ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(終)

2023-05-27 16:47:52 | 小説

少しずつ、秋は深まりつつある。空は、青く澄み渡っていた。私の目の前には、海が広がっている。人気のない美しい海。10年近く前、一人暮らしを始める私に、先生が以前買ってくれたワンピース。今日、初めて身に纏っている。やっぱり、少し恥ずかしい。私は童心に帰り、サンダルを脱ぎ捨てて、砂浜の感触を確かめる。そして、思い切り両腕を天に向け伸ばす。このまま、空に吸い込まれてしまいそうだった。夏のひりひりするような熱さはないが、穏やかな温もりがある。もう、重たい荷物を降ろしたい。

私、今日は先生に会いに来ました。結果は知ってるでしょ。やり切ったよ。悔いはありません。

「さおりは天才だ」「24時間、将棋を考えろ」。思い浮かべると恥ずかしく、懐かしい。

「先生、もう菜緒には勝てない。でも私には将棋しかない」

私は呟いた。

「確かに菜緒ちゃんは強い。さおりにないものを持っている。しかし、さおりも菜緒ちゃんにないものを持っている。大丈夫。これから俺はさおりの中で一緒に将棋を指す」

 

先生の声が右隣から聴こえた。横を見ると先生は優しい顔をしていた。砂浜に私の涙がぽとぽと落ちた。




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2017年5月に掲載した短編小説「駒花」の結末を大幅に変更したため再掲載しました。

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若い罪(終)

2020-11-18 14:13:42 | 小説

佐世子の体は小刻みに震えていた。その震えた右手で手紙をテーブルの上にゆっくりと置いた。涙を拭うことも忘れ、呆然と手紙を絵のように見ていた。
「どうして気付いてやれなかったのだろう」
佐世子自身にも聞こえない程の微かな声を漏らした。

大学のキャンパスの芝生に彩乃は寝転がっていた。隣で男子学生も同じ格好をしていた。春の午後の光を浴びながら、彩乃は両手を思い切り伸ばした。
「森川君もやってみなよ。気持ちいいから」
「ああ。吉川、この後、ネットカフェでも行くか?」
「残念だけど、3時限目は必修の授業なの」
「必修も何も、吉川が授業サボったところ見たことないんだけど」
「森川君、学生の本分は?」
彩乃がユーモアを交えた偉そうな口調で森川に問う。
「勉強と言いたいんだろ。吉川って変わってるよな。遊びが好きそうな顔してるんだけど、根が真面目というか」
森川が首をひねる。
「遊びが好きそうな顔ってどういうこと?」
彩乃は一応怒った顔を作ろうとしたが、込み上げてくる笑いがそれを邪魔した。

「もしかして将来、何になるか決めてるの?」
「そうだなあ。はっきりとは決めてないけど、法律に関わる仕事。だから受験も法学部しか受けてない」
「いや、俺なんかいろんな学部を受けたよ。経済学部、商学部、文学部。大学のレベルにはこだわっていたけど。それでいま、憲法だ、民法だって苦労してるよ」
「ダメダメ君だねえ」
「なんだと?」
彩乃は素早く立ち上がり、小走りに逃げると、早速、森川も追い掛け始めた。なかなか2人の距離は縮まらない。彩乃も森川も息を弾ませながら若い笑顔を浮かべている。まだ淡さを残した陽光が彼らに、より一層の輝きを与えた。(終)

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若い罪(78)

2020-11-18 13:48:12 | 小説

それでも自分のどこかに普通の人にはない凶暴性があるのは間違いないので、何度も繰り返し過去を振り返りました。そしてある出来事を思い出しました。中学3年の時、1度だけクラスメイトの胸ぐらを掴んだことがありました。友人が止めてくれて、それ以上、相手の男子生徒を傷付けずに済みました。掴みかかる直前、彼が何と言ったのかもはっきり思い出しました。
「お前の母さん、凄い若いなあ。まさか本当の子じゃないよな。俺だったら絶対、恋しちゃうよ。お前だって本心は押し倒したいんだろ」
彼が薄笑いを浮かべた瞬間には私の頭は真っ白になっていました。

勿論、姉や妹と同じく、若すぎる母親に苦しんだ時期はありました。しかしその一方で、私には別の感情が芽生えていました。あなたに恋をしていたのです。
高校時代に1人、大学時代に2人、付き合っていた女性がいました。皆、自分から好きになり、告白しました。しかし、付き合っていくにつれて不満が募るようになり、私から別れました。知らず知らずに、いや、分からないふりをしていただけかもしれませんが、母さんと恋人たちを比べていたのです。

結局、私の感情は大学4年にまでなっても変わることはありませんでした。父親の浮気相手になぜ、ここまで腹が立つのか、当時は私自身、気が付きませんでした。林田さんより、母さん、あなたが下に見られたことに心の奥底で、激しい怒りを感じていたことに間違いありません。しかし、気付くのが遅すぎました。母さん、ごめんなさい。私は生まれるべき人間ではありませんでした。 敬具

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若い罪(77)

2020-11-18 13:37:16 | 小説

4月も下旬に差し掛かった。日に日に陽光は強まっている。ここ数日、麻美は夕食の食器を自分で洗うようになり「次は町田クリニックへ1人で行ける」と意欲を見せていた。本人によると「抗不安薬が効いているみたい」とのことだった。佐世子はタクシーを使うことを提案し、昼食を終えた麻美は、いま町田メンタルクリニックへ向かった。

佐世子は一人になった。そして午前中に届いたF刑務所に服役中の正志からの手紙の封を切った。こないだ正志に送った手紙は少し感情的になり、麻美が学校を辞め、再就職に苦労していると彼に伝えた。しかし、まずは無事に手紙が帰ってきたことに佐世子は安堵した。「迷惑をかけた」という言葉を期待しながら読み始めた。

拝啓 元気で暮らしているでしょうか?こちらは規則正しい生活もあってか、何とか健康を保っています。麻美姉さんが学校を辞めた上に、復帰することもままならないと知らされ、少なからずショックです。いろいろな人に迷惑をかけているだろうと想像はしていても、具体的に聞かされると辛いです。

さて、事件のことですが、なぜ私が林田恵理さんに強い殺意を抱き、しかもそれを実行に移して、結果的に父さんを殺してしまったのだろうと自問自答してきました。小さい頃から事件を起こすまでの自分を出来うる限り客観視してみると、同じクラスメイト達と比べて極端に短気だったり、暴力的だったことはありませんでした。だから、間違いなく私が起こした犯行なのですが、私自身が理解できないもどかしさがありました。

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若い罪(76)

2020-11-17 18:04:00 | 小説

「麻美さんに何度も確認したんですが、高揚感はなく、多少の波こそあれ、気分の沈んでいる状態が続いているようです。躁うつ病の可能性はほぼありません。気持ちが不安定になるのは、これだけ辛い体験をしていますから、ある意味では当然です。なので、抗うつ薬と抗不安薬をお出しします。抗うつ薬は効いてくるまでに数週間はかかるので、すぐに効果が出なくても飲み続けてください。次回は2週間後に予約を入れておきましたが、それまでに状態が良くなければいつでもご連絡ください」
麻美はたまに頷きながら黙って町田の話を聞いていた。
「あの、私たち家族が心がけることはありますか?」
「決して無理をさせないでください。麻美さんの意志で動ける時に動くことが大切です。彼女は根が真面目なので、無理をしてしまうのが心配です。麻美さん、決して無理しちゃだめだよ。自分が行動したい時に行動すればいいんだから」
「はい、分かりました」
麻美は頷いた。

佐世子と麻美が玄関の外へ出た。まだ外は夕日を残している。
「そうして並んでいると、姉妹みたいですね」
いつの間にか町田が見送りに来ていた。
「ほんと、からかわないで下さいよ」
佐世子は照れ臭そうだった。
「麻美さんも少し元気になったら、私の自宅に遊びに来てね。まだお母さんか彩乃ちゃんの付き添いが必要かもしれないけど」
「ありがとうございます。早く行けるようになりたいです」
麻美は軽く会釈し、町田に笑顔を送った。
町田は麻美に、そしてこの家族にひとつでも笑顔の多い人生を送って欲しいと願った。

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若い罪(75)

2020-11-17 17:56:03 | 小説

5分程度、佐世子が町田にこれまでの流れについて大まかに話し、佐世子は診察室を出た。待合室で佐世子はスマホを眺めていたが、何も頭に入らず落ち着かない。外の風に当たりたくて、コンビニコーヒーを買いに町田クリニックを出た。再び院内に入り、待合室に座る。コーヒーを飲み終わる頃には時刻は5時40分を回っていた。佐世子はしばらく俯き、目を閉じていた。

