ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

ブログ開設ほぼ20年企画 1980年、百恵から聖子へ 

2024-11-22 12:30:11 | 音楽
ブログの通算アクセス数が80万に近づきつつあります。この機能は私がブログを始めた頃には存在しなかったものなので、実際にはのべ100万人以上の方にお越しいただきました。何ヵ月も更新しない時期もありましたが、ほぼ20年このブログを続けてこられたのも、訪問者の方々がおられたからです。感謝申し上げます。

さて、そろそろほぼ20年企画に入ります。
1980年は時代の変わり目でした。野球では王貞治がバットを置き、その年のドラフトでは原辰徳が巨人に入団しました。音楽でも節目の年になりました。松田聖子がデビューして山口百恵が引退したのです。

1980年9月の月間オリコンランキングでは松田聖子の「青い珊瑚礁」が2位。山口百恵の「さよならの向こう側」は9位でした。ちなみに1位は長渕剛「順子」。
「青い珊瑚礁」は松田聖子2枚目のシングル。1980年7月1日発売。週間最高位は2位。年間15位。山口百恵31枚目のラストシングル「さよならの向こう側」は1980年8月21日発売。週間最高位は4位。年間41位。確かに「さよならの向こう側」は名曲に違いありません。しかし数字で見る限り、聖子さんが百恵さんを上回っています。
青い珊瑚礁で人気を不動のものにした聖子さんは3枚目の両A面シングル「風は秋色/Eighteen」から20曲以上連続1位という金字塔を打ち立てることになります。

70年代の山口百恵、80年代の松田聖子。年齢は意外にも3つしか違いません。聖子さんと中森明菜が3才差なので、同時期に並び立っても不思議ではありません。しかし、百恵さんの完成された容姿に比べ、聖子さんはベビーフェイス。若者から私のような子供までが関心を持ちました。
百恵さんはそれとは違い、幅広い層の支持があったのだと思います。その差がどこにあったのかと言えば、「お茶の間」の存在ではないでしょうか?

1970年代まではお茶の間があった。親、子、孫の三世代が揃って同じテレビを観ている光景が浮かびます。それが80年代以降、核家族の世帯が急速に増え、世代の分断、嗜好の多様化が進みました。象徴的なのは紅白で、70年代までは視聴率70%台が当たり前の時代。大晦日は家族揃ってこたつで暖まり、みかんを食べながら紅白を観るものだという国民的合意があったのだと思います。

しかし、80年代の途中から紅白の視聴率は大幅に下落し始めました。それは「お茶の間」が急激に消えていったことを意味します。例えば南沙織は子供からおじいさん、おばあさんまで幅広く知られていたと想像するのですが、80年代後半のトップアイドルだった浅香唯といっても知っているのは若者で、中年以降の人はほとんど知らなかったのではないでしょうか?この辺はリアルタイムだったのて肌感覚で分かります。世代の分断が進んでいたのです。

ましてや1980年末にテレビからベストテン番組が消え、90年代はテレビと音楽が切り離されました。音楽に飢えた若者たちは自室にこもってCDを聴くようになり、ミリオンセラーが続出したのです。その反面、ビジュアルと歌を組み合わせて価値が生まれるアイドルは不必要になってしまったのです。また、誰もが知っているヒット曲も消えていきました。

その後、21世紀に入って20年以上が立ちますが、嗜好の多様化や世代の分断はさらに進んだと言えます。1980年、山口百恵と松田聖子という二人の歌姫が、引退とデビューという形で入れ替わったことは、時代の変わり目の象徴的な出来事でした。
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小泉今日子の隠れた名曲「二人」

2024-09-03 12:03:48 | 音楽
冷たい雨に打たれ
愛しい人を待ってた
うつろう時の中で
砕けてゆく思い出たどりながら


「二人」 作詞・作曲 飯島真理。1985年7月発売。
私はバラードクラシックというアルバムでこの曲を知りました。実際にはその数年前のアルバムに収録されていたんですね。

