カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

お手を拝借・・・いよ~ォ!

2013-12-30 10:31:23 | 日常あれこれ

 巳年が終わろうとしている。来年は午年である。

 干支は12年で一周し、また新規巻直しとなる。

 伊勢神宮の式年遷宮も一つの例で、人の記憶に確実に残っている内に新たなスタートを迎える行事は東洋特に日本には多いようだ。

 四季の移り変わりや、定期的な自然災害からの立ち直りのための気持ちの切り替え、あるいは農耕民族として決まった耕作工程があることが切り替えを必要とし、その生活パターンがいつしか日本人のDNAに組み込まれたのかも知れない。

 だから一過性の災害に対しては新規巻直しで逞しく迅速に対応出来ても、原発事故や歴史認識などへの対応は苦手なのかも知れない。

 廃炉作業は40年かかるとか、1000年後も恨みは忘れないなどと言われると皆戸惑ってしまうのだ。

 さてさて、今年を振り返ると比較的いろいろ有ったような一年だったと思う。

 その筆頭は長女の出産と初孫の誕生ということだろう。

 結婚式と比較してもその長期に亘るイベントは群を抜いている。

 しかも、まだ各種行事は現在進行形で、もちろんこの後もイベントは続くはずだ。

Dscn0515

 何やら可能性を秘めていそうな足を眺めていると、健やかに育ってくれと祈らずにはいられない。

 猫が死んでこのかた、毎日仏壇に手を合わせる習慣がついてしまったが、祈りの対象がどんどん増えて、娘や息子それに孫からそれを取り巻く各家庭の平穏にまで広がってしまった。

 早朝に行うことに努めた結果、きっちり起床する習慣だの正座をして姿勢を正す健康法だのと、効能的にはサプリメントのCMと同等以上のものを実感する。

 まあ結局、子供の頃に見た仏壇の前の祖母の姿ってところか。

Cimg3945

 ちゃんと道標は祖母を始め先人が建ててくれていたわけだ。

 世に伝える、伝え方の方便がなかなかその時々の世情にマッチしないのが実情だが、12年後の次の干支に自分が生きているなどと確信してはならないというのが教えかな。

 せめて生きている今をしっかり生きろと道標は示している。

 な~んだか、ぐ~んと盛り上がったところで、今年のブログは一本締としようか。

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その時の一枚を見ながら

2013-12-28 19:11:02 | 日常あれこれ

 「百聞は一見にしかず」それを見れば、訪れた場所はもとより季節やかわした会話まで思いだされてくる。

 ことしも様々な画像をUPしたが、心に残る情景をいくつか・・・・。

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(春の足音が少しずつ聞こえ始めた頃の寒椿)

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(庭に移したらいきなり元気に花を咲かせた芝桜)

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(今年の家庭菜園最大のヒット作・・小玉のスイカ)

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(石橋が途中で別れている「二俣橋」の秋)

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(夕日の似合う空港ということでマニアも多い阿蘇くまもと空港)

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(撮影ポイントに早くから集まって夕日と飛行機をまつマニアの列)

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(日本の棚田百選にも選ばれている「番匠地区」の棚田の秋)

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(阿蘇西原のコスモスと大原三千院の紅葉)

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(冬枯れの里山。落ち葉の尾根道)

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(真っ赤な夕焼けと青信号)

