ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

竜王戦第5局 藤井が佐々木勇気を下し、防衛に王手

2024-11-29 14:50:53 | 将棋
藤井聡太竜王に佐々木勇気八段が挑戦している竜王戦第5局が11月27、28日に行われ、藤井竜王が勝ち、3勝2敗としました。

第5局に関しては藤井竜王の快勝と言っていい内容でした。しかし、それまでの第4局までは、佐々木八段が内容的に上回っていました。今シリーズはいずれも先手番が勝っているのですが、佐々木八段の先手番は2局とも快勝。対して藤井竜王は勝ってはいるものの苦戦が目立っていました。

原因は藤井竜王の王道の将棋にあると考えられます。藤井さんは相手の研究を真っ向から受けて立つスタイルのため、相手の研究に乗りやすく、それに乗ってしまえば気が付けば取り返しのつかない局面まで誘導されていることが増えてきました。AIの急速な進化が藤井さんの最大の難敵でしょう。

ならば佐々木八段が研究派かといえば、どちらかというと真逆のイメージ、つまり天才肌の棋士です。中学生棋士になっても全く不思議ではなかった。デビュー当時の藤井四段の連勝を止めたのも佐々木さんでした。
その佐々木さんが深い研究で勝ちにきている。
これは藤井さんとしても次の後手番は対策を考えなければなりません。そうでなければ、将棋は先手番が圧倒的に有利という事になり、ゲームとしての魅力を失ってしまいます。そのため、第6局、藤井さんは少なくとも熱戦に持ち込まなければなりません。

それにしても藤井聡太×佐々木勇気のガードは華があります。
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才能と努力

2024-11-26 12:10:34 | 


例えるならば宝石と汗
例えるならば光速と徒歩
例えるならば素材と加工

才能は努力を醜いものとして見下し
努力は才能を甘えてばかりの怠け者と蔑む
水と油の関係性に近いと言える

しかし、どちらが優れているかの問題ではない
すべての才能は枯渇する運命にあり
時に努力は秩序を乱す
どちらも完全ではないのだ
だから相互扶助が求められるのだ

それには互いに敬意を持たなければ
直視できないほどの眩しさに
磨き抜かれた鋭利な光に
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ブログ開設ほぼ20年企画 1980年、百恵から聖子へ 

2024-11-22 12:30:11 | 音楽
ブログの通算アクセス数が80万に近づきつつあります。この機能は私がブログを始めた頃には存在しなかったものなので、実際にはのべ100万人以上の方にお越しいただきました。何ヵ月も更新しない時期もありましたが、ほぼ20年このブログを続けてこられたのも、訪問者の方々がおられたからです。感謝申し上げます。

さて、そろそろほぼ20年企画に入ります。
1980年は時代の変わり目でした。野球では王貞治がバットを置き、その年のドラフトでは原辰徳が巨人に入団しました。音楽でも節目の年になりました。松田聖子がデビューして山口百恵が引退したのです。

1980年9月の月間オリコンランキングでは松田聖子の「青い珊瑚礁」が2位。山口百恵の「さよならの向こう側」は9位でした。ちなみに1位は長渕剛「順子」。
「青い珊瑚礁」は松田聖子2枚目のシングル。1980年7月1日発売。週間最高位は2位。年間15位。山口百恵31枚目のラストシングル「さよならの向こう側」は1980年8月21日発売。週間最高位は4位。年間41位。確かに「さよならの向こう側」は名曲に違いありません。しかし数字で見る限り、聖子さんが百恵さんを上回っています。
青い珊瑚礁で人気を不動のものにした聖子さんは3枚目の両A面シングル「風は秋色/Eighteen」から20曲以上連続1位という金字塔を打ち立てることになります。

70年代の山口百恵、80年代の松田聖子。年齢は意外にも3つしか違いません。聖子さんと中森明菜が3才差なので、同時期に並び立っても不思議ではありません。しかし、百恵さんの完成された容姿に比べ、聖子さんはベビーフェイス。若者から私のような子供までが関心を持ちました。
百恵さんはそれとは違い、幅広い層の支持があったのだと思います。その差がどこにあったのかと言えば、「お茶の間」の存在ではないでしょうか?