松田聖子と中森明菜という二人の歌姫と同時代ながら、第3極の独自路線でスーパーアイドルに駆け上がった小泉今日子。40年以上の芸歴で、これほど浮き沈みなく現在に至った人も珍しい。アイドルからCMクィーン、そして本格的な女優に。読売新聞の書評欄を担当していた時期もありました。多才さを生かし、卓越した自己プロデュースで時代の変化に対応してきた稀有な存在です。

小泉さんとは対照的に「二人」は時の地層に埋もれてしまいそうです。憂いと眩しさが美しく混ざりあった名曲だと思いますが、シングル曲でもないですし、そもそもこの曲を知っている人が少ないですから。

曲にも寿命があり、クラシックのようにとてつもなく長寿なものもあれば、1年、2年で忘れ去られるものも多くあります。
「二人」は小泉さんの代表的なバラードの「木枯らしに抱かれて」「優しい雨」などと比較しても劣ってはいません。あとは好みの問題だと思います。小泉さんのセルフカバーもいいけれど、出来れば若い人に歌い継いでもらいたい


傷ついた心を
隠さずに見せたら
少しづつ惹かれていた
いつか私
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松田聖子の隠れた名曲

2024-07-23 16:33:03 | 音楽

松田聖子の夏の曲といえば「白いパラソル」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」など数々のヒット曲があります。私もリアルタイムで知っています。

大人になってからはベストアルバムを買い、シングルに加え、アルバムの曲も随分、知りました。なので、大抵は聖子さんの名曲は知っているのではないかと思っていました。しかし、まだまだあるものです。最近、You tubeで知った「ひまわりの丘」「サンセットビーチ」は素晴らしかったです。

 

アルバム「Pineapple」は1982年5月発売。オリコン最高位は1位。そのアルバムに「ひまわりの丘」は収録されています。作詞・松本隆 作曲・来生たかお

 

黒い小さなラジオ

耳に当てて歩く

ストライプのTシャツ

覚えているわ

 

冒頭の歌詞ですが、時代背景が分かります。来生さんの眩しいメロディーを聖子さんが溌剌と歌っています。

 

ひまわりの咲く

丘に座れば

入江はエメラルド

風が吹き抜ける

あなたの愛を

失うことを

ただ怖がっていた

あの夏の日

 

サビの部分にになると明るい曲調は維持しつつも、切なさも混じります。歌詞から夏の海が舞台で、恋人同士が楽しそうにしている印象が浮かび上がります。

しかし、最後の「あの夏の日」でそれが思い出であることが分かります。女性が相手の男性を忘れられない切なさが表現されています。

来生たかおさんのメロディーが素晴らしい。名曲だと思います。

 

「SUNSET  BEACH」

この曲もアルバム「Pineapple」に収録。いかにパイナップルというアルバムが名盤かが分かります。願わくばレコードの針を落として聴きたかった。当時、私は小学生でテレビの聖子さんのシングル曲に反応しているだけでした。

 

作詞・松本隆 作曲・来生たかお 

 

黄昏どき斜めの陽を浴びて

タオルを手に人が帰る

夕凪満しお足跡だけ

消し去る波

 

美しい風景が浮かびます。文学的ですね。「ひまわりの丘」に比べ、曲調も含めて寂しさが全体を覆っています。

 

ああ 夕日が海に溶ける

ああ 世界の終わりでもかまわない

渚の果て

ああ 夕日が海に溶ける

ああ あなたと生きてみたい気がする

渚の果て

 

「世界の終わりでもかまわない」と「死のうかってポツリ言うあなた」という言葉もあって、かなり後ろ向きですね。勝手に解釈すれば、この歌詞の中の男性は松本隆で、女性は松田聖子なのかもしれない。松本さんはどこか影があるように見受けます。ただ、こうした妄想や冒険が出来るのもアルバムならではでしょう。

 

