カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

大晦日の蕎麦に挑戦

2014-12-31 08:52:43 | 日記
 今年最後の日の出を迎えた。
 全般に空気に霞がかかっていてスカッとはしないものの、辺りに雲はないし日中は暖かな大晦日になるだろう。
 
 南側の窓のカーテンを開ければ、日中暖房は要らないかも知れない。

 気象情報によれば今後は日本列島は大荒れになりそうだという。
 強風が吹き荒れ、平野部にも積雪が予想されるという。

 昨夜帰って来た息子は、夕飯を食い過ぎて難儀そうにしていたが、まだ寝ている。
 十数年ぶりに「すき焼き」をすることになり、懐かしさもあったが何より我が家の祖父母が作っていたやり方にこだわって、材料から焼き方まで再現してみたら、とても旨かった。
 ずっと関東風のやり方でやっていたのだが、祖父母のやり方はどちらかと言えば関西風だったのだ。

 娘夫婦は、今年は日帰りで済ますことにしたらしい。
 旦那の実家も、我が家も共に日帰りで公平を期すらしい。(何かは知らねど公平にこだわる夫婦なのだ)
 
 1日が先方で我が家は2日目なのだろうが、問題は気象の状況だ。
 状況を見て中止か延期をして安全策を講じた方がいいかも知れないと思うのだが・・・。

 1月1日になると、孫は1才半になる。
 だが・・・まだ歩かない。
 歩けないのではなく、自発的にまだ歩かないと決めているようだ。
 物に掴まれば立てるし移動もするのだが、手放しでは歩かない。
 でも、時々両手で物を抱えたため、手ががふさがって柱や壁に掴まることが出来ない時など無意識にそのまま立っていることが散見される。
 要するに本人に歩く意思があるか、つまり必要性を感じ自立した一歩を踏み出す気になってくれるのはいつかと、周りが固唾を呑むという状況なのだ。

 さて、大晦日ともなれば年越しそばであるが、今年は無謀にも自分で蕎麦打ちに挑戦することにした。
 NHKの放送の録画や、ネットの蕎麦打ち動画など慌てて見たり、材料や準備する道具などをチェックしたりしている。
 どうやら配偶者が息子に統制事項を発したらしい。
 「今年の年越し蕎麦は、どういう味がしようとも黙って食べるように・・・」・・・と。
 息子も「うん、わかった」とぽつりと言ったとか。

 さあ、一年の締めくくりは「蕎麦打ちだあ!」

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平穏は努力の先に・・・

2014-12-30 17:50:10 | 日記
 いろいろあっても長年の生活のリズムっていうのはなかなか崩せないもので、一応本日中に飾り物などを済ませた。
 注連飾り、仏壇の花、床の間と井戸のお供え、などなど・・・。
 配偶者が今日中に料理の材料などほぼ買い終えたいという要望なので、彼方こちらの店を廻った。
 意外と早く買い物行脚が終わったので、昼食後は天気も良いしウオーキングをしてメタボ対策をしたいという彼女の思いつきにそって、久し振りに田んぼのあぜ道を歩くことにした。
 田んぼのあぜ道で息子からのメールを受けると、今夕8時過ぎに到着予定であり、夕飯も家で食べたいとのこと。
 すでに織り込み済みのパターンなので、どうってことはない。などと配偶者も余裕の表情で歩く。
 西の風なので火山灰ではないと思うが、空は少し霞んでいる。
 少し早いが黄砂かな・・・。いずれにしても東風と西風は当分ご遠慮申し上げたいのだが。
 今空港から飛び立ったばかりの飛行機が頭上をかすめていくが、見上げるのもこの時期躊躇する。
 
 先日ほかの飛行機を写す目的で空港に行ったら、目的の飛行機がなかなか飛ぶ姿を見せてくれないのでぼ~っとしていたらくまモンが飛んで来た。
 
 どこの航空会社かさっぱり判らないが、まあいろんな所で頑張っているようだ。
 こうして、仕掛けた方は正月休暇に入っていても、貼り付けられたくまモンは外国までも休み無しで飛び回ることになる。
 正月と言えばお休み、お店も閉まったところが多かった昔に比べると、昨今は元日から営業というところも多い。
 便利さを求める人達の陰には休まず働いている人達がそれだけ増えているということなのだ。

 その地域の伝統ある正月はそれなりに意味はあると思うし、こういう時にしか出来ないことをしたいものだ。
 都会の楽しみ方の延長を田舎に求めるのは如何なものかとも思う。

