ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

新版科学がつきとめた「運のいい人」 中野信子著

2024-01-07 15:08:01 | 

今年もよろしくお願いします。

 

この本の帯には「運は100%自分次第」と記してあります。しかし、元日の能登半島の大地震のような天災はどうにもなりません。それは中野さんも百も承知でしょう。ただ案外、人が思っている以上に運はコントロールできるというのが彼女の真意なのでしょう。

ここで書かれている運は、占い的なものではありません。そういった類いの本ならば、私は読むことはなかったです。科学的根拠も添えられているので、それなりの説得力はありました。

 

例えば宝くじに当選して大金を得たとします。貯金以外に使い道が決まっている人が、中野さんの言う運のいい人なのです。つまり自分の考えを持っている。「自分なりのものさし」を持っているかがこの本の大きなテーマです。もっと言えば「常識よりも自分の考えを上に置く」ことを重視しています。

 

もうひとつは自分を大切にすることです。私には耳の痛い話ですが、安易にコンビニ弁当で済まさず、手料理の店や、自分で作ったものを食べる。自分をいたわるんですね。そうすると不思議と他人も自分を大切に扱ってくれるそうです。

 

もうひとつの考え方は、自分を変える必要はないとのことです。自分を変えることは至難で、不可能に近く、それよりも元々自分が持っているものを生かす方向で考えることが大切だそうです。まあ、これはほっとしますね。自分を変える事はやはり難しいですから。

 

分かりやすい文書で書かれていますから、簡単に理解出来るような気がするのですが、よくよく読み直してみると、なかなか難しい部分もあります。どうすれば自分の脳が喜びを感じるか、ドーパミンやセロトニンを分泌できるかということも丁寧に書かれています。

「真面目に生きてるんだけど、何だか苦しい」と感じている方にはおすすめの一冊です。

 

 

 

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中村天風「運命を拓く」を読んでみた

2023-05-16 12:07:37 | 

エンゼルスの大谷翔平選手ですが、今日は投手として登坂し、打者としても特大の9号ホームランを放ちました。開幕から1ヵ月半、まずは順調なスタートと言えます。その大谷選手の愛読書「運命を拓く」を読んでみました。

 

「運命を拓く」は中村天風氏の死後、会員向けの講演をまとめたものです。

天風氏の根本的な考え方は「万物の霊長たる人間の心は宇宙本体と結びついている」ということです。よって、その心掛け次第で人生が好転したり暗転したりするという。そして好転するには常に心を積極的に保つことで、生き方が悪いと病気になり、運命も悪くするそうです。

この辺りに関しては個人的には解せないところです。では若くして病気になり亡くなった方は生き方が悪かったのか?それこそ運命的なものではないのかと。しかし天風氏は「病気や運命が悪い時こそ、今までの生き方を変えるチャンスと思え」と言う。自ら結核にかかり、その時にヨーガの聖人と出会い「自分は大宇宙の力と結びついている強い存在」と悟りを開いた経験が彼に限りない自信を与えました。

 

また、宇宙の造物主(宇宙霊)の心は心・善・美で、真は誠、善は愛情、美は調和のことであり、愛情と言っても恋愛や自己愛ではなく、もっと広い意味での人類愛的なものを指しています。だから、自分に良いことが起こるために神や仏にすがることを天風氏は嫌っています。

ただ、「心で考えていることがそのまま形となって現れる」というのは頷けるところもあります。私もそうした経験がありますから。

 

とにかく天風老師(この講演時、推定90歳位)はエネルギーの塊のような人です。本を読んで納得のいく話、いかない話、両面ありましたが、この本は一度限りで読み捨ててはいけない類いの本だということは分かります。何度も読み返して、深く理解しなければ身に付かないタイプのものです。