初めて聴いた2曲で気付いたのは、私が来生たかおのメロディーが好きなこと。どちらの曲も来生さん作曲です。来生さんといえば中森明菜のイメージがありますが、聖子さんにも曲を提供していたのですね。そして松田聖子さんの並外れた歌唱力。当時は歌唱力の評価はそれほどされていなかったと思います。耳に心地よく、曲の世界観に入り込む天才ですね。

 

松田聖子と中森明菜。タイプが全く違かったからこそ二人は歌姫として奇跡的に並び立つ事ができました。そして豪華な作家陣。80年代は音楽的に幸せな時代と言えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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村下孝蔵「初恋」

2024-06-11 12:40:41 | 音楽

五月雨は緑色

悲しくさせたよ

一人の午後は

 

作詞・作曲 村下孝蔵。1983年2月発売。オリコン最高位3位。

 

私が子供だったこともあり、「初恋」を歌う村下さんは公務員のように映りました。アーティストと言えば沢田研二のようなイメージを持っていましたから。しかし、時が進むにつれて村下さんの歌詞の美しさ、歌唱力も高く、真のアーティストであることが理解できるようになりました。若くして亡くなられたのが残念です。

 

冒頭の「五月雨は緑色」

今年は少し遅れていますが、梅雨のしとしと降る雨。後方の木々が雨を緑に染めているイメージを抱きます。

二番の入りも「夕映えはあんず色」。くっきりと季節や時間帯、また光景を聞き手に印象づけます。そうすることで、後に続く歌詞の物語性もより高く、深く刻まれる事になります。職人技ですね。

 

「放課後の校庭を走る君がいた」

私はてっきり、この少女は陸上部というイメージを持っていました。しかし、「実際のところはテニス部だった」とどこかで見聞きした覚えがあります。初恋は実らぬからこそ美しい。メロディーラインは今で言う昭和歌謡に分類されるでしょうが、普遍的な想いを見事に描いた「初恋」は長く後世に伝わっていくのだと思います。

 

放課後の校庭を走る君がいた

遠くで僕はいつでも君を探してた

浅い夢だから 胸を離れない

 

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中森明菜「スローモーション」 人は何故、明菜に惹かれるのだろう

2024-05-14 11:53:11 | 音楽

砂の上 刻むステップ ほんのひとり遊び

 

中森明菜のデビューシングル「スローモーション」。作詞・来生えつこ 作曲・来生たかお。1982年5月発売。オリコン最高位30位。

 

今でこそ名曲として名高い「スローモーション」も当時は売れませんでした。僕もまだ、中森明菜という存在を知らなかったと思います。

彼女を世に知らしめたのは「少女A」でした。明菜さん自身は「歌いたくなかった」この曲はオリコン最高位5位。しかし、それ以上のインパクトがありました。そして「セカンド・ラブ」でオリコン初の1位。人気を不動のものにしました。

 

ところで、現在、活動を再開した明菜さんへの反響が凄いですね。往年のヒット曲をジャズにアレンジしたものですが、動画に上げてわずか2~3週間で視聴回数が500万回を超える曲もあり、衰えぬ人気を示しています。この「スローモーション」も新たなアレンジで蘇っています。

 

冒頭に記した「砂の上、刻むステップ、ほんのひとり遊び」。少女の無邪気なイメージが見事に表現されています。中森明菜の長い道のりを歩み出すにふさわしい言葉です。

「ふいに背すじを抜けて、恋の予感、甘く走った」

10代独特の感覚かもしれません。

美しい歌詞と曲調。明菜さんは歌手としてのスタートにかけがえのない宝物を与えられました。

 

長いブランクを経ての再スタート。それにしても、何故これほどまでに中森明菜に注目が集まるのか?もっと言えば、人は何故、彼女に惹かれるのか?

それは明菜さんの生き方に関連している気がします。決して順風満帆には見えない。孤独が付きまとっている、哀しみが住み着いている印象。しかし、それは裏を返せば、明菜さんの人生そのものが芸術のように映るのです。

僕は実力派のアイドルとしての中森明菜も好きでしたが、それと同時に彼女を美しい姉のように崇めてきたのかもしれない。それは今も変わりません。

 

砂の上 刻むステップ 今あなたと共に

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「壊れかけのRadio」徳永英明

2024-04-30 13:01:49 | 音楽

何も聞こえない

何も聞かせてくれない

僕の体が昔より

大人になったからなのか

ベッドに置いていた

初めて買った黒いラジオ

いくつものメロディーが

いくつもの時代を作った

 

思春期に少年から大人に変わる

道を探していた 

汚れもないままに

飾られた行き場のない

押し寄せる人波に

本当の幸せ教えてよ

壊れかけのradio

 

遠ざかる溢れた夢

帰れない人波に

本当の幸せ教えてよ

壊れかけのradio

 

作詞・作曲 徳永英明。1990年7月発売。オリコン最高位5位。

当時としては大ヒットとまで言えませんが、発売から35年近くたっても根強い人気を誇っています。その理由のひとつは、流行を追わずに描かれた普遍的、本質的な歌詞にあると思います。

 

「何も聞こえない。何も聞かせてくれない」原因は、ラジオが古くなったことに加えて自らの成長。

「僕の体が昔より、大人になったからなのか」

体と書かれていますが、そこには心が隠されている気がします。大人になったがゆえに失ってしまうものってありますよね。

 

きらびやかな都会の人ごみで夢を見失ってしまう主人公は「本当の幸せ教えてよ、壊れかけのradio」と心で叫びますが、同時にすでにラジオが教えてくれないことも知っている。その黒いラジオを聞いたまま、眠りに落ちていた頃が幸せだったと気付いているのです。

 

美しいメロディー、そして徳永さんの少年の面影を残したようなハスキーな高音が、さらにこの曲を昇華させています。

 

 

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斉藤由貴「卒業」

2024-03-07 11:36:39 | 音楽

制服の胸のボタンを

下級生たちにねだられ

頭かきながら 逃げるのね

ほんとうは嬉しいくせして

人気ない午後の教室で

机にイニシャル 彫るあなた

やめて 思い出を刻むのは

心だけにしてとつぶやいた

 

離れても電話するよと

小指差し出して 言うけど

守れそうにない約束は

しない方がいい ごめんね

セーラーの薄いスカーフで

止まった時間を結びたい

だけど東京で変わってく

あなたの未来は縛れない

 

ああ 卒業式で泣かないと

冷たい人と言われそう

でも もっと悲しい瞬間に

涙はとっておきたいの

 

作詞・松本隆 作曲・筒美京平。1985年2月発売。オリコン最高位6位。斉藤由貴のデビューシングル。

 

デビュー曲でありながら、作詞 松本隆、作曲 筒美京平のゴールデンコンビが名を連ねたところに、斎藤さんへの期待度の大きさが伺えます。この年は斉藤由貴、菊池桃子、尾崎豊が同時期に「卒業」という同じタイトルの曲をリリースして話題になりました。

当時は今以上に卒業というものに特別な思いがあったのかもしれません。高校から社会に出る人も多かったですから。

 

「制服の胸のボタンを下級生たちにねだられ、頭かきながら逃げるのね。ほんとうは嬉しいくせして」

今でもあるんですかね。こうした光景は。僕自身は目撃したことはないですけど。

「人気ない午後の教室で、机にイニシャル彫るあなた」

当時としてはこれも定番です。別に卒業式に限ったことではありませんが。

 

「離れても電話するよと小指差し出して言うけど、守れそうにない約束はしない方がいい、ごめんね」

斉藤由貴がいかにも言いそうなセリフです。建前よりも真実を好む。大人びています。

「セーラーの薄いスカーフで、止まった時間を結びたい。だけど東京で変わってく、あなたの未来は縛れない」

この辺りは松本さん、やはり上手いですね。

 