 さて、今頃に丁度良い句をひとつ。

 「目を上げよスマホの先に有るリアル」

 年老いた父母は目の前にいる。

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遅ればせながら大掃除

2014-12-29 09:58:02 | 日記
 日本では、日にちや数字などの語呂合わせで善し悪しを言う事が多い。
 49日は三月にかかると良くないので35日にするとかいう類のものである。
 今日12月29日も正月飾りには9のつく日でよろしくないとか、31日は一夜飾りといって良くないとか・・・まあいろいろ。
 そういうことで、昨日のうちに先祖のお墓の掃除と墓参を済ませてしまった。
 正月用の飾り付けも30日にすることになったので、今日はスポッと明いてしまってノンビリしようとしたら、いきなりその辺のものが片付けられ、掃除機が唸りを上げ始めた。
 「スケジュールどおり!!」配偶者の凛とした声が年の瀬に響き渡る。
 幸い天気はいいし、朝は冷え込んだものの昼は何とかなりそうなので、窓ふきや家の周りの掃除をして駄目オヤジの存在意義を多少はアピールでもせねばなるまい・・・などと重い腰をあげた。
 簡易の温室に入れるには大きすぎる「キリタンサス」が玄関の床の上で花芽を伸ばし、数本は開花して甘い香りを放っていた。
 
 なんと表現したらいいのだろうこの香りは・・・昔、子供達が小さかった頃に風呂上がりに肌にパタパタやったシッカロールのような香りに似ているような、とでもしておこう。
 もう其所此所は冬の佇まいなのだが、我が家の庭はいま紅葉の真っ盛りを迎えた植物がある。
 
 (ブルーベリーの紅葉)たしか去年は雪が積もって白と赤のコントラストが絶妙だったが・・・・。
 
 (南天の紅葉)これはどんどん増えるので増殖しないように鉢に植えているのだが、南天の要望に応えて鉢を大きくしていたら私の手では移動できないほどに大きな鉢になってしまった。
 これまた語呂合わせで「南天」は「難を転じる」に通ずというわけで正月飾りなどに多く使われる。
 家には鬼門というものが有るそうで、北東の方向には明るい黄色の花が咲くヒイラギ南天、反対側の裏鬼門の方向にはこの鉢植えの南天が我が家を守護する、という私の勝手な防衛構想に基づいて配置されている。

 今年もそれなりに楽しく過ごせたのも、きっと両方の南天のせいだろう。
 さて、このくらいにして掃除にかかろう、配偶者の声が聞こえ始めたし・・・。

 「あんた~!二階のトイレの床は拭いたあ~!」ってか。

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今年のお気に入りの風景

2014-12-28 09:46:41 | 日記
 旅先で或いは道ばたで、ふと出合った事物に焦点を合わせシャッターを切った。
 そんな写真の中から、今年のお気に入りを引っ張り出してみる。
 
 (菜の花と雲水)
 国東半島の北側に一面の菜の花ばたけが広がる所があって、春は大勢の人が訪ねてくる。
 そんな春のひととき、若き雲水が携帯で風景を写していた。おもしろい組み合わせに思わず・・・・。
 
 (水前寺の薪能)
 演目は「土蜘蛛」だったが、見所が舞台の直ぐ右手横だったので投げられた蜘蛛の糸が夜の闇に真っ白に広がった瞬間を写すことが出来た。
 
 (山都町:通潤橋の放水)
 本来は二つの台地を潤すために作られた水道橋の沈殿物を流すため、稲刈りなどが終わった後、放水口から放水するものだが、最近は一日に数回時間を決めて放水して観光客にも喜んで貰っている。この日も沢山の小学生の歓声が聞こえていた。
 
 (皆既月食の一番暗くなった状態)
 この日は、月蝕の始まりから終わりまで田んぼのあぜ道でカメラを固定して、月蝕の進行にあわせて何枚も写した。
 ウオーキングで通りかかった人達ともモニター画面を見ながらの暫しお月様談義を楽しんだ。
 
 (何か意図的なものを感じさせる、カエルのパフォーマンス)
 石塔の文字の中とか、水道のひねり口の付け根とか、家の外壁の犬走りの境目とか、人の目も気にせずというより「お前さんどうしてそこでなくちゃいけないんだ?」と言われることを意図したような箇所にノンビリ鎮座している。

 こうしてみる限り、まあ今年一年もいろいろ問題は孕みながらも概ね良好の評点をつけてよさそうだ。

 昨日洗車したばかりの車に薄っすらと降灰が・・・、また洗車かな?