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長嶋一茂著「乗るのが怖い」

2022-01-18 12:12:13 | 

昨年末、2010年に出版された長嶋一茂さんの闘病記「乗るのが怖い」を読みました。これまで私はパニック障害の闘病記は読んだことがありませんでした。パニック障害は部分的には共通する部分もありますが、やはり症状は千差万別で、その人なりの付き合い方を見つけるしかないと思うからです。しかし、最近の一茂さんの活躍ぶりを見ているうちに読んでみようという気持ちになりました。

 

第一章では、一茂さんの1996年から2010年までの闘病史が記されています。一茂さんの場合、かなり目眩が強く出たそうです。飛行機や新幹線での苦闘もリアルに描かれています。ドアの閉まる瞬間が駄目なのは痛いほどわかります。辛い時は掌にボールペンを突き刺してしのいだそうです。私の場合は親指をめり込ませていました。

一茂さんは母親の死をきっかけにうつ病が酷くなり、薬が合わなかったらしく、強い自殺願望に悩まされます。そのことが薬に頼らず治していく方向に彼を向かわせました。

 

第二章以降は、どうすればパニック障害を改善できるかを自らの体験を通して語っています。「孤独と飢えを見方につける」「自分を偽善者だと思え」「読書のすすめ」「ネガティブシンキング」「無駄なものは捨てていく」など。私が最も印象に残ったのは、「自分は若い頃、ろくでもない人間だった。もし、この病気にならなければ、人生の機微などわからないまま死んでいた」という文面です。

 

全体の印象は一茂さんが同じ病気で苦しんでいる人たちに気分を楽にしてあげたいという熱意が強く伝わってくる内容でした。10年以上前の本ですが、不変的なことが記されているので、古さは感じません。パニック障害ではなくても、生きるのが辛いと感じている方には読む価値があるのかもしれません。

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東野圭吾にハズレなし

2021-11-29 11:06:32 | 

数日前から東野圭吾の「パラレルワールド・ラブストーリー」を読み始めたのですが、珍しく仕事が忙しく、私の集中力の欠如もあり、まだ序章を眺めた程度です。

この作品の前に読んでいたのが、東野圭吾の「時生」、その前が「パラドックス13」。さらに遡ると、「殺人の門」、「マスカレード・ホテル」、その前は思い出せなくなりましたが、おそらく東野圭吾の作品だと思います。東野さんの作品はやはり面白い。

 

東野圭吾というとミステリー作家というイメージが強いかもしれませんが、例えば「手紙」やここに挙げた中でも「殺人の門」や「時生」はミステリーではなく、人間の内側を丹念に描いた小説です。

東野圭吾がガリレオシリーズや私の好きな加賀恭一郎シリーズなど、一流のミステリー作家であることは間違いありませんが、とてもその枠に収まる器ではありません。

 

エンターテイメント性も高く、文章が論理的。そして、何といっても、人間の心理を描く名人です。本格的なミステリー作品であっても、人間を描くことにおいておろそかになることはありません。そこに長い間、多くの人が東野作品に惹かれてきた大きな要因があるのではないでしょうか。

私はしばらく東野圭吾から抜け出せそうにありません。

 

 

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重松清「熱球」

2019-11-28 19:52:40 | 
主人公の清水洋司は出版社を退職し、一人娘の美奈子を連れて、東京から故郷の山口県周防氏に帰ってきました。妻の和美は大学の助教授でアメリカ移民史を研究するため、ボストンに旅立ちました。

地元に残った人に対しては温かいが、よそ者やで戻りに対しては冷たい町という言葉を重松さんは何度となく使います。それでも20年前、周防高校、通称シュウコウで遠い甲子園に憧れていた洋司と憧れていた仲間たちは強い絆で結ばれています。シュウコウの教師となり、野球部監督の神野や洋食屋「カメさん」を経営する亀山。

しかし、いつまでも青春ごっこは許されない現実の厳しさ。亀山は洋司に何度も厳しい言葉を投げかけます。洋司の母は亡くなり、残された老いた父。東京に帰るのか、ここに骨を埋めるのか。洋司は結論を出せません。