「ああ、卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう。でももっと悲しい瞬間に、涙はとっておきたいの」

やはりここです。この部分は自分も子供だった事もあり、理解できませんでした。「でももっと悲しい瞬間に」って?しかし、今なら分かる気がします。斎藤さんの生き方って独特ですからね。当時、松本さんは斎藤さんを間近で目にして、彼女の普通でない雰囲気を見抜いたのでしょう。

同じく松本さん作詞の卒業ソングである松田聖子の「制服」と比較するとよくわかります。いずれも名曲に違いありませんが「制服」は聖子さんの卒業、「卒業」は斉藤由貴の卒業にふさわしいのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

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40年後も聖子、明菜

2023-04-28 11:48:36 | 音楽

こないだ、テレ朝で昭和歌謡を懐かしむ番組が午後7時~9時までの2時間放送されていました。ゴールデンタイムで2時間ですから、ある程度の数字は取れると判断したのでしょう。誰が松田聖子や中森明菜の全盛期に40年後も彼女たち中心の番組がゴールデンで流れると予想していたでしょうか。少子高齢化が止まらない日本の現状を表していると言えます。

 

とはいえ、少しずつ時代は進んでいて、こうした番組で定番だった山口百恵が外されていました。これには時代の変化に加えて、社会の変化があります。

百恵さんは結婚して引退し、家庭に入る生き方を選び、人々から称賛されました。一方の松田聖子は結婚して子供ができた後も精力的に仕事を続け、批判的に受け止められました。

それが現在では逆転した形です。女性の社会進出が強く求められる時代になり、普通の女性が山口百恵的な選択をすれば、むしろ批判される立場になったのです。

 

番組は全部見た訳ではないのですが、松田聖子の1位は「赤いスイートピー」、中森明菜の1位は「飾りじゃないのよ涙は」でした。明菜さんの1位は少し意外でした。

 

個人的にランキング外の曲を1つずつ挙げると、聖子さんは「ボーイの季節」、明菜さんは「トワイライト-夕暮れ便り-」を選んでおきます。

「ボーイの季節」はリアルタイムでは記憶にないです。この頃は結婚も決まって、テレビ出演も少なくなっていたからでしょう。90年代のアルバムで知りました。作詞作曲は尾崎亜美。美しいバラードで、聖子さんの伸びのある高音が心地良い名曲です。

「トワイライト」は作詞・来生えつこ、作曲・来生たかお。このコンビのバラードでは「セカンド・ラブ」という初期の名曲があり、トワイライトは忘れられがちなのですが、まだ10代ながら歌唱力に定評のあった明菜さんが、丁寧に切々と歌い上げています。僕自身にとっても、初めて友人とレコードを買いにいった頃で印象に残ります。

 

松田聖子と中森明菜。何もかもが対照的だったからこそ、同時代に歌姫が奇跡的に並び立つことが出来ました。

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中森明菜を思いつくままに

2022-07-12 10:42:23 | 音楽

今年でデビューから40年、明日誕生日だと思うんですけどね。稀代の歌姫、中森明菜を思いつくままに書きます。

 

デビュー曲の「スローモーション」を僕は当時知らなかった。今でこそ名曲として名高いですが、まだ中森明菜は無名に近い存在でした。一気にスターの仲間入りをしたのは「少女A」でした。小学校でも話題になっていたのを思い出します。

初期の名曲に「セカンド・ラブ」があります。高い歌唱力でありながら、まだあどけなさの残る歌声をカセットテープを何度も巻き戻して聴いていた記憶が残っています。もう一曲挙げるとしたら「トワイライト」。目立ちませんが僕は好きでした。「北ウイング」もいいですね。

 

もう1人のスーパーアイドル、松田聖子とは対照的に基本マイナーコードで、タイトルでは季節感を感じさせないものが多かったですね。聖子さんが明るさと可愛さなら、明菜さんは哀愁と格好よさというふうに何もかもが対照的で、だからこそ並び立てたのだと思います。