 幾つかの年中行事があって、楽しみであるいは半ば義務感でクリヤーしていくうちに気がつけば一年は終わろうとしている。

 29日は日が悪いとか、一夜飾りは宜しくないとかいろいろ言うので、早めに本日注連飾りなど一連の正月準備を終わらせてしまった。

 天候が不順であてにならないので、前倒しで墓参りまで済ますことにした。

 花を供えようとしたら花立ての中の水が凍り付いていて、除去作業は容易ではない。

 今夜もまた冷え込みそうなので、多分明日にはこの花も水の中で凍り付く筈である。

 それはそれで良いこともある。

 カラスが悪さを出来ないからだ。

 お墓に供えられた花などに、ことのほか興味が沸くらしく殆どのお墓の花は、クチバシで引っこ抜かれ周りにまき散らされる。

 氷で固定された花はそうそう簡単にはカラスの餌食にはならないだろう。

 家へ帰り着くと、庭の隅にある井戸にも、例年のごとくお供え物をした。

 前の住人が掘ったものか、その前からあるのかは知らないが井戸を粗末にしていい話は聞いたことが無い。

 ポンプも付け替えて、洗車と庭の草花への水やりに利用している。

 保健所の水質検査で合格すれば、非常の場合の飲料水にも活用出来るかも・・。

 先祖の墓だの、水神様だの、玄関や床の間のお飾りなど、無神論者はいきなり信心深くなり八百万の神々によろしくとお愛想を振りまいている。

 今年は神様にもいろいろお世話になったし、来年は心を入れ替えて頑張るつもりである。

 うっかりしたことは言えないが、確かに残された時間は無為に過ごして良いほど多くは無いことに最近ようやく気がついた。

 明日からの決心どころか、来年となると決心の軽やかさはその比ではないものの・・・。

 

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今年登場した二足歩行生物たち

2013-12-26 11:21:31 | 日常あれこれ

さてさて本日は、ブログに登場してくれた二本足の生き物たち。

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(刈り入れ時に田んぼで待機中だった白鷺)

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(じっと獲物を待って一日中でもそこに居る、アオサギ)

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(これは貴重な写真と自画自賛したい。想定もしなかった、街中の橋の下で獲物を狙うカワセミ。このあと一直線に水中へ急降下)

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(巣作りのために材料を集めているカラス。効率的に何本か集めた後まとめてくわえて飛んでいった・・・・かなりな能力の高さ)

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(塀の上に何羽かのニワトリがいたが、突然バタバタと羽ばたき地面まで滑空していた。この熱意が実ればニワトリが空を飛ぶ日は近いかも・・・)

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(二足歩行への限りなき挑戦を見せてたやつも確かにいた)

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(そしてこの熊は、完全に二足歩行をマスターし全国を駆け回った)

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(あまりに可愛すぎる二本足・・・完全に四本足をリードしていた)

今日はもう26日。何だかんだと言っても今年もあと5日しかない。

実感は湧かないが、年末である。

根拠の無いやる気を無理に盛り上げることにした。

窓や網戸を全部洗い上げ拭き上げた。

やる気と勢いがめげないうちに、洗車まで終わらせた。

約束通り・・・雨模様になってきた。

そのあと玄関の照明を20年ぶりに替えた。

というより、和紙で作られた提灯状のものなので、紫外線で劣化しいつ落下してもおかしくない状況にあったものを、100円ショップから提灯を4個買ってきて取り替えただけだ。

梯子も届かないので、二階の階段脇からコードを棒で引っかけてたぐり寄せ3個までは交換できたが一番高い位置のものは、たぐり寄せても手元までコードが届かず交換不能。

結局そのまま継続使用と相成って、見事にアンバランスな玄関照明が出来上がった。

何事も未完のままというのが良いのだ。

まだまだ伸びしろが残っているということだ。やるべきことは残しておけ・・・なのだ。

さて・・・今日も一句いってみようか。

「自分への言い訳少しくどくなる」

・・・・はいお粗末さま。























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今年登場した四足歩行動物

2013-12-24 09:48:36 | 日常あれこれ

今年登場してくれたニャンコ達をUPしていたら、それ以外が気になった。

じゃあ、というんで、猫以外の四本足の動物も登場してもらい、その次には二本足にしようかなどと・・・・引き延ばし作戦策定。

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(頑固に散歩拒否中のこの犬は外せない)

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(この白い山羊の子も無茶苦茶可愛かった)

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(山登りの途中ではタヌキにも遭遇)

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(鹿もシカトせずにちゃんと対応してくれた)

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(アマガエルは無機質な石塔に命を吹き込んだ)

