毎年秋になると町の文化祭が開催され、私達の謡曲も発表の機会を得るというわけである。
人間とは不思議なもので発表の機会があると練習にも熱が入るのである。
今年は22回を迎え、私達も17回目の参加になった。
紋付き袴などめったに着ることもないのだが、年に一度の晴れ舞台ともなれば一張羅で決め込む。
今年の演目は「道成寺」。これは相当に難しかった。
練習のかいもあって、出来は自分たちで言うのもなんだが、上々の部類だったと思う。
じつはもう一度同じ演目で別の場所で演ずることになっている。
こんとは「独吟」も演ずることになっているので、最近には珍しく一人で何回も何回も繰り返しているうちに、ほぼ謡本を見ずとも謡えるようになった。
風呂などつかりながらうなっていると、配偶者は元より近所の通行人の耳にまでとどいているしまつである。
変わったオヤジが風呂の中でお経を唱えていた等と噂になりそうな予感もするが・・・まあいい。
近所の寿司屋で出演のみんなと一杯やりながら反省会をやったが、昼間から一杯入って反省会もあるまいというので、結構飲んでしまっていい心持ちになって家路についた。
「謡曲」など今の時代にやってみようという若い者はいないだろうが、普及のさせかたに問題があるのかも知れない。
仲間と共にお腹から声を出して練習し、一曲を仕上げるのは心の健康のためにはとても良いような気がするのだ。
学校の教育に武道が取り入れられたらしいが、こうした古来からの伝統芸能も選択でもいいから取り入れられたらいいと思う。
沖縄は伝統芸能の伝承に力が入れられていて、三線の演奏やエイサーなどの演舞、それに民謡なども子供達に伝えられている。
沖縄勤務の頃、小学生だった長女は今では他県に嫁いでいるが、三十を過ぎてもあの頃学校で覚えされられた沖縄の民謡を歌うことが出来る。
地方の伝統文化が根付くというのは、その地方のそれなりの努力があってのことなのだろう。
今日の文化祭でも、子供達の日舞や神楽などを見たが、大きな子供達が小さな子の面倒もみながら出演順を待っているようすにはほのぼのとした暖かさを感じた。