 

格好の良い曲を挙げれば、きりがないのですが「1/2の神話」「サザン・ウインド」「禁区」「十戒」「飾りじゃないのよ涙は」など多くあります。

個人的には「タンゴノアール」が完成度からしても素晴らしい。明菜さんそのものが芸術に見えました。

 

後の「難破船」「Liar」などは明菜さんの悲劇性を感じて、名曲でありながら、それと同時に同時に痛々しさもありました。

そして自殺未遂。ためらい傷がなかったと聞きました。覚悟や激しさが明菜さんらしい。

ここ何日か、運命について考えさせられました。そうした方が日本中に多かったのではないでしょうか。それでも、できたら彼女には幸せな家庭を気づいてもらいたかった。その資質はあったと思います。ザ・ベストテンでしゃべることに夢中になっている久米さんの肩の埃を、さりげなく払う姿が母性の象徴のように映りました。

 

今はとにかく、心穏やかに過ごしてくれていればいいと思います。髪の毛から爪先まで全身で美しく歌い演じた明菜さん。中森明菜には歌姫という称号が最も似合います。

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松田聖子の曲を思いつくままに

2022-03-21 10:26:37 | 音楽

今にして思えば今年は寅年でした。しかし、相変わらず続くコロナ渦に加え、世界情勢の緊迫などで、そんなことはすっかり忘れ去られています。

なぜ私が寅年ということをはっきり覚えているかと言えば、1985年の阪神優勝の翌年が寅年だったこと、あとは松田聖子が寅年で娘の沙也加さんも寅年に生まれたのを覚えているからだと思います。そこで現在、活動休止中の聖子さんの曲を1980年代中心に思いつくままに。

 

まず、18才のアイドルを松田聖子にしたのは、やはり青い珊瑚礁だと思います。この曲で一気にスーパーアイドルにかけ上がった印象です。聖子さんの曲には松本隆さんの好みなのか、色や季節がタイトルに使われます。このあたりは、同時代のもう一人の歌姫である中森明菜とは対照的でした。対照的であるからこそ、二人の歌姫が同時に並べ立てたのでしょう。

 

今の季節にピッタリなのが制服赤いスイートピーという彼女の代表曲のB面だったため、目立ちませんが、名曲です。

インパクトがあったのは渚のバルコニー。「右手に缶コーラ 左手には白いサンダル」の入りで掴んでます。3才ぐらいの女の子が「渚のバルコニーでまってて」と歌っていたのを懐かしく思い出します。

もう少ししたらチェリーブラッサムも満開になりますね。夏の曲で個人的に好きなのは小麦色のマーメイド。夏の気だるさも含まれていて心地いいです。秋は風立ちぬ。当時の自分がタイトルの意味を正確に出来ていたかは大いに疑問ですが、そんなことはどうてもよかった。

数ある松田聖子の名曲の中で個人的に常に上位に入るのはガラスの林檎。カップリングのSweet  memoriesが評判で、やや影の薄い印象かも知れませんが、上質なバラードです。

シングル以外でもOnly my love  、真冬の恋人たちなど沢山あるのですがきりがないので止めておきます。

あと聖子さんの曲ではないのですが、君だけのバラードという曲をカバーしているのですが、圧巻の歌唱力です。これは私の推測ですが、ザ・ベストテンのスタッフでもあった秋元康は数多く聖子さんと仕事をするなかで、もう松田聖子は現れないことを悟ったのではないでしょうか。秋元さんはその後、おニャン子クラブ、AKB48など数々の大人数のアイドルグループを世に送り出しました。ソロのアイドルを育てることはあきらめ、人数で勝負する事を決断させたのが聖子さんだったのかなと思います。

 

最後にいま必要とされている曲として瑠璃色の地球を挙げておきます。

 

 

 

 

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