そんな中、美奈子が学校でいじめられていることが発覚。洋司が授業参観に行った日も彼女はいじめにあっていました。制止するか戸惑う洋司。その時、一人の母親がいじめを止めに入ります。藤井恭子。20年前のシュウコウの女子マネージャーでした。彼女はトラック運転手をしながら、息子の甲太を育てていました。

洋司たちが3年生の夏、運に恵まれて決勝まで進み、甲子園にあと1勝まで迫ります。その矢先、レギュラーのオサムと密かに付き合っていた恭子が妊娠し、中絶したことが発覚し、シュウコウは決勝を辞退しました。オサムは野球部の仲間と疎遠になり、バイク事故で亡くなりました。恭子も卒業後は周防から離れましたが、離婚後に戻ってきました。

洋司は野球に関しては熱血です。忙しい神野に代わって野球部の手伝いをするのですが、昭和そのものの指導法で部員たちに疎まれてしまいます。洋司、いや重松さんの考え方がはっきり表現された一文があります。恭子の息子、甲太は野球が得意でした。ヨージは「甲太くんには野球選手じゃなくて、高校球児になってほしい」と。重松さんの気持ちは分かるけれど、大切なのは選手の意思でやっているかだと思います。

故郷も時は等しく流れます。応援団長のザワ爺は亡くなり、亀山は「カメさん」を閉店しました。そして洋司は出版社の先輩の誘いを受け、東京に戻る決断をしました。
夏の県予選。神野の指揮の下、シュウコウは初戦を迎えました。洋司は東京に戻るため、スタジアムに背を向けます。流れるコンバットマーチ。まだ彼らは人生という試合の只中にいます。

僕はこの小説を読んで太田裕美の「君と歩いた青春」という曲を思い出しました。重松さんの優しい文章に包まれた熱球は紛れもなく名作でした。
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天童荒太「悼む人」

2019-07-13 19:23:07 | 
主人公の坂築静人は殺人、事故、自殺など、あらゆる死を遂げた人々を悼むための旅を続けている青年です。彼の人を悼むスタイルは独特です。死者たちが「誰を愛し、誰に愛され、何を感謝されたか」ということに絞り、近所の人たちに聞いて調べ、独特のポーズをとって自らの胸に刻みます。

彼がなぜ、このような行為をするに至ったかは、雑誌記者が静人の母である巡子に直接聞くのですが、結局、いくつかの思い当たるふしはあるにしても、決定的な理由は母にも、また静人本人にも、もっと言えば作者自身にも分かりかねるところなのかもしれません。先天的に死に対する感受性の強い静人が、いろいろな出来事を通して、ついにこのような行動をとるに至ると理解するほかありません。

例えば、このような行動を動画にでもアップすれば、その行為はたちまちネットの餌食になるでしょう。それを言葉の一つ一つの積み重ねで、理解できるような気がする、こういう人間がいてもいいのではないかという気持ちにさせるのは天童さんの力量であり、文学の力なのだと思います。

こないだNHKで秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚のドキュメント番組を見ましたが、例えば彼のような人間でも悼むのかという読者の問いに静人なりのルールを設置して悼むのです。そして加藤死刑囚であれ、誰を愛し、誰に愛され、何を感謝されたかを調べ独特のポーズで胸に刻みます。ここは意見が分かれるところでしょう。

もう一つの物語の軸は末期がんに侵された静人の母・巡子と妹・美汐の妊娠です。つまり消えゆく命と新たに生まれる命が重なり合います。特に前向きな性格の巡子が静人が帰ってくることを願いながら、徐々に自分でできることが限られてゆく過程が彼女の心情も交えて丁寧に描かれていました。

そして物語の最後にこの二つの物語が融合されます。小説のテーマはストレートに生と死。よって重い話ではあるのですが、その分、読者は深くそれについて考えさせられます。さすが第140回直木賞受賞作です。
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雫井脩介「クローズド・ノート」