こうしてみると、目を向けさえすればそこには何かがいる、もしくは有る可能性は高いということだろう。

日常にごろごろしている事象なのだろうが、なかなか目が向かない。

周りを見回せ、足下を見よということなのだろうか。

その瞬間だけ、ちょっと愉快な気分になれるだけでもいい。

人生なんて結局瞬間の積み重ねか浪費かでしかない。

おやおや少し悟ってきた感じ・・・・ちょっとあぶないぞ。





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今年登場してくれたニャンコたち

2013-12-22 21:13:54 | 日常あれこれ

以前から日々更新しながら続けていたHPの主人公が猫だったので、このブログにも少々偏りがあるのは否めない。

テレビもぼちぼち今年一年を振り返る年末特集番組になりつつある。

暇にまかせて、先ず今年ブログに登場したものを特集でUPしてみよう。

手始めは、ニャンコに登場して貰おう。

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(余裕の外猫)


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(駐車場の監視係)

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(町猫)

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(町猫)

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(神社を受け持ち区域とする猫)

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(席順待ちの猫)

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(京都祇園の町猫)

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(在りし日のシロ君)

ちょっとカメラに収める場合の対象として選びやすい動物の筆頭はやっぱり猫である。

カメラを向けるとちょっとは見てくれるが、直ぐに視線をレンズからずらすのが分かる。

直視したものを撮りたければ速やかにシャッターを切れということだろう。

もたもた構図などを考えていると、視線は外されてしまう。

相手を長く直視しない、それが猫同士のルールなのだ。

見るようで見ない微妙な関係が、繊細にして大胆、臆病にして向こう見ず、無関心を装いつつも興味津々などという二面性を持つ猫が穏便で平和な生活を営むために自然に身につけた生活スタイルなのだろう。

思い出の一句を・・「ときどきは手を借りていた猫が死に」。

猫の手も借りたいほどの忙しさも、この頃はなくなった。

出来ない事はやらないことにしただけなのだが・・・・。















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年賀状考

2013-12-20 11:27:40 | 日常あれこれ

今年も年賀状を書いたり出したりの時期がやってきた。

子供の頃は、新年の書き初めをした後に先生や親しい友にほんの数枚を書いていた記憶がある。

元日に届くように前年の何日までに等と言うようになったのはずっと後のことである。

そう言えば、30日とかに年賀状が配達され「おめでとうございます」などという文言を見せられて不思議な気分になったこともある。

郵便局も何日前までに出せよとか、出すなとかが徹底されていなかった時期でもあったし、年賀状なのだから配達の時期を考慮してくれてもよさそうなものだと思ったりもした。

思えば年賀状に普通の官製ハガキを使い切手の部分の直ぐ下に「年賀」と赤鉛筆で書いて出したこともあった。

専用の用紙で、大量の年賀状を出すようになったのは多分バブルの頃からだったと思う。

恩師や同級生、仕事の関係、趣味同好会等々出す相手の重点指向や枚数の増減等には紆余曲折もあったが、年数を経て現在の枚数になっている。

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今年は250枚をパソコンで作り、罪滅ぼしに手書きの一文を相手の顔を思い浮かべながらハガキの隅に一枚ずつ書き添えた。

