7月6日に地下鉄サリン事件などで日本中を震撼させた、オウム真理教の麻原彰晃死刑囚など7人の死刑が執行されました。そして26日には残りの死刑囚6人の刑も執行されました。このことについては理由の一部に納得いかない面はあるものの、おおむね肯定しています。上川法務大臣の最終判断は正しかったのだと思います。日本に死刑制度がある以上、執行の決断を下す自信のない人は法務大臣の打診の際、断るべきではないでしょうか。ただし「平成の事件は平成のうちに」という考え方には違和感があります。とりあえず、麻原だけでよかったような気もします。
僕も死刑制度に積極的に賛成している訳ではありません。廃止できるのであればその方がいい。しかし現実は難しい。国際世論の流れは死刑撤廃の方に向かっているのも理解しています。かと言って、死刑の代替案が見当たりません。現在の死刑と無期懲役では天と地の差があります。終身刑も一つの案ではありますが、やはり死刑とは大きな隔たりがあるのは否めません。
死刑制度があるから、日本の治安がいいというのは幻想だと思います。もしこの制度を廃止しても治安が大きく乱れるというのは考えにくい。むしろそのことよりも、被害者感情に寄り添うという意味合いが大きいのだと思います。古くは日本には仇討がありました。しかし近代となり、仇討は許されないので、国が代替しているという側面があるのでしょう。
とはいえ今後、死刑制度について議論していくことは必要でしょう。人が人を裁くのですから、間違いが起こっても不思議ではありません。普通の犯罪でも冤罪は許されませんが、死刑では絶対にあってはならないことです。例えば、林真須美死刑囚の刑の執行に関しては保留した方がいいと考えます。結局、状況証拠の積み重ねで、限りなく怪しいというところまでは追い込めるのですが、彼女がやったという決定的なものがない。わずかでも冤罪の可能性があるとしたら、執行はすべきではありません。まして「平成の事件は平成のうちに」という発想はしてはならないでしょう。
僕も死刑制度に積極的に賛成している訳ではありません。廃止できるのであればその方がいい。しかし現実は難しい。国際世論の流れは死刑撤廃の方に向かっているのも理解しています。かと言って、死刑の代替案が見当たりません。現在の死刑と無期懲役では天と地の差があります。終身刑も一つの案ではありますが、やはり死刑とは大きな隔たりがあるのは否めません。
死刑制度があるから、日本の治安がいいというのは幻想だと思います。もしこの制度を廃止しても治安が大きく乱れるというのは考えにくい。むしろそのことよりも、被害者感情に寄り添うという意味合いが大きいのだと思います。古くは日本には仇討がありました。しかし近代となり、仇討は許されないので、国が代替しているという側面があるのでしょう。
とはいえ今後、死刑制度について議論していくことは必要でしょう。人が人を裁くのですから、間違いが起こっても不思議ではありません。普通の犯罪でも冤罪は許されませんが、死刑では絶対にあってはならないことです。例えば、林真須美死刑囚の刑の執行に関しては保留した方がいいと考えます。結局、状況証拠の積み重ねで、限りなく怪しいというところまでは追い込めるのですが、彼女がやったという決定的なものがない。わずかでも冤罪の可能性があるとしたら、執行はすべきではありません。まして「平成の事件は平成のうちに」という発想はしてはならないでしょう。