2019-06-15 19:32:03 | 
自分の記憶を頼りにすれば、主人公の堀井香恵が石飛という青年を見かけたのは、彼が折り畳み式の自転車に跨り、香恵の自宅マンションをじっと眺めていた所でした。この時すでに香恵は石飛に好感を抱いていたように思います。一目惚れに近い感情ですかね。

そしてお互いが初めて顔を合わせたのは文具店。香恵はそこでアルバイトをしていたから、従業員と客としてでした。万年筆の売り場を任されていた香恵はすでに自宅マンションで見かけたことを忘れ、初対面の客として認識していました。その後、何度も石飛が客として訪れているうちに、彼が美術関係の仕事をしていることを知ります。石飛も香恵に次第に信頼を置くようになっていきましたが、香恵のような恋愛的な感情は抱いていなかった気がします。香恵も恋心といっても、それは淡いものだったように感じました。

2人の距離が急に縮まったのは、香恵が自宅マンションから自転車に跨る石飛を見つけ、呼び止めた場面です。石飛からは意外な言葉が。「香恵ちゃん、その部屋見せてくれないかなあ」。一度はあいまいな返事をしたため、石飛は謝り立ち去ろうとしたが、香恵が呼び止め石飛は部屋に入った。彼女は音楽サークルでマンドリンという楽器を演奏していました。石飛がそれを見つけ、彼女はロシア民謡の「ともしび」を披露します。それを聴いた石飛は涙しました。このあたりで、物語の先はある程度読めるのですが、僕は逆に読みたい気持ちが強くなりました。

物語のもう一つの軸は、香恵がこのマンションに引っ越してきた時に、前の住人が忘れていったのであろうノートです。香恵もしばらくは遠慮していたのですが、いつしか読み始めます。真野伊吹という小学校の若い女性教師が書き綴ったものでした。香恵はほどなく生徒に真摯に向き合う伊吹先生のファンになっていきます。また伊吹先生の隆という男性への恋心も我がことのように関心を持ちます。そして伊吹先生に会いたいという気持ちを抑えきれず行動に出るのですが。

スピッツの「夢追い虫」ではないけれど、僕は香恵という特別美人ではなく、魔法も使えない等身大の女子大生でありながら、真面目に行動しても笑われてしまうようなキャラクターの彼女に、不思議な魅力を感じました。作者の雫井さんのなせる業なのかもしれません。石飛というどこか寂しげな青年もいい。そして雫井さんの実話もこの小説の芯の部分に深く関わっています。最後の方は読み終えてしまうのが惜しい気持ちになりました。マンドリン、万年筆。物語そのものも良かったけれど、小説に流れる世界観が僕はすごく好きでした。

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白石一文「永遠のとなり」

2019-06-12 18:34:24 | 
最近読んだ本で「永遠のとなり」「クローズド・ノート」と2冊続けて良かったのでとりあえず先に読んだ「永遠のとなり」の感想を。

主人公の青野精一郎は48歳。部下の自殺をきっかけにうつ病になってしまい、会社を辞め、離婚して故郷である博多に帰ります。そして故郷にはあっちゃんこと津田敦という小学校以来の親友がいて、彼も肺がんを発病するなど波乱万丈の人生を送ってきました。

精一郎はうつ病で、小説の中では飛行機を避けて電車で移動する場面もあり、少しパニック障害の症状も出ているようで、年齢も自分と同年代で重ね合わせて物語を読み進めていくことができました。親友のあっちゃんは子供の頃から頭がよく、一橋大学に進学し、銀行勤務を経て20代で東京・銀座に経営コンサルタントの事務所を開業し、順風満帆に映りました。しかし、40歳の時、肺がんを発病し、手術後に精一郎より一足早く博多に戻りました。大病を患ってから離婚と結婚を繰り返すようになりますが、一方で人の面倒見がよく、情の深い人で皆、彼を慕っています。

やっぱり、方言っていいですよね。精一郎とあっちゃんの会話も仲の良さがより伝わってきます。どちらかというと真面目で常識的な考え方をする精一郎に対し、あっちゃんはすごく個性的な人です。物語の後半であっちゃんが感情をむき出しにする場面がありました。