確か去年は250枚では足りず20枚くらい買い足した覚えがある。

オマケに、新年になると出していなかった人から年賀状が来て、10枚くらい慌てて出した。

断捨離という言葉も一般的になったが、モノを処分したり執着を断つということに多少は目覚めたつもりであったが、この年賀状の断捨離はそれなりに難しい。

おそらくもう一生逢えないであろう人が全体の半数以上なのである。

一期一会の人に、年に一度の生存報告だと思えば、逢えない人にこそ出すというのもありだろう・・・・などとも思う。

実は今年も250枚買ったものの、全体の10%以上の宛先から「喪中につき新年の挨拶を失礼させて・・・」が12月初旬に届けられている。

先方も年賀状取り扱い時期に合わせて「欠礼報告」をしてきているのである。

出す側としては一向に構わないらしいが、それでも喪に服している相手には出すのはためらわれる。

そういうわけで、宛名だけ印刷されていない賀状がかなり手元に残っている。

多分新年には出していない相手からの年賀状に、慌てた風を装って出すために使用する。

何枚かがそれに使用され、そして何枚かはお年玉の発表が終わった後普通のハガキに替えて貰って、クイズや川柳の投稿用として有効に活用されることになるだろう。

去年は書き損じを交換に行ったら、抽選が終わってからにした方が良いですよと郵便局の職員に諭されて、成る程と合点がいったからである。

年賀状・・・この不思議なイベントも永遠に続けるわけにもいかない。

突然のエンディングも技法的にはあるかもしれないが、人生ドラマの終章に近づけばそれなりの整理整頓はしておくのが読者への心遣いでもあろう。

・・・・さてさて、如何なる事になるやらん。

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西行桜

2013-12-18 10:51:05 | 日常あれこれ

町の文化祭と、趣味の会での定期発表会が終わると、謡曲は次の練習曲に移行する。

12月の初めにその発表会が終わり、来年の6月の発表会まで月に3回の練習が続く。

今度の曲は「西行桜」・・・かなり難しい曲だ。

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「西行桜」・・・世阿弥の作といわれている。

 各所の桜の名所を求めて花見に回っている京都の下京邊の人達が西山の西行の庵室に花見に訪れる。

 独り静かに眺め暮らそうとする西行であったが人々を断ることも出来ず招き入れ、その心境を「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける」と詠ずる。

 その夜更けに桜の老木の精である老人が現れ、人々か大勢やってくるのはここにある桜のせいだ、桜に科があると貴方は仰せられるが桜に浮世の科はないと弁解する。

 そして花の名所を語り、大いに舞って春の夜を楽しむが、夜明けが近づくと西行の夢は覚め、翁の姿は跡形もなくなる。

 中国や日本の古話によくある、泡沫の夢とか一睡の夢とかいうパターンを使った作品である。

 西行は昨年の低視聴率で話題の大河ドラマ「平清盛」の中で、武士としての地位や妻子を振り切り捨てて出家してしまう役どころだった。

 ただ西行の詠んだ歌で印象深いのは「願わくば花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」という一首である。

 如何にも西行にふさわしい歌のように思えるし、これから練習する「西行桜」も来春の桜の下で少しは謡えるようになっておいて、出来れば独り謡ってみたいなと思う曲である。

 


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ジャガイモの収穫

2013-12-16 09:38:40 | 家庭菜園

ジャガイモを収穫した。

夏場の猛暑が過ぎた頃「秋ジャガイモ」と称して植え付けたもので、収穫時期からすれば「冬ジャガイモ」になってしまった。

普通の夏のジャガイモは、梅雨に入る前の比較的土が乾燥した時期に収穫するので水分量が少なくイモにホクホク感があってとても美味しかった。

しかし今の時期の土は終始湿っているので、試しに食べた芋はなんとなく水分が多く口当たりがイマイチで味は夏場のものにとおく及ばない。

取り敢えずこれ以上収穫を引き延ばせば寒くなるし、霜の害にも遭う。

それに年末は気ぜわしいところに作業を残したという後ろめたさが付きまとう。

で、収穫となったのである。

この日は寒い日であったがとうとう最後には汗を掻いてしまった。

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結構な大きさになっているものもあるし、皮を剥くうちに無くなるのではと思える小さなものまでざっとビニールの袋に4袋が獲れた。