「吉川さん、診察室へどうぞ」。随分と近くから声が聞こえた気がして顔を上げると、受付女性が目の前に立っていた。佐世子はドアをノックし、診察室へ入った。町田の表情は落ち着いていて、普段と変わらないようにも見えるが、やや表情は硬い。麻美は俯き加減だ。テーブルの上にティーカップが2つ置いてあった。町田が麻美に少し目を遣り、話し始めた。

「佐世子さん、結論から言いますと、麻美さんはうつ病の可能性が高いです。あと情緒が不安定な状態です。佐世子さんが麻美さんを発見する3日程前、麻美さんは何か食べないといけないと思い、外出しようとしていたんです。ところが、その気持ちが萎えてしまい、そのまま部屋で横になってしまった。その後、意識を失い、何度か目覚めたもののトイレに行く程度しか行動を起こせず、佐世子さんの発見までその状態が続いていたようです。本当に危ないところでした」

内容は佐世子が予測していたものと大幅なズレはなかった。何らかの心の病を発症していることは覚悟していた。佐世子は町田の表情を見ていた。普段の穏やかさは失っていない。しかし、それを装っているような顔にも見えた。何か麻美に対してマイナスの感情を抱いたのだろうかと少し気になった。
「それで病状ですけど、うつ病ですか」
佐世子の声は弱々しいものだった。

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若い罪(74)

2020-11-17 14:33:55 | 小説

麻美は佐世子が町田の病院に通院していたことには少し驚いた様子だったが、自分は行かないとの意思は微動だにしていなかった。佐世子は自分の無力さを嘆いた。時は刻一刻と進み、すでに午後3時を過ぎた。
「今日の5時に見てもらえる予定だったんだけどね」
「なんでそんな勝手なことするの?」
麻美は激しく抗議した。断念するしかないと佐世子は悟った。しかし彼女の口から出てきた言葉は全く逆だった。
「麻美が心配だからよ。私の発見が遅れれば、あなたはほぼ確実に死んでいた。死臭を漂わせ、ハエの大群がたかっている状態であなたは発見される。解剖されて、変わり果てた姿であの世に行ってたところだったの。一度はなくした命じゃない。町田先生は私と彩乃にとっては女神のような人なの。おそらく彼女なしではここまで生きてこられなかった。あなたも女神に救われなさい」

佐世子は息が切れていた。知らず知らずのうちに渾身の力を振り絞っていた。
「綺麗な顔が台無しだよ」
麻美が佐世子にティッシュを何枚か渡した。佐世子は無言で受け取った。まだ肩で息をしていた。
「お母さん、町田先生の病院に行くよ」
麻美は笑みすら浮かべていた。佐世子は何度も大きく頷いた。

麻美と佐世子は町田クリニックの出入り口の正面に立った。5時とはいえ、十分な残照を残していた。随分、日が伸びたものだと佐世子は実感した。間もなく町田が自動ドアを作動させてくれた。
「お待ちしていました」
「ああ、町田先生。今日は娘の麻美を診ていただきたいと思いまして」
「大丈夫ですよ。分かってますから。とりあえず2人とも中へお入りください」
町田に勧められ、入り口から短い通路を歩き、佐世子が麻美に付き添う形で診察室へ入った。

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若い罪(73)

2020-11-17 14:25:43 | 小説

小さな麻美が茶葉を入れ、ポットで湯を注ぎ、孝と佐世子の湯飲みに零れる程に注ぎ、二人が「ありがとう」と言うと、麻美は「どういたしまして」と澄ました顔をした。孝がお茶を噴き出して笑い、佐世子も呆れた様子を装いながらも笑っていた。正志が部屋の中を走り回り、彩乃はまだ佐世子のおなかの中だった。
そんな懐かしさを浮かべていると「どうかした?」と麻美が問いかけてきた。佐世子はこれからこの娘を説得しなければならないのだと我に返った。

「町田先生って知ってるよね?」
「お母さんと彩乃がしばらく町田先生の自宅で暮らしてたんでしょ。私も去年の正月に会ったし」
少なくとも麻美は町田に嫌悪感や苦手意識は抱いてなさそうだ。さりげなく佐世子は麻美のテーブル越しに座った。
「今日、その町田先生に会ってもらいたいんだけど」
「町田先生の自宅へ行くの?」
「いや、そうじゃなくて。先生の病院にね。町田メンタルクリニックっていうんだけど」
「それなら行きたくない。別に私は普通だから」

麻美は不機嫌な顔に変わった。無理矢理にでも連れて行こうとすると佐世子が主張すれば、麻美はさらに激しく反発してくるだろう。急いではいけないと佐世子は自分に言い聞かせた。
「実はお母さんも町田メンタルに何度か通院したよ」
「どうして」
素っ気ない言葉に僅かな興味が含まれているのを佐世子は感じ取った。
「うん、不眠症気味でね。眠れないまま外が明るくなってたことも多かったし。それと年不相応の外見とどう付き合えばいいか分からなかった。実際に家にこもり気味だったし、家族の歯車が狂いだしたのも自分の外見が関係してるんじゃないかと不安になって。誰かに話したかったんだろうね」
佐世子は町田クリニックに通院していたことを告白し、通った理由についても正直に話した。
「そうなんだ。でも私はいいよ」

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若い罪(72)

2020-11-17 10:48:17 | 小説

「何、書いてるの?」 麻美の問いに佐世子は少し動揺して上手く答えられなかったが、それ以上の追及はなかった。内容は林田恵理に関しては本人の意向を踏まえて簡潔に伝え、麻美のことを中心に書いた。今までは正志がショックを受け、更生に悪影響が出ることを恐れ、遠慮してきたことを。教員を辞めて再就職に苦労している。正志の知っている麻美とは随分、印象が変わった。麻美には聞いていないし、彼女も口にしないが、おそらく弟を恨んでいると思う。妹の彩乃だって同じかもしれない。彼女たちの信頼を少しずつでも取り戻すには、正志が心から自分を見詰め直し、そこから目を逸らさないこと。佐世子はそんな内容の手紙をポストに投函した。何もかも打ち明けたわけではなく、リストカットやタトゥーといった刺激の強い文字は含めなかった。 麻美に「ちょっと出かけてくる」と言って、アパートから数十メートル離れた場所で町田クリニックへ電話した。「今日、診察していただけますか」と尋ねると受付女性は「少々、お待ちください」と言って音楽が流れだした。女性は戻るなり「午後5時以降でよろしければ」という返事だった。「見てもらいたいのは長女の麻美で、リストカットの跡があります」と話すと「町田に伝えておきます」と女性は答えた。また埼玉のアパートでの発見時の状況についても大まかに伝えておいた。 電話を切り、慌ててアパートへ戻り、しばらく麻美の様子を伺った。すでに布団はしまわれている。昼食の卵の入った雑炊は、朝に比べればずいぶん食べた。ほうじ茶を急須から継ぎ足して湯呑茶碗を両手で支え、口に持っていく。そういえば今どきの若者にしては麻美は日本茶が好きだった。

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若い罪(71)

2020-11-17 10:39:37 | 小説

「全然、大丈夫だよ。板の間だったら痛かったかもしれないけど」
佐世子は毛頭、深い睡眠を取るつもりはなかった。麻美のアパートで彼女のブラウスを脱がした時、左手首にリストカットの跡がいくつかあった。少しでも睡魔に気を許したら麻美が消えてしまうような悪い予感が、佐世子の心を支配していた。

気付かぬうちに佐世子は2時間程ほど眠ってしまった。早朝、麻美は隣の布団で寝息を立てている。少し安心しつつ、佐世子は今日やるべきことを考えていた。まず、アルバイト先に欠勤の連絡をしなければならない。この先、仕事を続けられるか不安だが、結局は麻美を24時間、見守ることはできないのだから、うまく折り合いをつけて収入を確保していかなければならない。
そして正志への手紙だ。今の麻美の状況を見ていると、正志に対して怒りが込み上げてくる。直接、面会して思いをぶつけたい気持ちはあるが、一歩引いて手紙という形をとることに決めた。麻美についてすべては書けなくても、正志にも知っておいて欲しい部分はしっかり伝えるつもりだ。
そして今日、最も大切なのは、麻美を町田朋子に会わせることだ。

そんな考えが巡っている間に麻美が目を覚ましたようだ。
「おはよう」
麻美のその一言で、佐和子はこれまでの苦難が緩和されたような気分になった。8時前に彩乃は大学へ向かった。その後も麻美は体調が悪く、布団の上で横になっていた。朝食も食べたくないと言ったが、お粥を少しだけ食べさせ、再び寝かした。佐世子は麻美に背を向け、F刑務所に服役中の正志宛てに手紙を書いていた。

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