「せいちゃん(精一郎)、わしはいま芯の芯から腹ばたてとるとよ」。その後の言葉を要約すれば、世の中や神様に対して怒っている。今に始まったことじゃない。早くに両親が離婚し、物心ついた時には母親しかいなかった。勉強も怒りでしていた。大学も東大へ行きたかったが、浪人する金がなく一橋にした。銀行に入って親孝行できると思った時に母親は死んだ。そして40になった時、タバコも吸わないのに肺がんになった。今もそれと戦っている。

その後、あっちゃんは、自分が面倒を見ている人たちの惨めな話をし始め、そして最後に「どう思うね、せいちゃん。人間ってなんやろね。わしの人生ってなんやろね」と。あっちゃんの口調は激しい言葉に反して淡々としていました。精一郎は「そいでもさ、みんな一生懸命生きとるじゃん、みんな。それでよかないね」と言葉を返します。

人は何のために生きているのだろうか?僕にもわかりません。人間はなまじ頭がいいばかりにいろいろと考えてしまう。それなのに最も大切な部分がわからない。そうした苦悩を白石さんは見事に描いています。


「クローズド・ノート」の感想はまた機会があれば書きます。これもすごく良かったから、できれば感想を残しておきたいのですが。
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「盤上の向日葵」感想

2019-02-07 21:07:09 | 
2018年本屋大賞2位「盤上の向日葵」の感想を。読者大賞というのは書店員の投票によって決まるんですよね。

一言でいうとタイトルに含まれている向日葵とはむしろ対照的な、いまにも降り出しそうな雨雲が物語全編を覆っているような印象でした。向日葵も小説の中で効果的に使われてはいるんですが。

上条桂介六段という将棋棋士がこの小説の主人公で、今から約四半世紀前、タイトル戦の大舞台に立つのですが、彼がそこに至るまでの軌跡と、日本に7つしかない高級駒とともに遺体が発見された事件の捜査が交互に書かれていて、この2つの話が一本の線としてつながっていく過程を丹念に描いています。舞台を現在に設定しなかったのは、将棋界への影響を考えたからかもしれません。いま将棋界で最も輝いている藤井聡太七段を陽とすれば上条六段は暗い陰を纏っています。将棋界全体を照らす眩いばかりの才能もあれば、悲しい才能もある。上条は後者です。

彼の生い立ちも母親はいなくなってしまい父親には虐待を受ける幼少期。しかし、そんな中でも彼を救おうとする恩人が現れます。そして何よりも将棋との出会い。上条は将棋の大好きな少年でした。才能を見込んだ恩人は上条の父親に将棋のプロ養成機関である奨励会に入会することを許可してほしいと頼みに行くのですが、上手くはいきません。上条は将棋から離れたり、またふとしたきっかけで将棋と再会したりを繰り返すことになります。

もう一つの小説の軸は高級駒とともに遺棄された殺人事件の捜査ですが、中心人物は石破というひと癖あるベテランと佐野というまだ若い元奨励会員の2人の刑事です。本業は一流でも将棋はずぶの素人の石破と、未熟な刑事ではあっても元奨励会員で将棋には詳しい佐野のやり取りも物語を引き締めています。

小説の出来もいいのですが、もう一つの楽しみは将棋の描写です。僕は楽しかったけど、将棋の局面などはかなりリアルでマニアックなため、何が何だかわからなかったという読者も多かったと思います。それでも読者大賞2位というのは、書店員の方々の読書のプロとしてのレベルの高さを示しています。わからない部分をうまくスルーして楽しむ技術は凄いですね。
文章だけを読んでいると男性作家が書いたのだろうと推測してしまいますが、柚木裕子という女性の作家です。将棋の盤面の描写だけでも相当なエネルギーを使わないと書けないはずです。彼女はどうしてもこの小説を書きたかったのだという思いが伝わってきます。

