若い頃の映画全盛の時代に、しばらく題名が風変わりなものを選んで観たことがある。
次いで制作された国で選んだこともあって、結果面白かった記憶がある。
なんか似たような感じで今本を選んでいることに気がついた。
スイスと中南米を選び、題名も「Nr,16 42 12」とか「わが悲しき娼婦たちの思い出」
勿論、こうした選び方をするのは図書館の本である。
題名とか作者の国だけ選んで自分の本を購入したりはしない。(いや、出来ない)
なにやら怪しげなものまで手当たり次第というのが、図書館の本選びの面白いところ。
「Nr, 16 47 12」(スイス)オットー・シュタイガー(訳)高柳英子 2009未知谷
高校の教科書の副読本として今から30年前に書かれたものだと、訳者が最後に述べている。
今の日本の状況に物語の背景が酷似しているし参考にしてほしいとも書いている。
でも・・・・これに啓発される高校生が今の日本にいるのかなと疑問に思うし、また啓発されるようだと相当レベルの低い高校生だと思えてしまって、複雑な気持ち。
西欧的というか合理的というか、う~んと首を捻りながら読んでも20分もあれば読み終える。50ページに満たない短編。
さて、次は・・・。
「わが悲しき娼婦たちの思い出」(コロンビア)ガルシア・マルケス(訳)木村榮一2006新潮社
なにしろ天下のノーベル賞作家「ガルシア・マルケス」、わがノーベル賞作家、川端康成の「眠れる美女」の一節を巻頭の言葉にしている。
この小説の書き出しは・・・・こうだ。
満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしょうと考えた。
まあ、まあ、衝撃的な書き出しではある。
内容は、中南米のアッケラカンとしたもので、明るく未来は広がっていく。
川端康成の、年老いてやがて朽ちていく人間と、眠っていながらも生命の躍動が漲っている若い女性を対比させ、過去にしかすがれない老人の無情を描くのに対して、こちらは後ろばかりは振り向かないガルシア・マルケスぐっと前向き!。
これで、私の新しい人生が始まった。私は百歳を迎えた後、いつの日かこの上ない愛に恵まれて幸せな死を迎えることになるだろう。・・・・・・とさ。
執筆時の年齢:川端・・61歳 マルケス・・77歳
一同ォ・・・・脱帽ォ!・・・・・・・礼!!
今日はちょっと日帰りでプチ旅行・・・目的地は「山口県の日本海側」。
長門の青海島と角島。
先ずは青海島へ・・・駐車場入り口で猫の「ももちゃん」がのんびりお出迎え。
テレビにも出演したことがあるとかで、さすが余裕のももちゃん。
駐車場のおやじさんがまた面白い。この人は、有名人でテレビなんかしばしば。
楽しい話をエンドレスで聞かせてくれる。
聞いてくれるまで、駐車場の切符を渡してくれないから、聞きながらずっと待つ。
「帰りに寄れや、トランペットを聞かせてやる」と言われたので取り敢えず逃げた。
海岸線はさすが、海のアルプスと銘打ってまして、絶景絶景!!遊歩道もパッチリ。
なぜか山の岩肌の上をカニまで歩いていて・・。
島の西側には、天橋立と同じく砂州が連なって左が海で右は淡水の大きな池。
その名も「波の橋立」とか・・・。
哀しいかな展望所が整備されていないので全体像の撮影は無理。
天橋立と同じように両側に山があるので活用されてはいかがかと・・・。
なかなか良いところ。海の色がまたいい。沖縄の海を思い出した。
通行料金などないから、走り放題見放題。
熊本から片道290Kmの車の旅、高速を使えば土日割引で2500円前後。
おいでませ山口へ・・・今年になって三度目の山口プチ旅行は少々疲れた。
6月の初めに庭の花をUPしたが、ぼちぼち6月も終わりに近づいてきたので慌ててPAT-2をUPしないと折角咲いているのに7月の花になってしまうという事情もあって。
6月の庭の花(2)を・・・・。
最初はこれ「はなしのぶ」ですな。あえてひらがなで書きたくなる名前。世界でも阿蘇が唯一の固有種だとか。