 では本日の一句。

 「クシャミして独り芝居を中入りに」

 結局クシャミして正気に戻るんですなあ。

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今年の動物たちPAT-3

2014-12-27 09:28:18 | 日記
 今年もいろんな動物たちが登場してくれたが、猫と鳥以外のものもけっこう多い。
 
 (八代のお祭りで見かけた、車に乗せられた飾り馬)
 八代に行った目的は、益城ルネサンス熊本FCの試合観戦だったのだが、ちょうどお祭りのだったらしく飾り馬が車に乗せられたまま駐車場にいた。
 勢子とおぼしき大勢の人達は、公園の芝生の上でお弁当をひろげていた。
 それに今年は「うま年」だということを急に思いださせてもたった。
 
 (阿蘇のビラパークで逢った小さなカワイイ犬)
 これまた、益城ルネサンス熊本FCの試合観戦で応援の方が抱いていた犬がカメラ目線で面白かった。
 
 (摩周湖の売店の窓の外にいたリス)
 北海道の道東地方を旅したとき摩周湖の売店でコーヒーを飲んでいたら、目の前の窓ガラスの外にリスが現れて置いてあったひまわりの種を食べ始めた。口いっぱいにほおばると林の中に帰っていった。
 
 (昭和レトロの町で売り出している大分県豊後高田の店先にいた看板犬)
 どうやら「ゆき」ちゃんと命名されているところをみると、メス犬らしい。有名な看板犬らしくテレビ局も取材に来たとか。かなりのお年のご様子だった。
 
 (ロアッソ熊本の応援には必ず駆けつけてくる「くまモン」)
 真冬だろうが真夏だろうが、一張羅のコスチュームに身をかため、元気に走り回っている。防寒対策はさておいても、真夏のうだるような暑さはどうして凌いでいるのだろうか。

 今年もあと4日を残すのみのなってしまった。
 来年はどういう場面で動物たちに逢えるのだろうかと、楽しみではある。
 その為には健康に留意して自分自身が歩き回れることが前提になる。
 まあ、十年後の約束は出来かねるが、来年くらいなら多分元気で走り回れそうだ。

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今年の鳥

2014-12-26 09:21:58 | 日記
 今年の猫に続き「今年ブログに登場した鳥」のうち代表者に登場していただくとすれば・・。
 
 (江津湖のアオサギ)
 田んぼの中とか、河のふち等ではよく見かけるが、飛んで来て木の枝に留まったのは初めて見た。
 
 (釧路湿原の丹頂鶴)
 餌が豊富にある子育ての時期は、林の中などにいて見かける機会は少ないという話だった。
 
 (釧路、幣舞橋のウミネコ)
 何となく昭和の歌謡曲を口ずさんでしまいそうな、そんな雰囲気の風景
 
 (近所のお茶屋さんの店先に巣をかけて子育て中のツバメ)
 目の前は車も多いし人通りも多いのに・・・・。
 
 (江津湖の湧水地帯で獲物を狙うカワセミ)
 留まっている木の枝は自然の物ではなくて、カワセミを撮影しようという趣味のカメラマンが設置したもの。
 カワセミもちゃっかりそれを利用する。この日はカメラマンは一人もいなくて、たまたま通りかかった私が手持ちのカメラで写したもの。
 
 旅行などで動物と遭遇するのは楽しい。
 それがその土地固有のものであったり、その生き物を見かけることでその土地を訪れたことを実感できるようなものに合えたりすると楽しみが倍加する。

 旅先では風景と共にそこに生きる動物たちを忘れないようにしたいと思っている。

 さて今日も一句。
 「歩いても走っても来るお正月」

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今年の猫

2014-12-25 09:37:55 | 日記
 テレビや新聞などを観ると、今の時期には決まって一年を振り返る特集が大晦日まで続く。
 去年もそうだったが、今年もブログに登場した動物たちに登場してもらうことにしよう。
 
 (熊本市東部にある江図湖のほとりで休憩中だった猫)
 
 (同じく江図湖の畔の猫)
 
 (わざわざお出ましになって、車庫の前で毛繕い中の猫)
 
 (岡山県津山市の古い町並み散策中に門柱の上で休憩中の猫)
 
 (山口県萩市の萩城跡前の駐車場で毛繕い中の猫)
 
 実は今年の「猫の登場率」は高くて、かなりの数になるので代表的な猫のみに絞ってみた。
 いずれも人が近寄っても悠然としているところが共通していた。

 猫たちが悠々と生活しているような町は、何となく優しさが漂っていて好感がもてる。
 きっと人々の心の持ちようにもゆとりがあるからではないだろうか。

 庭に猫がきて困るとか、近所の保育園の子供達の声が煩いとか、とかく他者に対する寛容性が不足するような意見が多いのは、若者よりむしろ分別盛りの高齢者に多いような気がするが、・・・・気のせいかな。

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聖なる夜に乾杯!

