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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

案山子とお米とお酒と

2017-09-30 09:31:37 | おでかけ
 昨日に引き続いて、案山子の続編を。

 スーツやシャツ姿の案山子をみると結構いい洋服を着ていたりして、昔の案山子のイメージとは随分違う。

 
 農村に賑わいが必要なのかどうかは別として、確かに案山子でも賑やかになる。

 制作には子供やお年寄りなど様々な人がかかわっているらしく素材もテーマも多様である。

 
 芸人親子の旅姿など、現在ではおよそお目にかからない姿のものもある。

 
 駅前のクリニックもさながら楽しいサロンの雰囲気。

 
 いちばん奥の高台には、「くまモン」のでっかい案山子がで~んと座っていた。

 稲刈りも済んだ田んぼや、機械を入れて作業を始めようとしている田んぼも見られた。

 先般の台風で一部倒れている稲もあるようだが、例年通りの収穫は見込めそうな感じだった。

 集落への入口の目標にしていた「亀万酒造」は、若かりしン十年前に、鹿児島へ行った帰りに上司と酒を求めて立ち寄った造り酒屋である。

 確か一升瓶1本で一万円の酒というので有名だった。

 値段が高すぎてただ話の種に上司について行っただけだったのだが、完売したと断られた。

 何でも大きな醸造装置から僅かしか取れない、貴重な酒精部分だそうで一年前からの予約が多いので、なかなか一般には出回らないと気の毒そうに話してくれた。

 ちなみにこの酒造会社は九州最南端で、これ以上南は年間気温の関係で酒の醸造は無理で、かわって焼酎が造られる。

 ブームも酒から焼酎へ、そして何年後かに酒が巻き返すといったことを繰り返しながら、お互いに消費者の好みに合うものを造り出そうと頑張っている。

 私としては、焼酎は季節に応じ水割り・お湯わりで飲むし、清酒も同じく冷酒に燗酒とこれまた季節に応じて飲み分ける。

 およそアルコールを勧められて、車の運転中を除き断る理由はない。

 以前は週に一度の休肝日を設けていたが、歳と共に飲む量が少なくなったので、休肝日は休止した。

 九月も今日で終わり、食欲の秋・収穫の秋を案山子と共に迎える。

 
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楽しい案山子(その1)

2017-09-29 16:38:07 | おでかけ
 熊本県の津奈木町古中尾地区の面白い案山子が新聞で紹介されていたので出かけてみた。

 かかし祭はもう暫く前に終わっているのだが、今月末まで案山子はそのまま残されている。

 南九州道を南下し、津奈木ICを降り津奈木の市街地に入る直前にある、造り酒屋の交差点を左折すると直ぐ古中尾地区である。

 ノンビリした田舎の棚田の風景の中に、やたら人が大勢いる場所があるので近づいてみた。

 
 やたら大勢の人ではなくて、ほぼみんな案山子だった。

 何人かが訪れて写真などを写していたが、どこに人間がいるのか遠くからは見分けがつかない。

 
 ネクタイを締め、いやに現代的な若い案山子も田んぼを見回していた。

 
 杖をついて田んぼを見回っていたお婆さんの案山子は、歩き疲れてちょっと一休みといった風情である。

 
 一輪車に乗せられた孫の歓声と、楽しそうな老人とのやりとりが本当に聞こえてきそうな気がした。

 案山子の数は、ひょっとしたらこの地区に住む人の数より多いのかも知れない。

 案山子もただポツンと佇むのではなく、動きや表情をもたせているので遠目には人間のように見え、急にが賑やかになったような錯覚を覚える。

 案山子は鳥を驚かすばかりでなく、人間をも驚かしてみせるのである。

 
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本を読むということ

2017-09-28 13:34:13 | 本と雑誌
 昨今のマイブームは「詩」を読むこと。

 「今更」だの「今頃かよ」とかいう声が聞こえそうだが、詩集の本の厚さが丁度良い。

 
 「世界は一冊の本」(長田弘) 「素直な疑問符」(吉野弘)