今週末あたり自生地の阿蘇では野草園で恒例の「はなしのぶコンサート」が開催される。
透き通るような音色のマンドリンコンサート・・・女子学生がまたいい。
阿蘇の話はこっちに置いといて、これは園芸種で右側の終わった方の花は種になるのを待っている状態で、左側の枝にまた咲き始めた。
種は根元に蒔いておくと来年はまた芽が出て花が咲く・・・予定。
「ガクアジサイ」の花もまだ残っている。
「グラジオラス」も梅雨空を黄色にそめてひときわ鮮やか。
たぶん7月も引きずって咲きそうな「ロベリア」驚くべき繁殖力。
「小判笹」も少しずつ先の穂が小判の形になってきた・・・ような気がする。
金のなる木がこの冬の寒さで全滅したので、今年は小判に期待がかかる。
黄金色になる秋が楽しみ。
六月から、謡曲「道成寺」の稽古が始まった。
何やら相当に難しそうな雰囲気に皆さんと顔を見合わせる。
作者も世阿弥だの観阿弥だのと作者がはっきりしない。
話の元になっている出所もはっきりしない、登場人物の名も有ったり無かったりはたまた違ったりしている。
おそらく、この辺りの元本からこの時代くらいに作られたものでしょうと、謡本の解説には書いてあって、なかなか正直でいいと思う。
NHKの大河ドラマ「平清盛」に賛否両論がある。
映像が汚い等という意見から始まって、脚本やキャストまで・・・様々な意見があるようだ。
史実や時代考証を重視してリアルに表現しようとした制作側の意図と、予定調和でもいい規定の物語を安心して役者の演技でも楽しみながら見ましょうとか、どうでも良いから視聴率を稼いで地域興しに貢献させてくれという見る側(+利用する側)の意見が一致しないことのようだ。
以前も大河ドラマで人気俳優の織田信長を、早々と本能寺で死なせないでくれとのご婦人方の陳情に、苦慮したNHKはまあ信長の死を引き延ばすわ、回想シーンを多用して何度も登場させるわ等の裏技を駆使して視聴率を稼いだ事があった。
先例に倣って、今度もやってくれるだろうと目論んだ要望陣(視聴者&地域興し組)も、説を曲げない制作陣にいささか呆れ気味。
お陰で低視聴率に陥ってしまったらしいが、それはまあどうでもいい話だ。
要は、面白くない史実に枝葉をつけたり魅力的な登場人物を付け加えたり色恋や人情話に脚色したりしているうちに、芝居や物語本が一般的に広がって史実は置き忘れられてしまうのである。
「忠臣蔵」や「義経」や「聖徳太子」などなど、庶民の楽しみから時の権力者の政に至るまで都合の良いように創作され・改作され広められていったのだ。
歴史書の姿をとった読み物も、編纂された時代と時の権力構図を把握すれば、その意図するところが推測できる。
まあまあ抑えておさえて、こんな事ばっかり考えながら時代劇を見ていても面白くない。
結局、歴史を曲げるのも、芝居や物語本を変えるのも、それで恩恵を受ける側・読んだり見たり楽しんだりする側のなせる業ということですな。
でも、時々でいいから人類学とか民族学(考古学・言語学)とか地質学やら多種多様な専門家の先生方に「え~っと、その時代の地層から発掘されております」とか「その時代には生まれておりません」とか「放射線測定による鑑定の結果時代は更に遡る」などという史実をひっくり返すような話も有った方が更に面白くなるし、期待したいと思う。
梅雨の合間に雨が降っていないときに菜園にいく。
雨というやつは降らなければ困るが降りすぎるのも困りもの。
例えばトマトなど露地栽培の場合は水分を吸収しすぎて割れてしまう。
キュウリも直ぐ大きくなってしまうので要注意だ。
カボチャは昆虫にばかり頼っていられないので受粉させたもの。
黄色いのは初めてなのでいつが収穫時期なのかさっぱり。只今様子見。
トマトはミニだが普通のより少し大きめのサイズ、沢山実を付けている。
これも雨が続くと熟れた頃に併せてヒビが入る。
キュウリは次々と花を咲かせ、実が成り油断すると大きくなりすぎる。
要するに梅雨時の菜園は管理が難しい。
でも、本当の戦いはこの梅雨明けになる。
暑さと、虫と、雑草だ!!