登場人物にはプロアマ問わず何人かの実在の棋士たちがモデルになっていたり、居飛車穴熊や米長玉なども登場して将棋ファンには楽しめると思います。藤井システムが出てこないあたりもきちんと精査していますね。この小説が描く時代のもう少し後ですから。ちなみに藤井システムとは振り飛車党の改革者、藤井猛九段であり、藤井聡太君ではありません(笑)


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「泣き虫しょったんの奇跡」感想

2018-08-09 09:02:23 | 
藤井聡太四段はデビュー以来勝ちまくっていた。連勝記録の更新が視界に入ってきたプロ26戦目の対戦相手は瀬川晶司五段。この人なら尋常ならざるカメラの閃光にも臆することはないだろうと僕は思った。将棋界の歴史をたどれば、藤井フィーバーの前に世間の大きな注目を集めた棋士は瀬川さんなのだから。

物語は主人公の瀬川さんがプロ編入試験第一局で、現在の名人である佐藤天彦三段に敗れ、打ちひしがれている場面から始まります。そんな時、小学校時代の恩師から手紙が届きます。

瀬川さんは小学校4年生までは勉強も運動もできるわけでなく、家庭ではボクシング好きの兄にいじめられ、ドラえもんだけが好きなおとなしい冴えない少年だったそうです。しかし、小学校5年生の担任、苅間澤先生との出会いが彼の運命を変えていきました。この40歳を過ぎたぐらいの女の先生は、とにかく生徒をほめるのです。瀬川少年も例外ではありませんでした。ある時は詩を褒められ、ある時は絵を褒められ。そしてなぜか、5年生の間で将棋が大ブームになります。瀬川さんは少し指せる程度でしたが、それでもクラスの中では強い方でした。先生は「なんでもいいから、それに熱中して、うまくなった人は必ず人の役に立ちます。君は君のままでいい」と少年に説きます。初めて自分を肯定され、瀬川少年は生まれ変わりました。

将棋ブームが去っても2人だけはその魅力に取りつかれていた。瀬川少年と渡辺健弥君。瀬川さんの棋士人生でたった一人のライバル。彼は瀬川少年を「しょったん」と呼んだ。この二人は自宅も近所で学校から帰れば、どちらかの家で、盤を挟み火花を散らしていました。やがて健弥君の父親に将棋道場へ連れて行ってもらい、そこで熱心な師匠との出会いもあり、2人ともめきめきと腕を上げていきます。

そして迎えた全国大会。健弥君は準々決勝で敗れ、しょったんは優勝しました。そして迎えたもう一つの全国大会。健弥君は親の反対もあり、優勝しなければ、奨励会には入らないと道場の師匠に告げました。準々決勝で、しょったんと健弥君は対戦し、健弥君が勝ちました。しょったんは悔しさのあまりトイレで泣いたそうです。健弥君の決勝の相手は丸山忠久君。未来の名人ですね。健弥君は敗れ、奨励会入りを断念しました。ここから二人の道は分かれていきます。

瀬川さんは奨励会入りし、三段リーグ入りしたのは22才。年に2度、プロ棋士になれるチャンスがあるので、何とかなると考えていた彼も、次第に年齢制限のプレッシャーを意識していきます。そのころ、かつてのライバルである健弥君は、仕事をしながらアマ名人にもなりしっかりと自分の道を歩んでいました。焦りの中、精神的にも追い詰められていた瀬川さんは最後のチャンスも逃しました。その日、彼は涙を流しながら街をさまよいました。

その後も、瀬川さんには様々な困難が押し寄せます。そんな中で、一度は指さないと決めた将棋を再開し、サラリーマンとして働きながら次々とプロを倒していき、様々な人の助けもあり、プロ編入試験までこぎつけました。そして見事にそのチャンスをものにしたのです。


僕も10年近く前、闘病を中心とした半生を出版したことがありますが、過去の自分と向き合いながら書き続ける作業は苦しさもあったと思います。それでも瀬川さんの少し勝負師には不似合いな優しい人柄と、素晴らしい文才で上質の青春小説を読んだ気分になりました。



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