 どっちも「弘」でこんがらかりそうになる。

 読み終わったらさっと返して、次をさっと借りてくる。

 
 「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(最果タヒ)「花と木のうた」(吉野弘)「わたくしたちの成就」(茨木のり子)

 で、これも読み終わったらサッと返す。

 よっぽど気になったフレーズでもあれば、ちょっとメモしておく。

 詩などというものは、乱読・多読ではまずいのではないかと、少々気にはなるがエイヤッとやり過ごす。

 同じ作者の同じ作品が、出版の時期や編集によって沢山ダブっていたりするので、同じ作品に何度も出会うこともある。

 乱読・多読でやり過ごすつもりでも、妙に引っ掛かるフレーズがまるまる記憶に残ってしまう作品もある。

 最近気になっているのは、物忘れが激しいことだ。

 新聞も本も詩もどんどん読むがさっさと忘れる。

 多分老化した脳の処理能力を超えているに違いないのだが、割り切ることにしたのだ。

 本でも詩でも、読んでいる間は没入したり感動したり出来るわけで、その瞬間を大事にするしかないな、と、割り切るのだ。

 作者もまさか、その内容くらい覚えていて下さいよ、等とは思っていない筈だし・・。

 そしていつかは、お気に入りの数冊を手元に置いて、ずっと繰り返して読むばかりの毎日を送るのだ。

 「未来とは末路の中にある時間」

 
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他の名で呼んでもバラは良い香り

2017-09-27 10:02:45 | 日常あれこれ
 地域のJAが主催する農業川柳コンクールの応募用紙を貰いにJAに行った。

 去年は瓢箪から駒みたいに金賞で、お米だの柿だ野菜だといろいろ現物の商品を貰って、相方が大いに喜び今年も投稿せよとやたら勧める。

 メールでもFAXでも、便せんで郵送でも何でも受け付けてくれるのだが、去年は所定の応募用紙を貰って投稿したら結果がよかったので、験担ぎに今年も遙々車で用紙を貰いにいったのだ。

 帰りに近くを流れる緑川の河川敷に廻ってみた。

 
 ここは数年前相方と訪れてバケツ一杯の小石を拾って帰った場所である。

 あの時も幾つかの大きめの石を積んで火を焚いた後があったが、今回も他の場所にちゃんとその形跡があった。

 多分キャンプか野外のバーベキューか、それとも鮎釣りが現地で塩焼きにして食ったとか・・・。

 すぐそばには、一面の綺麗な花畑があって季節ごとに花を咲かせていたのだが・・・。

 
 今年は河川敷の花壇も芝生の広場も地震以降手が回らないのか、本当に雑草に覆われた自然公園になってしまっていた。

 緑川も堤防などの改修工事が行われているのだろう、川の水は白く濁っていた。

 この川の色はいつも緑色に見え、河原の石も緑っぽい色で堅く重いものが多い。

 熊本県には緑川をはじめ色のついた名前の川が他に2つある。

 熊本市の中央を流れ何度も氾濫し水害を起こしている南阿蘇の湧水群を源流としている「白川」。

 その白川にこの前の地震で崩落した、阿蘇大橋の付近で北側の阿蘇谷から合流している「黒川」などである。

 簡単に色を川の名前にするとは何とお手軽な命名と思っていたら、お隣の宮崎県にも「一ツ瀬川」「五ヶ瀬川」とあって負けててはいない。
 
 昔の人の命名は、人名にしてもそうなのだが、結構お手軽な感じのものが多い。

 生まれた順に数字の名前を付けるとか、生年をそのまま別の読みにして名前にするとかいう類のものも多い。

 反面、昨今の子供の名前はすんなりとは読ませてはくれない。

 気楽でも懲りすぎても、名前というものはスンナリとは腑に落としては貰えない。

 かと思えば、「吾輩は猫である、名前はまだない・・・」のまま、名なしで一生を終わりながら印象に残る猫もいる。

 平凡がいいのか個性を求めるのか、命名者の都合と受け取る側の感性の相異は果てしなくつづく・・。

 