この他、子芋を収穫しては親芋の方はそのまま土に戻すということを何年も繰り返している里芋もかなり収穫できた。

ジャガイモの親芋も、それなりに大きくなっていて、捨てるのも勿体ないので施肥をして再度植え付けてしまった。

ジャガイモは初めての経験もないので、どういう結果になるかは全く分からない。

これで春に芽が出て、初夏に収穫できれば笑いが止まらないことになりそうだ。

収穫したジャガイモは水分を飛ばして、美味しくしようということになった。

方法はまったく知らないが、土を付けたまま紙など通気性よい容器にいれて冷暗所で暫く保管してみることにした。

どういう使い方・調理法が最適なのか試行錯誤でさぐっていくことにする。


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葉ボタン

2013-12-14 12:36:14 | 日常あれこれ

今年もとうとう葉ボタンを庭の花壇に植え込んだ。

キバナコスモスや、何という名前か忘れたが黄色い小さな花が次々と咲き続ける花々が、いよいよ霜にやられて、黒っぽい葉っぱになり見苦しくなるまで粘った末のことである。

次々と季節を先取りして上手に植え替えたがいいらしいのだが、咲いている間は引き延ばそうとして、とうとう本当に駄目になって植え替えるのが常である。

どうやら今年も、その時期が来たというだけの話ではあるのだが・・・。

この時期に植える草花は限られていて、例年葉ボタンを植えることにしている。

クリスマスや正月の門松に添えられたりするので、時期的には値があがっている。

去年はたまたま立ち寄った生産農家で、ハウスの建て替えで処分するのだといって一株100円で分けてくれた。

今年はホームセンターを覗いたら一株400円近くしていて、流石に買うのを留保した。

何軒か回ってみたら半値程度で売っているところがあったので、そこから買った。

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むき出しの土より何か植えてあった方がいい程度のノリで始めた葉ボタンも、植え始めて10シーズン以上にはなるはずだ。

これがまた春が近づくと中心から芽が伸びて綺麗な花を咲かせる。

そこまで引っ張るのはいかがなものかと言われるが、またまた引き延ばすのである。

Cimg4722

鉢に植えたこの葉ボタンは極めて小さいモノなのだがカメラの位置の関係で花壇のものと同じくらいの大きさに映ってしまった。

実際は十分の一程度の大きさなのだが、値段はこちらが倍くらいする。

食べたらきっとキャベツの味がするに違いないと思う。

人間が改造したこの植物は、本来は抜かれて捨てられてしまう春になる頃芽を伸ばし花を咲かせ、本来の姿を主張する。

私はただのズボラをその主張を聞いてやっているのだと、強弁し正当化することにした。




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分かり易い場所って??

2013-12-12 11:09:17 | 日常あれこれ

テレビの天気情報は今日の最高気温は12月の下旬から1月下旬の気温なみだ、などと言っていたし、新聞の週間予報を見ても更に低温傾向が暫く続く様子である。

霜や冷温に弱そうな鉢植えのものは、室内に入れることにした。

それでも、室内に入れるほどのこともないが、寒さに震えさせるのも如何なものかという程度の鉢のために簡易の温室を組み立てた。

もう5年以上も前にホームセンターで買った安物だが、安物ゆえに前面の開閉のためにビニールに取り付けられたジッパーの部分が壊れてしまったので、毎年ビニールだけを買って来て覆っている。

例年、つなぎ目をガムテープでベタベタやって見苦しいとひんしゅくをかっていた。

今年は透明なテープなのでわりと見てくれは良くなったと自画自賛している。

Cimg4723

夏場は無用の長物となるので、バラして骨組みだけをコンパクトにまとめて保管している。

専用のネジ、専用のネジ回しなどは小さなビニールに入れて分かり易い場所に半年間以上保管することになる。

本体は問題ないのだが、ネジ類の保管場所がどこであったかが最近問題になってきた。

どこに保管したか忘れないないように、分かり易い場所に入れて置こうというきめ細かな着眼に我ながら酔いしれたはずなのに・・・・。

さて、分かり易い場所とは何処であったかを推理するはめになる。

この頃、配偶者も物忘れが激しいので、彼女の行動パターンから推測して何度となく遺失物を発見してやって名探偵を鼻にかけていた私も、自分の行動パターンを反芻してみることになる。

彼女もこの時とばかり復讐の念に燃えて、あらん限りのとんでもない場所を捜索し協力する姿勢を示す。

もし、そのとんでもない・あり得ない場所から発見することができたら、勝利の雄叫びを上げてやろうという魂胆が見え見えなのである。

理由は、そうした野望を抱かせる事案がこの頃散発したからに他ならない。

玄関の靴箱の上のメガネ、洗濯機の上の携帯、門柱の剪定ばさみ、などなど・・・・。

この頃、何処に保管されているかを一覧表にしたらどうかという案が出たが、その一覧表は何処へ行ったかを探すはめになりそうだと笑いながらも、少々さむい師走の風がオツムの中を吹き渡っているのを自覚する。

さて一句いってみますか・・・。

「引き出しに対人仮面二・三枚」

この保管場所を忘れると・・・本性が・・・。

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