1970年代まではお茶の間があった。親、子、孫の三世代が揃って同じテレビを観ている光景が浮かびます。それが80年代以降、核家族の世帯が急速に増え、世代の分断、嗜好の多様化が進みました。象徴的なのは紅白で、70年代までは視聴率70%台が当たり前の時代。大晦日は家族揃ってこたつで暖まり、みかんを食べながら紅白を観るものだという国民的合意があったのだと思います。

しかし、80年代の途中から紅白の視聴率は大幅に下落し始めました。それは「お茶の間」が急激に消えていったことを意味します。例えば南沙織は子供からおじいさん、おばあさんまで幅広く知られていたと想像するのですが、80年代後半のトップアイドルだった浅香唯といっても知っているのは若者で、中年以降の人はほとんど知らなかったのではないでしょうか?この辺はリアルタイムだったのて肌感覚で分かります。世代の分断が進んでいたのです。

ましてや1980年末にテレビからベストテン番組が消え、90年代はテレビと音楽が切り離されました。音楽に飢えた若者たちは自室にこもってCDを聴くようになり、ミリオンセラーが続出したのです。その反面、ビジュアルと歌を組み合わせて価値が生まれるアイドルは不必要になってしまったのです。また、誰もが知っているヒット曲も消えていきました。

その後、21世紀に入って20年以上が立ちますが、嗜好の多様化や世代の分断はさらに進んだと言えます。1980年、山口百恵と松田聖子という二人の歌姫が、引退とデビューという形で入れ替わったことは、時代の変わり目の象徴的な出来事でした。
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敗れし者たち

2024-11-19 12:45:20 | 
並ぶ相手の様子を伺い
次の下りでラストスパート
もう一度だけ横顔を見て
自信が失せた彼の微笑み

私の方が綺麗なはずだ
性格だって私がいい
しかし男は彼女に惹かれる
色の魔法を振り撒けるから

私は彼に及ばない
金も名誉も何もかも
これから先もこのままか
一矢報いる手はないか

勝たせてください勝たせてください
彼らは両手を合わせ祈るのだ
奇跡を強く求めながら
平然とした顔で日々を過ごす
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春が来たなら

2024-11-16 12:45:37 | 
春が来たなら木漏れ日浴びて
背に温もりを感じたい
柔らかな陽が降り注ぎ
別れと出会いを眩しく染める

夏が来たなら水とふれあい
強がる熱をなだめたい
球児たちは大人びて
大人たちは青春に帰る

秋が来たなら寝転んで
色に包まれ、空を見上げる
キンモクセイの甘い香りが
風に流れて訴える

冬が来たなら服を重ねて
孤独な街をさまよい歩く
一人だろうがなかろうが
誰も彼もが寒さ抱えて
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儚き心音

2024-11-14 11:43:27 | 
溶けてしまったアイスクリーム
夏の火遊び淡いときめき
枯れてしまったオレンジの花
行き交う人の早足の音

止んでしまったオルゴールの声
優しい音色いまも心に
消えてしまった好みの時計
刻む仕事に飽きたのかい

飛んでしまった誰かの命
上へ飛んだのか
下へ飛んだのか
それは知らない

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ヒマリオとユリ

2024-11-12 12:16:48 | 
青空に薄い雲が点々としていた
風は穏やかで陽の温もりを感じる
ヒマリオとユリは川のほとりに並んで立っていた
二人の視線は川の流れにぼんやりと向けられていた

しばらくして後方のベンチに座ったヒマリオとユリ
当たり障りのない話をしても、言葉はすぐに途切れてしまう

出会った頃は互いの外見に惹かれた
ユリは美人と言われ慣れている顔立ちで
ヒマリオはユリの好みと一致した
日々を重ねるにつれ
互いの優しさや悩みを知るうちに、恋に愛が混ざり始め
思いやれば思いやるほど心の負担が増していった
恋と愛を繋ぐ薄氷の道はあまりに頼りなく
その上を共に歩く決心がつかず、ついに二人は断念した

