スケルトンハウス‐きまぐれCafe

生活とビジネス

そのときの思いや状況で、いろいろなことを話し合ってきた喫茶店。きまぐれに、思いつくままに・・・

垂水に憧れて...

2014-10-11 09:09:16 | 日記・エッセイ・コラム

  私が中学生の時、古文の授業で出会った、万葉歌があります。

   いはばしる垂水の上の早蕨(さわらび)の
               萌え出づる春になりにけるかも

  「垂水」とは「水垂れ」のことであり、簡単に言えば「滝」のこと。大小の滝があり、水量が多いことから「垂水(たるみ)」が地名になったのが、神戸市の垂水であり、この地の滝の一つにおける春の情景を詠ったものだとの説明が、古文の教師によってなされました。

  このときから、神戸の垂水とはどんなに素晴らしい処だろうかと思い巡らすようになり、憧れが膨らみました。それも一因で、神戸に住むようになったと言っても過言ではありません。

  万葉集の歌の垂水の地については様々な説がありますが、神戸市垂水区では、どの「垂水」も全て、同市垂水区のことと考えているとのことです。ちょっと欲張りかもと思ってしまいます。

  神戸市垂水区平磯1丁目1の平磯緑地には『萬葉歌碑の道』が整備されています。



01_hiraiso_map



02_imgp3402_2



03_imgp3418_2


  平磯緑地東エリアの萬葉歌碑の道は
1994年(平成6年)11月に建設されました。歌碑は6基ありますが、このうち垂水を詠んだものは三つあります。西側から、上に提示した案内板に記されている番号順に、



04_imgp3409



石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良久 吾情柄
(『万葉集』巻第十二
3025

石走る垂水の水のはしきやし
      君に恋ふらく我が心から(読人不知)

岩をほとばしり流れる滝の水のように、私は、心からいとおしい貴女に恋している



05_imgp3411



石激 垂見之上乃左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(『万葉集』巻第八
1418

いはばしる垂水の上の早蕨の
  萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子)

岩をほとばしり流れる垂水のほとりの
さわらびが 芽を出す春に なったことだ

「雪解けの水が岩からほとばしるようにして、滝を作っている。その小さな滝の上の方に、若い蕨が芽を出している。ああ、春になったのだなあ」
と、実に素直に春になった喜びを歌い上げている。



06_imgp3414



命 幸久吉 石流 垂水々乎 結飲都
(『万葉集』巻第七 
1142

命をし 幸(さき)くよけむと 石走る
    垂水の水を むすびて飲みつ(読人不知)

愛しいこの命に幸あれと、岩の上から流れ落ちる滝の水を、手ですくって飲みました。


  前述したように、万葉集の歌の垂水の地については様々な説があります。吹田市もその一つで、垂水町の垂水神社境内には、「垂水の瀧(本瀧・小滝)」と命名された滝があり、傍には上述した志貴皇子が詠んだ歌を記した歌碑が建てられています。

  しかし、私としては、殿上人と繋がりの深かった神戸の垂水が、これらの万葉歌が詠まれた地であると思いたい。


  なお、山陽電気鉄道「滝の茶屋」駅の北向にある滝の茶屋保育園の西側に、細い水の流れがあります。「垂水」という地名の由来の一つになった「白滝」の今の姿だそうです。



07_imgp3451



08_imgp3445



09_imgp3450



10_imgp3448



  周辺の都市開発により、滝が流れ落ちるのを見ることができたはずの国道2号線側の斜面は、山陽電気鉄道とJRの軌道で、その斜面が隠され、今は見ることができません。



11_imgp3435_2



  かつて東垂水から塩屋にかけて滝が多数あったそうです。滝のことを「水垂れ」或いは「垂れ水」といい、そこから「垂水」の地名が生まれたと云われています。昭和初期には「駒捨の滝」「琵琶の滝」「恩地の滝」、そして「白滝」が残っていたようですが、現在は「滝の茶屋」という駅名にのみ、その名残を偲ばせているようです。


志貴皇子(?~716)とは

 志貴皇子(しきのみこ 生年不詳)は、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。芝基皇子または施基皇子(施基親王)、志紀皇子とも記す。
  天智天皇の第
7皇子。
  母は越道君伊羅都売(こしのみちのきみのいらつめ)。
    770年、追贈太政大臣紀諸人(きのもろひと)の娘、紀橡姫(きのとちひめ)との間に儲けた第六子の白壁王が光仁天皇に即位したことで、死後、御春日宮天皇(または田原天皇)と追尊された。


≪萬葉歌碑の道のその他の歌碑≫



12_imgp3428



須麻乃海人之 塩焼衣乃藤服 間遠之有者 未著穢
(『万葉集』巻第三
413

すまのあまの しほやききぬのふぢごろも
         まどほにしあればいまだきなれず
    (大網公人主
 おほあみのきみひとぬし)

須磨の海人が塩を焼くときに着る藤衣は、縫い目が粗いですよ。そのように彼女に会うのは間遠であるから、いまだになじんでいませんよ。



13_imgp3430



天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見
(『万葉集』巻第三
255

あまざかる ひなのながぢゆ こひくれば
  あかしのとより やまとしまみゆ(柿本人麻呂)

遠く隔たった地方からの長い旅路に、ずっと故郷を恋しく思いつつやって来たら、明石海峡から懐かしい大和の山々が見えてきた。



14_imgp3432



留火之明大門尓 入日哉 榜将別 家当不見
(『万葉集』巻第三
254

ともしびの あかしおほとに いるひにか
  こぎわかれなむ いえのあたりみず(柿本人麻呂)

明石の海門を通過するころには、いよいよ家郷の大和の山々とも別れることとなる。

(「ともしび」は「明石」の枕詞)


【関係サイト】

  ○ 垂水観光推進協議会
HP  文学散歩












 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする