
相方に言うと、毎日洗濯物を干しに行く彼女も足の裏にぼこぼこ感じると言い始めた。
前後左右の地震動で、地面が波打ったのかも知れない。
地震の後、家の基礎部分にある犬走りと言われる部分より、庭の土の方が上になるほどだった。
その時点では、家が基礎部分から真下方向に沈下したと思っていた。
しかし、今では揺れによって、地面の方が波打ち盛り上がったと思うようになった。
無意識に歩いていても、ちょっとした足の裏の違和感が地震後の感触と対比させてしまう。
誰に言っても真剣には聞いて貰えそうもない、足の裏の地震の副作用なのである。
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補助競技場のフイルドの外側の歩いていると、靴底に伝わる地面の凹凸が感じられたのだ。
(補助競技場)
芝が密生して長目の所は感じないが、少し密生度が薄く短めにカットしてある部分にそれを感じる。
微妙な凹凸感で、例えは適切ではないが、ブツブツと直径5~10センチくらいの泡だったものがそのまま固まった感じ。
丸い敷石が一面に敷き詰められた上を、運動靴で歩くときの足の裏の触感という表現が近いかも。
平らな芝の上を歩く感じとは違うのである。
この感じは、秋津川の河川公園の芝生の上を歩くときも感じた。
(河川公園の芝の遊歩道)
雑草の根が張って、株の部分が盛り上がってそう感じるのかとも思った。
こうした感じは以前は無くて、地震後に歩けるようになって以降のことである。
広い芝生なら直ぐ傍の、総合グラウンドはどうかと試してみた。
(総合グラウンド)
少し傾斜をつけてある観覧席スペースの芝生は感じないが、平坦な部分になると同じように凹凸が感じられた。
何故凹凸に敏感になっているのかと言えば、我が家の庭がそうだからである。
庭の南側はほぼ全面に芝を張っている。
自分で地ならしをして芝を植えたものである。
庭は良く歩くし、芝刈りもやっかいだが続けていたので感触は分っている。
ところが、地震の後は足の裏に凹凸感を覚えるようになった。
相方に言うと、毎日洗濯物を干しに行く彼女も足の裏にぼこぼこ感じると言い始めた。
前後左右の地震動で、地面が波打ったのかも知れない。
地震の後、家の基礎部分にある犬走りと言われる部分より、庭の土の方が上になるほどだった。
その時点では、家が基礎部分から真下方向に沈下したと思っていた。
しかし、今では揺れによって、地面の方が波打ち盛り上がったと思うようになった。
無意識に歩いていても、ちょっとした足の裏の違和感が地震後の感触と対比させてしまう。
誰に言っても真剣には聞いて貰えそうもない、足の裏の地震の副作用なのである。
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