 「他の名で呼んでもバラは良い香り」

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孫請けの創意工夫

2017-09-26 10:20:39 | 日常あれこれ
 半年以上に亘った隣家の新築工事が終盤を迎えている。

 作業の慌てぶりが顕著で、多分納期に間に合わせるため、工程の終盤の業者は休日も夜間も作業をやる。

 半年以上に亘って我が家の庭の直ぐ横に君臨し、匂いを発散し続けた野外トイレも撤収された。

 

 後は駐車場となる予定で、整地作業も急ピッチである。

 

 境界ブロックと家の隙間が狭すぎてブロックの上に組み上げていた足場も解体された。

 
 
 我が家に接する北側の壁の一部が凹んでいるので、何の凹みか工事中の業者に聞いたらエコキュートの室外設備を置く場所だという。

 その程度の凹みで設置できるのかと訪ねたら、「さあ・・・」という意味不明の答えが返ってきた。

 設置業者とその辺の工事業者は異なっているし、彼等はあくまで設計図通り指示通りの作業をしているに過ぎない。

 そして今朝は、激しいドリルのハツリ音やコンクリートを削る音がこだまし始めた。

 直後にもうもうたる白煙が我が家の庭に漂い、相方が悲鳴のような声をあげて表に飛び出していった。

 先ほど干したばかりの洗濯物を取り込み始めている。

 相方の声が聞こえ、「もうすぐ終わります」という業者の声も聞こえた。

 
 地震の際に隣の瓦が崩落し境界のブロックを壊してしまったので、隣家と折半で作り直したばかりのブロックの一部を削っているのである。

 ブロックが倒れたりしないように、所々に厚みを持たせている補強部分がちょうど家屋の凹みの部分と同じ場所らしく、削らないと機器が設置できないらしい。

 どこかのテレビ番組風に言うなら「何と言うことでしょう。匠は出来上がったブロックを削り始めたではありませんか」となるが、実は私も同じように言いたかった。

 数日前に近所の車庫の床塗りをしていた左官さんが、相方に「今の時期は不具合があっても我慢して、2年ぐらいして落ち着いたころ工事などは頼んだ方がいいですよ」と言ったという話が何となく説得力をもってきた。

 「味噌と水交互に足してかさが増え」


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田舎のとてつもなく大きな秋

2017-09-25 10:26:41 | 日常あれこれ
 朝から近所の奥さんが電話を掛けてきた。

 我が家の相方から貰った栗で「栗ご飯を炊いたので、少し持って行くから裏口のドアから塀越しに受け取って欲しい」とのことだった。

 栗は先日相方の親戚が「採れすぎて困る」などとこぼしながら車でもってきてくれたもの。

 その前は、カボチャが出来すぎて困ると言って大きなカボチャを何個か持って来た。

 カボチャはスープにするため、茹でた後プロセッサーで細かくして小分けして冷凍保存している。

 それでも余ったカボチャは、近所におすそ分けした。

 今度の栗も、茹でたり「栗ご飯」にしたりといろいろやったが、余ったので例の如く近所に・・・。

 その結果が朝の電話だったのだが、今の時期は田舎ではいろいろなものが実る時期なのだ。

 去年のブログにはたった1個の栗について大袈裟に書いている。
いがいが頭の小さな秋
 地震で崩壊した墓の工事進捗状況を見に田舎の道を車で走っていると道路の中央に大きな栗のイガを発見した。 そのまま通り過ぎてしまったが、もし帰りに踏みつぶされていなければ拾って帰......