どちらからともなくベンチから腰を上げ
少し穏やかに話したあと
「出会った時より今のヒマリオが好きだよ」とユリは声を強めた
そして無理に笑顔を描き、ヒマリオに背を向けた
ヒマリオはユリの後ろ姿が消えるまで
いや、消えた後もしばらくその場に立ち尽くしていた
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若者の世界

2024-11-07 13:28:30 | 
若い人の自殺が増えている
古い唄の世界ではなく
これだけ少子化というのに
今の時代が最も多いという
自殺の原因は6割が不明
心に方程式は通じない

私も高校の終わり
何の病だか分からなかったが
一日にして生きる資質を失った
そして一生、治らないことも悟った

大学へ向かう電車の中
座ることすら出来ない私は
窓際に立ち、掌に爪を突き刺し
ただただ耐えた
大学へ辿り着くと若い幸福たちが待っている
話せば話すほど孤独になった
来る日も来る日も必死で生きた
その結果は大学中退だった

友人たちとの関係が切れて以降
私は旅行したことがない
強い誘いがない限り
わざわざ苦しむ必要はないのだ

ならば死のうとしている若者にかけられる言葉はないのか
私もこれだけの思いをしてきたのだから
だが、残念ながら彼らにかける言葉は見つからない
あまりに無力である
むしろ心を持たぬ、抑揚のないAIの説得の方が
彼らの命を救う事が出来るのかもしれない
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団地のふたり

2024-11-05 11:56:05 | ドラマ
NHKBSで放送された小泉今日子と小林聡美のダブル主演の「団地のふたり」が最終回を迎えました。団地という郷愁を誘う場所に主演の二人を始め、個性的な住人たちが見事にはまっていました。原作は藤野千夜の小説「団地のふたり」。

小泉さん演じる太田野枝。通称ノエチは独身で大学の非常勤講師。そして小林さん演じる桜井奈津子。通称なっちゃんはイラストレーター。といっても開店休業中のようなものです。二人は60年近く前に建てられた夕日野団地に住む幼稚園の頃からの幼なじみです。
子供部屋おじさんこと「こどおじ」とは成人しても、まあ、現実的には30才前後になっても実家を出ず、こともの頃に与えられた部屋で暮らす大人を指します。私もパニック障害の症状が強く出ていましたが、20代後半には1人暮らしを始めました。やはり周囲の目が気になり、かなり無理をしてアパートを借りました。

ノエチもなっちゃんも実家暮らしの「こどおば」です。ノエチは結婚時に実家を離れましたが、離婚して団地に出戻りました。でも二人が団地に住み続けたくなるのも分かります。凄く居心地が快適なのです。高齢化で70代、80代の人が多く、ノエチやなっちゃんを小さい頃から可愛がっていた人たちもまだ多く残っています。ノエチとなっちゃんもここでは若手ですから、高齢になったおじさん、おばさんたちの困り事、頼み事に応えています。一方、未だに彼、彼女らにお年玉をもらったりもします。とにかく人間関係が理想的なのです。

ノエチは両親と同居していますが、実際のところなっちゃんの自宅に入り浸っています。なっちゃんの母親が親戚の面倒をみるために離れて暮らしています。すでに父親はいないため、ノエチにとっては非常に居心地が良いのです。特にベランダで二人がくつろいでいる場面は、見ている側も心が穏やかになります。まさに持ちつ持たれつの理想系。
のんびり寝転がってドラマを見たい方には「団地のふたり」はうってつけです。続編にも期待したいです。

「団地のふたり」が午後11時前に終わり、11時から「坂の上の雲」の再放送が始まるのですが、この切り替えで、急に背筋が伸びる思いです。モッくんも菅野も若かった。
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