2014-12-24 15:51:20 | 日記
 冬至というのは太陽軌道上のある一瞬らしくて、その冬至が含まれる日を冬至日というらしい。
 寒さはどうあれ、日中の長さは今後確実に長くなっていくわけで、特に陽光が待ち遠しい北欧などでは特別な日になるのは当然といえば当然だろう。
 そうした地域宗教行事とキリスト教行事が混交してのクリスマスであったりサンタであったりするのだろう。
 冬至の明くる日、そんなことを考えながら二階の窓から外を覗くと、真っ赤な夕陽がまさに落ちようとしていた。
 トイレを済ませたら、綺麗な夕陽を写そうと思いつつ、しかるべく目的を早めに達成してトイレから出て外を見ると太陽は半分以上が沈みかけていた。
 慌ててカメラを取りにいって窓辺に来てみればご覧のありさま。
 
 とても綺麗な夕焼けではあったが、冬至の次の日の「日照時間の変わり目の夕陽」こそがポイントだったので、ちょっとガッカリ・・・時計の針は17:06を指していた。
 考えて見ると来年同じような状況に遭遇する確率はけっこう低いのではないだろうか。
 天候と私の気まぐれが一致する確率など無に等しい。
 今朝は、車に乗ってスイッチをONにするとカーナビが「メリークリスマス、今日は12月24日クリスマスです」とおっしゃった。
 「今日はイブで、明日がクリスマスだろうよ!」配偶者がすかさず突っ込みを入れてみたが無視された。
 明日同じ事を言ったら承知しないぞ・・・などとまだやっている。
 
 それはさておき、中途半端な日本教の信者である我が家では「寿司と小さなケーキ」が準備されている。
 飲み物は、とりあえず白ワイン、次は熱燗で、〆はチョコレートかチーズで焼酎のお湯割り。
 「清この夜」もいいが、日本教には「乾杯の歌」がお似合いだ。
 そうすると・・・、ビールも準備せねば・・だな。

 ついでに一句いってみよう。

 「今日の日は残る余命の一日目」

 
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師走に読書(1)

2014-12-23 09:10:54 | 日記
 このクソ忙しい時期に、止してくれと言われそうだが暇なので3冊借りてきた。
 年明けの7日まで返せば良いので、まあ年末の夜もすがらには良いかなと。
 
 「コウモリの見た夢」モーシン・ハミッド著 川上純子訳 2011年武田ランダムハウスジャパン刊
 普通外国の作家のカタカナ名でも一発変換が出来る作者が多いが、この作者はさすがに出来なかった。
 パキスタンはラホール生まれで、プリンストン~ハーバードロースクール~マッキンゼーでコンサルタントとして働きながら2作の小説を執筆したという。現在はロンドンに在住して執筆活動中とか。
 夕方ともなれば、コウモリが頭上を飛び交うラホールのバザールの一角で、米国の旅行者とおぼしき独りの男を相手に、米国のプリンストンで学びニューヨークの第一線で仕事をしていたというパキスタン人が語る米国での体験談。

 この体験談が冒頭から最後まで、アメリカ人に対する会話調の文章で綴られている。
 アメリカ人は一言も発しないが、相手のパキスタン青年が「・・・とおっしゃるんですか?」とか「貴方はこう思われましたね?」といった言葉で、かわりに発言していくのである。

 わたしは、米国の何たるかも知らず語ったり批判したりはしていません。米国の第一線ビジネスマンとして他に抜きんでた成果を挙げた経験もあるのです。しかし、それでもなお抜き差しならぬ価値観の違いの前に全てを捨てて帰国しました。

 内容には9.11や対テロ戦争、印パ紛争への関与など米国の対外政策のあり方が重くのしかかり圧倒される。
 ノルウエイの森を彷彿とさせる女性との関係の描き方など、いわゆる一気に読んでしまいました等という感想がぴったりの作品である。

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無人駅考

2014-12-22 10:56:03 | 日記
 波野駅は、大分と熊本を結ぶ日豊本線の丁度中間付近にある。
 
 無人の駅舎にススキの穂が揺れる。
 地方の拠点都市である大分市や熊本市への通勤・通学圏内の町までは電化されていたり、電車の本数が多かったりとそれなりの便利さは確保されている。
 つまり本線の両端はそれなりに交通の便はいいのだが、中間付近となるとこれが〇〇本線と呼べるのかという風景になる。
 それでも、採算が合う両端のみで営業します等と言われてはたちまち陸の孤島になりかねない。
 一度廃線にすると再開することは容易ではない。
 いまごろ有れば便利だったろうし、別な発展や交通体系の再構築も出来ただろうにと思われる鉄路は全国に多々あるのではなかろうか。
 経済原則や時代の流れと割り切ってしまったことを、後で後悔することにならないように、せめて〇〇本線くらいは守っていかなければならないと思うのだが。

 
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