 今年は様変わりで、頂き物で秋の味覚が溢れそうになっている。

 元々農家だった夫婦がつとめに出て、ほぼ同時に定年を迎えて野菜などを栽培している。

 栗も自宅の栗山のものだが、毎日落ちてきて拾うのが間に合わないとか。

 仕事の方が忙しくて栗山に手が回らず消毒もしていないので、虫がつきやすく商品にならず出荷も出来ないのだという。

 カボチャも同じ状況で、自宅で食べるほかはあちらこちらに配ったりしているらしい。

 私たちの小さな菜園でさえ、旬の時期に一度にどっと出来ると余ったりするが、田舎の菜園は元々が農家なのでやることがダイナミックで、余り方も半端じゃない。

 田舎の同級生が野菜をくれるといって持って来てくれた量が大きな段ボール山ほどなんてこともあって、迂闊に貰うととんでもないことになる、今度はこっちが近所めぐりをするはめになる。

 「♪小さな秋みつけた」などと呑気にやっていた方がいい。

 田舎の小さな秋は、とてつもなく大きな秋なのだ。

 
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江津湖の朝

2017-09-24 22:27:12 | 日常あれこれ
 最近は月に2度ほどは、江津湖の畔の道を歩く。

 川柳の同人誌の吟社のある場所はこのルートを歩くのがが一番近いし、のどかなのが良い。

 編集会議とか校正とかに応援を求められ、それがいつしか常態になってしまった。

 地震で湖岸の道路の堤防が壊れ、その修復のため一部通行止めになったりして、迂回することもあったが、少しずつ元に戻りつつある。

 湖面では朝からボートの練習をしていた。

 
 ボートのことはよく知らないが、シングルだのフォワーだのエイトだのというのも有るようだから、きっと同一艇に乗る人数のことだろう。

 掛け声や、大きな声で指図するような声がボートハウスの方からも聞こえてくる。

 
 ボートハウスには、高校や大学のボート部が沢山あつまっている。

 何はともあれ休日に、元気な若者の声を聞くのは何となく心が沸き立つ。

 若い女性グループのジョギング、年寄りペア-のウオーキングと、朝から結構な混み具合である。

 そんな人間の様子を猫がじっと見ている。

 
 ご苦労さんと思っているのか、人間て暇だなあと思っているのか知らないが、猫もユッタリ見物している風情。

 ここ一月ばかりは川柳の大会やら、文化祭で謡曲を謡うやらで予定表が少し混み出した。

 人様と何かを約束する時は、まず手帳を見ないと迂闊に返事が出来なくなってしまった。

 暫く流れに従って漂うしかない。

 
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総論と各論の狭間で

2017-09-23 13:20:15 | 熊本地震
 久しぶりに田んぼ沿いの道を歩いてみたら、もう稲穂が垂れる時期になっていた。

 前回歩いたのは田植えが終わった頃だったから随分と久しぶりだ。

 以前はウオーキングコースとしてよく歩いたが、地震以降は歩く頻度が少なくなった。

 

 ある程度は用水路の応急補修も進んでいるようで、稲の植え付け面積も増えている。

 稲穂は垂れ始めたが、まだ田んぼには水が必要なようで定期的に水を入れたり抜いたりしているようだ。

 今のところ今年は台風の直撃もなくて、このまま順調にいけば例年並みの収穫は大丈夫だろう。

 用水路もそんなに必要なのかと思えるくらの水量が流れていた。

 