ロアッソ熊本VSギラヴァンツ北九州の第20節ホーム戦を夫婦揃って応援にいった。
配偶者は早くから弁当まで作って出発準備OKの態勢づくり。
県知事も応援に駆けつけて曰わく、「私が応援に駆けつけた日は負けたことがない。サポーターの皆さん、今日は安心して応援していて下さい」・・・・だと。
試合開始のホイッスルが鳴り止んだかと思うほどの開始早々に先制のゴール。
いやあ~これはビックリ。
その後PKとフリーキックで2点を献上して前半を折り返した。
ああ~またかあ・・・・・・・・・・・・といや~な空気が漂い始めた。
んが~あ、今日のロアッソは頑張った。後半1ゴールを決めて更に攻撃の手を緩めない。
キーパーの好セーブに阻まれたり、ポストに嫌われたりで再三のチャンスが実らずにとうとう引き分け。確かに知事さんの言うとおり負けはしなかった。
いやはや、最近希にみる良い試合だった。
引き分けで勝ち点1かよって、言いたいところだが、今日の試合に関しては許す。
あの再三のチャンスが生かせるように、更に頑張ってチョーダイ!!
ってことで本日は締めてみようか。
本格的な梅雨入りを前にジャガイモを収穫した。
雨によって水分が過剰に吸収されると不味いというわけだ。
小さなものまで掘り出して、30~40Kgくらい収穫して、現在ザルで水分を飛ばしている。
娘に10Kgくらい送ってやった。まあ当分ジャガイモには不足しない生活が続く。
雨が降り出す前にと、朝から配偶者が畑に野菜を採りに行った。
まあ、よく次から次と育ってくれる。生活を野菜中心に据えてから約4ヶ月が過ぎた。
勿論今まででも野菜は食べていたが比率を大幅に増やしたのだ。
多分、動物系と野菜系の比率は2:8くらいではないかと思う。
特に取り立てて運動もしていない配偶者も5Kg以上の減量を達成しているから、日頃の食生活が如何に高カロリーであったかが分かる。
野菜の消費がすさまじくなったので、家庭菜園にも少し工夫が必要になるかもしれない。
ちょっと真面目に考えて見ようかな等と思う昨今である。
「灰色の魂」フィリップ・クローデル(仏)高橋啓(訳)2004年10月みすず書房
またまた、図書館から借りた本。
まあ、題材が重い・暗いという感じがするが、文章が平易で軽快なテンポで進む。
ところが油断すると、読めないくらい難しい漢字もでてくる。
辞書を引きながら読んでしまった。
主な登場人物が24名もいて、時間が遡ったり現在にきたりと複雑に繰り返すので、この人物誰だったっけ?と首も捻るが・・・まま、そんなに深刻に考えることもないと気楽に読む。
私という人物の語りで物語は進行するが、主な登場人物は各々の場面で主役級の動きをする。
物語の舞台は第1次世界大戦下のフランス、丘の向こうでは戦争のさなかで、丘一つ此方は田舎の比較的のんびりした風景が広がる。
沢山の戦死者や負傷者が出ている大戦下で、小さな町の殺人事件に取り組む、警官・検察官・判事それに軍の大佐・・・謎解きに挑む私の正体は?
まあちょっと、訳者の腕も大ききと思うが軽妙洒脱な文章がいい。
そして・・・・・・ずず~んんっと腹にこたえる。
やっぱり・・・・人間って灰色なんですな。