 地震で道路が陥没した付近では応急的に砂利などが入れられていたが、溢れた水が低い道路を水で覆ってしまって、通行できないくらい溜まっていた。

 行き場を失った水は、反対側に流れている排水用の水路に流れ込んでいた。

 堤防の補修、橋の架け替え、町中の道路の補修、下水道の補修などなど・・・、目白押しの復旧作業に優先順位をつけて進めて行くのは容易ではない。

 皆、自分の正面の事柄が優先度が高いと思うのだ。

 被害の大きかった地域の新しい町作りの青写真がなかなか決まらない。

 これまでの生活基盤を直ぐに再建したい人や、防災機能を整備した新しい町作りを進めたい人など様々な意見があり、それらが収斂するところまで至っていない。

 急げという意見と、遠回りでも地域住民の意見を聞きながら着実に進めた方が結果的に早くなるという意見もある。

 全体主義なら事も早くコストも掛からないだろうが、民主主義ではそうはいかないということだ。

 ユックリ急げ!としか言いようがない。

 
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ミョウガお宿

2017-09-22 19:50:35 | 日常あれこれ
 NHKのBSだったと思うが山奥の尼寺で3人の女性が楽しく生活をするという番組を時々見る。

 山菜とかを上手く使って、めずらしくかつ美味しそうな料理を手軽に作ってしまうのにいつも感心している。

 相方がVTRで何度も見るので、いつの放送だったのかは定かでないが「みょうが」を使ったものがあった。

 実は昨日農家の採れたて市で、「ミョウガ」が売られていた。

 

 直ぐにあのテレビ番組が頭に浮かんで、使い方も知らないのにミョウガを買ってしまった。

 買った後で「何かに使える?」と相方が言うので、「みそ汁に刻んで入れてみるか」と答え、責任を取らされて今朝のみそ汁に刻んで入れてみた。

 少し入れた程度では何の変化もなかったので、3本ばかり刻んで入れたらミョウガ独特の風味が感じられた。

 で、食べてしまってから思いだした。

 昔、子供の頃読んだ「みょうが御宿」という物語を・・・。

 ミョウガを食べると物忘れが激しくなるので、宿の主がお客にミョウガを食べさせて忘れ物をさせようと計画したものの、確か味見かなにかで自分達も食べてしまい、宿賃を貰うのを忘れてしまったといった風な物語だったと記憶するが・・・。

 うまく思い出せないのはさっき食べたミョウガのせいか??

 歳を取って、ただでさえ物覚えが悪くなっているところに、更に追い打ちを掛けたかな。

 忘れるをキーワードに「猫は三歩歩くと忘れる」だったか「鶏は三歩歩くと・・・」だったか思い出そうとしたが、思い出せなかった。

 

 ネットで調べたら「鶏」の方が三歩歩いて忘れる方で、「猫」は記憶力が抜群に良い方になっていた。

 単独行動で、一匹で危機に対応する必要性から自ら学び、学んだことを記憶する必要があったのだとか・・・。

 そう言えば、「シロ君」もトイレは一回で覚えたし、水飲みも洗面台に飛び上がって人間の真似して水道の水を飲んでいたことを思いだした。

 「おいおい、おれの話も聞いてよ~」と無視すると手を伸ばしてチョンチョンと突いていたあの頃を思い出す。

 猫の思い出に対比させて、時代の思い出を辿ると、難なく蘇ってくる。

 猫はミョウガの忘れ物も思い出させてくれる能力の持ち主なのかも知れない。

 
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それ禁句

2017-09-21 09:51:18 | 日常あれこれ
 孫の日川柳コンテストに応募したらどうかという誘いがあった。

 そんな日がいつ出来たのか知らないが、なかなか商魂逞しい。

 一度、川柳大会で孫のことにちょっと触れた句を投句したことがあるが見事に没になった。

 どうやら猫の句と孫の句は、大向こうにはウケが良くないらしい。

 可愛さが分かりきった猫や孫に頼るなど、フェアーじゃないということらしい。

 
 
 
 それだけ可愛いのは万人が認めているということだろうが・・・。

 さてさて、去年は隣町の農業川柳コンクールで特選に選ばれて、農家の恵みの賞品を沢山頂いたら相方が殊の外喜んだ。

 今年も応募するため考え中だったが、ことのついでに孫の日川柳にも挑戦することにした。

 禁句に挑戦するわけだから、孫という言葉を使わないような表現法に苦慮した。

 なにしろ締め切り目前というのが、切羽詰まって否応もなく考える余裕を与えないところが実によろしい。

 締め切り直前にしか妙案は浮かばないのは何処も同じだ。

 「飼い猫を褒めて最後の客帰る」


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